12.家族
キイノは孤児院時代、私達のリーダーだった。
行動力があって、面倒見がよくて、誰が言わずとも自然とそういった立ち位置になった頼もしい人。
人の輪に入ることがそこまで得意ではなかった私をいつも輪に入れてくれた。
「本当は先生が来る予定だったんだけどな、腰が痛いから長旅は厳しいってさ。だから俺が代理」
「腰って、先生大丈夫?」
「まあ大丈夫だろ、たぶん気遣われただけだし」
「うん?」
「何でもねえよ。それよりほら、これ先生からお前にって」
彼の面倒見の良さはどうやら今も変わらないらしい。
先生の代理としてここにいることからもそれが分かる。
孤児院から出ているはずの年齢でも、いまだに交流があるようだから。
「お前の活躍を聞いていつも目細めてたぞ、先生。誇らしいって」
「そんな……、私なんてそこまで大したことは」
「相変わらずだなあ、お前。今や救国の神子様が、何言ってんだ」
「……そう言われるほどのことは、本当に出来なかったんだよ私」
そうすると柔くおでこを付かれる。
「謙遜も過ぎると嫌味だぞ。良いからほら、先生からの見てやれって」
「あ、うん」
受け取った封筒を開けて、中を確認する。
先生らしく丁寧に四隅を揃えて折られたそれは、手紙だった。
流れるような柔らかな字が何とも先生らしい。
そこには孤児院の今や、仲間たちのこと、そして私のことが孤児院にも伝わっているのだと、そういうことが書かれていた。
どうか貴女らしく、心の願うままに。
その言葉に笑みが浮かぶ。
変わらない。姿を見てはいないけれど、文章の端々から先生を感じる。
「キイノも農園で頑張っているんだね」
「手紙に書いてあったか。ったくコキ使われてるよ。……まあ、思ったより悪いもんじゃなかったけどな、農業も」
「うん、大活躍だって先生褒めてるよ」
「まあな、俺はそこそこ優秀だからな」
「ふふ、キイノらしい」
昔のままの距離に戻るのはあっという間だった。
きっとキイノがこういう性格で人との距離を掴むのが上手だからなんだろう。
私もあの頃よりは少しだけ大人になって、人との付き合い方も少しだけ上達した。
「よく笑うようになったんだな、お前」
「そうかな? 自覚はあまりないけれど。ユーグからは昔からけっこうお転婆って言われてたなあ」
「……へえ、分かったように」
「実際、ユーグには色々とバレバレだったよ私」
そうして少しだけ沈黙が流れる。
キイノは何故だか少し面白くなさそうに顔を歪め、大きくため息をついた。
「キイノ?」と尋ねれば、再び大きく息を吐いて首を振る。
「そんな将軍様をぶん殴ったって言ったらお前、怒るか?」
問われた内容に目を数度瞬かせた。
殴られた、ユーグが? キイノに?
温厚なユーグが人から殴られる姿が結び付かない。
キイノも口調のわりにとても理性的で、人にそう簡単に手をあげるような人ではないと知っている。
どちらもあまりに違和感しかなくて想像できない。
「えっと……殴るって、キイノがユーグを?」
聞き返せば、キイノがすぐに頷いた。
「えっと、いつ」
「そうだな、お前がシュリ国へ外遊に行った直後ぐらいか?」
言われた時期をさかのぼって、そういえば確かに一時ユーグの頬が腫れていた時期があったなと思い出す。
ユーグは苦笑して理由を教えてくれなかったけれど。
珍しいことがあるものだと思いながら、その頬を冷やしたことを覚えている。
「キイノが、ユーグを?」
それでもやっぱり信じられなくて、瞬きしながら繰り返す。
律儀にキイノは二度目もしっかり頷いた。
「お前を戦場に引きずり出して、危険な目に遭わせた。足、走るのもきついんだろまだ」
「それは」
