*6*
アゴは、久しく経験していない爽快な目覚めと共に瞳を開いた。
眩しさが薄れると、その向こうには白く光る高い天井あった。遥か視線の先でのし掛かるように広がるそれを、アゴは呆然と眺めた。
ふと、熱くて湿ったものが頬を濡らすのを感じ、アゴは頭を廻らせた。トラが鼻息を感じるほどの近くに顔を寄せ、彼の瞳を覗き込んでいる。
しばらくトラと見つめ合ったあと、アゴは上半身を起こした。うめき声が出るに違いないと思っていたが、体は軽々と動く。痛みも疲労もまるで感じない。着ている服は穴だらけだが、その下の肉体には一見して傷は見当たらなかった。
あたりを見回す。
何もかもが白い。
床は磨きあげられた滑らかな素材でできており、その向こうで高い壁が周囲をぐるりと囲む。見上げた天井はドーム状で、複雑な形状の梁が縦横に走っている。まるで近代建築の礼拝堂のようだ。
部屋には大小無数の装置が、太さも色もまちまちなケーブルを生やして並んでいる。ケーブルは整然と床に張り巡らされ、全てが一点に向かって走っている。
アゴはそれを視線で追った。
あまりの眩しさに目をすがめる。
部屋の中心には、祭壇のような装置が鎮座していた。
その上には白く輝く拳大の石が、何の支えもなく固定されている。この部屋が光に満ちているのは、あの石が原因のようだ。
「ひどいものだ」
突然、声が響いた。驚きのあまり、アゴは火を押し付けられたかのように膝立ちになった。トラも気がついていなかったようだ。弾かれたように声の方向に向き直る。
そこには、美の化身のような男性が立っていた。
この部屋の光のせいではなく、彼の体そのものが白く輝いているように見える。作り物のように整った顔、絹のように流れる金色の長い髪。アゴの鑑定眼がなければ男性であると分からなかっただろう。
「チート。ゲーム制作者にとってこれを超える虚しい言葉はない。丹精込めて用意した舞台が、文字通り台無しだ」
呆気に取られていたアゴは、何とかその口を開いた。
しかし、そこから疑問の言葉が出ることはなかった。昏倒している間に起きた出来事を、自分が全て知っている。それに気づいたからだった。
横たわる翔。
崩れ落ちる夕陽。
叫びながら泣いている優。
アゴは血管を身体中に浮き立たせ、折らんばかりに歯を食い縛りつつ立ち上がった。
「・・・お前が・・・?」
低く押し出された声は怒りに満ちて震えていた。隣に立つトラも、それに呼応するかのように凶悪な牙を剥き出しにする。
だが、目の前に立つ男は彼らの怒りを全く意に介していないようだ。
「知らない筈の出来事を君が知っている理由かな?それとも、この塔での出来事について?・・・その通り、私が行った」
アゴとトラを制止するように男は右腕を延ばし、掌を広げた。
「私の立場は、我が偉大なるオリジナルを神とすると・・・そうだな、君達の言う天使のうちの一人、だな。分かりやすく言うと、このゲームの運営者だよ」
掌の向こうで殺気を迸らせているアゴに表情も変えず、男は言葉を続ける。
「私が君をここに運んだのは、君がチートに加担していないからだ。残念ながら我が不詳の末弟たる分身は、下劣にも不正行為に加担してしまった。その結果ゲームのクリア条件が達成されてしまった訳だが、当然、彼らの勝利を認めることはできない。そこで私は君とそこの獣を、不本意ながらこの試練の達成者に認定しようと思う」
それを聞いたアゴは、しばらく呆気に取られたあとで乾いた笑い声を上げた。
「・・・で、それが何?」
アゴは男に詰め寄る。
「翔は死んだ。ルダは消え、ルカリも、ここに居た人達も、あんたに無惨に殺された。優ちゃんは気が触れる一歩手前まで追い込まれている。ゴールとかなんとか、そんなのどうでもいい。・・・あんたを殴らないと気が済まない」
きつく拳を固めているアゴと、部屋を揺らすような唸り声を上げて身構えるトラに、男は苦笑した。
