7.初めての夜
「リリ、戦場では何が起きるか分からない。出来る限り私が傍について君のことは守るけれど、不測の事態が起きてリリ一人囲まれることもない話じゃない」
「はい」
「だから、これから行う訓練では君に何も知らせず攻撃をしかけるよ。いざという時に身を守る術を探し出してほしい。護身術を教えるより、君の場合は神器の扱いに慣れる方が良いだろうから」
「分かりました、よろしくお願いします」
私の今後の予定が決まってから、兄様は私に訓練をしてくれるようになった。
危険が迫った時、私が少しでも自然と動けるようにと。
そこで改めて実感したことと言えば兄様が恐ろしく強いという事だった。
カンッと高い音が訓練場に響く。
兄様の剣と、私の結界の神器がぶつかる音。
イルの腕輪以外にも結界を張る神器は3つほど見つかった。
その中で最も相性のよかった指輪の神器を小指にはめて手をかざす私。
そうするとその手の前から横一線に強固な膜が現れる。
イルの腕輪とは異なり、こちら側からも透過不可能な完全壁のような結界だ。
「うん、急襲にも反応できるようになってきたね。しかし、まだ甘い」
「え」
兄様は私の張った結界に弾かれながらも動揺せず、剣の切っ先を私の方へと向ける。
正確に言うのならば私の右目を目指して。
間に膜があってもその威圧感と先の尖ったもので急所を突かれるような感覚にジワリと汗がにじんだ。
その一点に集中して力を入れる私。
「ハッ」
「え、なっ……!」
そうすると、次の瞬間兄様の後ろから3名の兵士が飛び出してきて、近くにいつの間にか置いてあった踏み台で高く飛ぶ。
……まずい、結界範囲を越えられる!
そう思って範囲を広げようとした私。
そうすると、今度は私に向けられた兄様の剣がパキパキと音を鳴らしながら結界の内に入り込んできた。
結界にも強度の限界があるということを知ったのは、兄様と訓練してから分かったことで。
まあ、今まで結界を破るのに成功した人物は兄様しかいないのだから、相応の強度はあるのだろうけれど。
慌てて強度を増そうと力を放出しようとしたら、今度は力のバランスが壊れて結界が一気に崩れだした。
パリンッと綺麗な音と共に目の前から消える結界。
「くっ」
低く唸って咄嗟にしゃがみ込むと、次に腰に差し込んだ扇を取り出して横一線に仰ぐ。
そうすると今度は私を中心として、強い風が発生した。
「うおっ」
「ぎゃああ、なんだこれ!?」
「ちょ、待てって!」
そんな声を聞きながら、とりあえず3人は何とかなったと判断する。
けれど、次の瞬間今さっきまで目の前にいた兄様の足が見えないことに気付く。
慌てて後ろを振り返ろうとした私は、その前にポンと頭を優しく叩かれた。
「良い線行っていたけれど、少し反応が遅かったね」
「うっ、今回はいけると思ったのですが」
振り返れば剣を片手に苦笑している兄様の姿が見える。
息ひとつも乱さず私に手を差し伸べて立たせてくれた。
そう、神器の力に慣れてしまった兄様に一切勝てない状況が続いている。
神器にも盲点があるのだと気づいてからの兄様は、表情一つ乱さずにあっという間に弱点をついて私を窮地に落とし込むのだ。
これでも神器の扱いはかなり上達し、普通の兵士ならば10人束でもなんとか対処できるようになっていた私。
それなのに兄様相手だと、こうはいかない。
希代の天才とまで称される兄様のすごさを、こんな時になって私は実感していた。
「いかに強い力をもつ神器と言えど、使い手が動揺すれば力は弱まる。動揺するような事態が少しでも減るように、常に周囲を見回して動きを見極めなければね」
「はい」
にこりと笑って兄様は私の頭を撫でる。
例のことがあってからも、兄様は変わらず私に優しかった。
