どうもこんにちは、死神です――。
おかしい。どう考えてもおかしい。
だがまあ良い。この状況が幸せ過ぎてたまらない。
俺の名前はフユキ。十七歳。薄紫の天然パーマに、百八十五の長身が特徴の非童貞――なのかどうかは正直よく分からないが、理由は後にしよう。
俺はパソコンでネットサーフィンをしながら、我ながら気持ち悪いくらいニヤニヤしていた。
俺が今、というより最近気持ち悪いくらいニヤニヤしている理由は、俺の右隣にある。
黒い短髪に、ルビーのような赤い瞳を持つ美貌。雪のように白い肌。豊満な乳を持つその肉体は、今パーカーで覆われている。
外見年齢は俺と同じくらいだ。だがこの少女は人間ではない。
この少女は死神界から来た死神、らしい。ホントの所はよく分からないが。
「フユキ~、今日はいつする~? そしてどんなプレイする~?」
にこやかに笑いながら、死神が問う。
「うーん。でもたまには休みたいかなあ。
昨日もハード過ぎてヘトヘトでさ」
「えー。あれでヘトヘトなの~?
ちょっと最近欲求不満かなあ」
「どんな感じなら満足するんだ・・・・・・?」
――と、俺と死神は周りが聞けば意味深な会話をしているが、多分容易に想像出来るものだ。
これが日常になったのは、四ヶ月くらい前の事だ。
◇◇◇
四ヶ月前。
俺の好きな人に彼氏がいて、既に処女卒業していた事が発覚した。
俺はそれを知り、その想い人との関係の一切を断った。
無論、俺は死にたくなった。今すぐ殺して欲しい、そんな気分だった。
布団に俯せになり、もう何もかもがどうでも良い、などと思った時の事だ。
俺の部屋の天井が光りだし、そこから一人の少女が出現する。
その少女は全裸で俺の下半身にのし掛かり、真っ直ぐに俺を見ながら言う。
「呼んだ?」
今こいつは、俺が自分を呼んだかどうかを訊いている。
だが俺はこんな少女を呼んだことは疎か、会ったことすらない。
「いえ、呼んだ覚えはない。というかお前は誰だ」
「死神だよ」
――――。
・・・・・・聞き間違えか?
間違いが無ければ、こいつは自分を死神とか言っていたような気がするが。
もう一度同じ質問をしてみる。
「もう一度訊こう。お前は誰だ」
「死神だよ」
どうやら俺かこの少女のどちらかに、脳の障害があるようだ。
俺はのし掛かられた状態のまま、右手を少女の肩に乗せながら言う。
「今から親にバレないように病院に行こうか」
「あのひょっとして、バカにしてる?」
「ひょっとしなくてもその通りなんだが、反論はあるか?」
って、そこじゃないぞフユキ。
問題はこいつがどういう方法で、ここまで来たのかを知らなければ。そうすれば、こいつが死神というのも強ち嘘とは言えないかも知れん。
俺は少女の反論を待たずに、次の質問を繰り出した。
「えーっと、じゃあ質問を変えよう。
どうやってここに来た?」
少女は首を傾げながら答えた。
「うーん、私が死神というのも信じて貰えないのにこの話をしても、嘘に聞こえちゃうかも知れないけど、君の心が私を呼んだんだよ。だって君死にたがってたし」
あれ、心を読まれてる?
――もしかしてこいつホントに死神なのか?
「どうやら俺の本心を知っているみたいだし、一応信じてやろう。
そんで、その死神が俺に何の用なんだ?
魂を取るなら好きにして構わないけど、それなら存在ごと消してくれ」
「私は君と契約をしにきたんだよ。
君、確か最近フラれたんだよね?」
「うるせえ。それは相手にたまたま相手がいただけだまだフラれたと決まったわけじゃ」
「フラれたんだよね?」
「はい・・・・・・」
笑顔で訊くこの死神がうぜえ・・・・・・。
「そこで私は、そんな君の為に、私のお願いを聞く代わりに、願いを叶えてあげる」
願いだと?
「それは高三の卒業式の後に、君の魂を差し出して貰う代わりに、私を好きにする権利をあげることだよ。
だから、デートしても構わないし、性交でも良いよ?
