4.兄様の本音
神器を見極めると同時に、私の力を国に広める。
そのシリクス殿下の提案は、どうやら着実に効果を出しているらしい。
『おい、お前見たか!? 神子姫様の神通力』
『神子姫様? ああ、神の遣い様のことか』
『オレ、オレ姫様の力見たぞ! すっげーぞ、麦ダル10個いっぺんに宙に浮いたんだぜ』
『ああ? んなもん裏であの将軍サマが何かやってんだろが、神の遣いなんているかっつの』
『おま、そんなこと言うならいっぺん見てこいよ! 普通じゃねえって、あれは』
城下の、あの求婚劇があった広場で私はそんな声を拾う。
今手に持つものは白くて小ぶりな耳飾りだった。
手に取った瞬間に力が発動したそれは、ガンガンと遠くの声を大音量で届ける。
遠耳の神器だ。
「リリ? 固まっているけれど大丈夫かい?」
「うっ」
「え?」
「ご、ごめんなさ……ちょっとすれば落ち着きます」
ユーグ兄様が近くで心配そうに私を見つめている。
私の護衛と、あと婚約関係を広く知らせる意味合いもかねて、最近は私に付きっきり状態の兄様。
いつもならば心をほっとさせるその落ち着いた声ですら大音量だと耳に悪い。
ガンガンと頭痛でもしそうなほどの音量に一言返すのが精いっぱいだった私は、そこから5分くらいかけて神器を順応させていった。
これは神器の見極めを始めてから分かったことだけれど、どうやら神器にも色々と“性格”があるらしい。
たとえば力の発動の仕方ひとつとっても、バラバラだ。
触れれば発動するもの、思いを込めなければ発動しないもの、触れなくても近くにいれば勝手に発動してくれるもの、何パターンもある。
あからさまに光って自己主張する神器もあれば、一拍遅れて力を発する神器もあって様々だ。
そのひとつひとつの特徴を理解し力を使いこなすというのは簡単なことではなかった。
使い方を指南してくれる師も当然いないわけだから、初めは神器に振り回され続ける毎日。
3か月続けた頃になってやっとコツを掴んできた感じだ。
本格的に神子のようなことをやっている自分に、いまだ慣れていない。
今更何を言っているんだと思うだろうけれど、やっぱり何だか私情にまみれた自分が神の遣いだなんておかしな感じだという思いは拭えなかった。
「……だ、大丈夫ですか、神子様?」
「ごめんなさい、もう大丈夫。これは遠耳の力を宿した神器ですね」
「や、やはり! おかしいと思ったんです、前子供が川に落としてしまった時も気付いたら手元に戻ってきたことがあったり。あの、よろしければどうぞお納め下さい」
「いいえ、手から離れても貴女の元へ戻るということは、この神器は貴女を主と選んだという証です。私が受け取るわけにはいきません」
「し、しかし、私では使えませんし」
「使える使えないは関係ないのだと思います。きっとご先祖様からずっと大事に守られてきたのではないですか? 神器が貴女方に愛着を持つほどには」
「確かにこれは、代々長子の嫁が受け取るお守りのようなものですが」
「それならばやはり、私は受け取れません。ここまでお持ちくださってありがとうございました、どうぞ大事になさってください」
けれども、必要に迫られたとはいえ何人もと会話を交わすようになれば、自然とそれらしい振る舞いは身に付く。それは有難い話だった。
これでまたひとつ、私の鎧が増えるということだから。
神器を見極め認定し、受け取れそうなものは受け取る。
しかし無理には貰い受けない。
シリクス殿下から言われたのはそれだけだった。
3か月経ってやっとその意味を私は知る。
初めは懐疑的だった城下の人々の目も、少しずつ和らいできたのが分かる。
『孤児院出身だって言うから大丈夫か心配だったが、中々作法も言葉遣いも綺麗だったぞ』
『性格も悪くないらしい、姫様は無理に私達の道具を取り上げようとはしなかったよ。大事なものだと言えばあっさり引き下がってくれたしねえ』
『俺あ、ずっと知ってたぞ。何度か将軍様と一緒にいんの見てきたからな、まあガキんちょだが中々素直で健気だった』
『けっ、何偉そうに言ってんだよお前は何様だあ?』
持ち主に耳飾りを返す直前、そんな声も響いてきた。
……シリクス殿下の案だと答えたらきっとがっかりされてしまうんだろう。
だから私は誤魔化すように微笑む。
こうして私の存在価値を高めることを実際成功させているのだ、殿下はすごいのだと改めて思った。
