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>コマンド?  作者: オムライス
第七話
57/120

*4*




男には死に場所というものがある。


まぁ、女にも死に場所はあるだろうし、どうせ捨てる命なら何かに有効活用しよう、ってだけの話なのだが。

では、この死に場所についてはどうか。かつての教え子の相談を解決できるのだから悪くないが、場所そのものが良くない。


そこは風俗店の待合室だった。安っぽい部屋の造り、くたびれたソファー。場末も良いところだ。今はアゴの破壊の嵐を受けて、むしろ前衛芸術的な内装に昇華されている。


その中央に仁王立ちするアゴの前には、三人の男が針金やらロープやらでガチガチに簀巻(すま)きになっていた。どいつもこいつも、ペラッペラな男どもだ。アゴは何度目かの唾棄を見舞った。男らの手足は妙な方向にねじれ、顔もパンパンに膨れている。降ってきた唾を避ける力もない。


店のオーナー兼案内係のオッサン。

女を騙して何人も店に引っ張り込んだ受付のあんちゃん。

そして。アゴは渾身の力で一人の男を蹴りあげた。

あの子に貢がせるだけ貢がせ、ここまで落としたポン引き。


アゴの顔には、怒りを通り越して笑みが浮かんでいた。

こんなゴミどもが好き勝手に生きるために、あの子は身を削り、苦悩し、人生に絶望した。

血を吐くような努力をしようが、靴をなめるような屈辱に耐えて頑張ろうが、全て無駄なのだ。所詮、弱者はクズに食い殺される世の中なんだから。何もかも飽き飽きだ。


それに。アゴはため息をつく。

自分の過去も背負い疲れた。

子供達を更生させたいという志が歪みに歪み、いつの間にか彼らを虐待していた日々。苦いその記憶に苛まれるたび に、アゴは頭をかかえて苦痛に耐えるほかなかった。


そんな時、決まって一つの場面を思い出す。

少女を背にして、震えながら自分の前に立ちはだかる少年の姿だ。


ああいう男と添い遂げられたらどんなに幸せだろう。あの小娘には見る目がある。二人の外見の釣り合わなさときたら冗談のようだった。それでもあの少年を選んだのだから、なかなか大したものだ。

アゴは思わず小さく笑い、それを切っ掛けにして我に返る。


「さてと」


楽に死なせるつもりなどない。アゴは半分気絶している男らを小突いて気付けすると、彼らが注視する前で持参したポリタンクから灯油を撒き始めた。この店は男ら共ども焼却処分にするつもりだ。我が教え子を騙し、裏切り、自殺寸前まで追い込んだ罪を購わせるには、炎での浄化によるほかない。


他のテナントは迷惑千万だろうが、アゴの大雑把かつ独善的な倫理観では周囲の風俗店も五十歩百歩で有罪だし、悪事に手を貸しているビルオーナーも有罪である。外でパトランプが回転しているところを見るに、住人の避難は済んでいるだろう。心置きなく燃やせるというものだ。


男らがわめき続けているのをよそに作業を終え、アゴはソファーにどっかと着席した。

閉め切った扉を叩く音が聞こえてきた。そろそろか。


アゴは持参した「だいごろう」を開栓した。

そのポリタンクのごとき巨大なボトルの取っ手をつかむと、ビールジョッキのようにあおる。なかなか悪い気分ではない。


アゴはアルコール臭い息を吐きつつ、ズボンのポケットからライターを取り出した。男らのわめき声が一層大きくなる。終わりを告げるBGMとしては最悪な部類だが、自分には相応しいかもしれない。