「俺たちはあの人がお前を姫様として大事に護ってくれると信じて託したんだ。それをまさか、あんな利用の仕方ってないだろ」
険を帯びた声に、肩を震わす。
ギリッと音が鳴りそうなほどに手を握りしめて、うつむくキイノ。
……ああ、彼にも心配をかけてしまっていた。
家族というものがよく分からないと、あの頃の私はずいぶん残酷なことを言ったものだ。
私にはこうして私のために怒ってくれる家族がいたのに。
「……後悔はしていないんだ。確かに辛い思いもたくさんしたけれど、それでも一度だってユーグを信じてここに来たことを悔いてはいない」
「死にかけたんだぞ、お前。一歩間違えたらもうここには」
「それでも。私は来て良かったと思ってる」
キイノの気持ちが嬉しかった。
私の命を惜しんでくれた人がいたことが。
怒ってくれているキイノには申し訳ないけれど、自然と笑みが浮かんでしまう。
終わった今だから言える言葉ではある。それでも、綺麗ごとではなく嘘偽りのない私の気持ちだ。
それをキイノはどう受け取っただろうか、座っていた椅子から立ち上がり私と少しだけ距離を置く。
私に背を向けて何か感情を逃がすように、息が漏れる。
少しの後、振り返ったキイノはすでに怒った表情は見せていなかった。
諦めたように笑っている。
理性の強いキイノらしい。
「頑固になったな、リリ」
「うっ、やっぱり? 我が強くなったとは、思ってて」
「良いんじゃないか。お前がお前らしくなったって証だろ」
「……うん、ありがとうキイノ」
結局怒りを見せながらもキイノは最後には笑って私の意志を尊重してくれる。
こういう人を当たり前に大事にできるところが、キイノが慕われていた理由だった。
変わらない。
皆を引っ張って、心配して、時には怒って、そうやって守ってくれたキイノが今もここにいる。
「俺さ、兵役訓練に出ることになったんだ。来年から」
キイノはそして晴れ晴れしく笑った。
大農園で働いているというキイノが兵役訓練。
穏やかではない言葉に眉が寄る。
それをカラカラと笑いながらキイノが続ける。
「言っとくが、俺自身の意志だぞ。ようやく試験受かってさ、ずいぶん出遅れたけど」
「キイノ……」
「孤児院出て現実知って、どこかで俺も諦めてたんだよ。ただの孤児が騎士になんてなれるかよって」
私が孤児院を出る前、一度だけキイノが言ったことがある。
騎士になって私に会いに来ると。
それを私はキイノなりの励ましの言葉だと受け取っていた。
けれど、思っていたよりうんとキイノはその言葉を果たすべく努力をしていたのかもしれない。
あの地域の孤児院出身者の進路といえば、ほぼ大農園での作業員だ。
広大な農地があって、いつだって人手がいる。
だから文字が読めなくとも、お金がなくとも、身寄りがいなくたって出来る仕事も多くあった。
給料は少なく、体力仕事ではあるけれど。
それでも食い繋ぐ手段があるだけ、まだまだ恵まれた環境だった。
私も当時は当然のようにそうやって朝から晩まで作物を育てて生きていくのだと思っていた。
それを嫌だと思ったことは無い。
「農作業も楽しかったよ。自分で選んだ仕事だったなら、誇りを持って続けてただろうな」
キイノもまたその点においては私と同じようだった。
けれど、その道を続けないという選択をしたのはキイノ自身。
「本当は、騎士とか兵士とかじゃなくても良かったのかもな。きっかけは」
「え?」
「自分の意志で自分の生きる道を決める。努力次第で拓かれる道があるって証明したかったのかもしれない」
そうしてその本心を私に打ち明けてくれる。
照れたように頭をかいて、笑った。
「孤児から神子様になって国を救っちまう奴がいたんだぞ、俺達には」
力強い言葉に目を瞬かせる。
その言葉がさす先は、私?
