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神の遣いの少女は初恋の将軍にすべてを捧ぐ  作者: 雪見桜
番外2 過去と少し未来のお話
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10.覚悟


「お時間をとって下さりありがとうございます、殿下」

「良い。体はもういいのか」

「……はい。ご心配をおかけし申し訳ございません」


その場はすぐに設けられた。

殿下が私用で使う部屋のひとつに2人きり、ユーグ兄様にお願いした通りの環境下に私はいる。


ユーグ兄様にお願いした我儘のひとつ。

それがシリクス殿下と2人きりで話せるようにしてもらうこと。


私はきっときちんと話さなければいけないのだろう、この方と。

この国の為でも、ユーグ兄様の為でもなくて、私自身の為に。

私自身が納得して前に進むには、知らなければならない。

シリクス殿下について、もっと。


「話とは何だ」


シリクス殿下は急な私のお願いに、嫌な顔一つ見せなかった。

嫌な顔も何も、いつだって表情は変わらないけれど。

それでも忙しい身の上なのに、私のために時間を調整してくれたことには変わりない。

ご本人はそれを一切悟らせないけれど。

そういうところがやっぱり冷酷な人ではないのだと感じさせる。


「ロキアの悲劇について、習いました」


言葉を発した私に、初めてシリクス殿下の表情がぴくりと動いた。

目を軽く見開き私を見つめる。


私がこのロキアの悲劇を教えられたのはつい先日のことだった。

ユーグ兄様の過去で避けては通れない歴史。

それはこの国の歴史とも密接に関わっている。


私の住む大陸には、南にクルクという軍事大国が存在する。

そして反対側の北にはアギリアという最も栄える帝国がある。


クルクは鉱山、鋼鉄、製造技術の進んだ国家で、主な収入源は軍事武器や防具。

戦を生業とする国家である性質上、武力強化が軸となった軍事強国だった。

周辺地域を属国とし、勢力を増しながら常に戦いを求めているような、そんな国。

世の情勢が不安定ならば、その分だけ産業が潤い国が栄える。


一方、大陸で最も繁栄していると言われているのは北の大帝国アギリア。

文化芸術、経済力、学力、どれをとってもこの大陸でアギリアを上回る国はない。

当然、人数や武力もだ。


不安定を望むクルクと、大陸の覇権をもつアギリア。

この2か国は昔から武力衝突が絶えなかった。

軍事強国の戦は、漏れなく大陸中を巻き込む大規模な戦争へと発展している。


スフィード王国は、幾度となく繰り返されてきた2か国の戦の激戦地として知られていた。

ちょうど2か国の中間に位置し、互いの国への動線上にあるという理由からだ。

スフィードは幾度もクルクとアギリアの戦に巻き込まれ荒らされてきた。

国が豊かになる前に、戦によって人も土地も喪われてきたのだ。


「私は、おそらくは戦争により捨てられた孤児だと思います。だから教えてくれたのかもしれません。今はとても孤児が多いと聞きますから。先の大戦で多くの親が喪われたその理由と実際に起きた悲劇を教わりました。その歴史が繰り返されないように、殿下が奮闘されているということも」


そう、戦争はそう遠い昔の話では無かった。

私が生まれる少し前にもあったのだ。

この国はやっぱり2か国のための戦場と化し、多くの命が喪われた。

経済も貧困を極めたと聞く。

だから私の世代は孤児がとても多い。

当時勝ったのはアギリアで、アギリアによる統治はそこから5年と少し続いた。

私の記憶には無いけれど。


ロキアの悲劇が起きたのは、アギリア統治が終わった数年後のことだった。

戦争の波が引き、アギリアが干せた大地となったスフィードに興味を失くした頃、解放された捕虜が起こした悲劇。

首謀者達は、クルクの残存兵だった。


「当時、混沌とした世の中でどの国にも属さず山間でひっそり暮らしていた集落がロキアだったと聞きました。戦に巻き込まれないようにどことも繋がりを持たず自給自足を旨とした村だったと」