「それもいいが、賞品の内容を聞いてからでも遅くないだろう?・・・あそこに見える石」
男は無防備にもアゴとトラに背を向け、部屋の中央の祭壇を指差した。その大胆さに、アゴは思わず視線を追わせてしまう。
男は背中越しに話し続ける。
「この装置は、あらゆるエネルギーを安定した結晶へと変える。作り出した者たちは、かように危険な発明によってこの宇宙に都市ごと捨てられた。私はそれをゲームとして再利用したわけだ」
彼は、そのまま石の側へと歩いていく。
「装置の上で輝いている石、あれは爪の先ほどではあるが、「上層世界の神」の肉体の一部を結晶化したものだ。この世界をあと数百万個創り出して尚、あり余る力を持っている」
アゴは息を呑んだ。男が、いつの間にか優が肌身離さず持っていた荷物入れを手にしていたからだ。
男は袋に手を差し入れ、中からペンダントらしき物を取り出した。鎖が流れる音がして、ヘッドが振り子のように揺れる。男はそれを目の高さまで持ち上げると、何も嵌まっていないヘッドの枠越しにアゴへと視線を向けた。
「・・・あの小僧が捨てられていた部品を集め、再生した魔道具だ。混沌に属する文明が作り出した物で、同じく膨大なエネルギーを結晶化して保管することができる。つまり、この巨大な部屋と同じ機能をこの大きさで持っているわけだ。やはり混沌を基盤とする文明のほうが、実利の上で優れていると言わざるを得ないな。我々にとっては大変に悩ましき事だ」
男は皮肉な笑みを浮かべ、再び視線を輝く石に向ける。
「わざわざ器を用意して来たのだ。入れて渡すとしよう」
アゴとトラが注視する中、男は何のためらいもなく右手で祭壇の上の石を掴み取り、それを左手に持つペンダントのヘッドに近づけた。
脳を焼くような閃光が迸り、静謐な白い光に照らされていた室内は、踊る雷にさらされたかのように明滅した。
閃光は長くは続かなかった。
瞼を上げたアゴの瞳には、血の赤色に染まっている室内と、燃えるように輝く紅玉が嵌め込まれたペンダントを左手に提げる男の姿が映った。
「これが君への賞品だ。使いこなす者は神となる。全知であり、全能だ。宇宙を手慰みに作り出し、そこにおける生と死、理と非、善と悪、あらゆる概念を定義する者」
美しい男の顔が歪む。
「お前には、いま自分が目にしている物の価値が絶対に理解できない。これは空気に舞っているホコリの一粒を、お前たちと同等の存在に変えるよりも大きな力なのだ」
男は、血の光が溢れ続けるペンダントをアゴへと差し出した。
「私は知っている。お前は世の理不尽さを憎み、到底それを糺しきれない己を憎んでいる。だがこれを手にした瞬間から、お前はそれらを定義する者となる」
アゴの表情が消えた。
その様子を察したのだろうか、トラが全身の毛を逆立てて唸り声を上げ始めた。だが男の低く抑えた声は、その激しい音圧を容易にすり抜けて来る。
「本来ならば、私の不詳の末弟がその任を負う予定だった。神となり、我がオリジナルの隣に立つ者となるはずだったのだ。だがあの者は、余計な知恵を付けすぎた。取るに足らぬ存在たちの心理、そして死に対して奇妙な価値基準を持ち始めてしまった」
アゴの瞳に光が戻る。彼は歯を食い縛ると、低い声を押し出した。
「当たり前よ、ルダはあんたとは違う」
男は赤い光を浴びながら笑った。
「お前も奴とは違う考えを持っている。死は敗北であり、無意味であり、尊重すべきものではないと、お前は知っている。お前は躊躇いなく、不条理を糺す力を手にするだろう。なんなら」
男は微笑みながら、さらに押し付けるかのように右腕をアゴへと突き出す。
「手に入れた力で、望むさま私に業苦を背負わせれば良いではないか」
ペンダントが揺れ、無表情なアゴの顔を赤く照らし出した。
彼は光源へと手を伸ばしながら訝しむ。
この男は、私がこれから手にする力で真っ先に何をしたいと思っているのか、分かっているはずだと。
それでも、彼は手を止める事ができなかった。




