*12*
優が見つめるなか、ゲームマスターの周囲で空間が文字通り壊れ始めた。剥がれ落ちた空間の向こうには、高次の空間が光では知覚できない形で覗いている。今やゲームマスターは、バグで壊れたゲーム画面のような光景を背負っていた。
ゲームマスターの考えは即座に理解できた。
元より優もそのつもりだった。窓越しでは満足にゲームマスターを殴る事もできない。あちらに乗り込まねば終わらせる事はできないのだ。
固まっている翳とツバキ、そしてトラに意識を向ける。
別れは、告げなくてもいい。
安心して行くんだ。何の後悔もなく。
・・・そんな訳ない。
狂おしいほど、一目だけでも会いたい人々の顔がよぎる。
僕は後悔だらけだ。安心だってできない。
そして、翳とツバキ。
そこに思いを向けたとたん、優は自らの口から苦悶の声が漏れ出るのを聞いた。
ここから先を考えたくない。考えたらダメだ。
二人から意識を逸らして口を真一文字に引き結んだ優は、再び崩壊するインターフェースへと向き直った。
永遠の別離にしては、余りにもあっさりとしていた。
一つの置き土産をそこに遺し、彼は燃え盛る体をゲームマスターに向かって躍らせていた。
この次元で優の心に最後に浮かんだ景色、それは晩秋の河川敷と、光の中でこちらにグローブを掲げる小さな人影だった。
崩れ落ちる空間は、二人の超越者もろとも完全に消滅した。
*
ルルンは、荒野を必死に走っていた。
その背後で、オーロラのように揺らめく緑の輝きがすぐそこまで迫っている。
最初は遠く光るそれを呑気に見物していた。皆と顔を見合せ、怖がりつつも綺麗だねと笑ってすらいたのだ。
だが、やがてそれが山や大地、それどころか空をも蒸発させながら迫ってくるのを見るに至って、ルルン達は取る物とりあえず逃げ出した。昨日の事だ。
以来、夜を徹して小さい子を背負いつつ駆けている。肺の中が擦り切れて血が吹き出しそうだ。苦悶の表情が作る額の溝には汗が川を作り、足は鉄が詰まったかのように重く、腕はとうの昔に感覚がなくなってしまっている。
先頭を、二人の幼子を抱えるククナが走る。
ルルンとその同年代の少年少女もまた子供を一人ずつ背負い、その後を追っている。
背後にあと数百メートルという所まで迫ったオーロラは、まるで無限の高さを持つ津波のようだった。それは熱も音もなく空間を削り取り、視界の端から端まで広がりながらこちらにのし掛かっている。放たれる光は永遠に続く雷の閃光のようであり、ずっと目を開け続ける事が難しかった。
この畏怖を抱かせる壮大な光景は、世の終わりをこれ以上なく体現していた。ルルンはもちろん恐怖を感じていたが、走ることによって正気を保つ事ができていた。恐らく先頭を走るククナとて同じだろう。
彼女の緑色に照らされている背中は、この宇宙に迷いこんだ日の事をルルンに思い出させた。ククナは泣き叫ぶ子供達を率い、恐怖がぎっしりと詰まった未知の世界を強く導いてくれた。
今も、その背中がルルンの支えだった。
それがあっさりと、何の前触れもなく崩れ落ちた。
「姉ちゃん!!」
子供を抱えたままうずくまるククナに、ルルン達が駆け寄る。覗き込んだ彼女の整った顔は、涙と酸欠に喘いで見る影もなく歪んでいた。
「ル・・・ルルン、先、行って」
「ねぇちゃん!頑張ってよ!!」
「・・・ごめん、もう・・・走れない」
それが聞こえたのか、ルルンの後ろに呆然と立っていた少女が、子供を背負ったまま泣き出す。それはあっという間に伝染し、全員が一斉に誰に憚る事なく泣き叫び始めた。
ルルンだけが泣かず、酸素を貪りながら愕然としていた。あれほど強いククナが、子供と何ら変わらぬ泣き顔を晒している。ルルンにとって、この世の終わりよりも大きな衝撃だった。彼女が今までずっと、過酷な運命に背伸びをしつつ抗っていた事に気がついたからだ。
ルルンは背中から子供を降ろし、ククナ共々、力の限り抱きしめた。他の少年少女も同じく、体を寄せ合う。
