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神の遣いの少女は初恋の将軍にすべてを捧ぐ  作者: 雪見桜
番外2 過去と少し未来のお話
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8.諦観


その日はどうにも眠れなかった。

目を閉じても、体を横にしても、頭が冴えてしまって意識が沈んでいかない。

体の疲れが限界を迎えてようやく意識が遠のいたのは多分、陽が昇り始めたころだ。


侍女に起こしてもらうだなんて初めてのことだった。

数秒だけにも感じるくらいの睡眠。

慌てて身なりを整え、朝食につく。


「おはようございます、姫」


ユーグ兄様は何の変りもなく今日もやってきた。

当たり前のように膝をついて、優しく笑っている。

時間がたって少しだけ落ち着いた私も素直に笑って返す。


「おはようございます。ユーグ様」


表情に翳りのない私を見てユーグ兄様は幾分安心したようだった。

いつもより穏やかな表情に私からは映る。


心配をかけてしまっただろうか、やっぱり。

どう考えても最近の私は色々と詰め込みすぎて切羽詰まっていた。

落ち着いた姿を見せないとユーグ兄様を安心はさせられないのだ。

そう思って、私はひたすら穏やかになるよう徹する。


『殿下は彼女を戦地に立たせるおつもりですか』


昨日知った真実は、極力表に出さないように思考の外へと追いやった。

私自身の考えはまだまだ纏まっていはいなかったから。

敏い彼の前で考えれば、たちまちボロが出る。

私が動揺せずにユーグ兄様に接することができるとすれば、方法はこれしか無かった。


ひとつ、ユーグ兄様にさらけ出せない感情が出来てしまったな。

過去に苦しみ、それでも向き合うことを選んで、武器を手に取り闘うユーグ兄様。

私とは違う逃げることのない強い兄様を見て、報われてほしいと思った。

私もユーグ兄様のように向き合える強さが欲しいと思ったのかもしれない。

兄のように慕える初めての男性。

そんな彼に、本当はまっさらな自分で接したかったけれど。

それは今、きっと足を引っ張る結果にしかならない。


もう少し、気持ちに整理が出来たらその時は。

そう思って、私はそれ以上の思考を放棄させた。


「今日は、乗馬の訓練なんですよ。馬に乗るのは、以前ユーグ様に乗せていただいて以来ですね」

「本日はまず感覚に慣れていただくところまでです。馬上の風は心地よいですよ」

「あ、ユーグ様がご指導くださるんですよね? よろしくお願いします」

「こちらこそ」


いつもとそう大きく変わらない談笑。

けれど自分勝手に兄様との間に薄い膜を張る。

私を下手に心配してこないように。心配をかけさせないように。

少しずつ兄様への信用に影がさしていることに、私はまだ気付かなかった。


「こ、怖、怖い……かも、しれません」

「大丈夫。この馬は大人しい子です。貴女を落とすことはありません」

「けれど……っ、どこに重心を置けば良いのか、落ちそう」

「大丈夫ですよ。初めてでしっかり会話が出来ているならば姫は十分慣れる素養をお持ちです」


結局はじめての馬上訓練は、いつも通りユーグ兄様に手間をかけさせてばかりいた。

想像以上の心細さ、想像以上の揺れにすっかり動転してしまったのだ。

ユーグ兄様が馬を宥めながら馬具を引いてゆっくり歩く。

その上に私が乗るだけの、本当に慣れのためだけの訓練。

それなのに、ユーグ兄様がいうような馬上の風を気にできるほどの余裕はない。


「……無理をさせすぎましたね」


ついにはそうして気力も体力も使い果たし、寝不足も相まって臥せってしまう。

結局兄様には心配をかけてしまったし、迷惑もかけてしまった。

何一つ器用にうまく立ち回れない自分が情けない。

目を閉ざした先で、兄様と侍女のソアラさんとが話している。


「将軍様……実は姫様ですが、本日はあまりよくお眠りになれなかったご様子なのです」

