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>コマンド?  作者: オムライス
第一話
4/120

*4*




鍋の中は、神々しい光に満たされていた。

その白い光の源にある物こそ、聖なるスクール水着、すくみずアクアマリン。

かつて平凡なスクール水着であったそれは、劇的な変化を遂げていた。


背中には、銀色に輝く一対の小さな翼。

両腰に据えられたプラチナの台座には、大きな青い宝石が輝いている。

ゼッケンの「みなも」という文字は異界文字に変わっており、虹色に輝きながら刻々と形が変化している。

誰の目にも、最強クラスの魔法使い専用装備にしか見えなかった。



以上が、鍋を覗き込む前に思い浮かべていた優の幻想だ。

当然、そんな事にはならなかった。



鍋を覗き込む二人の目に映っている物は、地獄をミキサーにかけてぶちまけたような茶色い粘液と、それにまみれたスクール水着が、無残に鍋の底にへばりついている光景のみだ。


二人とも無言だった。

やがて優は、思い出したようにキッチンの収納からゴミ袋を引っ張り出した。

そしてさい箸でスクール水着をつまみあげて袋の中に捨て、いや、入れ、口をきつく縛った。


「・・・とありえず、風呂場で洗ってくるよ」


少しばかりぼうっとしていたかげりは、我に返ってうなずいた。


「あ・・・はい。わかりました。・・・私もこっちを片付けておきますね」


悪質な訪問販売に全財産抜かれたような表情をしている。優も同感だった。




風呂場に行くと、優はタイル張りの床にスクール水着を広げてシャワーを浴びせ始めた。

水で冷やすと悪臭が一瞬で消えていく。


土色の粘液がどんどんはがれ、意外にも無事な生地が出てきた。

ただゼッケンだけは色が落ちず、本来の目的で使い込まれたみたいな黄色いシミが残った。

優はその汚れを複雑な表情で眺めた。


裏表とも十分に汚れを落とすと、拾い上げて軽く匂いを嗅いでみる。

うん。臭いはない。

念のためもう一度生地に鼻を当て、大きく息を吸い込む。




優は意識を失った。





翳は、粘液だらけになったキッチンを前に途方に暮れていた。

まだ鍋はカンカンに熱いままだったし、これが冷えるまでどうしようもない。

とりあえず、開封した材料の容器やパッケージを片付け始める。


ひととおりゴミを処分すると、さてどうしようかと腕を組む。

まずは床から掃除しよう。

というか・・・掃除道具がどこにあるか分からない。

翳は道具のありかを聞くべく、優が消えていった廊下へと歩き始めた。


その時だった。


獣のような叫び声が、行く手から聞こえてきた。

翳は驚きのあまり身を固くし、薄暗い廊下の奥を見つめた。

もう一度叫び声。優の声だ。何かを呼ぶような声に聞こえる。


・・・もしかしたら自分を呼んでいるのかもしれない。


ふと沸き上がったその考えに、抱いていた恐れは一瞬で消え去った。


翳は廊下を走り始めた。行く手にある扉から声が聞こえてくる。

ドアノブに飛びつき、勢いにまかせて引く。

そこは更衣室で、奥にある浴室の扉は開いていた。



その浴室に、スクール水着の足の穴に頭を突っ込み、全裸で絶叫している優の後ろ姿があった。



「みなもちゃああぁぁぁああん!!おほぉおおおおぉぉぉ!!!」



・・・自分の名前ではなかった。

強い焦りを浮かべていた翳の顔が、一瞬で元のダルそうな表情に戻る。


優が頭を突っ込んでいる水着の穴は本来足を通す穴であり、元のサイズが小さいこともあってどう見ても無理な試みであった。

その無理を通そうと、彼は必死に体をくねらせている。

濡れたタイルの上で目隠ししつつそんな動きをしたら、当然すっ転ぶ。

彼は足を猛烈に空転させたあと、床にビタァンと体を打ちつけた。

驚いた翳が一歩前に踏み出すが、優の激しい動きは弱まる様子もない。痛みも感じていないようだ。


翳はその姿に圧倒され、どうすべきか考えあぐねていた。

長い十秒間が過ぎる。

突然、優の動きが止まった。彼はうつ伏せのまま、身を弓なりに反らせて痙攣しはじめた。


いけない。


翳は優のもとに駆け寄り、倒れている彼の裸体を抱えあげた。

その直後に痙攣が終わり、彼は脱力した。

「優さん!優さん!!」

翳は必死に叫び、うつ伏せになっている彼の重い体をなんとか仰向けに戻す。


ぬるり。


右手に、なにやら生温かい液体が触れた。

彼女は血を想像し、慌てて右手に目を向けた。


血ではない。なんだろうこれ。

