*3*
まどろんだ意識が、刃のような光で切り開かれていく。
優は鋭く息を呑みながら目を覚まし、寝ぼけ眼であたりを見回す。そこは全てが緋色に染まったビルの屋上だった。眼前には雄大な雲と、その向こうに沈みゆく華やかな夕陽。
彼は椅子にもたれて座っていた。目の前には白いプラスチック製のテーブルがあり、そこに何の具も乗っていない素うどんが置かれている。湯気が立ち上ぼり、いい匂いが漂っていた。
この場所は知っている。
今はもう存在しない、古びたデパートの屋上だ。
誰も乗っていない遊具が、単調な電子音を気だるげに奏でている。あちこち塗装が剥げたメダルゲームの筐体たちも、誰かを待ちかねるように黙々と同じ動きを繰り返す。
なけなしの小遣いを奮発して、ここで素うどんを食べるのが好きだった。なんで忘れていたんだろう。一番好きな場所だったのに。
「食べてもいい?」
声がして、優は視線をテーブルに戻した。
向かい側に、年の頃は五、六歳の女の子が座っていた。色素の薄い癖っ毛をショートカットにしている。小ぢんまりとした、可愛らしい顔立ちだ。なんだろう、見ていると胸が痛くなってくる。
体が小さすぎて、座るというよりテーブルにしがみついているように見えた。その茶色い瞳はまっすぐにうどんに注がれている。優は我に返ると、頷きながらどんぶりを押し出した。
「ありがとう!」
女の子は満面の笑みを浮かべて椅子の上に立つと、合掌してから器用に箸を使って食べ始めた。
もう夢中だ。
熱さと格闘しながら、まるで仇のように果敢に挑んでいる。
見ていて気分がいい食べ方だ。優はその姿を微笑みながら眺めた。
やがて食べられるだけ食べ終わると、合掌した彼女は満足げな息を吐きながら中身が半分くらいになったどんぶりと箸を押し返してきた。
「・・・うまかった?」
「うん、幸せ」
彼女は目を輝かせながら頷いた。その笑みで周囲が明るくなる。
心が温かくなるのを感じながら、優はテーブルに身を乗り出した。
「ねえ、名前は?」
「・・・ないの」
優の問いに悲しげな表情でそう答えたあと、彼女は良いことを思い付いたという様子でテーブルに両腕を乗せると、優に顔を突き合わせた。
「名前、つけて?」
優は意外な依頼に面食らう。
「僕なんかがつけてもいいの?」
彼女は何度も頷いた。
優は腕を組み、彼女と周囲の景色の間に視線を往復させる。当たり前だが、名付け親になったことなどない。どうしたものか。そもそも、この子の事がさっぱり分からない。立った時に服装がようやく見えたが、野球のバットとボールが描かれたTシャツ、そして半ズボンという姿で、女の子だという判断も怪しくなってくる。
だが、悩む間はあまりなかった。唐突に答えがひらめき、優はそれを口に出していた。
「夕陽。・・・どうかな」
これなら、男の子でも女の子でもそれほどおかしくないだろう。夕陽より美しいものなんて、それほど存在しない。それでいて華美に過ぎないのがよいではないか。
優は自画自賛しつつ、上目遣いで反応を見る。
「・・・ありがとう」
女の子の笑顔は、空気に溶けて消えていきそうだった。その目じりがわずかに光っている。
喜んでいるのか、がっかりしているのか。どちらとも言い切れない。
「父さんの願いは分かってる。だから安心して」
女の子の言葉に、優は驚きのあまり硬直した。彼女は椅子から降りると、優のそばまでテクテクと歩く。そしていまだ固まったままの優の手に自らの小さな手を置くと、強い意志を込めて言う。
「行こう、父さん」
*
激しい衝撃で、優は戻ったばかりの意識をまたぞろ失いかけた。
その直後に再び衝撃と痛み。目の前に盛大に星が散り、後頭部からキナ臭いにおいが鼻を抜けていく。
うめきながら目を開くと、ルダがのしかかっていた。彼は優の手から銃に似た器具をもぎ取って、こちらをまっすぐに見下ろしている。顔はなくとも、彼が切迫した表情をしている事が嫌でも伝わってくる。
「・・・痛いな、っていうか重い、どいてくれ」
優が後頭部をさすりながら上半身を起こそうとすると、ルダは慌てて体をどかした。
「優!大丈夫なのか!?」
「・・・頭が痛い」
「当たり前だ!君は自分が何をしたのか分っていないのか」
そうだった。
優はあわてて頭に手をやり、あちこちを撫で回す。
離した手のひらにはうっすらと血がついているが、それだけだ。
「・・・むしろお前の体当たりがダメージの大半みたいだな」
「何か異変はないか?」
ルダの様子は、これから死にゆく人間を見送っているかのようだった。
「そんな顔すんなよ。平気だって」
優はあぐらをかいて一息ついてから、ルダにさきほど見た光景を説明しはじめた。彼はそれをじっと聞いていたが、その内容をどう考えているのかは伝わってこない。
聞き終わったルダはしばらくの間考え込む様子を見せていたが、やがて口を開いた。
「・・・恐らく今、君の脳は敵のネットワークに接続された状態だ。彼らと君は、お互いの記憶を共有している可能性がある」
優はその説明を聞いて黙考したあと、ルダの顔を見直して疑問を口にした。
「お前も敵と情報を共有してたのか?」
ルダはかぶりを振った。
「前に説明した通り、私は敵の脳組織を培養し、自分の神経接続に同期させてから移植を行っていた。共有する機能は失われていたはずだし、した記憶もない」
その説明に一応納得してから、優は夢の中の女の子を思い出した。
「・・・あの子は敵とかそういう感じと間逆だったぞ。敵意なんてこれっぽっちもなかった」
「君から聞いた限りでは同じ感想だ。優、これだけは信じてくれ。私のオリジナルは、感情を持つ知性を敵として設定するほどには狂っていなかった。彼らのアルゴリズムは、自己進化するように設計されてはいたが非常に単純なものだったんだ。知性よりは計算機のほうがよほど近い」
「・・・じゃあ、進化して知性が芽生えたとか」
「ありえない。まさにルーチンワークで動くオートマトンでしかなかったはずなのだ。君が見たものは単なる夢だと私は願っている」
そうだろうか。夢にしてはあまりに生々しい体験だった。
「お前、以前ゲームのキャラクターにすら知性があるって言ってただろうが」
「それは違うレベルでの、我々が共感できない知性が無数にあるという話だ。同じレベルの、しかも共感できる知性が無作為に生まれるという話ではない」
詭弁のような気がするが・・・そんな風に訝しむ優は、生まれるという単語である言葉を思い出す。
「・・・そういえば、あの子は僕のことを「父さん」って呼んでた」
ルダは困惑を極めたようだ。固まってしまった。
優はそんな彼に言葉をかけようとして口をつぐんだ。
気配がある。
ルダを手で制し、優はバリケードから顔をのぞかせた。
暗い廊下の向こうに、黒い人影がひとつだけ立っている。
優は必死に目を見開く。
廊下をこちらに歩いてくるその影は、何も手にしていない四本の腕を広げ、廊下の途中で立ち止まった。