「……そうですか、だから顔色が優れなかったのか。申し訳ない、もう少し早く貴女達侍女にも話を聞くべきだった」

「将軍様。姫様は文句のひとつも仰らず、私達のこともよく気遣って下さいます。ですが、とても心配になります。あまりに弱音のひとつも仰ることがございませんから」

「確かに、姫はとても頑張り屋ですから。私も今まで以上に気にかけましょう、貴女達にも姫のことをぜひ頼みたい」

「それは、勿論です。ありがとうございます、将軍様」


ああ、本当に上手くできない。

何をやっても心配をかけて足を引っ張ってしまう。

体はだるくて、手足のひとつも動かない。

目を閉ざしたまま、ただ会話を聞くしか私には出来なかった。


「……すまない、リリ。こんな小さな体に無理を強いて。私の、せいで」


そんなか細い声が耳に届いたのはいつだっただろうか。

意識が朧げで思い出せない。


違う。

兄様を困らせたいわけではない。

私はただただ戸惑ってばかりいるだけで、けれど兄様に対する気持ちは変わってなんていないはずだ。


動かない体の代わりに、心で必死に反論する。

ユーグ兄様に謝られることなんて、何もないはずだと。

そう思う私の心と裏腹に、蘇ってくるのは兄様のペンダントから覗いた色々な光景。


戦火の中を、必死に逃げ惑う兄様。

目の前で家族を喪った兄様。

私を戦場に立たせると決めたシリクス殿下の言葉。

それに従うと返した兄様の声。


……もしかすると、私は兄様を疑ってしまっているのかもしれない。

自分勝手に、ユーグ兄様は私を守ってくれるはずだと期待してしまったのかもしれない。

実際にこれまで何度も兄様は私を守ってくれていたし、気遣ってくれていた。

だから傲慢になっていたのかも。


戦場の悲惨さを知っていてもなお、私を戦地に立たせるという殿下の考えにユーグ兄様は最終的に賛同した。

私を、神の遣いの力を、戦場で活かすことに決めた。

私の身の安全よりも、国の未来を選んだのだ。


その思いをどうしても私は上手く飲み込めなかった。

ユーグ兄様は何度か殿下に反論してくれていたと分かっているのに。

今だって弱った私にこんなに申し訳なさそうに謝ってくれている。

それが嘘だとは、とても思えない。

それでもユーグ兄様が選んだのは、神の遣いとしての私。


……私は、やっぱり傲慢だ。

見返りなんて求めてここに来たわけじゃないはずなのに。

心が弱ると、こうして負の心が表に出てきてしまう。

期待しすぎる心が、ユーグ兄様にどうしてと問い詰めてしまいそうになる。


「……ごめんなさい、ユーグ兄様」


目が覚めて、1人になった室内でぼそりと呟く。

1人になって考えをまとめたところで、私の本心はずいぶんと自分勝手だ。

考えてみればただの孤児がこうした特別待遇を受ける時点で何か裏があるというのは当たり前だというのに。


知識も教養も血筋だって何も持たない私。

私が抱えているのは、なぜか私にだけ宿ってしまったこの力ひとつだけだ。

この力のためだけに王女になったことだなんて初めから分かっていたはずだろう。


「自分で決めた事、でしょ」


自分に無理やり言い聞かせる。

何のためにここに来たのか、必死に思い出す。

今までもらった兄様からの気遣いを思い出す。

どの全てもはっきりと覚えているのに、どうしたって靄がかかった。


心と体が繋がってくれない。

そんな自分をようやく理解する。

パンと自分の両頬を叩いたところで、扉が開いた。


「まあ、姫様。お目覚めになられましたか! お加減はいかがですか」

「……申し訳ありません、ご心配をおかけしました」

「お待ちください、今お医者さまを」

「え? だ、大丈夫です。本当に、大丈夫で」

「なりません、姫様。姫様は大事な御身なれば」

「……はい」


ソアラさんに強く言われて、押されるままに頷く。

少しだけ年上の、とてもきっぱりとした女性。

いつも親身になって動いてくれている。


……私が本当に信用するべきなのは、この人?

