3.起動(アクティベート)
「こんにちは、シンジョウさん!」
研究施設へやって来たシンジョウの前に、アンナと思わしき少女がやってくる。
「あ、ああ、こんにちは……」
彼は困惑していた。以前会った時とは見違えるように綺麗になっていた。此処に来てからの六日間、整った生活環境で世話をされていたからか、以前の面影は殆ど無かった。
「おいおいシンジョウ、何見惚れてるんだ?」
「ジャック……! いや、あまりにも変わりすぎて驚いてたんだよ」
「だろうな。さあ、アンナ。欲しがってたぬいぐるみだ」
ジャックはそう言うと右手に下げていた。紙袋から巨大なクマのぬいぐるみを取り出し、アンナに渡す。
「ありがとう、ジャックお兄さん!」
「今日頑張ったら、また欲しい物を買ってあげるからね」
「うん、わたし、がんばる!」
「さあ、こっちだ、アンナ」
そう言ってジャックは彼女の手を引いて実験室に向かった。ああ見ると、ごく普通の親子に見える。しかし、ジャックは彼女を死ぬかもしれない実験に使おうとしている。彼には罪悪感というものがないのだろうか? タダユキは不穏な目で彼の後姿を見ていた。
『リンカーネイション』を用いた魂の電子化実験が開始された。被検体となったのはアンナ。彼女は実験室㊀内のベッドの上に両手足を拘束され、身体中に状態を確認するための針を刺されたままで頭部に『リンカーネイション』を被らされた。
かなり痛かったのだろう、鼓膜が破れるくらい彼女は大泣きし、タダユキ含め一部の研究員はその時点で大きな罪悪感を抱えていた。
そして隣の実験室㊁で、多くのモニターやディスプレイを設置し、彼女の様子を確認していた。
「さて、時間だ。始めようか」
ジャックはモニターに映るアンナのバイタルを確認しつつ告げた。
「脳波正常、血圧、脈拍共に異常無し。万全の状態です」
ジャックの部下である女性研究員が彼に向かって言う。
「……それじゃあアンナ、今から実験を始める。何も心配しなくていい、ゆっくりしていてくれ」
「……はい……」
ジャックがマイクを通して言うと彼女は返事をし頷いた。かなり疲弊している様に見える。
「上手くいけばいいが……」
「一発で成功すれば僕も万々歳だが、どうだろうな。まあ、失敗したらまた成功するまで繰り返すだけさ」
「……」
先程の事と言い、タダユキには、ジャックの目はとても冷徹に見えた。かれこれ十年以上共に研究を続けてきたが、あんな目はタダユキは初めて見るものだった。
「『リンカーネイション』、起動」
ジャックがそう告げると、アンナの頭部に取り付けられたそれは蒼く輝く。
「君、モニターを切っておいてくれ」
「分かりました……いいんですか?」
「ああ。バイタルだけ表示してくれればいい。もしかしたら見るに堪えない光景が映るかもしれないしね」
ジャックの指示に従った研究員がパソコンを操作し、アンナの映るモニターを消す。
「装置、実験台の脳内電流を捕捉。現在サルベージ中。状態は良好。しかし、実験台のバイタル低下中。どうしますか、ジャックさん」
「バイタル低下は考慮するな、魂を体から引き抜こうとしているんだから当然だ」
「……魂を引き抜けば、残された肉体は……」
「ただの肉の塊になるだろう。なんせ、魂が無いんだからな」
タダユキは彼らの姿を眺めながら言う。
「脳内電流サルベージ完了。現在電子状態へと変換中。続けて変換されたものを中央コンピューター内に転送します」
すると、モニターにはゲージと数字が表示される。六十五パーセント……電子返還がそこまで済んだというのを示しているのだろう。
「上手くいけ……いってくれ……」
タダユキは一人拳を握りしめて呟く。それは『メモリアス』開発が上手くいく事を願ってか、それとも被検体の少女が無駄死にしない様にと祈るのとどちらなのか彼にも分かっていなかった。
「まもなく電子変換、完了します。残り五秒……三……二……一……完了しました。後は変換された魂を中央コンピューターに転送するだけです」
「このままいけば一発で成功か……奇跡だね、これは」
ジャックはほくそ笑む様に言う。
