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>コマンド?  作者: オムライス
第五話
40/120

*8*




ツバキに同居している()は、息苦しさに耐えていた。

優の視線を受け止めた直後から胸が激しく高鳴り、もはや呼吸すら難しい。この体のなんたる忌々しさ。


こちらへと歩く優は、穴の開いた足の痛みなど忘れたようだ。床に血だまりを残しながら、横たわるナミすら素通りし、まっすぐに歩みを進めている。


それを迎えるかのように、()の意思に反してツバキの体が勝手に動く。前へと引きずられる。右足が勝手に出ようとする。優の名を叫びそうになる。

()は反乱を起こし始めた自らの体に恐怖しつつ、同時に目が眩むほどの怒りを覚えた。こんな屑のために、なぜこれほどうろたえねばならない。


()は手の届く所にたどり着いた優を血走った目で見下ろした。優の疲れ果てた顔は涙と鼻水に汚れてぐしゃぐしゃで、笑みを浮かべる唇は激しく震えていた。

()は、荒れ狂う感情の濁流の中で決心した。


殺す。


同居人の強い願いを汲んで従ってきたが、屑を見守るという行為に一体何の意味がある。時間の無駄にはもう付き合いきれぬ。これを死なせた時の彼女(・・)の怒りは計り知れないだろうが、あとでどうにでもなる。なんとか宥めればよいのだ。


()は渾身の力を込めて右腕を掲げると、それを優の頭に向かって振り下ろした。その手刀は優の頭を粉砕する。はずだった。


降り下ろされた腕は、優の首の後ろに回されていた。左腕もいつの間にか彼の背中を引き寄せている。

ツバキは優を抱きしめ、そのまま愛おしげに頬を寄せた。


優はすこしの間茫然としたあと、ツバキのうなじのすぐ横で大声を上げて泣き出した。それと同時に、ツバキの中に甘く苦しい感情があふれ、抑えきれない強さで膨らみ始める。胸が破裂しそうなほどの温かさ、喜び、安らぎ、共感、この世のあらゆる愛情。強烈な光が、心をドロドロに溶かす。


呆然としてその荒波に翻弄されている()は、この瞬間に体感しているそれらの感情の名前を記憶の奥底に置き忘れてしまっていた。それが今、懐かしさと共に不鮮明ながら蘇りはじめた。広大な紫色の草原を見下ろす丘。そこに横たわって眺める雲、温かな青い日差し、頬を撫でる風、草がこすれ合う音。そして、隣で横たわっている者がこちらに向ける瞳。


()は、何千年もの間埋もれていた、彼が最も愛した記憶に再会したのだった。


どれくらいそうしていただろう。

二人は抱き合ったまま涙を流し続けていた。


「・・・ツバキ、どこにもいくな」


優が震える声でそう言った。ツバキは大きく頷き、優から体を離す。そして目を閉じて優の唇に自らの唇を重ねようとし、


その瞬間、()は我に返った。


今感じている愛情。その全てが燃えるような憎悪、激怒、恥辱、そして()の知らないトゲのような感情に裏返しに変換され、爆発のように吹き出した。それは現実世界でも優を弾き飛ばし、その体を畳の上に転がした。


怒り冷めやらぬまま、()は視線を走らせた。その目に、力を使い果たしてへたりこんでいる老婆の姿が映る。同居人が邪魔をするならば、道具を使うほかない。()は老婆の目の前に瞬時に移動した。


体力を失って動けない老婆は、突然現れたツバキに驚いて短い悲鳴を上げた。()は怯える老婆の頭に手を置いた。それと同時に、ツバキの体を包んでいる袴の襟から赤い光が漏れ始めた。その源は、金色のペンダントに収まっている紅玉だった。彼女の胸の上でまるで心臓のように脈打ち、閃光を放っている。


光が止むと、そこには一人の若い女が座っていた。老婆が着ていた振袖を身に付けている。だが身長が倍ほども違うため長い脚は丸出しになり、上半身があちこちはみ出ていた。その姿は妖艶な美しさを湛え、漆黒の瞳と長い黒髪は輝きに満ちていた。


彼女は自分の体を見下ろして呆けていたが、我に返ってツバキに平伏した。


「汝の渇望は聞き届けた。それで、かわりに汝は何を余に差し出すのか」


それに答える老婆の声は歓喜に震えていた。


「私の命を!この両神佐久夜、これよりあなた様の下僕にございます」

「余に従う限り、汝は老いを知らぬであろう」


女は這いつくばりながら、あらゆる忠誠の言葉を連ねた。

()は面倒そうに頷き、未だ倒れている優に視線を向けた。同居人が意識の中で暴風のように怒り狂い、頭蓋骨の内側から苦痛を叩きつけてくる。それに顔を歪めて耐えつつ、()は命じた。


「まずは、そこの男を殺せ」


老婆であった女は顔を上げ、喜悦と憎しみが混じった顔を優へと向けた。主人の命令で復讐の機会を得られるのだ。渡りに舟とはこの事だろう。


鳴り止まぬ雷のような頭痛に耐えるのも、そろそろ限界だ。この男が視界にあると身が持たぬ。それにこの佐久夜という女、望みが叶った今もまだ下水の臭いが消えない。むしろ強まっているようにも感じる。この場の不快さは筆舌に尽くしがたい。


