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汗で視界が霞む。優は目を細めながら叫んだ。
「翔ちゃん、何やってんだよ!側面から足を突くって言ってたじゃないか!!」
優の後方で、槍を抱えた男が必死の形相で叫び返す。
「うるせぇ!!てめぇがしっかり引き付けねぇから危なくてやれねぇんだよ!!」
「はぁ!?僕のせい!?翔ちゃんが怖がるからそうしたんだろ!!」
「ほんとうるせぇなお前、助けるんなら最後まで責任を持てや!!」
なんて自分勝手な奴だ。
優は怒り心頭で長剣を構え直す。
彼の前に立ち塞がっているのは、優たちがゴキブリドラゴンと名づけた、虫と亀を足して割ったような異形の生物だった。黒く分厚いウロコを持ったそれは亀に似た頭部を持ち、太く長い六本脚で昆虫のように歩く。胴体の大きさは自動車くらいはあるだろうか。それが象の如き足を暴風のように振りかざして走り回るのだから、まともに戦ったら踏み潰されて終了である。
その上、手傷を負わされた今は凶暴さに拍車がかかっていた。
救いは足がさほどに速くないことだ。並の人間ならば追いつかれるが、優は何とか渡り合えていた。これでゴキブリ並に速かったらお手上げである。
優はドラゴンの足に斬り付けつつ、巧みに体をかわす。ナギの泥人形に殴り殺されまくった事は無駄ではなかった。だが、かれこれ半時はこんな死闘を続けている。体力は限界だ。
「トラさん!!」
一頭の虎が、優の叫びに呼応して跳躍した。それはドラゴンの頭に取りつき、目に牙を突き立てて食い下がった。トカゲは突進をやめ、頭を大きく捻ってそれを振り払う。
本当に頼りになる。
優は口の端を持ち上げて笑みを作ると、ウロコの無い喉元をさらしたドラゴンに剣を突き出して突進した。車に撥ねられたような物凄い手応えと同時に、優の体も暴れる頭部に弾き飛ばされる。
地面に叩きつけられて呻いている優の耳に、断末魔の鳴き声が響く。地面から体を起こすと、首を刺し貫かれて大きく痙攣している黒い巨体が目に入ってきた。優は痛む背中に手をやりながら、勝利を確信して安堵の息をついた。
やがて痙攣が止まると、痩せた男が死体に駆け寄ってよっこらせと槍を突き立てた。
「よっしゃ、仕止めたぜ!はは!!」
・・・本当にどうしようもない。
憮然として横たわる優に、見事な毛並みの獣が体をすり寄せてきた。落ち着いて見れば、それは紛うことなきネコ。セントバーナードのように大きく、爪も牙も巨大だ。しかし顔はサイズ感が狂っているだけで完璧に愛らしいネコのそれだった。
オレンジ色の短い毛は細く柔らかい。腹はクリーム色をしたもっと柔らかな毛に覆われていて、撫でると思わずニヤけるほど心地よかった。
「トラさん、ありがとう。また助けられた」
優は返り血だらけの顔をしかめながら立ち上がると、猫を引き連れてドラゴンの死体へと歩き始めた。
*
切り出した肉の塊を槍に刺して担ぎ、優たちは渓谷を歩いていた。
優の脇を歩くトラは、既に食事を済ませて満足顔だった。
先ほどから優に翔と呼ばれている男は、後ろで槍の一端を担ぎながらおぼつかない足取りで進んでいる。彼こそ、優と一緒にガベージコレクタに飲み込まれた男の成れの果てだった。
かつての不健康を絵に描いたような彼の顔は、飲み込まれる前よりも生き生きとしていていた。粗末な木の防具の下にある痩せた体にもしっかりとした筋肉が付いている。
「・・・おい優、オレの手柄だかんな」
「しつっこいな、もう。そんなのどうでもいいから好きにしなよ」
数分も歩かないうちに、二人と一匹は渓谷の奥に口を開けた洞窟の前に立っていた。入り口には洗濯物が干され、人の住む気配が感じられる。