因みに処女だから、君の欲しいものが全部手に入るね」
そういう言い方されると、俺が処女以外受け付けないクズ野郎みたいに聞こえるんだけどなあ。
まあでも、悪くはないな。
少しだけ幸せを感じてから、死神に命を取られ死ぬ。最高じゃないか。
この時は、そう思ってた。
「ああいいよ。その契約、乗った」
少女は微笑んだ。
「あ、そういや自己紹介してなかったな。
と言っても、心読めるから知ってるんだろうけど。俺の名前はフユキ。お前の名前は?」
「名前かぁ。あるにはあるけど、この世界の人間には発音出来ないよ?
だから、君の好きに呼んでもいいよ」
名前かぁ。俺は昔からネーミングセンスが皆無なんだよなあ。取りあえず思いつきで。
「じゃあ、お前は今日からメサイアと名乗れ。
分かったな? メサイア」
俺は死神に救世主を意味するメサイアと名付けた。
「分かったよ、フユキ。
じゃあ契約成立ということで、服を脱がせちゃうね」
そう言ってから、俺がメサイアと名付けた死神は服を脱がす。
勿論ズボンも、だ。
「え? 今からするの?」
「いいじゃん! じゃあ行きますよ・・・・・・」
「うわあーーーーーーーッ!」
これが俺の初体験の日、そして同時に死神と契約した日だ。
◇◇◇
そこまで思い出してから、俺は目を開けた。
「もしかして、私と初めて会った日の事思い出してたの?」
「ああ・・・・・・」
さっきまで高かったテンションが、少しだけ下がった。
俺は契約したあの日の事を時々忘れてしまう。この幸せな日々は、高校卒業後の死と引き替えであることを。
だから、あと一年と九ヶ月くらいで終わってしまうということを思い出すと、テンションが下がる。思い出す度に、死が近付くのを感じる。
本当に、本当にこれで良かったのかな。
契約をせず、諦めないで現実で愛する人を見つけるという手もあったのでは・・・・・・。
だが心にいるもう一人の自分が言う。
――今更努力した所で報われない。それは他ならぬ自分が、一番良く知っているじゃないか。
「なあ、メサイア」
「どうしたの? フユキ」
「やっぱなんでもない・・・・・・」
無意識に下を向いていた俺は、顔を上げ、再びパソコンのキーを打ち出す。
以後、俺とメサイアは一切会話しなかった。
◇◇◇
それから暫く経ち。俺は進級し、高校三年生になった。
死神との約束まで、あと五ヶ月。
契約当時はあまり感じなかった、死への恐怖が少しずつ大きくなっていくのを感じながらも、何とか俺は生きていた。
「なあ、お前以外にも死神っているのか?」
「いるよ。ただ、その死神と契約した者と契約する権利を有した者にしか死神は見えないから、君が見えるのは私だけだよ」
パソコンのキーを叩きながら、次の質問をする。
「他の死神も、お前と同じように死と引き替えに願いを叶えてあげてるのか?」
「そうだね」
「じゃあ、死神ってなんで魂を取るんだ? 取ってそれで何をするんだ?」
「そうだねぇ、死神は基本的に一人の人間に取り憑いて、その人間の死と同時に一旦死ぬんだけど、別の死神に生まれ変わって別の人間に取り憑くために人間の魂が必要なんだよ」
「へー」
やっぱり分からん。まあ死神の常識を分かろうとするなど無理ということだな。
「それより私の方から気になることがあるんだけどさ」
「なんだ?」
メサイアから質問をしてくるのはかなり珍しい。
「フユキってさ、失恋して死にたいって願いで私を呼んだわけだけど、前に君が誰かに言ったのを聞いた気がするんだ。
『いつか運命の人を見つけられるなんて考え方は捨てた方が良い。そんな考えが通じる程この世界は優しくないんだ』って。
なんでそう思うの?」
俺が、一番聞かれたくないと思っていた質問。
――この少女と契約する前の、二度の失恋経験が頭を過ぎる。
容姿にも、才能にも恵まれず、一人の異性を愛する権利すら、この死神では無い、傍観を貫く神は与えてくれなかった。
それを俺は、二度経験している。二度も失恋しているのなら、もう俺が幸せになろうとしても、神はそれを許してくれないだろう。
俺は思った。
どうせ幸せになれないのなら、愛した者の恋路を邪魔しないように、格好良く死にたいと。
二度の失恋を経験した俺は、ある人に今メサイアが言った言葉をそのまま伝えた。
俺はため息をつき、それから口を開く。
「この世界の神は、お前のように自分から命を奪うことも無ければ、お前のように自分から人を幸せにしたりもしないからだ」
いくら努力しても、テストで最下位から抜け出すことも出来ず。
いくら努力しても、足が一番遅いのは変わらず。
いくら努力しても、好きな人には振り向いて貰えない。
「そうなの?」
「ああ。だから、神は気に入った人間を幸せにして、俺みたいな気に入らない人間を不幸にする。不平等だろ?