火のついたライターを絨毯の上に落とすと、炎は爆発のように燃え広がり始めた。


きれいだ。


アゴのうっとりとした瞳の中で炎が踊る。

男らの悲鳴も、もう耳には届かない。

どれくらいそうしていただろうか。いつの間にか、アゴの精神は闇の中に消えていった。





アゴは短く息を吸い込んだ。

再び開いた目には、木々に縁取られた星空が映っている。


「・・・ノくん!アマノくん!!大丈夫っすか?!」


誰かが自分の上に覆い被さって叫んでいる。

目が慣れてくるにつれ、視界に映るものの細部が分かり始めてきた。

そこにあったのは懐かしい顔だった。髪の色が違うが、この下品な顔は忘れようがない。

アゴは瞼をしばたたかせながら、しわがれた声をなんとか押し出した。


「・・・お前、翔か?だからアンパンはほどほどにしとけと言ったのに」


何かを答えかけた翔を押し退けて、アゴは体を起こしながら周囲を見回す。

そこは森の中で、すぐ近くでは焚き火がちらちらと揺れている。

アゴは、自分の瞳に映った最後の炎を思い出した。


「・・・まあ、あれだけやったらこうなるわな。しかし地獄ってのはこんなにヌルい所なのか?針山とかを想像してたんだがなぁ」

「あは、地獄ですか。ちがいねぇ!」


翔はアゴのすぐ傍に膝をつくと、キラキラと輝きを湛える瞳で彼を見上げた。


「こんなとこで憧れのアマノくんと会えるなんて、こりゃ運命です!おい優、お前も挨拶しろ!神奈川を統一した、あのアマノくんが来てくださったんだからよ!」


ゆう?

アゴの体が硬直した。

まさか。よくある名前だ。

いや、でも・・・。


彼はゆっくりと首を巡らせた。

その視界に、一人の少年の姿が入ってくる。


なぜ。どうしてこんな所に。

あの夜と同じだ。震える手で剣を構える姿。必死の形相でこちらを睨む目。

だが全てが同じではない。少年の顔にかつての丸みは無く、余計なものが削り落とされた顔は精悍だった。

見違えるほど、凛々しい男なった。いや、凛々しいという言葉は少し違う。もっと別の・・・。


そうだ。美しい。この子は眩しいほど美しい。


アゴは優の背後に大量のバラを幻視した。

彼は完全に恋に落ちた。これほどの高鳴り、これほどの身震いは、29年の人生で一度も体験したことがない。アゴは恐るべき速さで立ち上がると、優を抱擁すべく全力で突進し始めた。


だが優も昔の彼ではない。必死の形相でアゴの体を素早くいなすと、その背中に全身全霊の力を込めて剣の柄を叩き込んだ。


物凄い音と共にアゴは地面に倒れ伏し、動かなくなった。

優の顔は真っ青で、額からはしとどに汗が流れている。彼はアゴの背中を見下ろしながらゼイゼイと息をしていたが、やがて翔の方に向き直り、自らの剣を差し出しながら言った。


「翔ちゃん、一生のお願い!こいつ殺して!」


急な展開に呆然としていた翔の顔が、更なる驚愕で歪む。


「・・・は?」

「翔ちゃんが呼び出したんだろ!飼い主が最後まで責任を取らないとだめだろ!!」


翔は混乱していた。何が起きている?とりあえず思ったことを言っておこう。


「・・・いや、殺しちゃまずいだろ」

「コイツはほんとにヤバいんだってば!翔ちゃんだってトラウマもののイタズラをされるよ!」


翔は唖然とするばかりだ。優はじれったそうに地団駄を踏んだあと、二の句を継ごうとした。その時だった。


「大丈夫よ」


足元から声が聞こえ、優は思わず飛びのいてしまった。

地面に顔を伏せたままで、アゴは呟くように言う。


「・・・優君。宮ヶ瀬優君。ずっと謝りたかった」


アゴは呻き声を上げながら苦しげに身を起こすと、折り目正しく正座してから、優に対してきっちりと平伏した。


「ごめんなさい」


優は剣を振り上げて硬直していたが、土下座したままいつまでも動かないアゴの姿に、徐々に警戒を解いていった。

彼は剣をゆっくりと降ろし、ため息をついた。


「・・・頭を上げてください。・・・腹、減ってます?食べ物なら、少しありますから」


優は疲れ果てた表情で自分の背負い袋を拾い上げると、中から肉の塊を取り出す。

投げて寄越された肉を受け取りながら、アゴはキョトンとしていた。


「・・・ずいぶんあっさりと許してくれるのね」


優は焚き火の前に座りながら答える。


「あの日の事は別になんとも思ってませんから。貴方の私物を壊したりもしたし。でもツバキや他の子達にした事は反省してくださいよ。あと!」


優は剣の切っ先をアゴに向けた。


「僕には近づかないでくださいね!近づいたらほんとに斬りますから!」


アゴはあっけにとられていたが、やがて満面の笑みを浮かべて言った。


「・・・わかってるわ」


そんな彼らのやり取りを、トラが木の陰からじっと見つめていた。

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