*5*
薄暮の中、峠に点在する民家の窓から、ぼんやりとした光がもれている。
それらを縫うように続く道を、被り笠と木綿の着物という古風な姿をした二人の子供が、手をつないで歩いていた。
雪に覆われた道に通る車はなく、二人のわら靴が作る足跡だけが点々と続く。
あたりは耳が痛くなるほど静かだ。雪が降り積もるかすかな音と、それを踏みしめる二人分の足音が響くのみ。
二人のうち一人は、青い着物を着込んだ男の子。年の頃は8つくらいだろうか。背中に大きなつづらを背負っている。漆黒の髪はおかっぱで、そのりんごのようなほっぺたには、先ほどぬぐった鼻水が糸を引いている。
一人は、赤い着物を着込んだ女の子。左手にまっすぐな木の棒を持ち、それを杖にしている。年の頃は男の子と同じくらいだ。
二人はどうやら双子らしい。女の子の長いまつげと男の子の少しだけ太い眉毛が、二人の間にわずかな違いをもたらしていた。
二人はやがて峠道をそれ、山の中に続く道を歩き始めた。
でこぼこした雪道は非常に歩きにくそうだが、それを難なく越えていく。
30分ばかり進んだだろうか。二人は森の中の空き地に立っていた。
男の子は背負っているつづらを地面に置き、その中に手を突っ込んだ。
引き抜いた手には能面がつかまれていた。コミカルな表情の猿の面だ。
女の子は、手に持っていた杖で雪の上に人の形を刻み始めた。
それが終わると、男の子が人形の頭部にあたる部分に猿面を置いていく。
こうして、つごう三体の猿面をかぶった人形が雪に横たわった。
女の子は笠を脱いで三体の頭側に立つと、杖を地面に突き立てた。男の子も同様にして、逆の足元側に立つ。
二人は空中に文字を書くような仕草をしながら、小さく何事かささやき始めた。
それが30分ばかり続いただろうか。二人は疲れ果てたように手を下ろした。
あたりは完全に真っ暗になっていた。女の子は杖を手に取り、男の子はつづらを再び背負うと、再び手をつないで空き地を出て行った。
後には、雪に横たわる人形が三体残された。
*
「う、ううううう・・・」
ツバキは瀕死の表情を浮かべていた。三白眼がいつにも増して怖い。
そこはバスの中で、ツバキは二人掛けの窓側に座って喘いでおり、優はその隣に座って彼女の背中をさすっていた。もう既に1時間近くこうしている。
優はしみじみと言った。
「弱点が、まさか車だったとはなあ」
「う、うるせえ・・・自分で運転する分には、平気なんだ」
「自分で運転して酔う奴はそんなにいないよ。というか、中学生が運転したらだめだろ」
「・・・う・・・うぉえ」
ツバキの上半身が、優の膝の上に覆いかぶさってきた。
頭の後ろで一つにまとめた長い黒髪が流れ落ち、心地よい香りが鼻腔を通り抜ける。優の心臓が大きく脈を打った。彼は慌てて彼女の上半身を抱き起こし、その華奢な背中をとんとんと叩いてやる。
それがいけなかった。ツバキは決壊した。
惨事からだいたい20分後。
下半身からすっぱい臭いをさせながら、優は雪に覆われた石の階段を見上げていた。
山奥へとつづくそれは、木々の暗いトンネルの中を真っ直ぐに伸びている。
「この先に、ツバキの家があるの?」
ツバキはさすがに気まずそうな顔をしていた。
「家っつっか、実家な。オレん家はこんなド田舎じゃねえから。バスが辛ぇんであんま来たくねえんだよな。・・・てかよ、バスってなんであんな臭ぇんだ?あれで酔わねえほうがおかしいだろ」
彼女はボヤきながら階段を登り始めた。優は荷物を背負いなおし、それに続いた。
「ゲロのほうが臭いよ」
「うっせえな!悪かったよ!」
「そんな苦しむなら、こんな遠くにわざわざ来ないで、ツバキがいつも練習してるとこで良かったのに」
「オレはガキんころ、ここで修行したんだ。今思い返しても、そんときが一番伸びたんだよ。ここで練習すんのはきっと意味がある」
優は、胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じた。
「・・・ありがとう、ツバキ。がんばるよ」
ツバキはそれには無言のまま、登る速度を早めた。
「無理無理」
「これも修行だ!」
*
15 分くらい登ると、大きな建物の屋根が樹木の向こうに見えてきた。安心したのも束の間、あれは客が使う建物だから違うと宣告された。
そこから一時間近く登り続けて、優はすでに修行を終えた気分になっていた。両膝が大きく震え、手をそこに置いてゼェゼェと息をしている。
対するツバキは全く平然としており、息も乱れていない。バスで見せた姿が嘘のようだ。
ようやく階段が終わった先には、こじんまりとした平屋が夕日を浴びて建っていた。優は何とか視線を上げて、それを観察した。並々ならぬ古さが見てとれる建物だが、庭の造りも含めて深い趣が感じられ、清潔感に溢れている。
ツバキは無造作にその門をくぐると、呼鈴を鳴らすこともなく玄関の引き戸を開け、隣に立つ優の背中を押した。
「ほれ、さっさと入ろうぜ」
*
借りた浴衣に着替え、優は縁側に面した居間の掘りゴタツに体を埋めていた。
彼に対面しているのは一人の老婆で、優の顔を見ながらニコニコとしている。またも小さく可愛らしい妖怪といった感じだが、年齢を感じさせないほど姿勢がよく、まっすぐな背筋でしゃんと座っていた。
こんなにジロジロ見られたら落ち着かないものだろうが、何故かあまり気にならない。
自己紹介で、彼女は自らを道志カエデと名乗った。ツバキは彼女をばあちゃんと呼んでいた。
どうやってあの階段を登り降りしているのか不思議だ。だが彼女はあのツバキの一族。二階に登る階段くらいの勢いで、あれを普段使いしている可能性がある。
「たいへんですね」
唐突に老婆が口を開いた。優は微笑んだ。
「いえ、自分で望んだ事ですので。ツバキさんには感謝してます」
「そちらもまた、たいへん、たいへん」
老婆の言葉に深い意味は無いのだろうが、何故か妙に心配な気持ちになってくる。優は口を開きかけた。
その時、ふすまを開けてツバキが入ってきた。手には茶と菓子を乗せた盆を持っている。
ツバキはらしくない甲斐甲斐しさでそれを並べると、自分もコタツに足を入れた。彼女は微笑みながら言った。
「もう遅いし、修行は明日からにしましょう」
誰だお前は。
唖然とする優の足に、何かが当たった。
ツバキが無言の圧力を放っている。
「う、うん。分かったツバキさん」
「あとで部屋に案内しますね」
「・・・お願いします」
そんな二人のやり取りを、老婆は相変わらずニコニコと眺めていた。