お前達みたいに、命を奪うとはいえ、不幸な人間を助けようなどとは考えないわけだ」
「そっか・・・・・・」
メサイアは下を向きながら呟く。
「これで済んだか?」
「うん」
こくりと頷きながら、メサイアは言う。
「これで分かった気がする」
「何がだ?」
「フユキの本心。フユキ。君の望みは多分、自分を含めた皆がそれぞれの幸せを手に入れて、誰も不幸にならないこと、じゃないかな?」
「――――ッ!?」
俺は考えていることをそのまま言われ、絶句した。
数秒の静寂の後、俺は口を開く。
「・・・・・・ああ、そうだよ。それが俺の願いさ。自分含めてこの世界の人間で不幸になっても良い人間なんて一人もいねえ。人は皆それぞれが求める究極の幸せを手にする権利がある。だけど自分勝手な人間と、好き勝手する神のせいで、それはいとも簡単に壊れてしまう」
そんな世の中だから、自殺する人は後を絶たない。
そんな世の中だから、自由に生きる事も、死ぬことも出来ない人は後を絶たない。
そんな世の中だから――。
俺はメサイアの方を向いてから質問する。
「逆にお前はどうだ?
この世界をどう思う?」
「私は君以外には見えないから、他の人間と直接会話するのは不可能だけど、確かに苦しむ人間はいるって事は分かるよ。でも、努力は報われるものなんじゃないかな?
今からでも遅くない、契約解除して、人間の彼女を探す努力をしても良いよ?」
「契約解除?」
メサイアはどこからか、白い紙を取り出すと、それを俺に渡した。
「この紙にサインすれば、命を明け渡す契約も無しになるけど、私も死ぬ。
転生には人間の魂が必要だから、これにサインした場合私の魂もここで消える。
どうするかは君に任せるよ?」
契約、解除?
確かにこれにサインすれば、前から感じていた死の恐怖は無くなることだろう。
だが解除すればどうなる?
また俺はフラれた頃の自分に戻らなければならない。
「嫌だ。
努力は報われないとあれほど言った筈だし、ここで解除したら俺はあの時の俺に戻ってしまう」
「フユキ・・・・・・」
こう言いながらも、俺はメサイアを正しいと思った。
メサイアの感性は、どこか子供っぽいのだ。実を言うと、俺も小学生くらいまでは、努力は報われると信じていたのだ。
だが大人になっていくにつれ、努力ではどうにもならない壁を何度も感じてきた。
そこで悟ったのだ。現実は単純じゃない、と。
そんな世界を、俺は受け入れることは出来なかった。
「フユキ、あのさ・・・・・・」
「なんだ?」
何故か悪い事をしてしまったような顔をしながら言うメサイアに、俺は不思議な顔をしながら聞く。
「君が言う、その傍観を貫く神――本当は悪くないのかも知れない」
「――どういうことだ?」
俺が嫌いな神を肯定するような発言。だがふざけて言っているわけではなさそうだ。
何が言いたいのか分からず首を傾げながら、俺は次の発言を待つ。
そして、メサイアの口から放たれた言葉は。
「君を不幸にした神様の正体は――」
「私だよ?」
衝撃の事実だった。
「・・・・・・」
だが不思議と怒りは湧いてこなかった。思ったのは、謎に対する好奇心。
即ち。
「つまり――どういうことだ?」
「実は私――私という死神に生まれてから、君に見えないように監視していた。
それで、君が死にたいと思うように人生を誘導していたんだよね」
死神は真剣な表情で語る。
「なんで、そんな事をしたんだ?」
「なんで、だろうね。私にも分からないよ。
人間で言う所の、一目惚れみたいな感じだよ。私も、君が好きだった。
君を愛したかったんだ・・・・・・。おかしいよね、死神が仕事以外で人を愛すなんて。
だから私が君を愛してるのは、君が望んだからじゃない。
私が君を好きだから、なんだ。だから本当は、君の魂を奪うなんてしたくないけど・・・・・。
それは契約解除する以外では出来ない。解除すれば、私は死んでしまうし。
契約違反をすれば、死神界のお偉いさんが世界を滅ぼしちゃうし・・・・・・」
メサイアは泣いていた。
いつも笑顔に溢れていたメサイアが、だ。
