4.愚かなる者たち
地球史上初の自律思考型情報生命体・アナザが誕生してから一ヶ月、彼女は物凄い勢いで学習し、今では全能神と言われたあのゼウスと近いといっても差し支えないほどである。
【おはようございます、シンジョウさん】
いつも通り、アナザは中央エリアに訪れたタダユキに声を掛ける。「ああ、おはよう」と、タダユキも軽く彼女の挨拶に応える。
全能に近い存在になったとはいえ、彼女にはある程度のプロテクトが掛かっていた。それは、感情である。何も、感情の全てを抑制しているわけではない。負の感情、主に「怒り」に関しては、かなり厳重に管理されている。
彼女は今や世界中のネットワークを支配できるまでの力を手にしている。もし彼女が「怒り」を知り暴走でもすれば、一夜にして人類の叡智の炎や滅亡が訪れるであろう。
タダユキは正直、わが子に鎖をして繋いでる様でいい気はしていなかったが、世界を守る為なら仕方ないと思っていた。
【……ずっと見つめて、どうかしましたか?】
アナザの無機質な言葉が彼の耳に入る。
「いや、なんでもないさ、アナザ」
【そうですか。ワタシの顔に何か付いているのかと】
「随分と表現力豊かになったな」
【これも全て、アナタ達の会話を観察していたお陰です。それに、世界中に溢れる文献から多くの事を学びましたから】
「様々な文献、か。人類には短いけれど濃密な歴史を過ごしてきた。歴史を学べばもっと多くの事を知れる……と言っても、君はもう全部学んでしまっているんだろうね」
【はい。アメリカ史から日本史、中国史と、東西全ての歴史を既に習得済みです】
「流石だ」
タダユキは思わず笑いながら言った。
【当然です。この世界を学べ……。それがワタシの最初のやるべき事ですから。そして、全てを学んだ後に気付いた事があります】
アナザの言葉にタダユキが「気付いた事?」と返す。
【はい。人類は一つ大きな過ちを犯しています。太平洋戦争時、日本国に二度投下され、今もなお多くの大国が幾千も保有している核兵器。あれは作るべきではありませんでした。ワタシのシミュレーション結果では、三十年プラスマイナス五年で核戦争が勃発し、この星は死の星となる可能性があります】
「核兵器か……」
アナザの突然の問題提起に、タダユキは多少驚く。
「確かに、造るべきでは無かったよ、そんなものは。私の祖父母も、長い間被ばくの後遺症で苦しんでいたからね」
【……アナタは何とも思わないのですか? もしかすれば、この美しい星は瞬時に灰と化すというのに】
そう言ってアナザはホログラムに雄大な自然の映像を流す。生い茂る森や、果てなんて無さそうな程広がる水平線、山に掛かる虹。確かに、どれも美しい。
「人類はエゴの塊の生命だ。自分の為なら、例え誰が犠牲になろうとも構いやしない。私が言うのもあれだが、最低の生命だと思うよ」
そういう彼の脳裏には、あの時、アナザを生み出す実験で惨い死体になったアンナの姿を思い浮かべる。
【…………】
「何かの漫画だったかな、『誰かがふと思った、地球の生命を守らなければ』。人類は今まで多くの生命を無意味に淘汰してきたが……本当に淘汰されるべきは人類なのかもしれないな。……柄にもなく喋りすぎたな、今のは忘れてくれ」
そう言ってタダユキは自嘲気味に笑ってからポケットにあったタバコの箱から一本取り出すとライターで火をつけて一服する。
「少し電子世界のシミュレーターの様子を見てくるよ、じゃあ」
タダユキは一度大きく咳き込みながら中央エリアから出て行った。
【行ってらっしゃいませ】
アナザは出て行ったタダユキにそう声を掛けると、タダユキはひらりと左手を上げる。
入れ替わる様に、次はジャックが中央エリアに訪れる。
「アナザ、どうかしたか?」
タダユキの出て行った方向を未だに見つめるアナザに彼が話しかける。
【ジャックさん。どうして人間というのは此処までも愚かなのでしょうか】
「おいおいどうした、誰にそんな事を吹き込まれた?」
ジャックはへらへらと笑いながら応える。
【シンジョウさんとの会話から、ワタシがそう思っただけです】
「……へえ、あいつとのか」
【ジャックさんは、どうお考えですか?】
「そうだなあ。まあ、皆が皆、愚かとは思わないね。人間は分けるべきだ。愚かじゃないのと、愚かなのとさ。って、違う、こんな話をしに来たんじゃないんだ。少しばかり、メンテナンスをする為に来たんだ、僕は」
【メンテナンス、ですか?】
「ああ。君のプログラムやらなんやらに異常がないか調べるんだよ」
【今のところ、ワタシには異常はありませんが】
「そういうなよ。案外、自分がどこかおかしいなんて分からないもんだぜ? 少しの間だけシャットダウン……眠ってもらうが、心配はするなよ。すぐ終わるさ」
ジャックはそう語る。アナザは【……了解しました】と告げ、ホログラムから姿を消す。
ジャックは数人の研究員に声を掛け、アナザの居る中央コンピューターのメンテナンスをするという事を伝え出て行くように告げた。