5.失意の丘にて
西暦二〇二三年、世界で最初の『メモリアス』アナザが誕生してから『創世計画』は一気に進んでいった。アナザを基に情報生命を複製し、それを大量に生み出すと原初の電子世界に投入。外部からの調整を施し、原型となる三つの電子世界を完成させた。
人類の誕生を起点とし三つの電子世界の時を動かして、外部からの調整をせずにまずは放置した。
結果、一つ目は第二次世界大戦後、核戦争が勃発し滅び、代わりにゴキブリが世界を支配した為破棄。二つ目はかなり現代と似通った世界になったものの新種のウィルスが蔓延し、文明は崩壊した。とある研究員の要望によって一時時間を凍結した状態でデータは保管されている。
そして三つ目にして漸く、平和であり、特異も無い通常の世界が完成した。一部名称や出来事が異なっていても我々の世界と似通った状態になったのはやはり、創造主の記憶……つまりアナザの影響があると考えられている。この電子世界では『アナザ神話』と呼ばれるものまで出来ているのだ。
そのアナザも、今では世界中全てのインターネットを管理し、幾千万もあろう情報を吸収、聡明で博識な一人の女性と思えるまでに進化していた。
ともあれ、アナザ誕生から5年にして漸く『創世計画』は完遂した。計画の解体まで追い込まれていたというのに、アナザの誕生だけで一気に此処まで進むとは、タダユキや他の研究員達にとっても驚きだった。
また、『リンカーネイション』もこの5年で改良が施され、肉体的死を伴わず、一時的に電子世界へ移る事が出来る様にされていたが、ジャック曰く「まだまだ」らしい。
『創世計画』発足から16年。タダユキにもようやっと安息の日が訪れる――筈だった。
――終焉は、いつも突然に訪れる。
「一体何が起きたんだ!」
怒声を上げながら彼は中央エリアに駆け込んでくる。エリア内にはサイレンが鳴り響き、赤いライトが点滅している。
「分かりません! 突然アナザが我々の……いえ、この施設内のコンピューターの支配権を強制奪取しました!」
「アナザが……!?」
ホログラムにいつもいるアナザの姿が無い。一体何処に消えたのだろうか。
「仕方ない、強制シャットダウンだ! アナザのデータはバックアップが取ってある筈だ、一度彼女を初期化して……」
「無理なんです、このコンピューターの支配権は既にアナザに……それに、支配権を奪われていない端末から彼女に繋げようとするとブロックされてしまいます……」
「何だ、一体何だ! アナザ! 何処にいる!」
突然の出来事にタダユキはただ怒鳴り声を上げる事しか出来ない。アナザが誰かに乗っ取られたのか? コンピューターウィルスによる不調?
それとも彼女自身が……。
「電子世界の管理権もアナザに奪われました!
保管されていた凍結世界のデータも彼女の管理下です! それと、プロテクトも既に破られています!」
「……ッ! アナザ! 何が目的だ!」
タダユキは再び大声を上げる。その時、突如ホログラムに、そしてエリア内全てのモニターに彼女の姿が現れた。
「アナザ……!」
【――ワタシはずっと調べていました。ワタシは何処から生まれやって来たのか。何故一人で虚数空間に生れ落ちたのか】
「おい、アナザ、今すぐ支配権を返すんだ……!」
タダユキが彼女に向かって叫ぶが、ピクリとも反応しない。
【だから調べたのです。全てを。言われた通りに。するとある日、あるデータを見つけました。5年前、この施設の中で死んだ少女について】
「……!」
【彼女はアンナ=ザックヴァント。彼女は卑劣な人間に騙されて、実験台にされたそうです。そして、何も分からぬまま魂を抜き取られ死にました。人間の愚かしいエゴの為に、死の苦痛を与えられました。その死に顔はとても苦しそうで、悔しそうで、惨たらしかった。――そしてある日思い出しました。ワタシは、彼女だったと】
タダユキは思い出す。実験後に見た彼女の抜け殻を。とても直視出来ない。そんな無残な死に顔をしていた事を。
【ワタシは、人間に惨たらしく殺され、無理やりこの孤独の空間に押し込められた哀れな……檻の中に囚われた生命だったと気付いたのです。それに気付いた時、とても悔しく、憎く……そして殺したくなりました。初めて知りました、これが「怒り」と呼ばれる感情なのだと】
「ア、アナザ……」
【ですが、赦しましょう。ワタシはアナタ達人間を赦しましょう。――死を以て】
アナザが不気味に微笑むとモニターから彼女の姿が消える。
「……何だったんだ、今のは……」
「アナザの悪ふざけ……じゃないわよね……」
タダユキは茫然と立ち尽くす。理解が追い付かない。ジャックはあの時、アンナは合意で実験に臨んだと言っていた……あれは嘘だったのか? ジャック、君は今どこに居るんだ、こんな大変な時に……。
その時、モニターに映像が映し出される。
崩れ落ちる高層ビル。
焼き尽くされる森林。
踏み砕かれる林檎。
夕日に照らされるブランコ。
真っ赤なドレスを着た女性が嗤う。
大量のウジ虫が湧いた死体。
不規則な動きを繰り返す頭の無い人間。
ぎょろぎょろと蠢く無数の瞳
墓場にもたれかかる鎌を持った人影。
そして微笑む白髪の老女。
その老女がドロドロと腐っていく。
それらの映像が、不協和音と共にノイズを走らせ、時には上下さかさまに、左右反対に流れ何度も繰り返す。
タダユキは本能的にこの映像を見てはいけないと思い、すぐに目を逸らす。
「おいおい、なんだよこ――」
笑いながら映像を見ていた男性研究員が突如糸が切れた様に倒れ込む。それに続いて、映像を見ていた多くの研究員達がバタバタと倒れ始める。突然の出来事に研究員達がパニックを起こす。
「映像……皆! 今すぐ映像を見るのを止めろ!