怪訝な表情を浮かべ、手の臭いを嗅ぐ。


しばらくの間、彼女は動きを止めたまま思考をめぐらせていたが、

やがてその顔が真っ赤に染まり始めた。





台所の隣にある居間で、ジャージ姿に戻った優が土下座していた。

手足のつま先がピッシリと揃っている、美しい土下座だった。


優と向かい合って正座している翳の顔は未だに真っ赤だったが、彼をなだめている顔に怒りはなかった。


「打ち身くらいで済んでよかったですよ、頭を打っても不思議じゃなかったんですから」


優は無言で肩を震わせている。だがよく耳を澄ますと、


「・・・死にたい・・・」


と、何度も繰り返し囁いているのが聞こえる。

翳は困り顔をするが、やがてため息をついてやさしく優の頭を撫でた。


「水着に興奮する人が居てもおかしいとは思いません。何ら恥じる必要はないんですよ。それに、ああいうのも・・・男子なら仕方ない事だと聞きます」


後半は自分に言い聞かせている様子だった。


「いや違うから!そうだけど、違うから!!」


顔を上げた優は必死だった。


「冗談ですよ。何か有ったんだろうなと思ってます。浴室での出来事を聞かせてくれますか」


その言葉にうなずくと、優は身振りを交えて説明をはじめた。

翳は黙ってそれを聞いていたが、説明が終わると、その顔には困惑した表情が浮かんでいた。


「媚薬、とか、興奮剤の類なんでしょうかね。でも私達、あれを作っている間にさんざん臭いを吸い込んでましたよ」

「浴室で水をかけると、それまですごい臭いだったのに無臭になったんだ。じつはその時から、何かこう、こみ上げてくるものがあったというか・・・。で、思わず力一杯嗅いでしまったんだけど・・・」

「そしたら意識がなくなってしまった、と。冷えることで、反応が完了したのかもしれませんね」


翳はゴミ袋に厳重に封印されているスクール水着を指差した。


「妙な力を持つ物を作ってしまったという点では成功ですが、いずれにせよ、私にはどうしてもこれが目的の物だとは思えません」


優も、何を以て完成品とすべきか分からない事を脇に置いても、これが成功には思えなかった。

そこで二人は、製作の手順に間違いがなかったかを探し始めた。


間違いは意外な・・・しかし知ってみれば納得な所にあった。

メニューウィンドウに表示されている手順を紙ナプキンに書き写す際に、優は三箇所も写し間違いをしていたのだった。

優は再び土下座した。


「本当に・・・ごめん・・・」


ほとんど泣いていた。翳はその言葉に怒る様子もなく答えた。


「気にしないでください、実験には失敗がつきものですから」

「それじゃ僕の気がすまない・・・!!なにか罰を与えるなり、命令するなりしてよ」


翳は困った顔でその言葉に考えをめぐらせていたが、何かを思いついた表情を浮かべた。


「じゃあ、薬局で優さんが死にそうな顔をしてた理由を教えてもらえますか?」

「え・・・」

「パイプクリーナー買いに薬局に行った時ですよ。真っ青な顔をしてましたよ」


あまりに意外な要求に、優は顔を上げた。


「実はですね、私、今まで男性とまともに会話できた経験がないんですよ。ものすごく怖くて、吐きそうになるくらいだったんです。触れるのなんてもってのほかだったし」


翳の顔が再び赤くなってくる。


「で、でもほら、今は普通どころか、元気に会話できてるじゃないですか。それに、こんな奇妙な事に一緒に巻き込まれたのは、偶然じゃない気がするんです」

「・・・うん」

「だから私、優さんと友達になりたいと思っています。友達になりたいと思っている人があんな表情してたら、放っておくのはおかしいでしょう?」


優の涙腺が決壊した。

彼は人目にはばからず号泣した。





優の話が終わると、翳は優が引くくらい鬼のような形相をしていた。

いつもはダルそうな目が、今は冷酷な眼光を湛えている。

彼女は押し殺した声で優に告げた。


「優さん。いらないバッグに物を詰めて持ってきてください。詰めるものはゴミでいいです」


優はそれに対して口を開きかけたが、翳の有無を言わせぬ表情に気おされて頷いた。


数分後、優はどうでもよいグッズやら、壊れたゲーム機やらをバッグに入れて持ってきた。

翳はそれを手に取ると、厳かに宣言した。


「私はこれから、魔法使いの儀式を行ないます。しばらく席を外してください」


優は完全にビビッて言われるがままである。

彼は何度もうなずき、自室へと急ぎ足で向かった。

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