幕間 カガリの事情
「行っちまったな」
「そうですね」
片手にエールの入ったコップを持ったイゴールの発言に、いつも通りの笑顔を浮かべながら答えるカガリ。
先ほどまでここにはユーリたちが挨拶に来ていたのだが、特に話すこともないのでそれは短いやり取りで終わった。
そして、カガリはいつもの仕事に戻ろうとしたところにイゴールが近づいてきたという状況だ。
「良かったのか?」
「何がですか?」
「ユーリの事、気にしてただろ」
「…………」
イゴールの言葉に少し驚くカガリ。表情は笑顔のままな為、普通ならばカガリが驚いたことにすら気づかないだろう。
「よく解りましたね」
「まあ、お前さんとも付き合い長いしな」
イゴールとカガリが最初に出会ったのはもう十年も前の事だ。かつて、冒険者としてそこそこ調子の良かったイゴールが、受付にいたまだ幼い少女だったカガリにコテンパンにされた。そんな出会いである。
それからイゴールはギルドよりの冒険者になり、今の二人に至る。
「そんで? ユーリのどこを気に入ったんだ?」
「気に入ったというか……」
カガリは一瞬告げるべきかどうかを悩む。しかし、まあ言っても問題ないだろうと判断し、素直に答えた。
「そうですね。ユーリさんと私は同じですから」
「同じ?」
「ええ」
カガリの脳裏に浮かぶのはかつて自分が生きていた日本という国の事。あまりいい思い出は無いが、それでも懐かしいと思うことはあるし、同郷の思い出を語る相手が欲しいと思うのも事実で、ユーリに仲間にならないかと聞かれた時はそれも魅力的であると迷ったのも確かだ。
ならば何故ユーリに声をかけなかったのかと問われると答えは一つで、ユーリが厄ネタを抱え込んでいたからだ。
黒き腕と呼ばれる奴隷商人たちがユーリとセラらしき人物を探しているという情報はすぐに入ってきた。そして、カガリはそれに巻き込まれる事を嫌ったのだ。
薄情と言うかもしれないが、カガリは今の生活を気に入っていた。前世と違い今の仕事にはやりがいも感じているし、イゴールのように付き合いの長い友人もいる。それを失うリスクを犯してまで、声をかける勇気も頷く勇気もカガリにはなかった。
頷いたきり黙ったままのカガリに、これ以上その事を話すつもりが無いのを悟ったイゴールはやれやれと残っていたエールを一気に煽った。それを見て、カガリが言う。
「それ、飲み終わったら仕事に行ってもらいますよ」
「飲み終わったのを確認してから言うなよ……。ま、そんじゃ今日も一働きしてくるか」
空になったコップを置き、支部を出て行くイゴール。その背中に、カガリは声をかけた。ユーリたちにかけたのと同じ言葉を。
「気をつけてくださいね」
「あいよー」
イゴールは振り返らずにひらひらと手を振りそのまま去っていった。彼の今日の仕事は住民に頼まれた荷運びである。力持ちで体力のあるイゴールにはぴったりの仕事だ。
「本当に気をつけてくださいね、ユーリさん」
イゴールを見送ったカガリがポツリと呟く。罪滅ぼしというわけではないが、別れ際にセラに渡した紙にはユーリたちを狙っているのが黒き腕である事を書いておいた。
転生者であるユーリは知らないだろうが、その辺はアリアがフォローしてくれるだろう。
「あのー、すいません」
声をかけられ思考を中断するカガリ。同郷者であるユーリと天秤にかけてまで守った日常だ。ならば、せめてその日常を大事にしなければ。
そんな思いを抱きながら、カガリはいつも通りの笑顔で、声をかけてきた人へと答える。
「はい、なんでしょうか?」
こうして、今日もカガリのリオネルでの日々は続いていく。いつか奇跡的に再会出来たなら言いたい事を、その胸に秘めながら。
カガリがユーリの事に気づいたのは、その構え方からです。前世で幼い頃に空手を習っていたという裏設定。言うタイミングがなかったのでここで補足
ちなみに今のカガリの肉体年齢は二十代前半ですが、営業スマイル暦はベテランを超えております