彼らは荒い呼吸をしつつ強く目を閉じ、最期の時を待った。
しかし、それは幾ら待てども訪れなかった。
虫の鳴き声が聞こえる。
強烈な緑色が瞼の向こうから消え失せた事に気がついたルルンは、恐る恐る目を開いた。
まるで今までの出来事が幻だったかのように、そこには見慣れた早朝の荒野が広がっていた。
*
ククナ達の安全を見届けたあと、優は薄く伸ばした体を別の場所へと移動させ始めた。
彼が進む空間は、四次元を生きる人間の精神が見て理解できない概念で構成されていた。
そもそも、見るという知覚の手段が存在しない。この五次元空間では、接触という方法でしか情報の交換はできなかった。
こうして高次の次元を人の身でありながら体験してはいるものの、特には感動も無かった。
全身を薄く広げ、自分がかつて存在していた宇宙に触れる。それは天へと限りなく伸びながら無辺に広がる森のようであり、無数にある幹は硬く、そこから更に無限とも思える枝が広がるにつれ、柔らかになっていく。
優がリセットを止める前は、この森は枝を全て刈られて硬くなり、死ぬ直後だった。それが今は豊かに繁り、しなやかに揺れている。
ルルンたちと同時に、優はアゴの存在を探していた。
アゴは宇宙から完全に消え去っていた。
喪失感はある。
悲しみもある。
後悔もある。
一方で、それらとは比較にならない大きさの別の感情がある。優は、あらゆる精神や知性の根元を成すその感情が何かを理解した。
怒りだ。
この怒りこそが、全ての精神にデフォルトで用意された、たった一つの感情だった。愛でもなく、喜びでもなく、元来、そして唯一備わった怒りの感情が精神を前進させ、発展させ、複雑化する。
だが生物は、怒りだけではなく、愛や共感と呼ばれる奇妙な感情を持つことができる。
それは複数の精神による相互作用の果てに産み出された稀有な結晶であり、孤独な存在は決して得ることができないものだ。
そして今、自分と対峙しているルダのオリジナル・・・ゲームマスターは、その孤独な存在の最たるものだった。
何の事はない、この天使はコミュ障なのだ。
相手を傷付ける事でしか自己を表現できず、怒りしかぶつける物も方法も持ち合わせていない。
優はかつての自分と、その自分を救ってくれた人々を思い出す。
彼らがしてくれたように、この孤独な精神を、この甘ったれた子供を救ってやるべきなんだろうか?
全くそんな風には、ちっとも、ぜんぜん、思えない。
全力で消し去りたい相手を救うほど、僕は出来た人間じゃない。
人間かどうか、今となっては怪しいけども。
何の先触れもなく、優は攻撃を開始した。
それは一見すると無謀な試みだった。この次元のゲームマスターは、今の優が砂粒だとすると、太陽のスケールに匹敵するエネルギーを抱えている。相手に何の痛痒も与えられない格差だ。考えるまでもなく勝ち目など無い。
しかし、優にはゲームマスターが持っていない機能が備わっている。
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つよさ
・ちから /[]>[]]
・かしこさ [[¥&]]%&
・すばやさ &+()[$]<
・たいりょく +%/■▲#%$
・こううん [][]/&#¥
・みりょく &#$$[]++
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久しぶりに見たステータスウィンドウは、見事にバグっていた。数値が保持可能な桁数を超えたか、数値化そのものが不可能なのか。
そして例の作成ウィンドウには、作成可能なアイテムが無数に並んでいた。それはもう、これこそチートだろうというアイテムがゴマンと。
ナギの忠告に従う時が、今更ながら来たようだ。優は何の疑念も持たずに雲霞の如くアイテムを生み出しながら、ゲームマスターの領域へと体を浸透させていった。