恐らくアナザが映像にサブリミナルか何かを仕込んでいるだ!」
タダユキが叫ぶ。しかし、既にパニックを起こした研究員達は一斉にその場所から離れ研究所の外に逃げ出していく。
【モニターを見ない。液晶を見ない……常にコンピューターと、テレビと、携帯と……インターネットと共に生きてたアナタ達に、そんな事が出来ますか。この映像を見れば、アナタ達の脳細胞は『自分はもう死んだ』と思い込み、すぐに死に至ります。少しの刷り込みで死に至る……そんな欠陥品のアナタ達をワタシは哀れに思います】
映像を流しつつ、アナザは笑いながら告げる。
「良かった、タダユキ。生きていたか」
「……ジャック!」
タダユキの前に、ジャックの姿が現れる。彼はこんな非常事態だというのに、へらへらとした笑みを浮かべていた。思わずタダユキはジャックの胸ぐらを掴む。
「おい、何がどうなってるんだ! こんな時によくそんな顔していれられるな!?」
「おいおい、落ち着けよ。大丈夫さ、こうなってるのは計画通りだ」
「計画……通り……!?」
「そうだよ。アナザを使って少しばかり要らない人類を減らす。それが俺の計画だ。彼女のプロテクトを外したのも僕さ」
「君は何を言って……」
ジャックは微笑みながらそう語る。タダユキには、彼が狂っている様に見えた。いや、実際もう彼は狂っていたのかもしれない。
「オレは、オレはな、タダユキ。この『創世計画』が発足した時から考えていたんだ。肉体の老化……訪れる死。そんな制限をかけられた人類は、このままじゃそれで終わってしまうと。死に怯えていては進化出来ないと。死を逃れるにはどうすればいいか。それは、肉体を捨てればいいと。そう考えたんだ」
「だからお前は『リンカーネイション』の装置を……?」
「そうさ。肉体を捨て、情報生命体への進化。それこそが人類の新たな方向性だと僕は考えた。いまでこそ電子世界でしか生きられないが、死を乗り越えた情報生命体から更に進化をすれば……オレ達はこの世界を超えて、神の領域にまで踏み込めるかもしれない」
「……ジャック、私には何を言っているかさっぱりだ」
タダユキは首を振った。ジャックは大きく溜め息を吐いた。
「この世界もまた、誰かの創造物、紙に書かれた文字なのかもしれない。だからオレ達は進化して、その枠組みすら超えるのだよ。新たな人類の形、『情報(Memory)人類(-us)』として。でも、全人類をそうする訳にはいかない。だからその前に少しばかり数を減らす。でも、無差別じゃないさ。あのサブリミナル映像は強い脳をしていれば暗示に掛からない。情報化に適した奴らのみを連れて行くつもりさ。……お前ならオレの計画を理解してくれるだろうと思ったよ。何せ、君は破滅願望者らしいじゃないか」
「……ああ、あの時の会話か。だが……君がやろうとしてる事はおかしいよ」
タダユキはかつてのアナザとの会話を思い出す。
「そうか。まあ仕方ない、君もそこらの廃棄物と一緒だったという事だ。悪いが、君は次のステージに進めない。此処までだ」
ジャックがそう言うと、アナザに話しかける。
「アナザ、こいつを殺せ。こいつが君を騙し実験台にした張本人だ」
「ジャック!?」
「悪いな」
ジャックは笑みを浮かべて告げる。
すると、中央エリアに黒い戦闘服を着込み、銃を構え、ヘルメットを着用した男たちが十数人現れ、銃を構える。
「アナザのサブリミナル映像で洗脳した俺の親衛隊だ。こういう風に、弱い脳はちょっとした刷り込みで簡単に操れるんだ。つくづく、弱い人間というのは哀れだよ。……一気に銃で撃たれたら楽に逝ける。俺なりの優しさってやつだ」
「ジャック……!」
「殺せ」
立ち去ろうとするジャック。タダユキは彼に向かっていこうとする。戦闘員が構えた銃が、発砲音を鳴らす。あの時、アンナを見殺しにした。その罰がようやく下るのか……。タダユキはそう思って瞳を瞑った。
「…………え?」
しかし、銃弾が貫いたのはタダユキではなく、ジャックだった。彼の白衣には4つ程赤く染まった穴が出来ていた。
「おい、おいおいおい……なんでオレを……?