聞いた内容そのままに話せば、シリクス殿下は無表情のまま小さく頷く。

心なしか苦く何かを思い出すかのような顔にも見えるのは、ロキアのその後をその目で見たからだろうか。


「その通りだ。知識として知るには十分だと思うが。他に何が知りたいんだ」

「……ご存じでしょう、当然。ユーグ様が、その悲劇の唯一の生き残りだと」


はっきりと言葉にした。

分かっていたとばかりにシリクス殿下は私を見つめ返し微動だにしない。


「だから聞いている。お前は一体私に何を求めている」


殿下の声に鋭さと圧が増す。

険を帯びたその声色に、思わず私は肩を震わせた。

けれど同時に安堵もする。

真剣に向き合ってくれているのだと、分かったから。

何事もなく聞き流されるより、よっぽど良い。

どうでも良いことだと思っていない証だ。

だから私も真っすぐに聞くことが出来る。


「どうしてですか。ユーグ兄様があの戦の被害者であり唯一の生き残りだと知りながら、戦の前線に立つ将軍様としてあの方を見出したのはどうしてなのか」


責めたいわけでは無かった。

責める資格など、そもそも私には無い。

今までユーグ兄様と共に過ごし、記憶を見つめて、ユーグ兄様が今の道を自らの意志で選んだであろうことは理解していたから。


私はただ純粋に知りたかったのだ。

殿下はあまり人や物に執着するような方には、見えない。

けれどユーグ兄様の記憶の中には何度もシリクス殿下の姿があった。

そのわけを私は知りたい。


「あの者にその才があったからだ」


そしてシリクス殿下からの答えに淀みはなかった。

間髪入れずにすぐに答えは返る。

至極当然であろう、誰でも想像がつくような端的な答え。

けれどその言葉には続きがあった。


「この世は理不尽で不条理だ」


え……と思わず声が漏れる。

脈絡の無い話に思え、上手く理解が追いつかなかったのだ。


「どう抗おうにもそうした世の理からは逃れることなどできない。それらは、人から選択肢を奪う。特にこの国はな」


言われて思い浮かぶのは、ユーグ兄様が受けたあまりに理不尽な記憶。

唐突に奪われた日常。


「ユーグは、奪われた選択肢を取り戻すべく抗いそして手に入れた」


はっと私はシリクス殿下を見上げた。


「自らの力で選択肢を生み出せるだけの才があった。ユーグを将軍に選んだ理由などそれ以外に無い」


揺らぎのないその瞳を私はじっと見つめる。

シリクス殿下からの視線は一度だって私から外れることが無い。


……少しだけ意外だった。

私のような、ついこの間までただのどこにでもいるような孤児だった存在にまでこうして真っすぐ向き合ってくれたことが。

その言葉に嘘は感じない。私への侮りなどさらに感じない。

人を身分で見る人ではないと、はっきり言える。


こうして話してみて、私もまたユーグ兄様と同じ感想を抱いた。

この方は、強い方なのだと。

兄様とはまた違う、ぶれない強さを感じる。


「選択肢を生む、それが殿下の望む姿ですか?」


気付けば自然とそんな問いが口から出ていた。

理不尽は人から選択肢を奪う。

けれど自ら選択肢を生み出せる才がユーグ兄様にはあった。

だからユーグ兄様を将軍に選んだ。

そんな殿下の言葉は、殿下自身の信条のようにも思えたから。

軸に、感じたのだ。


「私の使命だ。国民から選択肢を奪わせない、奪われたのならば与える。そのためにこの命を私は賭す」


やはり返事はすぐだった。

迷いなく、一切の揺らぎもなく。


ああ、だからこそこの方はユーグ兄様を選んだのか。

これ以上ない理不尽の上に何とか立ち上がり、自分の人生を選び取った兄様だから。


兄様に生きる選択肢を与えた人。

兄様が思う“強い”人。

けれど、シリクス殿下にとってもユーグ兄様という存在は小さくないのかもしれない。


一切変わらないように思えるその表情が、ロキアの悲劇を語る時だけ少し変化する。

何かを思い出し痛ましく感じているように、思えたのだ。

気付いたことで、すとんと自分の中で何か納得できるものがあった。


