*12*
青い光の向こうから、温かい雨が降ってくる。
目を覚ましたスミレの瞳に最初に映ったのは、こちらを覗き込んで泣いている少年の顔だった。大粒の涙を浴びながら、スミレはぼんやりとした目で彼を見つめる。
綺麗な瞳だ。
涙に濡れているそれは、悲哀や苦難という砥石によって複雑にカットされた宝石のようだ。見たところ十代半ばの少年なのに、引き締まった輪郭からは厳しい風雪に耐えた年輪が感じられた。そんな研ぎ澄まされた相貌の中にあって、唇だけが丸みを残している。まるで彼の本質を表すかのように。
スミレは一瞬で少年に惹きつけられた。二次元以外にはなんの興味も覚えなかったスミレが、数百年ぶりに感じた胸の高鳴りだった。だがそれも、彼の言葉が耳に飛び込んでくるまでの間だった。
「ツバキ!!」
・・・またか。
上気しはじめていた頬が、一瞬のうちに冷えていく。
彼女は目を半ば閉じ、不機嫌な表情で口を開いた。が、なかなか声が出ない。忌々しい名前を連呼しながら体を揺する彼を手で制し、喉に力を込める。
「あー・・・落ち着いてや」
ようやく捻り出した声はしわがれていた。
「アタシはスミレ。ツバキは姪や」
彼は、それが死の呪文であったかのように動きを止めた。
呆然とした顔に、涙だけが伝っていく。
「・・・スミレさん?」
「せや。アンタ誰や」
きつく体を締め付けていた少年の腕が、脱力と共に体から離れていく。自分への熱意が失われていく事が冷たく胸を締め付け、彼女は咄嗟に彼の腕を掴んでしまっていた。
アタシは何をやってんだ。
一人動揺しているスミレに向かって、彼は自分の名前を口にしたた。
「・・・優です」
聞き覚えのある名前に、思わず目を大きく見開く。
「・・・はぁ?」
スミレの脳裏に、ぽっちゃりとした子供の姿が浮かび上がってくる。
男子三日会わざればなんとか、とは言うが、それにしたって限度がある。あの日の彼は、打ちひしがれた少年だった。いかにも脆そうな、そして無力な子供。
それがなんだ。ドラえもんのうそつき鏡でも、もう少し遠慮して美化するだろう。
「はあ!?」
彼女はもう一度、大声で叫んだ。
*
青い光に照らされながら、スミレはソファに体を沈めていた。
優が淹れてくれた紅茶を喉に送ると、温かさが胸の中に広がっていく。そういえば、ここを銃弾に貫かれたはずだ。感触が今も残っている。
スミレはマグカップを持たない方の手で肩を撫でる。そこに傷は無かった。一体どうやって治したのか分からないが、経緯はいずれ目の前の少年が教えてくれるだろう。
安堵に浸りながら、彼女は部屋の大窓へと視線を送る。
その先には、眩しく輝く銀河が渦巻いていた。
壮大な光景にうっとりと目を細めながら、彼女は口を開く。
「やっと落ち着いたわ。ありがとうな」
「いえ。・・・先ほどは、取り乱してすみませんでした」
「それはこっちも同じや」
笑うスミレに向かい合って座る優は、弱々しく縮こまっていた。その姿を眺めながら彼女はマグカップをテーブルに置き、表情を真剣なものに改める。
「その様子やと、ツバキちゃんに何かあったんやな。翳ちゃんもおらんし」
棒か何かで打ち据えられたかのように、優の肩が激しく揺れた。視線を足元に落とした彼は、そのまま動かなくなる。
「・・・聞かせてくれるか?」
俯いた彼の顔が、見る間に苦渋で歪んでいく。
それでも、彼は努力して言葉を紡ぎ始めた。
それから小一時間、優はガベージコレクタに飲まれてからの出来事をスミレに話して聞かせた。
苦痛に耐えきれなくなり、途絶え途絶えではあったが。
やがて彼の言葉が終わり、沈黙が部屋を満たす。
スミレは、背中をソファに預けながら長息した。
「あの子らしい話やな。優くんが気に病むことなんて何もないで」
優は俯いたままだ。肩がわずかに震えているところを見ると、声も無く泣いているらしい。聞けば彼にとって三十年以上も昔の話だというのに、よく泣く子だ。あれだけの経験をしておきながら、泣き虫は直らなかったのか。
いや。・・・もしかして、自分が薄情なだけか?身内にもう会えないというのに、これっぽっちも寂しいとか悲しいとか、それに似た感情が浮かんでこない。むしろ・・・。
スミレは少しばかり驚く。
むしろ、自分は清々しているらしい。
姉の愛を一身に受ける、自分そっくりな存在。誰も彼もが自分をあの分身の名で呼び違える。そんな偽物が遠くに行ってしまった今、自分は唯一の存在だ。結論を得て、スミレの目の前が明るくなる。
これは喜ばしいことだ。
あの子は自分の望みを叶えたんだし、一体何を悲しむ必要がある?