ツバキの胸の紅玉が、再び輝き始めた。

赤い光を浴びながら()は笑った。その瞳に、短刀を拾って優へと向き直る女の後ろ姿が映ったからだ。


「清々するわ」


ツバキの体は深紅の閃光に包まれ、次の瞬間、その姿はこの部屋から消えていた。





消えたツバキに向けて腕を伸ばしながら、優は強烈な失意にまみれた。この手のなかにあった幸せは、つかんだ時と同じく唐突に手をすり抜け、去っていった。


たが、悲嘆に暮れている時間はない。優を殺せと命じられた女が、それを忠実に実行すべくこちらへゆっくりと歩いてきている。優は転がっている木刀まで這いずってそれを手にすると、なんとか立ち上がった。


「さっきみたいな方術を練るのは、時間もかかるし体力も使うのよ。でも今のお前程度なら、そんな大層なものを使わなくても、刃物でドスン!で充分」


女は短刀を振り回し、心底嬉しそうに笑った。若い体を手に入れた喜びで有頂天のようだ。話さなくて良いことまで口から漏れだしている。


その女の足元で、ナミが呻きながら体を動かし始めた。見ると、部屋の奥の子供達も起き上がり始めている。


「あら、これは失敗」


そう言ってから、女は印を結び始めた。直後に光の線が女を中心に迸りはじめる。線は倒れているナミや、少年たち、一本は壁に向けて放たれている。優が見つめるなか、それは輝きを増してからガラスのように砕け散った。


「お前たち、今までご苦労様。縁はたった今切ったわ。これからは自由に生きるがいい。まだ繋いでおいてもよかったけど、今では私の方が若い力に溢れている。逆に私からお前たちに力が流れてしまうわ」


舞い散る光の粒子を浴びながら、女は勝ち誇ったように宣言した。


優の中で憎悪が激しく燃焼し始めた。これほどの怒りを覚えたことは、これまでの人生で一度もない。木刀を握る手も、両足も、大量に産み出されたアドレナリンでガクガクと震える。


「おまえ・・・」

「そんな怖い顔しなさんな。あの時は縁を切るわけにはいかなかったのよ。なにせ私の寿命はとうに尽きていたんだから、子供らの助けが無ければすぐに死んでしまう。それじゃ可哀想だろう?」


怒りに耐え切れず優が罵りの言葉を叫ぼうと口を開きかけたとき、足元でナミが苦しげな声をあげた。


「・・・時間稼ぎよ」


優は息をのんだ。視線を戻したときには、そこに女の姿は無かった。


隠蔽の方術だ。密かに印を結んでいたのか。

優は木刀を振り回しながら壁際まで後退した。優の知っている隠蔽の術は、隠れたままで攻撃は出来ないはずだ。木刀を振っていれば、そうは斬られはしない。


その考えは少々甘かった。優は左の脛に焼けるような痛みを感じた。それと同時に姿を現した女の哄笑が部屋に鳴り響く。


「動脈を斬ったから、もうすぐ血が足りなくなるわよ。それに」


振り下ろされた優の木刀を避けた女は、倒れているナミのそばまで素早く走ると、膝でナミの背中を押さえつけた。そのおかっぱの髪をつかんで頭を持ち上げ、短刀を喉元に突き付ける。


「これは人質。動かずそこに立ってなさい」


勝利を確信して微笑む女を呆然と見つめながら、優は凍りついた。手詰まりだ。足元に血だまりが広がっていく。数分も持つまい。


「そなた」


押さえ付けられているナミが、女を見上げながら言った。


「何人の子供を使い捨てにしてきた?」


女の顔から笑みが消えた。彼女はナミの髪をさらに強く引っ張りながら、吐き捨てるように言った。


「折角気分がよいところに、最後まで忌々しいねお前は。覚えてるわけがないだろう」


ナミは乾いた笑い声を上げ、首を捻り上げられたまま視線を優に向ける。


「優、こやつは私たちで始末をつける」


はぁ?という女の叫びが響き、続いてナミのくぐもった苦痛の声が聞こえた。


「何を言ってるの?この食べ滓は。いいわ、ゴミは持ち主が処分しなければね」


女が刃物を持つ手に力を込めた。血が吹き出す光景が脳裏をよぎり、優は叫び声をあげた。


だが、ナミは無事だった。

驚愕の表情を浮かべる優の前で、ナミは笑い声をあげた。


「さすがにこれほどの人数に術をかけられたら動けぬでしょう。御身が我らの殺意に気付かなんだのが不思議でなりませぬ。浮かれ過ぎではありませぬか?」


ナミは刃物を首からどかすと、女を押しのけて立ち上がった。女は彫像のように固まったまま、床にゴロンと転がる。


「御身のご教育の賜物です。これから、その総仕上げをご自身の体で試して頂きます」


少年たちが女を囲むように集まった。不自然な姿勢で横たわる女は、ギョロギョロと眼球を左右させて彼らを見上げている。その額から汗がどんどん噴き出しはじめた。


「・・・優。この部屋から出ていって。離れた場所でしばらく休んでいて頂戴」


気がつくと、少年の一人が優の脚の怪我を塞いでいた。ご丁寧に、優が自分で開けた足の甲の穴まで治してくれている。それが終わると、少年は優を部屋の外へと優しく押し出しはじめた。


部屋を出る瞬間、優は一度だけ振り返った。

そこに並ぶ少年たちの目には、暗い光が灯っていた。


これから起きる事を覆い隠すように、襖が両側から閉じられた。



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