「私は、どうしたらいいの?」
懺悔するように、頭を下げながらメサイアは言う。
「分かんねえよ。
何が正しいかなんてよ。一応教えておくが、この世界に絶対的な正義と悪は存在しないんだぜ?」
「え?」
泣きながら不思議な顔を浮かべるメサイアに、俺は続ける。
「じゃあ聞くけどよ。恋人の為に九十九人を敵に回す奴と、九十九人を守る為に前者と戦おうとする奴、どっちが正しいかお前に分かるか?」
「えーっと・・・・・・」
長考するような姿勢を見せるメサイアの回答を待たず、俺は言う。
「それで良い。
人間は皆、己の考える事を正義と信じているんだ。だからもしお前が本当に俺の事を、好きなんだとしたら、自分のする事を全て正しい事だと思え。
契約違反で世界が滅びようが知った事じゃない。問題は自分が信じるものを、何があっても守り通せるかだ」
メサイアは顔を上げた。
「さっきも言ったが、俺の知っている神は気に入った人間しか助けない。
守りたいものがあるなら、自分の力で守るんだ」
「え? じゃあフユキは、この世界消えても良いの?」
初めてだ。
俺は自分を幸せにしてくれた死神から、自分の命と世界、そして解約のどれを取るかを選ばせているわけだ。
だが、答えは決まっていた。
「別に構わない。お前の好きにすればいいさ。
俺はこの世界に興味なんて無いしな。選ばれた人間しか幸せになれない世界なら、いっそ滅んでもいいんじゃないか?」
他の人間が聞けば、怒号が飛んだり、異常だと思ったりするかも知れない。
だが俺の中に、もうメサイア以外はいない。他の人間が滅ぼうが、もうどうでも良かった。
◇◇◇
かなりの時間が経過した。
そして、明日はXデーでもある。
メサイアが、俺を殺すか。それとも、契約違反で死神界の者に世界を滅ぼされるか。
今日はメサイアに着いてこないように言ってから、公園でベンチに座りながら夜空を眺めていた。
右手は、あるものを握っている。
それは、とうの昔に捨てたと思っていた品だ。
メサイアと契約する前に、彼氏を作り、俺が一切の関係を断った想い人の写真。
それを持ってきたのも、メサイアに着いてこないように言ったのも、今日で人生を振り返る為だ。
俺は夜空を眺めるのをやめてから、自分の体を見た。
契約する前の自分とは違う。別に死神に命を奪われる前兆が現れた、というものでは無い。
まず、右腕は母親にも心配される程刃物で切った傷が付いていた。
誰かに付けられたわけではない。死への恐怖を和らげる為に行った自傷行為によるものだ。
この日が近付く度に、自傷行為の頻度は増していった。
今からでも契約解除は出来るが、それではメサイアを傷付け、同時に俺を不幸に叩き落とす行為だ。
そんな事が出来る筈もない。メサイアに心配されないように、自傷することでこの日まで生きてきた。
その自傷の痕があるのは右腕だけではない。
右腕だけでは物足りなくなった俺は、次に自分の右目を切り、視力を完全に失った。
このまま解約しなければ、明日にでも世界が終わるか、俺一人がメサイアに殺される。
もう、取り返しが付かない所まで来てしまった。
「なあ、死神じゃない本物の神様・・・・・・。
なんで、こんなことになったんだ? なんで俺とメサイアを苦しめるような真似をしたんだよ?」
昔から俺は、神は天にいると信じていた。
だから夜空に向かってそう呟くが、答えは無い。
夜空にいくら語りかけた所で、何も返ってこない。それを知りながらも、俺は続けて呟く。
「見てねえで、言えよ。何とか言えよ」
そして俺の中で、何かが壊れ。
「答えろよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
気付けば、俺は大きな声で夜空に叫んでいた。
「なんで俺はこの世界で生きなきゃならなかったんだ? そのせいで一体俺がどれだけ苦しみ、そのせいでどれだけの人が苦しんだ?
お前が俺をこの世界で生まれるようにした為に、メサイアが苦しみ、メサイアは俺と他の人間を不幸にせざるを得なくなったんだぞ!
