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ナギとナミは、廻が買い与えた青とピンクのスエットに身を包んで電気カーペットの上に転がっていた。そこは二階にある元空き部屋で、今は二人が共同で使っている。
二人の視線の先には、優たちの母親の部屋から奪ってきたテレビがあった。小さい上に映りも悪いが二人に不満などあろう筈もない。その中では、時代劇がいつもの展開を期待通りに繰り広げている。あと少しで旗本の次男坊の正体を悪人が知る所だ。ここからが最高潮。旗本もとい将軍様が二人のお供と共に悪党を懲らしめる。
解放された娘が父親と抱き合って喜びエンドロールへ。二人は安堵の息をついた。
そこでナミは立ち上がり、部屋の出口へと歩く。
「どうした?」
「お手洗い」
「ならば、ついでに何か食べる物を漁ってきておくれ」
転がっているナギを一瞥し、ナミは抗議の鼻息を鳴らしてから襖を開けた。
階段を下るナミは、降りたすぐ先の玄関に見慣れぬ杖が立てかけられているのを見つけた。覗き込んだ土間には女物の下駄が一対並んでいる。漆塗りの見事な物だ。どうやら客が来ているらしい。
誰だろう。
ナミは様子を見るべく客間へと廊下を歩き、途中通った台所で、急須や盆など茶を淹れる道具が丸々残っているのを発見した。
優のやつ。客に茶も出していない。
ナミはため息をつき、やかんに水をいれて湯を沸かしはじめた。
*
優は、座卓の向こうに座るカエデを見つめていた。聞きたいことが山のようにあるが、考えが全くまとまらない。老婆はそんな彼を前にしてニコニコと笑みを浮かべている。
「お互い、聞きたいことが沢山あるみたいだね」
静寂を破って老婆が口を開いた。
その通りだった。何から聞くべきか困るほどだ。
優は努めて気持ちを落ち着けた後、最初に聞く事を決めた。
「僕に御用ですか」
結構ありきたりな質問になってしまった。
それを聞くなり、老婆は正座したまま頭を下げた。
「先日はわざわざ尋ねてきてくれたのに、追い返すような形になってごめんなさい。あの頃はひっきりなしに招かれざる客が来ていてね」
優はナギとナミに出会った日を思い出した。あの日、優はツバキの家の敷居を跨ぐことができなかった。その事を言っているのだろう。
「突然お邪魔したのは、優君を私の家に招待する為です。一度追い返しておいて呼びつけては、道理が立たないから」
「翳が、まだそちらに居るんですね」
優の問いに、老婆はうなずいた。
「翳さんはうちで保護しています。あの子も無事だから安心してください」
翳に会える。目も眩むような安堵感だった。
優の期待に満ちた顔を見て、老婆は複雑な表情をする。彼女は口を開きかけた。その時、可愛らしい声が部屋の外から響いてきた。
「失礼します」
優が驚いて顔を向けた時には、襖が開いていた。盆を捧げて部屋に入ってきたナミは、こちらに視線を向けつつ口を開いた。
「お茶を・・・」
そこまで言って凍りつくと、ナミはしめやかに失禁した。
*
「ほんと、すみません」
優は老婆を座卓の向こうに座らせたまま、ポリバケツの上で雑巾を絞った。
「なにがですか?」
老婆は微笑みを絶やさない。
「お茶を出すのを忘れていました。折角ナミが淹れてくれたので、飲んであげてください」
老婆はふふっと笑うと、湯飲みを手に取った。
「まるでお兄さんですね。泣いているあの子を宥めている所など、感心しましたよ」
「・・・あいつのほうが年上なんですけどね」
「優君、自分がたったの数週間でずいぶんと成長したと思わないですか?重ねた年齢そのものに意味などありません」
ずいぶんと残酷な事を言う。
優は雑巾をお湯に沈めると、老婆に向き直って言った。
「ご招待、お受けします」
彼女は湯飲みを手にとって胸元に運びながら、ゆっくりとうなずいた。
「このお茶を頂いてからでもよいでしょう?折角淹れてもらったのですから」
*
それから二時間もしないうちに、優はツバキの家に到着していた。
優の乗る車の前方には、重厚な長屋門がそびえ立っていた。彼の脳裏に、この屋敷の回りを散々歩いた記憶が甦ってくる。
「・・・僕が来たときは、門なんて無かったんですけど」
「うちに、そういうのが得意なのが何人かいるのよ。お宅の居候と同じ生業の者がね」
その言葉で家を出るときのナギとナミを思い出し、優は可笑しさと嬉しさが同時にこみ上げてきた。二人は決死の様子でカエデの前に立ち、優を面倒ごとに巻き込むなと老婆に凄んで見せたのだった。その足は遠目に分かるほど震えまくっていたのだが。
二人は優がいくら宥めても、最後までカエデの事を信用していない様子だった。ナミの失禁といい、この老婆は二人にどれだけ恐れられているのか。
車は門をくぐり、屋敷の中に入っていく。
想像通り、中は御伽話の世界のごとく美しく整えられた庭園だった。
その広大な庭園を通り過ぎ、やがて車は玄関に横付けされた。歴史やら格式やら、とにかく優とは全く縁がない空気がこちらを圧倒してくる荘厳な玄関だ。
「固くならないでね。優君は客人なんだから」
無理を言う。だがもう、ビビるのも飽きた。どうにでもなれという心持ちで優は玄関に入っていった。そこから長い間廊下を飽きるほど歩き、ついに二人は屋敷の奥深くにある部屋の前に立った。
カエデは、襖に手をかけつつ優に向き直った。
「優君、君はあの娘の顔を見ないと落ち着かないでしょう。だから今すぐ事情を説明しようと思います。あの娘は無事ですし、何の怪我も、精神的な傷もありません。だからいいですね、冷静に事態を把握してください」
優はあまりに念の入った問いかけを怪訝に思いつつ頷いた。老婆はそれに頷き返すと、襖を音もなく引いた。その向こうは畳の香りが漂う和室で、暗い室内を照らすのは今開いた襖から差し込む光のみ。
その光に照らされて、白木で作られた棺がひとつ、部屋の中央にぽつんと横たわっていた。




