*15*
酔っ払いが語る予想外の言葉に、ツバキは戸惑いつつも口を開いた。
「んだよ、分かれたって・・・コピーとかか?」
よく考えると恐ろしい質問だが、優は平然と答える。
「ゲームマスターは上位次元の存在だ。彼と戦うには、僕も上位次元に赴く必要があった。僕はあちらに適した体を作成し、一方で古い体を残しておいた。見方にもよるが、あの行為はコピーではなく、分岐だと僕は考えている」
聞きながら、ツバキは片眉を上げていた。
「・・・俄には信じられねぇ話だな」
「ツバキ、君は知っているはずだ。君が提げているもう一つのペンダントの力ならば、それは充分に可能だ」
その言葉にツバキの顔色が変わった。固い表情の彼女を、翳が訝しげな表情で見つめる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてツバキが何も言うつもりが無い事を確認した優は、再び口を開く。
「僕は二人に、伝えるべきことを携えてきた。まず、あの塔に生存者はいない。彼らを探すことを止めはしないが、ほかにやるべき事があるはずだ」
優らしくない冷徹な物言いだった。困惑する二人をよそに言葉が続く。
「もう一つ。あの宇宙の安全は僕が保証する。僕はあの宇宙の上位次元でゲームマスターとの闘いを継続しているが、それが終結するまでに必要な期間は、永劫と言ってもよい長さになる。その間、彼は僕との戦いにすべてのリソースを注がねばならない。よけいな事に手を出している余裕などないということだ。あり得ないことだが、もし仮に手を出してきたとしても、僕ならば十分にそれを阻止できる」
一部ろれつが怪しくなりながらも何とか語り終え、優はしばらくの間荒い息をついた。ツバキが差し出した水を口にしてようやく落ち着く。
「・・・僕はあの宇宙から神々の影響力を排除し、完全な独立を得る。気まぐれに翻弄されることなく、戯れに虐げられることなく、例えそこが荒野であっても、自らの心が定める道を歩ける宇宙だ。僕を信じてくれるなら、どうかあの宇宙を住処に定めてほしい。そしてできる事ならば、僕らの故郷とそこに住む人々の破滅を救い、彼らをあの宇宙に連れてきてほしい。・・・以上だ」
苦し気に口を閉じて長い息をついたあと、優は自らを支える翳を見上げる。彼の目は懐かしさに緩んでいた。
「最後にもう一度会えて、よかった。君に何も言えずに消えてしまった事が辛かった」
息をのんだ翳の瞳に、急激に涙があふれ出す。
優は微笑み、そしてツバキにも視線を向ける。
「ツバキ、本当にありがとう。ほかにもいろいろと伝えたいことがあるけれども、これ以上気の利いたことが言えない。だから何度でも言う。本当に、ありがとう」
その言葉を聞きながら、ツバキは唇を強く噛んでいた。聞き終わった彼女は何かを言いかけたが、それよりも早く、優が不満げな声を上げた。
「それにしてもこの肉体というやつは。甚だやっかいだな」
それが最後だった。
二人に見守られながら、優はいびきをかいて眠り始めた。
*
数日が過ぎた。
その間、優たちは塔の中を上から下まで捜索した。
優は床をも剥がす勢いで、二人が諌めなければ町の外まで捜索範囲を広げかねなかった。
それがようやく、諦めの空気を帯び始めた頃。
ツバキが、翳に持ち掛けた。優と二人だけで話をしたい。
翳は相当に渋った。だがツバキの意思は固く、結局それを飲むことになった。
ドアをくぐると、時刻は夜明け前だった。
魂が抜けたような優を無理矢理連れ出し、二人は塔を出てルダが住んでいた街へと繰り出した。
戦いの痕跡は一切なく、街は昨日まで生きていたかのようだ。ただ色んなものが散乱し、乗り物などが乗り捨てられているという惨状は塔の内部のそれに似ている。
三人はさらに街を抜けて、雪が薄く積もった原野を進む。風もなく、それほど寒くはない。わずかに明るい地平線以外はすべてが藍色に染まり、月が影を静かに落としている。
やがて影の一つが離れ、残りの二つもしばらく歩き続けたのち、止まった。
「雪山の修行を思い出すなぁ」
白い息を吐きながら、隣に立つツバキが微笑む。
昔を思い出したのか、それまで生気の無かった優が初めて表情らしきものを浮かべた。
「・・あの時はゴメン」
「あん時のお前はサル以下だったからな。仕方ないだろ」
そう言って笑う。
しばらく沈黙が続いた。
月の上を、薄い雲がよぎっていく。
もう一つの月は、地平線の向こうに消えている。こうしていると、本当に故郷の世界に居るようだ。
不意に、ツバキが優に身を寄せた。緊張する彼をよそに、彼女は囁くように言葉を続ける。