本心を隠す仮面は少しずつ厚みを増していく。
嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちになりながら、それでも少しずつ神の遣いとしてステップアップしているような気分になって少し気合が入った。
……の、だけれど。
「きゅー……」
「え……リリ? どうした、だ、大丈夫?」
どうやら私はまだまだ未熟者らしい。
あまり調子に乗るものではなかった。
手渡された真紅の石に触れた瞬間、ブワッと大量の声が頭の中いっぱいに反響する。
力の強い神器だったらしく、どうやら取り込む情報量が多すぎたらしい。
情けない声を上げながら倒れこむ私。
目の端に慌てた様子で石を取り上げる兄様の姿が映った……ような気がした。
神器というものに意志があるかは分からないけれど、どうやら神器は呼び合うものらしい。
神器がひとたび現れれば、引かれ合うように次の神器が現れる。
こうして城下を回りながら神器の選定を行っていても明確に当たり日と外れ日があって、外れ日には1つも神器が見つからないのに当たり日には3つ見つかるといったことがざらだった。
どうやら今回は当たり日らしく、しかも慣れないとダメージが少し強い類のものが多いらしい。
『傀儡人形のお姫様に金使ってる暇あんならさっさと軍を増強しろよ』
『あー、仕事だるい。良いよな姫様はこんなとこで呑気に力自慢してりゃ贅沢できんだからよ』
『元孤児か……可哀想にね、何も知らないまま言いなりの玩具にされて』
真っ暗になった視界の中、最後まで響いてきたのは色んな人々の心の声だった。
あの石は人々の思考回路を読み取る読心の石らしい。
国で最も栄えているとも言われる城下の広場、その人数分全員の心の声がいっぺんに頭に入ってくればさすがに私の頭も容量を超える。
気合でどうにかできるものではなかったらしく、体力も何もいっぺんに奪い取られた。
この国にだって色んな境遇の色んな考えを持った人が暮らしているのだ。
当然だけれど、全員が全員殿下の策にはまってくれるわけじゃない。
良い声も悪い声も同じ数だけ集まって、私の中で反響する。
人の上に立つということ、束ねるということの難しさをこんなところで実感する私。
まだまだ頑張らなければとそう思ったのを最後に意識が途切れた。
「城下の警備は現状通りで良い、問題は東部国境だな。賊が増えていると聞いたが」
「はい。クヴァイ王国がアギリア帝国の傘下に入ったという話はお聞きになられましたか? どうやら先の大戦に備え戦力を増強しているようです。賊がアギリア近郊より南下しているのはこの影響かと」
「……こちらに逃げてもあまり戦力的には当てにならないがな。まあいい、検問への応援を手配しておこう。無差別に住民を襲う賊は容赦なく切り捨てて構わないが、生活に困って止む無く賊行為に至った者は保護してやってくれ」
「は……、保護、ですか? なぜまたそのような。奴らを保護するくらいならば国内の貧困層に注力した方がよろしいのでは」
「彼らは少なからずアギリアの情報を持っている、この先大戦が起きうるならばそういった情報は必須だ。
それに今は少しでも国家に忠誠を誓える戦力が必要だしね、ここで恩を売れば力となってくれる者はいるだろう」
「しかし、そう上手く事が運ぶようには」
「人間切羽詰まった時ほど手を差し伸べてくれた者に対する恩義は忘れられない。経験則だけどね。それに大戦の準備でどのみち全ての賊を相手にできるだけの兵力は確保が難しいんだ、現状で取れうる限りの策はとらねばならない」
「確かに、それは、そう……ですね。差し出がましい真似を致しました、申し訳ございません」
「いや、正直に聞いてくれて有難い。貧困層に支援が必要なのも最もなことだ、なかなか手が回らないのが心苦しいけどね。検問の件、大変だとは思うが頼むよ。私の方からもレオンド将軍にかけあってみるから」
「ありがとうございます!」
意識がある程度回復してきた私の耳にはそんな会話が届く。
これは軍部で副官を務める兄様の、もうひとつの顔。
この国で将軍の肩書をもつ方は6名いる。
東西南北の各部隊を統括する方が1名ずつと、王都および王家を守護する中央精鋭部隊を統べる兄様、そして長官に就いている殿下だ。もっとも殿下が将軍様と呼ばれることはほとんどないけれど。
