*7*
老婆と共に現れた八人の子供達を見て、ナミは蒼白になった。まさか自分と兄以外の全ての方術使いが屋敷に全て揃っているとは思ってもいなかったからだ。いつもは方々へと走らされているのに、なぜ今日に限って。
それと同時に、如何に自分が何も考えていなかったのかを悟る。ナミは、優の圧倒的な戦力を見れば老婆があっさりと白旗を上げるに違いないと思い込んでいた。
「佩剣せし蛇鬼」という、蛇鬼の面とツバキの木刀による組み合わせで得られる効果の強烈さを聞いたとき、ナミは勝利を確信した。その効果が「鬼姫と同等の強さを得られる」とあらば、慢心するのも致し方ない。
それは優も同じだった。彼は揺らぐことなく木刀を老婆に向けた。後ろに何人の方術使いが居ようが、この強さを前にして何かができるとは思えない。
「なんと恐ろしき呪物よ」
老婆が優の被るプラスチックの面に視線を注ぎつつ呟く。優は思い出した。この老婆も、道具の能力を知る力を持っている。ならば絶望してもおかしくない状況なのだが、老婆の表情からは余裕すら感じられる。
優は苛立ちを感じながら、老婆に命じた。
「今すぐ、全ての子供達の呪いを解け!」
それを聞いた老婆は呆けた顔をした。
「そなたは自らの置かれた状況がまだ解っとらんようだ」
優の背後で、何かが倒れる大きな音がした。優は木刀を老婆に向けたまま振り返った。
抜き身の短刀を手にしたナミが、こちらに駆け寄る途中でうつ伏せに倒れていた。
「ナミの方がよほど飲み込みが良いわ。そなたが暴れている間、我等が何もしていなかったと思うてか」
急いで向き直った優は、焦りの表情を浮かべつつ、木刀をさらに老婆に突き付けた。
「ナミに何をした!!」
「気を失っとるだけよ。この部屋は既に方術の影響下にある。人の意識を刈り取る方術のな。心が折れ次第、そなたもあやつの仲間入りよ」
優はツバキを失った夜の出来事を思い出した。自分はあっさりとつららの術で意識を失った。あれと同類の術なのだろう。だが、今の自分はあの時とは違う。
優は汗ばんだ手で木刀を握り直した。
そう、今の自分は鬼姫と同じ強さを持っている。術など物ともしない。
「そうかな?」
優の考えを読んだ老婆は、カエルのようにぽっかりと口を開いて笑う。
「鬼姫の強さが何処にあると思う。もちろん腕も立つ。だがそんなものは一端に過ぎん。あの女の持つ最大の強み、それは永く厳しい修行を乗り越え、数多の死線を潜り抜けることで鍛え上げられた戦士としての心よ」
老婆は壁に開いた大穴を指差した。
「おおかた、私を殺める覚悟もないのであろう。そんなものが戦士と呼べるか?そうよ。そなたは鬼姫などになれてはおらぬ。今も、ただの無力な子供よ」
老婆の言葉が優を殴り付ける。中身は変わらない。それは優が必死に目を逸らしていた事実だった。
「・・・しかしまぁ、無駄に争う事もあるまい。ナギとナミ。この二人とは縁を切るとしよう。それで手打ちにせんかな?」
老婆の笑みがさらに強まった。その邪悪さを警戒して優は後ずさる。だが、老婆の言葉に打ちのめされていた彼の本能は、気付かぬまま楽な提案に飛び付いてしまっていた。
その瞬間だった。
優は真っ黒な沼の中に首まで浸かっていた。
屋敷の中だったはずの周囲が、いつの間にか黒い霧に沈む灰色の森に変わってしまっている。
優は何が起きたのか理解できずにパニックに陥り、沼の中であがいた。泥に触れる肌が痛い。その痛みが急激に耐えがたいものに変わっていく。体の肉をペンチで少しずつ毟り取られるような痛みだ。優は泥の中から右手を出した。
白い管のような虫が、びっしりと皮膚に食い込み、中に潜り込もうとしていた。
