*9*
優はフラフラと適当な部屋に入ると、畳の上にへたりこんだ。傷を治してもらったとはいえ、血をだいぶ失っている。日は傾きつつあり、暖房も無いだだっ広い部屋の中は寒さが堪えた。
畳の目を眺めつつようやく落ち着くと、優はあの部屋で何が起きているのかを考え始めた。自分がナミの立場だったら。
彼女の自称する24という年齢は、きっと本当だ。何もなければ、さぞ美しい女性になっていた事だろう。その未来を無惨に奪われた上に、人を殺めるような仕事をさせられ、挙げ句ゴミとして捨てられる。そんな仕打ちを果たして許せるだろうか。
無理だ。もし自分がそんな目に遭わされたら、望む復讐は可能な限り残酷なものになるだろう。だから今思っていることはエゴだ。あまりにも身勝手な我が儘だ。
殺してほしくない。
自分には彼女を止める資格などない。それでも。
優は心を決めると立ち上がった。
*
息を弾ませながら、惨劇が行われているであろう部屋の前に駆けつけた。入口の襖の向こうからは、くぐもった笑い声が聞こえてくる。
優は唾を飲み込み、それでも勇気を振り絞って引き手に指をかけた。
そして僅かな躊躇のあと、息を止めて襖を開け放つ。
中の光景に、優は呆然とした。
ナミら九人の子供たちは、部屋の中で車座になって笑い声を上げていた。その中央にはあの女がすっぱだかで踊っている。涙と恥辱にまみれた表情を浮かべるその顔には、白粉や紅で落書きがされていた。腹にもでかでかと間抜けな顔が描かれている。
これは・・・。
優は無表情になった。
座っているナミが振り返り、満面に怒りを浮かべた。彼女は肩をいからせて立ち上がると、何事かを言いながら駆け寄ってきた。
「こら。子供は見ちゃいかん」
優の前に立ったナミは、こちらを見上げながら叱りつけてきた。子供にこんな事を言われる日が来るとは・・・。
「・・・なにやってんの」
「こやつから借金を取り立てておる。絞れるだけ絞るつもりだ。その間は暇なので、余興を披露させておるのよ」
「・・・ちょっとよく分からないんだけど」
ナミの話を要約すると、子供らは女と縁を結んで生命力を絶賛吸い取り中とのことだ。
「わしらは相当弱っておったからな。少し吸い上げればすごい勢いで注がれてくるわ。このあと皆一緒に来てくれると言ってくれたから、ナギを治してもらえるぞ」
優は呆けた顔をしていたが、やがて穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・ごめん、てっきり、あの女を殺してしまったかと思ってた」
ナミは今まで見せたことの無い、輝くような笑顔になった。
「馬鹿を申せ、借金を取り立てる相手を殺す者がおるか。それにこんな奴、手を汚す価値もない」
※
その後、ナミたちは急いで蔵から持てるだけの宝物や金品を略奪し、屋敷に火を放った。生気を吸われて干からびたあの女は、殺しこそせぬものの雪の上に放置された。
モンゴル軍のごとき所業だ。
優はさすがに同情したが、ナミたちの境遇を思い返してそれを押し殺した。よく考えれば、これは温情に溢れた仕置きと言ってもいい。もっと酷い目にあっても文句は言えまい。
それから山を転げ降りて雪の積もった道を一時間ばかり走り、9人の子供たちと共にバスに駆け込んだ。そのあたりで、優はようやく一息ついた。スマホを取り出す余裕さえ出来る。
だが、その余裕は一瞬で吹き飛んだ。
スマホの着信履歴が物凄いことになっていたからだ。相手は廻だった。留守電を聞いた優は青くなった。そこには病院に来いという切迫した声が録音されていた。こちらから電話をかけても出てくれない。おそらく病室にいるのだろう。
それからの道のりの長いこと。一分が一時間に引き伸ばされたかのようだった。