「インストール、完了しました。データ上では魂の電子変換及びコンピューター内へのインストールが完了しました。後は、変換された魂……自我がどうなっているか、ですね」
「よし、ホールの方へ行くぞ」
ジャックは我先にと実験室を出て、中央エリアに向かった。タダユキや部下達もそれに続く。
「ああ、ジャック博士。ついさっきからホログラムの様子がおかしいんです、美少女キャラみたいなのが表示されていて……」
中央エリアに辿り着くと一人の研究員がジャックにそう告げる。すると彼は目の色を変え、その研究員を押しのけ中央に置かれているホログラム装置に向かう。
「……おお……」
ホログラムに映し出されているのは、アンナと
そっくりな少女だった。長い黒髪に紫の瞳で、無表情のまま静かに中央エリアを見渡している様に見える。
「……君、君は……アンナ。そうかい?」
【――ワタシには、名前が分かりません。ワタシは、ワタシが誰か分かりません。故に、アナタに解答を求めます。ワタシは誰ですか?】
彼女だったそれは、ゆっくり口を開きジャックに尋ねる。その声色は怖い程に美しいものだった。タダユキはその声色に少し脳を蕩けさせられそうになる。
「記憶が無い……。魂をまんま抜き出したのなら、彼女の経験していた記憶が消えるのはおかしくないか?」
タダユキはジャックに尋ねる。
「恐らく機械の不具合だろうが……記憶くらい消えていても想定内さ。それに、電子空間に『転生』している以上、そんなものは無駄だ」
タダユキは何も言えずにただ頷いた。
「お待たせ。君が誰か……そうか、ふふ、君、君はだね、アナザだ。アナザ。君はその世界の……原初の女神だよ」
【ワタシはアナザ、原初の女神……記憶しました。ワタシは何をする為に生まれ、何を行えばいいのでしょう】
「ああ、アナザ。心配しなくてもいずれ分かるさ。まず、君は世界中のネットワークに接続出来るはずだ。それで、全てを覚え、学ぶんだ。まず最初にやるべき事はそれだ、アナザ」
【……全ての学習。了解しました】
そう言うと、彼女は目を閉じ、黙りこくる。インターネットを通して世界中から情報を手に入れ学び始めたのだ。赤子が言語を覚えるよりも早く。
「成功だ……成功だ成功だ成功だ成功だ成功だ成功だ! タダユキ、僕達はやったんだ、遂に……『メモリアス』を産み出したんだ! これで、これで世界を……変えれるぜ、成し遂げたんだ、僕達は……!」
ジャックは満面の笑みでタダユキの肩を抱く。
「あ、ああ……」
タダユキはまだ茫然としていた。あんなにもあっさりと実験が成功するとは思えなかった。しかし、現に目の前に自我を持つ情報体が存在しているのだ。
「……流石だな、『リンカーネイション』とやらは……」
「もうしばし喜びに浸っていたいが、そんな暇はなさそうだな。急いでアナザを基に情報生命の種を作り、電子世界の作成を急がないと」
「分かってるさ、分かってるとも」
タダユキは頷くと、ジャックと共に中央エリアを出ようとする。その時、実験室の方から、女性研究員の甲高い叫び声が中央エリアに響く。
「どうした!」
タダユキと研究員達は直ぐに研究室㊀の前にやって来る。
「何があったんだ?」
「ひッ、ひいいいッ……」
タダユキが尋ねると、腰を抜かしてその場に座り込む女性研究員は震える手で指を中に向けた。タダユキも続けてそちらを見る。
「うッ……!?」
彼は思わず吐き気を催した。彼らの目に映ったのは、か弱い少女の惨たらしい死体だった。アンナであったその少女の身体はぐにゃぐにゃに曲がっており、ディスプレイが外れた顔はとても悔しそうに、憎たらしそうに、怒っている様にも見え、とても人間のものとは思えない表情だった。
「……ああ、抜け殻か。もう必要ないから、さっさと片付ける様に言っておかないと」
ジャックはアンナの死体を見て、表情変えずに言う。ジャック、どうして君はそこまで冷静に居られる……? タダユキはそう言おうとしたが、言葉にならなかった。
そして、実験室の傍らに転がっているクマのぬいぐるみを抱えると、そっとアンナの折れ曲がった手に抱えさせて、彼は両手を静かに合わせた。同時に、冷たく乾いた床に一滴の滴がポツリと落ちた。