表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
>コマンド?  作者: オムライス
第一話
6/120

*6*




放心状態だった優は、(かげり)と歩きながら無言だった。


二人分の足音を聞いているうちに、夢の中を歩くような優の意識が、だんだんとはっきりしてくる。


ようやく、優は伝えるべき感謝をまだ口にしていない事に気づいた。

彼は慌てふためきながら言った。


「か、翳ちゃん・・・今日はありがとう」


翳は少し驚いた顔で優を見上げ、それから笑顔を作った。


「いいえ。それより、名前を初めて呼んでくれたのはいいとして、ちゃん付けなんですね」

「あ・・・ごめん」

「かまいませんよ。それで」

「・・・というか、なんで来たの!?というかどうやって来れたの!?」

「なんで、って、さっきお礼を言ってくれたじゃないですか。二番目の質問の答えは、朝から優さんちの前で張ってたんです。全く尾行に気づかないのでずっと笑ってました」


それを聞いて微妙な表情の優を、またも翳が笑う。

話したい事は沢山あるのだが、そこで会話が途切れた。


午後のさなか。

冬の一日は短く、もう日の傾きを感じる。

アスファルトの上に、樹木が長い影を落としている。

こうして二人で歩いていると、言葉を交わさなくても居心地が良かった。



赤信号の交差点で立ち止まったとき、翳が口を開いた。


「どうでした、私の投球は」

「え?・・・ああ!」


優は堂に入った翳の投球フォームを思い出した。

てっきり運痴仲間だと思っていたのに。


「なんかプロっぽかった」

「そう言って頂ければ、私の苦労も報われるというものです。私の父は頭がおかしいという話をしたと思いますが、この特技もその産物です」

「え・・・」

「父が私を本気でプロ野球選手にしようとしてた時期がありましてね。高校野球対策に性別まで変えようとしてましたよ。男性恐怖症になった理由の一つでもあります」


なんと言って良いやら・・・。


「そ、そういえば!あの投げつけていた液体、あれ何なの?」

「あれは優さんちで作った謎の液体です。水で割ってありますが」


やっぱりか、と思いながら、優は吹きこぼれる中華鍋を思い出した。そして真っ赤な翳の顔、迫ってくる(めぐる)の拳も思い出す。


「あの液体はですね、空気に触れると短時間で無害になるみたいですね。覆っている土色のドロドロを取り去ると効果がすぐに消えてしまいますが、密封すれば保管できるようです」

「効果ってどんな!?」

「自分にも使ってみたんですが、よく分からないんですよ。このカメラは録画できませんし、さすがに誰かに観察して貰うわけにもいかず」


それ、僕がやろうか?という言葉が喉を越えて舌の根まで来た。本当に危なかった。

そんな優に気づくはずもなく、翳は言葉を続けた。


「これはキジマの反応を見ての推測なのですが、恐らく手近な物に対する欲望に忠実になるのかな、と」


優は木島の姿を思い出した。


「つまり木島は、すくみず戦士になりたかったのか」


優の心に、様々な感慨が去来した。

正直その気持ちは分からんが、馬鹿にするどころか、ある種の尊敬の念すら沸いてくる。


「正確には、すくみず戦士とやらになって男子生徒を襲いたい、ですかね」


感慨が吹き飛び、尊敬の念は粉砕された。


「でも、木島は僕を襲わなかったよ」

「優さんは奴のタイプじゃ無かったんでしょうね」


あまりにストレートな物言いに傷つくが、もし好みだったら、それはそれで大変な事になっていた。


しかし・・・。

先程の展開は、すべて翳の計算通りだったのだろうか。

そう考えると恐ろしい。

翳はその疑問に笑いながら答えた。


「まさか。謎の液体に期待してはいましたけど、スクール水着を持った奴の写真を確保して、それを脅しの種にしようという程度の考えでしたよ。いじめっ子とスクール水着とか、最悪の組み合わせでしょうからね」