「・・・あいつにイジワルばっかして、悪いと思ってる。お前たちの気持ちは知ってるし、それを邪魔するつもりもないんだ。ただ、どうしても悔しくてさ。・・・あいつの事は凄く好きだ。可愛い奴だって思う。それでも、あいつが居なけりゃいいのに、って思う事は、どうしても止められない。それが嫌で、たまらないんだ」
突然の吐露に胸が締め付けられる。何か言うべきだ。絶対に。
だがどうしても言葉を見つけられない。
「優、聞いてくれ」
ツバキは体を翻し、優へと真っすぐに向き直った。
月光を浴びて輝くその姿は、いつにも増して壮絶に美しかった。
「オレはもう一人のお前のところに行く」
最初、何を言っているのか分からなかった。それが、だんだんと意味を成しはじめる。
「もう一人って、ゲームマスターと戦ってる僕か?何言って・・・」
「決めたんだ」
ツバキの声が遠く聞こえる。まるで壁越しに聞くかのように。
それとは逆に、体の中が激しく騒がしくなっていく。胸の中で、心臓が業火に炙られているようだ。肺は大きさが無くなってしまったのだろうか、ほんの少ししか息を吸い込む事ができない。
「バカ言うなよ。そんなの絶対にダメに決まってるだろ」
こんな状況、ありえないし間違っている。
優は脅しとも取れる勢いで足を踏み出す。
だが、ツバキは一歩も退かなかった。
「お前には翳がいる。でも、もう一人のお前は、たった一人で戦いつづけなきゃならない。それも気が遠くなるくらい長く。そんなこと許せない。オレがあいつを支える。オレがいつもあいつの隣にいる。オレがあいつを慰める。そう決めたんだ」
ツバキの「あいつ」という言葉を聞くたびに、心が泥のついた靴で踏みつけられる心地だ。
今更だった。
今更、優は自分にとってのツバキという問題に直面させられた。考えるにはあまりに時期を逸しており、また幾ら考えようとも何も変わらない。だから逃げ続け、今、こうして追い詰められている。
それでも、身勝手な願いだと分かっていても、心の奥底から噴出する濁流は押しとどめられなかった。震える手を差し出し、滲んで訳が分からなくなった視界をまさぐる。どんなにみっとも無くてもいい、どうしたら側にいてくれる?
「やめてくれよ・・・どこにも行くな!!」
わななく口から、なんとか言葉を押し出す。
あまりに言葉たらずで、あまりにありふれていて、
もっと言いたい事があるのに。こんなにも必死なのに。
ボロボロと涙があふれ、震える足元に落ちていく。
それに応えるツバキの声も震えていた。
「優、これはお願いじゃない。オレは別れを告げてるんだ」
その時、冷たい声が響いた。
「そんな事じゃないかと思ってた」
息を飲んだ二人が視線を向けた先で、今まで見たことが無いほど険しい表情の翳がツバキを睨んでいた。
ツバキはしばらく呆然としたあと、隠すように涙を拭って無理やり笑みを作った。
「テメェいつの間に・・・二人にするって約束だろ」
「別に今じゃなくたって、この先いつでも、どこへでも、二人きりで行けばいいじゃない」
殺気に似た気配を帯びて歩み寄ってくる翳を向こうに、ツバキは腰に手をあてて溜息をついた。よくやる仕草だったが、いつもの余裕がなく強がっているようにしか見えない。
「いや。オレはもう一人の優のとこに行く」
「・・・見捨てるの?」
その単語に、ツバキは狼狽した。
「優にはお前がいるだろ」
「・・・違う。優さんの話なんてしてない。私よ。私には、あんたが必要なの!!!」
狼狽が怒りに変わる。ツバキの声は刺々しかった。
「・・・なんだそりゃ?甘ったれた事言ってんじゃねぇ」
「甘ったれるってなによ。さんざん私を甘やかしたのは誰!?・・・いいや、そんなのどうでもいい。あんたが私に何をしてくれたのかなんて、関係ない。私の中にはあんたと優さんしかいない。あんたは私の半身なの!!別の次元にいくとか正気じゃない、絶対にそんな自殺行為はさせない!!」
声が荒野の向こうに消え去ると、ツバキは深く息を吐き出す。彼女の胸元から赤い光が漏れだし、それに照らされた長い髪は炎のごとくなびく。その瞳もまた、燃えるように赤い。
「・・・わかった。最後にその甘えた根性、叩き直してやる。このままじゃテメェを優の隣に置いてけねぇからな」
「いいわ。私も、あんたのバカな考えを止めてみせる」
絶望に打ちのめされていた優は、ようやく我に返って二人に割って入ろうとした。だが体が全く動かず、声すら出ない。見れば、ツバキが優に向けて右手を広げている。
成す術ない優の前で、地響きと共に二つの輝きが激突した。




