*15*
「・・・優!優か!?」
声が聞こえるが、優の意識は靄の中で漂っていて、それは単なる雑音でしかなかった。ここは見慣れた家の玄関らしいのだが、あらゆるものが眩しい光に包まれ、遠い過去の光景のように不確かだった。
だが、優の体に飛び付いてきた子供の存在感は、ぼやけた意識がはっきりするほど確かで、重みがあった。
「・・・ナミか」
おかっぱ頭を見下ろしながら、優は弱々しく呟いた。それを聞いたナミは、優の腹にうずめていた顔を上げて、彼を振り仰いだ。
「おかえり!!」
ナミの笑顔は大輪の花のようだった。彼女は優から体を離すと、彼の背中を押して階段を上がるように急かし始めた。その間は二階に向かって声を張り上げっぱなしだ。
「ナギ!優が戻ってきたぞ!!」
やがてドタドタという音が聞こえ、階段の上からナギが顔を覗かせた。彼は幽霊でも見たような顔でこちらを見ていたが、やがて破顔すると転がるように階段を駆け降りてきた。
「・・・おい優!!この痴れ者が!!五年の間便りもなしで、わしらがどれだけ心配したと思っとる!」
階段の途中で、ナギは優の頭をバンバンと叩きまくる。それを見たナミは、慌てて二人の間に割って入った。
「やめるんじゃナギ、優は長旅で疲れとる。絞るのは後に取っておこう」
渋々腕を降ろし、ナギは短い息を吐いた。
「ま、今は我慢するとしよう。しかし、これでやっと廻姉の怒りもおさまるな!」
「宣なるかな。優、お前が居ないあいだ、廻姉さまがどれだけ心配し悲しんだか!見ているこちらも痩せ細る思いじゃったわ。まぁ・・・それよりも、怒っておる時間の方が長かったんじゃが・・・今晩は覚悟しておけよ。本当に死ぬ一歩手前まで折檻されるであろうからな」
「もちろん、わしらも参加するからな」
そう言って二人で笑う。
「さぁ優、さっさと上がれ!廻姉が戻ってくるまで旅の話を聞かせるんじゃ。夜は撮り貯めた時代劇を観るぞ!」
「ご老公が若返って町娘に惚れられる話、あれが面白かった」
「そうだな、それから観るとしよう」
二人は笑いあいながら階段を上がっていく。その声と足音はだんだんと遠のいていき、周囲を満たす光も、日が暮れたように消え去っていく。優は悲しみと笑顔が混じりあった顔で、二人が消えていった暗い階段を見上げた。
ずっと分かっていた。これは夢だ。
だが夢の中ですら、二人は心に光を注いでくれた。
きっと、みんな待ってくれている。
帰らなくてもいいと思っていた。
でも、やっぱり帰らないとだめみたいだ。
優はうめき声を上げ、縫い合わされているかのように重い瞼を渾身の力でこじ開け始めた。
*
眩しさに慣れてくると、視界には天井を背景にしてアゴと翔の顔、そしてトラらしき毛の塊があった。
こちらを覗き込む翔の目は真っ赤だった。隣にいるアゴも、やつれ果てた顔をしている。トラは顔が見えないが、ベロベロと頬をなめてくれているのが感触で分かる。
「この・・・優!!てめえ!!」
翔はブルブルと唇を震わせ始めた。彼は慌てて立ち上がると、横たわる優の視界から立ち去っていく。それを見送ってから視線をずらすと、驚いたことに、こちらを見つめるアゴの顔は濡れて光っていた。あの雪山のデーモンがこんな顔をするなんて。ツバキが知ったらどう思うだろう。
「優ちゃん・・・よかった」
脱力するアゴの背中を素早く横切り、今度はルダが姿を見せた。彼はアゴの向かい側に膝をつくと、いつもの冷静さはどこへやら、安堵の込もった声で優に話し掛けはじめた。
「優、目覚めたか。・・・よかった。君は本当に危険な状態だった」
そう言って頭に手を置いてくる。こうされると妙な気分だが、ひんやりとした金属の感触は心地よかった。
かすれた自分の声に驚きながら、優はルダに質問した。
「・・・あれからどうなった」
ルダは、優の額に置いていた手を引いた。
「君の無茶のお陰で、18階は何とか制圧できた。10階の前哨基地から私の分身を全てここに移動させたので、守りは今のところ問題ない。だがここは上へのルートが二つある。前哨基地には向かない。早めの移動が必要だ」
痛む頭を持ち上げてあたりを見回すと、ルダの分身のうち2体が視界に入った。周囲は壁とバリケードで守られている。
「よくクリアできたなぁ・・・」
「私の分身を1体、使い潰してしまった。残りは3体だ。しかるべき時まで温存しておきたい」
「・・・そうか」
優はうめき声を上げながら体を起こそうとした。
その瞬間に違和感に襲われ、彼は大事なことを思い出す。
そういえば。
優は首を捻り、自分の左腕に視線を落とした。何の心の準備もせずに。
そこにはひどく短くなった自分の腕があった。先端は白い樹脂のような物に覆われている。
彼はそれをじっと見つめた後、忌々しげに吐き捨てる。
「はあ・・・これじゃ剣は両手で持てないな」
アゴとルダは、その言葉に絶句した様子だった。
どうやら彼らの想像する反応ではなかったらしい。
しばらくするとアゴはうつむき、一方でルダは話しづらそうに言葉を押し出した。
「・・・優。君に提案がある」
ルダは彼の二つある左肘の一つを右手でつかむと、何らかの操作をし始めた。小さな機械音のあと、彼は右腕をこちらに差し出した。その手にはまるで大根か何かのような気安さで切り離された左腕が握られている。
「この腕を、君の左腕に取り付ける事が可能なのだが、君はそれを受け入れる気はあるか」
優は耳を疑った。
「・・・は?」
「この腕は外装こそ金属製だが、内部の筋肉繊維や神経回路は君達の組織に完全に同化することができる。既に前例があり、動作は保証できる。ただそのためには、残っている君の左肘を完全に除去して、新しい関節を造設せねばならないのだが」
「前例って」
「そうだ、私だ」
はあ。
優はトラの柔らかい体を右腕で抱き寄せながら、ため息をついた。
なんだかもう、訳がわからないことになってきたな。だが、断る理由など何処にも無い。むしろ幸運を喜ぶべきだろう。
「そりゃいい。たのむよ」
あまりの即答ぶりに、アゴとルダは何も言う事ができなかった。