優は絶叫した。
*
ツバキは、だだっ広い廊下を歩いていた。
彼女は魔神を宿すことにより、人の五感を超えた六つめの感覚を手に入れていた。それは嗅覚に似ていて、人の感情をつぶさに知ることができる。特に恐怖や苦痛の香りには敏感だった。
しかも面白いことに、その香りには個人差がある。ここ数日を優のストーキングに費やしている彼/彼女にとっては、この香りはもはやなじんだものになっていた。
その嗅ぎ慣れた香りが、むせるほど行く手から漂ってくる。
つまり優は今、気が触れんばかりの苦痛に見舞われているということだ。
ツバキの中の彼は、それを楽しんでいた。自分の悩みの種が死より辛い経験に見舞われているのだ。これほど愉快なこともあるまい。
しかしツバキの中の彼女が、それに負けぬ勢いで苦痛を与えてくる。その焦りはまさに炎が身を焦がすほどに強く、こうして嫌がらせとして廊下をゆっくりと進む事くらいしか抵抗の方法がない。
ようやく部屋の前にたどり着くと、彼は廃屋のように荒れ果てた室内へと足を踏み入れた。
部屋の中で、優の背中が膝を屈していた。その向こうで、少年達を背後に従えた老婆が優から仮面を引き剥がしている。
ツバキの中の焦りと怒りが、もはや耐えがたいほどの轟炎となった。彼は苦痛に顔を歪めつつ、自らも激しい怒りを感じていた。
なぜこのようなつまらぬ存在に、ここまで拘泥させられねばならんのか!
老婆がこちらに気付き、プラスチックの面を持った手を下ろした。彼女の顔には驚愕の表情が浮かんでいる。
ツバキは顔をしかめた。あまりに不快な臭いだ。この老婆からは、恐らく全次元で共通であろう側溝で腐敗する泥の臭いがする。
「お、おまえ、なぜここに居る」
老婆は無礼にもこちらを指差してくる。
彼は腕を組み、開いた襖のへりに背中を預けた。
「事がすむまで邪魔はせぬ。さっさとその小僧を始末せい」
苦痛で目の前が歪むが、構うものか。それに彼は感じていた。彼女は怒り、焦りながらも、死に直面しているこの塵芥のような少年の事を信じている。
彼の中で新たな悪感情が涌き出る。だか彼にはそれが何なのか理解出来ない。
老婆はこちらに目を向けつつ逡巡していたが、やがて意を決すると、懐から短刀を取り出して鞘から抜き払った。その直後だった。
凍りついていた優の体が突然に動き、その手の木刀を逆手に振り上げると自らの足に突き立てた。
優は苦痛の叫びを上げつつ、再びこの現実に戻ってきた。彼は荒い息で肩を上下させながら血のついた切っ先を畳に突き立て、木刀に身を預けて立ち上がった。
老婆は目の前に起きたことに驚愕し、短刀を取り落とした。
彼女の背後に並ぶ少年たちも驚きは同様だった。彼らは怯えのあまり後ずさり、そのつま先は逃走する方向に向かっていた。
「ありえぬ・・・ただの子供が、助けもなしに戻ってくるなど」
優は大量に流れてくる汗に目をしかめながら、老婆に向かって言い放った。
「ナギと・・・ナミを・・・そこの子供達も、開放しろ!今すぐだ!!」
老婆は後ずさりながら、カクカクと壊れたからくり人形のように頷いた。
「わ、わかった。たった今、縁を切った。だからもう、ここから出ていっておくれ」
「・・・嘘じゃないだろうな」
「信じておくれ!!」
「嘘だったら、僕はもう容赦しない」
優は繰返し頷く老婆を睨みつけた。
長い沈黙が続いた。やがて優は決心したのか、短刀を部屋の隅に向かって蹴り飛ばし、肩を落として老婆に背を向けた。
その視線がツバキの姿を捉えた時、彼の顔から一切の表情が失われた。
「ツバキ」
彼は呟くように、彼女の名を呼んだ。