いつだって穏やかに笑って、私の元に足繫く通って、そしてたまにおままごとのように愛をささやく。
戦がどんどん迫ってきて、今まで以上に忙しい日々が続いているにも関わらずだ。
クルクの挙兵が知らされてから、国の雰囲気は一変した。
出店で溢れていた城下街ではその大半が店じまいをし、荷物をまとめている。
建物の窓には侵入までの時間稼ぎにと強固な板が打ち付けられ、光が漏れないようにとどの家も幕がかかっている。
少しでも危険から遠ざかろうと国を出る人たちも後を絶たない。
そういう人たちは、ここよりも激戦が予想されにくい北部の町へと逃れていた。
軍事主義のクルクよりも、一応は大義名分をかかげているアギリアに近い町の方が安全だという判断だ。
悲しいことにこの国の人々は何度も何度も巻き込まれた影響で、戦慣れしていた。
恐怖や悲しみが消えるわけでは当然ないけれど、現実問題として戦がおきればどのような悲劇が起こるのかを皆理解している。
恐怖のあまり見て見ぬふりをする人はいないのだ。
現実に何が起こるのかその身をもって知っている手前、少しでも生存率をあげようと誰もが行動を起こしている。
ただでさえ裕福とは言い難い国ではすでに食料の取り合いが起きているらしい。
そして、辺境の地よりは王都の方がまだ安全だろうと城下に身を寄せる人もまた増えていた。
今日も不安のあまり城まで押しかけ情報を得ようとする人々のひっ迫した声が届く。
「……怖い、かい?」
無言で声の響く方を眺めていた私の後ろで兄様はそう静かに聞いてきた。
どうやら握りしめた手が小さく震えていることに、兄様は気付いているらしい。
そっと、私の手の上に自分の手を重ねてくる。
「少し、だけ」
少し虚勢をはってそう答えれば、小さく苦笑するような声が耳に届いた。
「そうか」と言いながらゆっくり労わるように私の手の甲を撫でる兄様。
「……今日は一緒に寝ようか、リリ」
少し続いた沈黙の後、兄様はそんなことを言った。
驚いて思わず振り返る私。
そうすると、相変わらず綺麗な笑みを浮かべるその人はそっとその手を私の頬へともってくる。
「心配しなくても良い、襲ったりはしないから。けれど、不安な時は誰かの温もりがあるだけで安心できるものだろう?」
「……襲ってくれても良いですけれど」
「はは、それをすると陛下に睨まれるからね。紳士でいます」
ふわりと、一瞬だけ額に感じたのは兄様の唇。
今までにないような接触に、こんな状況でも高鳴る胸。
気付けば、いつの間にか手の震えは収まっていた。
「おいで、リリ」
夜、いつもならばいないはずの人が私の寝台にいる。
しかも好きな人が。
兄様の寝衣姿すら初めて見るもので、私は挙動不審になりながら部屋の中央に立ち尽くす。
兄様の言葉を受けてギクシャクと手足を動かして何とか寝台までたどり着けば優しく手を引かれた。
「にににに、兄様……!近いっ」
「はいはい、いい加減慣れようね。私たちは婚約者なのだから」
「い、意地悪……っ、今日の兄様は何か意地悪です」
寝台に入ると優しく緩く抱かれて腕枕をされる。
こんな時でも兄様は動じることなく綺麗な笑みを浮かべていて、それが何だか悔しい。
「ちゃんと傍にいるから、安心してゆっくりお休み」
なのに、優しく響くその声に、ゆっくりと安心させるよう背を撫でてくるそのぬくもりに。
ドキドキしながらもうとうとと意識がまどろんでいく。
「兄様も、ゆっくり、寝られますか……?」
「うん?」
「私も、兄様のお役に……」
「……もう、十分すぎるくらいだよ。すまな……ありがとう、リリ」
最後の声までは聞こえなかった。
それは出立の2日前のこと、私は久しぶりに穏やかな眠りにつくことができた。