ぽかんとただ聞くだけの私に、キイノはニッと笑う。
「ネネは文官になりたいって、文字を覚えたぞ。もう本もすらすら読んでる。俺はまだ簡単なのしか読めねえのに」
「ネネが? あんなに文字分からないって言ってたのに」
「農園じゃなくて鎌職人に弟子入りした奴もいるし」
「ええ?」
知らないことだらけで、私の想像する未来の皆とは違うことも多くて、大げさに声をあげてしまう。
面白そうに笑うキイノ。
「みんな頑張ってるよ、お前の背中を追いかけて。お前が守った国を繋ぐために」
「キイノ」
「だからさ、俺だけ置いて行かれるわけにはいかねえだろ。お前に誓った言葉を反故にして」
私の最初の家族。
家族と聞けば、まず一番に思い浮かべる人達。
別れは突然で、長く離れていて、それでもそうやって繋がっていてくれた絆。
自分が今どういう表情を浮かべているのか、もう私には分からない。
嬉しかったのか、懐かしいのか、様々な感情が押し寄せて言葉にならない。
立ち上がったのは衝動的だった。
つきんと痛む足を無視して、昔よりずいぶんと逞しくなった家族に抱き着く。
「うおっ」と驚いた声をあげながら支えてくれるキイノはよろめくこともない。
「ありがとう、キイノ」
「はは、お前涙もろくもなったんだなあ」
「だって、キイノが泣かせるようなこと言うから」
「これから世界一幸せな花嫁になるんだろ、式の前から泣いて顔が滅茶苦茶なのはおかしいだろ」
「だってー!」
そうしてひとしきり笑い合った私たち。
けれど次の瞬間ぐいっと後ろに強く引かれて私はよろめく。
足に負荷がかからないよう腰を支えられ、察した。
ふわっともう慣れた香りが届く。
「こら、リリ。さすがにそれ以上はダメ」
耳元に届いた声に、首を傾げた。
と、同時になぜだか正面から盛大な舌打ちが響く。
「心狭いな、あんた。家族の触れ合いも許せねえってか」
「君が真実その気持ちだけで動いていたらもう少し許していたけどね」
「……それでももう少しだけかよ」
「そう煽られて平気な夫がいると思うかい?」
「あー、はいはい。そんな威嚇しないで欲しいんですけど?」
耳慣れない言い合いに驚く。
ここまで攻撃的なキイノも初めてだし、こうも堂々と人前で触れ合ってくるユーグも珍しい。
状況がひとり飲み込めていなくておろおろするしかない私に、やれやれと肩をすくめたのはキイノの方。
「お前、苦労するぞ」
「え?」
「まあ、いいザマだからもう少し振り回してやれ、リリ」
「キイノ君、君さあ」
「自業自得だろ、あんたの。無自覚も無自覚みたいだし」
「……、リリ。あとでじっくり話をしようか。じっくり」
「えっと、何が何?」
結局何を話しているのか理解できない私。
なぜだかユーグまでがため息をついている。
キイノは対称的になんだかすごく楽しそうにしているけれど。
「リリ」
そうして最後にキイノは私を呼んだ。
何? と聞こうとして視線を向ければ、目の前でキイノが膝を折る。
その場で跪いて深く頭を下げる姿に、息をのんだ。
キイノ、と名を呼べば顔だけ見上げてきていつものように笑う。
「俺も騎士になるからさ、いつか。絶対」
「キイノ?」
「だから、大事だろ。お前は結婚しても、この国の大事な神子様に変わりないわけだし。将軍様は、直に俺の上官になる人だ」
だからけじめだと言わんばかりに再び頭を垂れる。
ああ、あの時みたいだと、そんなことを思う。
孤児院を後にするとき、はじめて先生が私に向かって跪いて敬意を示してくれた時のこと。
あの時先生と一緒に膝をついたキイノの姿を思い出す。
あの時よりもうんと綺麗な姿勢で、キイノは跪いていた。
「この国をお守り下さりありがとうございました、神子様。どうか末永くお幸せに。そしていつか、私もその大事な御身お守りいたしましょう」
少しだけぎこちない、キイノの丁寧な言葉遣い。
あの時と同じくはっきりと線引きされた、私たちの立場。
けれどそれをもう寂しいことだとは思わなかった。
キイノの意志と、覚悟。
私の意志と、覚悟。
どこかで重なったと思えたから。
そしてどんな立場であろうとも繋がるものがあるのだと、信じることができたから。
「お待ちしています、キイノ殿。それが貴方の定めた道とあらば」
だから私も神子としての言葉で、キイノに対する。
ユーグは私を支えたまま、小さく息をついてその光景を見守ってくれた。