強い信念を持った理性の人。

ユーグ兄様が全てを賭けるに相応しい、そんな人。

それを私は理解できたのかもしれない。


「お前はどうだ」

「……は」

「お前は、王女として何を賭す」


強い眼差しで殿下が私に問う。

その視線を怖いとは思わなかった。

シリクス殿下が求めるもの、私に期待すること、それが少しだけ分かったから。

そしてそれが殿下の信念によるものなのだと理解できたから。


静かに視線を下げて目を閉ざす。

脳裏に浮かんでくるのはただの2つ。

ユーグ兄様のペンダントから覗いたあの惨劇。

そしてユーグ兄様の顔だ。


……いってみようか。いけるところまで。

自信も実力も、全く足りてはいないだろうけれど。


この選択はきっと、命がけだ。

後戻りなんて出来ない。恐怖の中で命を落とすことになるかもしれない。

それでも、それでもだ。

カタカタと手が勝手に震える自分に問い返す。

兄様のペンダントから受けた追体験を思い出す。

本当にこれで良いのかと自問すればたちまち、それ以上に強く脳裏に映し出されるのはユーグ兄様の様々な顔だった。


心配そうに私を見つめる顔。

たまにだけ見せる葛藤したような、影のさした顔。

綺麗に本心を押し隠した穏やかな笑み。

私を気遣い優しく導いてくれる、温かな笑み。

私が強さを感じ、同時に報われてほしいと強く願った兄様が私の中にはもうたくさんいる。

それが何よりの答えに思えた。


「私の生は、ユーグ兄様に」

「……ユーグに、か」

「はい。私が心から信じられると思った彼の方が望む未来のため、私はこの運命を賭します」


シリクス殿下を見返し、告げる。

少し不満げにも見える憮然とした表情に、私は苦笑した。

案外、この方は思うほどには無表情ではないのかもしれない。

あまりに動揺が少なく起伏もないから分かりづらいだけで。


国を主体としてではなく、特定個人を指標とする私。

答えには満足いかないだろうと、それは私でも分かる。

王女としての回答がこれでは落第点だろうとも。

けれど、もうこの方に保身のための嘘は付けなかった。

私の中に秘めた真実と本心を隠すだけで精一杯だ。


「この国を愛し守ろうとしているユーグ兄様を見て、私はこの力を示すと決めました。そのユーグ兄様が敬愛する殿下も、国も、共に守れる存在に私はなりたい」


たとえその行く末に私の人生の終焉があろうとも。

言葉を隠し、私が告げられる精一杯の国への忠誠を告げる。

当然王女としては足りない言葉を、それでも怯まず口にする。

これは私にとっても、けじめだったから。


「国の為に、王族として生きていく覚悟はあるか」


問われた内容に頷いた。


「……ならば、良い」


諦めたように、けれど確かに頷き返したシリクス殿下。

及第点とはいかずとも、落第点でもまたなかったようだ。


「ひとつだけ、我儘をお許しいただけますか」

「何だ」

「勿論私的な場でだけで構いません。私がユーグ将軍を兄様と呼ぶことをお許しいただけないでしょうか。そして出来るならば」


続いた言葉を殿下はどう受け取っただろうか。

予想がついていたのか、殿下は驚いた様子も見せず相変わらずの無表情でこちらを見つめていた。

そのままどれほどの沈黙が流れただろうか。

やがて浅く長く、息を吐く音が耳に届く。


「……それでお前の心が定まるというならば」


渋々といった反応に、思わず苦笑した。

本当は「良し」とは言いたくないのだろう。

それでも許しをくれた理由に、私はきちんと行きつくことができる。

冷酷な人ではないのだと、やっぱり私はそう思えた。


命を賭す。

その意味を私自身きちんと理解できているかは定かではない。

それでも迷いは消えた。

覚悟と、これが呼べるものなのかもしれない。


自然と頭が下がる。

深い礼になってようやく私は気持ちを整理できた。

私の王女としての道は、こうしてようやく本当のスタートを切ったのだ。



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