それに。
黒い感情が心を満たしていく。
この事を知った姉がどんな反応をするのか、今から楽しみで仕方がない。彼女は持ち上がろうとする口角を必死に押さえつけ、努力の末に悲し気な声を出す。
「優君、ホンマに気に病む必要なんて無いで。あの子は自分のしたいようにしたんやから」
本当のことだし、本気でそう思う。
「なんやったら、アタシをあの子の代わりにしたらええ」
これは本心じゃない。代わりなど真っ平だ。
だが、そこから始めるのも悪い手ではない。
スミレは自覚していた。どうやらこの少年への気持ちは本物らしい。彼への欲望が、マグマのように胸の中で熱だまりを作っている。
「・・・ありがとうございます。でも、スミレさんはスミレさんですから」
スミレの額に、ごく薄く亀裂が刻まれる。
まあ、焦っても仕方ない。この話には一旦区切りを付けることにしよう。実際のところ、色恋沙汰にうつつを抜かしている場合ではない。彼女はソファに座り直し、優へと身を乗り出した。
「優君、ツバキちゃんが持っとった石を受け継いだっていう話やったけど」
優は体を起こした。そしてプロテクタを外して胸元に手を突っ込む。彼が差し出してきたのは、燃えるような赤い光を放つ紅玉だった。
今度は、笑みを隠そうとしない。彼女は喜色満面で石へと手を差し伸べた。
これがあれば勝てる。
やはり、この子が鍵だったのだ。
「優君、お願いがある。一緒に来てんか。そいで、アタシらの宇宙を救ってほしいんや」
*
バルルクタイルの宇宙から出る扉を開けると、その先には惨状が広がっていた。
スミレの視線が、サーチライトのように世界を描き出している。そこに照らし出されたのは、黒こげになった五つの死体。
廊下はススで真っ黒だった。扉には何かが炸裂した形跡があり、その爆風で絶命したようだ。
「こいつらは、この扉を封印しようとしとったみたいなんや。優君がこっちに戻られへんようにな。人んちで悪さしとったんやから、自業自得や」
そう言い捨てて、スミレは廊下を走り始めた。
優は胸の動悸を抑えつつ、必死の形相でその後を追う。
「君は人を殺したことが無いんやろ?変なもん見せてすまんかったな」
スミレの物言いに恐ろしさを感じつつ、優は敢えて別の事を彼女に問いかける。
「スミレさん、僕の名前が電話帳から削除されたままなんですが、戻せますか?」
「・・・電話帳?」
スミレは少しばかり困惑したあと、思い出したらしく笑い声を上げた。
「ああ、そうやったな。でもそれは後や!今は何よりも先にやるべき事があるやろ」
それにしたって、このままでいるのは困る。
そんな心配を察したのか、スミレは笑顔で優に振り返る。
「大丈夫やって、まかしとき!それより急いでんか」
そう急かしつつも、スミレは優の脚力に感心していた。自分にここまで着いてこれる者は、そうはいない。
決めた。この子はアタシのものだ。
こんなに心が浮き立つのは久しぶりだ。その瞳に輝きを湛えつつ、彼女は「図書室」の最深部へと続く通路を走り続けた。