そんな事をして、何が神だ! いっそてめえが作った世界なんざ滅べばいいんだよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオッ!」
叫び散らした喉が、悲鳴を上げていた。
――いつからだろう。
俺はその時、涙を流していた。
十八歳の、眼に眼帯を付け、右腕に包帯を巻いた男が。
恥というものを忘れたのか、ただ泣いていた。
「・・・・・・・あれ、おかしいな・・・・・・。涙なんて、最近流したことないのにな・・・・・・」
一度目にフラれた時も。
二度目にフラれた時も。
泣かず叫ばす、ただ落ち込んでいただけだったのに。
こんな時になって、まさか泣くことになるなんて思わなかった。
「やっぱり、君って優しいよね」
それはメサイアの声。
俺は涙を拭い、顔を上げた。
「メサイア・・・・・・」
「やっぱり私決めたよ。世界は滅ぼさせない。
君と私が一緒にいる為には、この世界の存在は必要だし。
だから、最後の最後まで、上に抗ってみせるよ」
メサイアが差し出した小さな手に触れて、俺は立ち上がった。
「出来るのか?」
「分からない。
それにね、明日君にもう一度信じさせてあげたいんだ。
頑張れば、どんな不可能だって可能に出来るってことをね」
俺はそれを聞いて、小さく笑った。
「そうか。なら頼む。
俺にもう一度、不可能を可能に出来るって事を信じさせてくれ」
死神は微笑みながら、こう言った。
「仰せのままに」
◇◇◇
遂にその日が来た。
卒業式を終え、俺とメサイアは学校の屋上で天を見ていた。
契約していた時間から、既に五十分が経過し、そろそろ一時間になろうとしている。
メサイアは俺の為に、死神が使える必殺技らしきものの特訓をしてきたらしい。
よく見ると、俺が契約した次の日に渡したパーカーが、所々ボロボロになっているのだ。
その背中を、俺は格好いいと感じた。
最初はただの、俺の欲求を満たす為の道具としてしか見ていなかったが。
今は違う。俺は本当にメサイアが『好き』だ。
何をしてでも俺を手に入れようとし、この世界の神と、自分より上の存在に抗おうと必死になっている。
そして、俺と共に生きる為に。
メサイアは死神の王らしき者を倒せば、俺が死ぬまで生きる。もしかしたらそれ以上。
だけど俺はその戦いに手出しは出来ない。
「そろそろ、来るよ」
そう呟いた瞬間。
俺とメサイア以外の全ての時間が止まった。
時間停止の影響で赤く染まった空から、五体の死神が出現する。
「契約違反を、したな?
その男はこの日に死ぬことを望み、お前と契約した筈だ。
何故だ?」
真ん中の死神がメサイアに訊く。
「ええ。違反した理由は、私とフユキの日常が、この日で終わることを認めないからですッ!」
メサイアがそれを言うと同時、四体の――恐らく死神界最強と言われているであろう者がメサイアに接近する。
対するメサイアは、眼を閉じていた。
何のつもりか分からず、ただ見ていたが、次の瞬間メサイアは口を開く。
「死神投剣・・・・・・」
そう呟くと同時、メサイアの近くで四つの闇色の刃が出現した。
ミサイルのように、それは四体の死神に飛んでいき。
死神はそれを喰らうと同時、爆散した。
残った一人――多分死神の王らしき人物が、それを見て驚いた顔をしている。
「・・・・・・まさか。ただの死神にそんな力があるわけ・・・・・・」
「私は、フユキに自分が信じ、そして愛するものが正義だと教えられた。
だからもう、貴方達を殺す事に後悔は無い!」
「ほざけ! 私を殺せば死神は滅ぶ!
私を殺した所で、お前はそいつと一緒にこれからも生きるなど不可能だ」
その言葉を聞いて、メサイアの顔が歪んだ。
メサイアが消える?
そしたら俺は、メサイアがいない頃の自分に?
それは嫌だ。嫌だ。
「メサイア・・・・・・」
「・・・・・・・構わない。それでも私は貴方を倒します!