そこまで言ってから、カメラを撫でつつ邪悪な笑みを浮かべる。


「それがまさかあんな事態になるとは」


優の背中が若干寒くなる。


「もし奴が復讐など考えようものなら、生まれてこなければ良かったと思わせてやります」


翳だけは敵に回すまい。優はそう誓った。





翳を駅まで送ると、家に着く頃には日が沈んでいた。

街灯が弱々しく道を照らしている。


家の前。

優は買い物袋を提げた廻と鉢合わせになった。

学校帰りにいつものスーパーに寄ってきたようだ。


廻は、目が合うまで優が誰なのか分かっていなかった。

というのも、彼が学生服を着ていたからだ。

妹の目は驚きのあまり真ん丸になっていた。


「・・・あんた、ガッコ行ったの?!」

「え、・・・うん」


確かに行ったが、妹の言う「行った」とは意味が違う。

それが分かっていながら、優は頷いてしまった。

廻は怒ってるのか笑ってるのか分からない表情を浮かべてしばらく言葉につまっていたが、突然、優の二の腕を結構な強さで叩いた。


「うっ、くっさ!カビくさ!!」


そう言いながら更に叩く。


「やればできるじゃん!」


彼女は家の敷地に軽やかに入っていく。

そして母屋の玄関の前まで歩くと、門の所にまだつっ立っている優を振り返った。


「なにしてんだよ、早く入んなよ」


逆行のなか、廻の白い歯が見えた。

妹の笑みが、物凄く息苦しい。


優は重い足取りで歩き始めた。




早速二階に上がろうとする優を、廻は鋭い声で制止した。

そして脱衣所まで引っ張り込むと、優の上着を剥ぎとり始めた。


「な、なに?」

「さっさと脱げよ。洗わねーと明日着れないだろ?」


そういえば、カビくさいだけではなく土ぼこりだらけだ。

優は慌てて、妹が上着を脱がす手助けをした。

彼女は上着をドラム式の洗濯機に叩き込み、次いでズボンを脱ぐよう命じると、それも放り込んだ。ブリーフ姿の優は見慣れたもので、全く恥らう様子もない。


「汚なすぎ。風呂入って」


そっけなくそう言って、妹は出て行った。




風呂をあがると、食事の支度がほとんど終わっていた。

廻がテキパキと料理を並べている。


キャリアウーマンの母親は仕事に忙殺されていて、帰りは深夜、出勤も早朝、時々徹夜と、顔を合わせる機会すら珍しい。

そんな母親に代わり、妹は食事も含めた家事を一手に引き受けていた。


料理のほとんどは、週末や空いている時間に作り置きして冷凍したものだが、そこまでしてでも、出来合いの惣菜は買わずに手作りを貫いている。


準備が終わった。二人は向かい合って食卓に着いた。

妹と・・・というか、誰かと最後に食卓を囲んだ事が、ずいぶん昔の出来事に感じる。


「いただきます」


こうやって食前の合掌をするのも久しぶりの事だ。

優は妹の作った里芋とイカの煮物を口に運んだ。本当に美味い。

外での食事が好きになれないのは、妹の料理のせいだ。


「何泣いてんだよ」


廻がこちらを見て苦笑した。

優は息を飲んで驚いた。知らないうちに泣いていたらしい。


「美味すぎて」


優はそう言って茶碗から飯を掻きこんだ。





次の日の朝。


優は洗いたての制服の袖に腕を通した。

廻がアイロンを掛けてくれたらしく、折り目も通っている。


食卓には朝食が置かれていた。

妹は先に家を出たようだ。

部活の習慣がまだ消えないらしい。多分グラウンドを走っているのだろう。


食事を済ませて皿を洗い終えると、ダウンの上着を引っ掛けて彼は外に出た。

寒い!吐く息で目の前が真っ白になる。


思い出したように優はスマホを取り出し、かじかむ指で翳にラインメッセージを送る。


(学校いってきます)


返事はすぐに来た。

働きたくないでござる、というセリフを言っている、可愛らしい熊のスタンプだった。


優は苦笑いした。

直後、もう一つメッセージが届く。


(いってらっしゃい。)


苦笑いが、安らいだ笑みに変わっていく。


「いってきます」




優はスマホをポケットに仕舞い、足を踏み出した。




第一話 おわり

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