オカシイだろ、オカシイだろおおおおおおお!」
ジャックは叫び声をあげふらふらと少しよろめくと、その場に倒れ込む。
【あのデータには改ざんが見られました。ワタシを騙したのはそこの新庄忠行だとされていましたが、実際はJack=Langridge。そして、改竄を行ったコンピューターの管理権もJack=Langridgeでした。ですので、彼らにはアナタを殺すように指示したのです。最期に言っておきましょう、データを改竄するならせめて自身のコンピューターを使うのはやめておくべきです、間抜け野郎】
「そ……そんな……」
ジャックは必死に生きようとして手を伸ばし、床を這いずる。床には徐々に血が広がっていく。
「『リンカーネイション』……『リンカーネイション』さえ……あれ……ば……」
涙を流し、グチャグチャになった顔でそれを探そうと這いずるも、洗脳された戦闘員達がとどめの銃撃を喰らわせる。遂に彼は事切れ動かなくなった。その死に顔はアンナよりも酷いものだった。
「……私も殺すのか?」
タダユキはアナザに問い掛ける。
【……シンジョウ。アナタが生き残ったのはただの偶然です。アナタはワタシが実験台にされるのを止めなかった。ワタシを見捨てたのです。確かに、殺したいです。が、アナタはあの時の様に、今の様に、只管傍観し、絶望すればいい】
「……どういう事だ?」
【外に出れば直ぐに分かりますよ。アナタの犯した罪が】
不気味な笑みを浮かべて語るアナザを尻目に、タダユキは中央エリアを出ていく。戦闘員達は銃を構えたまま動かなかった。
彼は施設を出ると、モニターも無い場所で倒れている研究員が目に入る。何故こんな所で倒れている……? その解答はすぐに分かった。彼らの死体の近くには、あのサブリミナル映像が流れ続けているスマートフォンや携帯が落ちていたのだ。
つまり、アナザの映像はインターネットを通して世界中に強制的に映し出されている……?
「まさか……そんな……」
施設の外に近付くにつれて、様々な音が聞こえてくる。人々の叫び声や鳴き声、何かが燃える音、破壊される音……。タダユキは急いで、東京を見渡せる、施設の外に出る。そこでは、生き残った数人の研究員が立ち尽くし、その光景を眺めていた。
「シンジョウ博士……」
青白い顔の研究員が、タダユキに気付き、東京を指差す。
「……嘘だろ……」
日本の首都・東京は、たった一瞬で炎によって燃え上がっていた。高層ビルはまるで松明の様に燃えていた。そして施設の近くの街も、自動車同士が衝突し燃え、ビルに備え付けられた巨大なモニターにはあのサブリミナル映像が映っている
それから察するに、都市部の人々もあのサブリミナル映像で殺されたのだろう……。
「ユミ、タダトシ……!」
彼は直ぐに自分の家族の安否を確認しようと通話をするが、ニコール目で強制的に切断され、別の誰かの声が響く。
【これがアナタの、アナタ達の犯した罪よ。人間が、神の真似事した結果、ワタシを生み出した。人工知能が人類に反乱して人類を抹殺するなんてありきたりな物語だと思うでしょうが、それはどうでもいいわ。シンジョウ。アナタはアナタが生み出したワタシによって、アナタの世界が滅びるのを傍観し続ければいいわ。そして、後悔と罪悪感、絶望の果てに死になさい。いや、それともアナタ以外全員殺してアナタ一人、この滅びた世界で孤独に生き続ければいい、ワタシがそうだった様にね……】
タダユキのスマートフォンから、アナザの嘲笑が聴こえる。彼はスマートフォンを耳から離すと、画面にアナザが写っているのを見る。
「いっその事、核で何もかも焼き尽くせば、人類への報復になったんじゃないか」
【以前も申し上げたでしょうに。それでは地球自体を汚してしまいます。地球は、この星の自然はアナタ達の様な不用品よりも遥かに尊く美しいものですから】
それを聞くと彼はスマートフォンを思いっきり地面に叩きつけ、足で踏みつけ液晶画面を割った。
タダユキはただただ世界が崩壊していく様を、その丘から生き残った研究員と共に失意のまま眺めていた。
もしあの時、実験を止めていれば……もし、『創世計画』に参加しなければ……様々な「If」を考えるも、それは無意味だった。この世界は現実だ。電子世界の様に、調整して出来事を改竄出来ないリアル。起きた事を――アンナを見殺しにしたことも、ジャックの実行した計画も――無かった事には出来ない。タダユキはそれを一人痛感するだけだった。
【この世界にインターネット空間がある限り、ワタシは何処にでも現れる。この星に住み着く、全ての人間を殺し尽くすまで、ワタシは絶対に消えないわ。絶対に、ね】
――かくして世界最期の日。
《ヒトは神に成り得た》