フユキは死なせないし、この世界は滅ぼさせない!」
メサイアの右拳が闇色の光を帯び、それは長剣へと変形した。
長剣を握りながら、メサイアは瞬間移動に等しい速さで、死神界の長らしき人物に接近し、剣を振り上げる。
剣が闇のスパークを発生させ、それが最大になってから、メサイアは大きな声で技名を叫んだ。
「死神兜割!!」
メサイアの闇の剣が、容赦なく死神の長を一刀両断する。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁッ!」
死神の長は悲鳴を上げながら、先の死神と同じように爆散した。
そして爆発が収束すると同時、闇の剣を消滅させたメサイアが、透過しながら俺に接近したのだ。
俺の近くに着いた時には、もう彼女の体はほぼ見えなくなっていた。
残った左目で、彼女から視線を逸らさないように見る。
「本当に、消えちゃうのか?」
「うん・・・・・。そうみたいだね・・・・・・」
気付けば、もう彼女の足が無くなっていた。
続いて腰も。腕も。
全て消えてしまいそうになっていた。
「フユキ・・・・・。これで証明したよ。努力すれば、どんな不可能だって可能に出来る。
そうでしょ? 実は知らない所で鍛えてたんだ。でも、君と一緒に生きる夢は叶わなかった・・・・・・」
昨日の夜と同じように、俺は再び涙を流していた。
別れる時くらい、泣きたくなかったのに。
「我慢しなくていいんだよ。泣きたい時は、泣いていいんだよ?」
「ああ。もう我慢しない。
努力が無駄なんて、二度と言わない」
「じゃあね、フユキ・・・・・・」
それが、メサイアの最期の言葉。
その言葉を残し、メサイアはその姿を消し。
パーカーだけが、その場に残った。
同時に世界の時間が動き出した。
俺はその瞬間、メサイアが消えた事を忘れようと心に『忘れろ』と呪文を唱えようとした。
だが――。メサイアを傷付けない為に行った自傷で出来た傷は消えない。
右目は視力を失ったままだ。
「なんでだよッ! なんでだよッ!」
神はまた、残酷な事をした。俺とこの世界の人間は生き残ったが、俺とメサイアの願いは叶わなかった。
こうなるくらいなら、死ねば良かった。そう俺は感じた。
ポケットに隠し持っていたナイフを取り出し、俺は一思いに自殺しようとする。
その時、だ。
俺の眼前に、眩い闇色の光が照らし出された。
天上から光線で打ち抜くような光だ。
その光から、あるモノが出現した。
それは、一冊の本。
黒い表紙で、分厚い。タイトルは、アルバムと英文字が綴られている。
それが何なのかは、何となく見当は付いていたが。
俺はそれを自傷で傷まみれの右手で拾い上げ、一ページ目を開く。
まず、俺がメサイアを心から呼んでくれた日。俺と結ばれる為に、俺を不幸にしてまで会おうとしたメサイアにとっては、最も嬉しかった日だろう。
あの時全裸でやってきたメサイアを見た時は、俺も驚いた。
次のページ。俺が初めてメサイアと東京にデートに行った時の写真。さっきから思ったが、どうやって撮影しているのか疑問に思ったが、死神だから何でもありだな、と気にしないようにした。
基本死神は契約者にしか見えない。だからカメラにも写らず、文字以外でしか思い出を残すことが出来ない。文章を書くことが苦手な俺には、日記など続けられない為断念していたから、一切の思い出を残さなかった。
どんどんページを読み進め、最後のページは。
俺とメサイアが、初めてキスした日の写真。
そして最後には、メッセージがあった。
『dear フユキ
君がこれを読んでいるってことは、世界は崩壊せず、私も魂ごと消えていると思う。
まず、一つだけ謝らせてね。
実は私、死神の王を消したら自分も消えちゃうってこと、前から知ってたんだ。
だから隠しちゃった。ごめんね。
でも、これで分かったでしょ。努力すれば、自分より上の存在がいても、大丈夫だって。
神様は、決して努力する人を見捨てたりはしないって。
そして何より、私の我が儘に、君を付き合わせちゃってごめんね。
君と会えて、私は本当に幸せだった。
例え自分が消えたとしても、私は幸せだから。
でも、君は生きてね。生きて、私の邪魔が無い世界で努力して、私と同じくらい大切な存在を見つけてね。
本当に、本当に愛してるよ
あと、名前をくれてありがとう。
メサイア』
そのメッセージの上に、何粒もの滴がこぼれ落ちた。
でも不思議と俺は、笑っていた。
「はは・・・・・・」
十八歳、人間相手では童貞。まだ若い。希望はある。
アルバムを閉じ、俺は立ち上がり。
屋上を後にした。
俺の人生は、まだまだ始まったばかりだ。