洞窟の中は暗い。優は懐をゴソゴソとやり、ガラス球のような物を取り出す。それが放つ光を頼りに歩き続けていると、前方の闇の中で一対の光が瞬いているのが見えてきた。それらはしばらくの間動きを止めたあと、こちらに近寄りはじめる。
闇から姿を現したのは、十代前半くらいの少年だった。褐色の肌の上に申し訳程度の布を身に着けている。髪は光の加減で青にも緑にも見える不思議なものだった。同じ色の目は瞳孔が猫のように縦に裂け、暗闇の中では自ら光を放った。顔立ちも瞳のせいか猫のような印象で、一見すると可愛らしい女の子のように見える。
少年は満面に笑みを浮かべ、優の体にぶつかるように飛びついた。
「優さん、お帰り!!」
「ただいま、ルルン。みんなは?」
「言いつけどおり奥に立てこもってる。僕は音を聞いて様子を見に来たんだ」
少年は優たちが担いでいるものを見て喜びを爆発させた。
「仕留めたんだね!」
「うん、もう大丈夫」
少年は歓声を上げて優の前をグルグルと駆け回った。
「オレが仕留めたんだからな!」
翔がいきり立って抗議すると、驚いたルルンは立ち止まった。
「う、うん、ありがとう!・・・みんな待ってるよ!トラもお疲れだね」
少年はトラの横まで走ると、その首に腕を回して頬ずりする。トラは喉を鳴らしてそれに応えた。
*
洞窟の奥には、ルルン以外にも5人が固まって潜んでいた。
全てルルンと同族だ。上は20代前半の女性が一人、残りはルルンと同年代。
彼らは優たちを取り囲んで喜びあったあと、緊張から解き放たれて一斉に伸びをしはじめた。どう見ても猫の集団にしか見えない。
洞窟のあちこちに据え付けられた原始的なランプに火が灯され、短くない年月の間に整えられた生活の空間があらわになった。床には干した植物を編んだ敷物があり、木で作った低いテーブルを中心に粗末なつくりの家具が並ぶ。季節を通して温度の変化が少ないため、洞窟というイメージからは想像できないほど快適な空間だった。
翔はドッカと干草の上に座り、不満げな声を漏らした。
「なんで優がチヤホヤされてるわけ?オレの後ろで逃げ回ってただけなのによ」
長身の女性が、木を彫って作ったコップを二つテーブルに置いた。金色の長い髪を凝った方法で編みこんで、肩から胸に垂らしている。つり上がったアーモンド形の目は優しげな微笑を浮かべていた。彼女もまた、猫の持つ美しさをその身に宿している。
「翔さん、みんな感謝してますから」
その言葉に鼻を鳴らしつつも、ランプの淡い光で照らされた翔の表情はまんざらでもなさそうだった。彼はコップを手に取ると口に運んだ。その直後、優が彼に切り出す。
「これで当面の危険は無くなったし、明日からまた探索に出よう」
それを聞いて、翔は口の中のものを吹き出した。
「・・・お前何言ってんの。ちっとは休ませろよ」
優は濡れた顔を拭いながらそれに答える。
「じゃあ僕一人で行って来る。翔ちゃんはみんなを守ってあげて」
「まあ・・・かまわねーよ。ゴキブリもやっちまったし、あぶねーもんは無さげだけどな」
「たぶんね」
コップを口に運ぶ優を、翔は不思議なものを見るような顔で眺めた。
「・・・お前、まだ諦めてねえの?もう5年も過ぎてるじゃねーか。お前の話じゃ、俺達の世界はとっくに終わってる計算だぜ」
優はその言葉に無言だったが、やがてコップを置いて立ち上がった。
「ククナ、ごちそうさま。僕はちょっと横になるよ。翔ちゃんも、今日はお疲れ様」
翔とククナは、歩き去る優の背中を見送った。洞窟の奥へと引っ込んでいく間も、子供たちが彼に飛びついたりまとわり付いたりしている。
翔が呆れたような声でつぶやく。
「・・・そこまで惚れる女ってのは、どんな奴なのかね」
彼とその隣に立つククナの目には、それぞれ羨望のような色が浮かんでいた。