軍以外に国政にも深く関わっている殿下は多忙で全ての管理など当然追い付かない。
そのため殿下から命を受け実際に軍を動かし調整しているのは兄様だ。
殿下の命なくともある程度自身で判断し指示していることもあるのだという。
まだ22歳になりたての兄様は、当然ながらほとんど年上の部下にばかり囲まれていた。
親子ほどの歳の差がある部下も多く、おまけにスフィード国生まれでもなければ貴族なわけでもない。
にも関わらずこうして大役を果たせているのは、一重に兄様の努力と才覚、そして覚悟あってのことだろう。
「東部、か。いよいよ近づいてきたか……私に、守れるか?」
人の気配が私と兄様だけになって、ぼそりとその言葉が室内に響いた。
初めて聞く兄様の弱音、けれどそれはずっと兄様が押し込め続けている本心。
目を閉ざしたまま黙っていた私はそこでようやく口を開く。
「大丈夫ですよ、兄様なら」
「な、リリ、起きて」
軍の内情や世界情勢は私ではまだ把握しきれない。
そう簡単なことじゃないという事しか分からないと言ってもいいくらいで。
そんな人間がこんな言葉を言うのは無責任なのかもしれない。
けれど、言わずにはいられなかった。
「ユーグ兄様は今までだって、たくさんたくさん私達を守ってきてくれました。孤児の私が命を諦めることなく今まで生きていられるのはユーグ兄様たちが守ってくれたからです」
本心だった。
兄様の過去を知った後だと尚更そう思う。
この国は15年にも渡って一切の侵略を受けていない。
贅沢ができるほどの国力はないにしても、命を繋ぐことがそう難しいような環境ではなかった。
いつだって荒らされ放題してきた国がそういった状況にまでなったのは、こうして身を削りすべてを捧げてまでも国に尽くす陛下や殿下、兄様達の尽力があってこそだ。
それがどれほど尊いことなのか、神器を通して多くの声は私の元にも届いている。
さっき触れた真紅の石、私達に対する疑問の声と共に途切れず響いたのは国を守護する兄様達への感謝の気持ちだった。
……全てが全てうまくいくわけはない。
けれど、兄様がどうしてこの国にすべてを捧げようと決めたのか、殿下の願いを拾い上げそれを叶えるためにここにいるのか、私にも分かったのだ。
この地には確かに守りたいと思わせてくれるような存在だって多くいる。
「……すまない、起きているとは思わなかった。体調は大丈夫? 悪かったね、無理させて」
「大丈夫です。ごめんなさい、あれはちょっと鍛錬不足でした」
「鍛錬……神器を扱うにもこつがいるんだね」
私の存在に気付いたユーグ兄様はその表情をすぐにいつもの穏やかで綺麗な笑みに戻してしまう。
きっともうこれは条件反射のようなものなんだろう。
けれどいつもなら私のどんな言葉にもそつなく返す兄様の声に少しの揺らぎを感じて、少しほっとする自分がいた。兄様の本心を理解できる機会はまだちゃんとあるのだと思ったから。
「私、何でもやるって言いました。兄様、ちゃんと私を使って下さいね」
兄様に笑い返すようにそう伝えれば、軽く目を見開いた後兄様は苦笑する。
どこかぎこちないその笑顔に、私は嬉しくなった。
「リリは十分私の力になってくれているよ。ありがとう」
「……兄様はちょっと優しすぎると思います。だって、兄様は無理ばかりしているのに私にはそんなに無理させないんですもん。私だって目の下にクマ作るくらい何でもないのに」
「こらこら、王女殿下がそのようなことを言うものではないよ。それに愛しい人に無理させるだなんて出来るわけないだろう」
「それは、私だって同じです」
「私は自ら望んで働いているし無理だと感じていないから大丈夫だよ、心配してくれるのは嬉しいけどね」
「……うう、私だって無理だと思ってないのに」
「今日倒れた人が何を言っているのかな? ほら、もう少し休みなさい」
兄様は頑なに休もうとしない。
そして頑なに人の手を借りようともしない。
そのくせこうやって私を甘やかす。
私を利用すると言いながら、鬼になりきれない人。
結局、だから私も兄様の懇願のような指示に従わざるをえないのだ。
「……ありがとう、リリ。…………ごめん、な」
その言葉と共に額に感じたのは柔らかくて温かな感触。
ユーグ兄様からもらった初めてのキスは、口に受けたわけでもないのに何故だかほろ苦く感じた。