電車はあまりに遅く、駅のたびに間抜けに開く扉を強引に閉めたくなった。
指定された病院にたどり着いた時には、あたりは真っ暗になっていた。優たちは夜間通用口に押し込むなり、転がるように階段を駆け上がった。
目的の病室の扉を開けると中にはベッドが一つだけあり、その脇に廻が座っていた。
彼女は泣いていた。その瞬間、優は事態を悟った。急いで駆け寄ってベッドを覗き込む。そこに横たわっている子供の顔には、白い布がかけられていた。優は顔をわななかせながら、子供たちに向かって叫んだ。
「みんな!!」
駆け寄ってきた少年達は、ベッドを取り囲むと優を見上げて頷いた。
「大丈夫」
ナミが気丈に笑顔を見せ、直後、ナギの顔にかけられた布を取り払った。彼女はそのまま手をナギの額に置く。
「絶対に助かるから」
ナミと子供たちは一斉に印を結び、呪文を唱和し始めた。にわかに空気が温かくなった気がする。やがて部屋の中にチカチカと光がまたたき始めた。子供らの表情は必死だ。
全ての印を結び終え、彼らは気合いと共に最後の文言を発した。静寂が部屋に戻り、全員の目がナギに注がれる。
「・・・廻姉さま、ナギの名前を呼んでやってください」
ナギの額から手を離すと、ナミは勝利を確信した目でそう言った。廻は何が起きているのか分からぬまま、涙に濡れた顔をナギに向けた。そしてベッドに覆いかぶさるようにして彼に顔を近づけると、心から祈るように声を絞り出した。
「ナギ、起きて。家に帰ろう」
ナギの瞼が、ピクピクと動き始めた。
廻の目が驚愕と希望で大きく開かれる。その瞳に、ゆっくりと目を開いたナギの顔が映りこむ。
「・・・廻姉・・・よかった。夢ではなかった」
ナギは弱々しい笑みを浮かべた。廻は息が詰まって声も出なかったが、ナギをひしと掻き抱くと体を震わせて再び咽び泣き始めた。
「・・・みんな、ありがとう」
優は長い息を吐くと笑みを浮かべ、子供たちに礼を言った。彼らの顔にも、充足した笑顔が浮かんでいる。
「ありがとう」
もう一度、そう呟いた。
*
ナギが退院した次の日。その日は珍しく雪になった。一晩でかなりの量が積もっている。電車は止まるわバスは遅れるわで大変なことになっていた。
優は門から玄関までを雪かきしていた。今日はこの後、またあの馬鹿っぽいヘルメットを被ってツバキと翳の動向を探る予定だ。
庭に目をやると、ナギとナミが雪だるまを作っている。ナギは退院したばかりなのに元気そのものだ。二人とも雪など珍しくなかろうに・・・。
「おい、手伝ってくれよ」
優が不満げに言った。
二人はそれを無視し、一心不乱に雪を丸める。優はため息をついた。それと同時に、ツバキと一緒に雪かきをした事を思い出す。あいつも全然手伝ってくれなかった。まあ、この二人は邪魔をしないだけマシか。
胸が痛くなり始める。優はそれを振り払い、再びシャベルに力を込めた。
半時ほどが過ぎた。どうやら雪かきを終え、優はシャベルを地面に突いて腰を伸ばした。
ナギとナミも自分達の作業を終えたらしく、満足げな顔で庭を眺めている。
そこには、四体の小さな雪だるまが並んで立っていた。優は笑い声を上げた。どれが自分なのかすぐに分かる。あの不細工なやつだ。並んでいるその様子に、優の心が温かくなる。
あの横に、さらに何体か並んで欲しい。
そう願う優の脇をすり抜け、ナギとナミは家の中に駆け込んで行った。食い物を探すつもりだろう。あいつら本当に24なんだろうか。彼はため息をつき、自身も玄関に向けて歩き始めた。
その時、不意に飛び石の上を歩く音が背後から響き、優は立ち止まって振り返った。
「こんにちは、宮ヶ瀬優君。ご無沙汰しています」
そこには和服に身を包んだツバキの祖母・・・鬼姫こと、道志カエデが立っていた。
弟五話 おわり