一瞬もたげた感情に、恥ずかしくなった。

兄様が駄目ならこの人だなんて、浅ましい。

どうしてこう自分は依存先を求めようとしてしまうのかと、泣きそうになる。


「姫、お目覚めになられたと聞きましたが」

「っ、ユーグ様」

「お加減はいかがですか。申し訳ありません、無理を強いてしまいました」

「い、いいえ! そんな、全然です!」

「姫。どうか落ち着いて。動かれませんよう、お休みください」


心情がぐちゃぐちゃに入り混ざったまま対面したユーグ兄様は、やっぱり優しかった。

一方の私もやっぱり条件反射でユーグ兄様をかばう言葉ばかりが出てきてしまう。

泣きそうな顔をしたまま。取り繕えない顔のまま。


「……ごめんなさい。迷惑ばかりかけてしまいます」


疑いながらも、それでもどうしたって出てくるのは縋るような言葉ばかりだ。

こう言えば、きっと兄様はとんでもないと返してくれると分かっていて、その上で言ってしまう。

兄様からの優しい言葉を求めて、しゅんと項垂れてしまう。

まるで子供のやり方だ。

そんな自分をとても幼稚で卑怯だと思う。


ぼろぼろと王女になってから初めて人前で涙がこぼれた。

あまりに情けなくて、弱い自分に。

自分がどうしたいのか、自分が一番わからない。


「……リリ、そうすぐに謝るのをやめなさい」


そうして耳に届いたのは、ユーグ兄様から私へ向けられた久しぶりの諭すような言葉。


「ユーグ、兄様?」


縋るように返事してしまう。

ぼろぼろと溢れて止まらない涙を、痛ましそうにユーグ兄様が見つめている。

そっとハンカチで目元を拭われ、頭を下げられた。


「すまない。思った以上に気を張らせていたようだ。そういうところに気付いて支えるために私は君の傍にいるというのに。独りで頑張らせすぎて本当に申し訳ない」


ブンブンと頭を横に振る。

結局のところ、それでもきっと兄様の意思は変わらないだろう。

私をこの先どう扱うのか、シリクス殿下の意志を選ぶのだと分かる。

素直にもういいよと、そう言えない。


けれど絶対に私のことを姫と呼んで譲らなかった兄様が、ここで言葉を前のように戻してくれた。

その意味が分からないほど、私も鈍くはない。


兄様の気遣いがやっぱり嬉しかった。

とてつもなく、嬉しかったのだ。

そもそも私を姫と呼び敬ってくれていたのだって、私の為もあるだろう。

けれどここではそれよりも私の今の気持ちを優先してくれた。


「……本当に、ごめんなさい」


どうしたって私からは謝る言葉しか出てきてくれない。

どうしたって、それでも兄様を疑う気持ちが抜けてはくれなかったから。

素直に気遣いを受け取れない。

あまりに幼稚で、王女として相応しくない自分。

やっぱり卑怯だと、そう思う。


すっと私は胸元のブローチに触れた。

伏せた目からそっと兄様の胸元のペンダントを見つめる。

エメラルドグリーンが、今日も淡く光っている。

私にしか見えない光らしい。

自分の強い意志でその記憶を覗くのは、初めてかもしれない。


ほどなくして脳裏に映ったのは孤児院だった。

私の育った孤児院ではない。

見覚えの無い孤児院。

これが兄様の記憶なのだとすれば、おそらくはきっと兄様の育った孤児院だ。


『おい、あいつ……』

『ああ、ほっとけよ。あいつ何を話しても反応ないし、構うだけ無駄だぞ』

『それより食料探すぞ。さぼったら食いっぱぐれる』

『げっ、今日食い逃したらやばいだろ。明日はどうせ食えねえんだし』

『急ごうぜ』


私の育った場所よりも、そこはうんと荒れた場所だった。

建物は今にも崩れそうで、作物もそんなに丈夫そうには見えない。

作物を育てる地帯で育った私には、その土地がずいぶんと干せているのが分かる。

その中で人目につかないような隅に、視線はあった。


兄様の視線なのだとすれば、今の私よりもずっとずっと幼い。

手足は骨と皮だけのように見えた。

向けられた言葉も優しくはない。

私の育った孤児院の雰囲気とはまるで違って殺伐としている。


本を手に持っているあたり、兄様はもうこの時には文字を読めていたのかもしれない。

知識を授けてくれたのは亡くなったご家族なんだろうか。

ページをめくる手は、震えていた。

カタカタと。


『……お前は行かないのか』


話しかけられた声に顔を上げれば、そこにいたのは私でも見覚えのある顔。

今よりもかなり若く見える、シリクス殿下だ。


『どうして、ここに』

『近くを通っただけだ』

『……こんな辺境に? どうして俺のもとへそう何度も来るんですか』

『死ぬ気か、お前は。せっかく拾った命を』


シリクス殿下の言葉もまた、優しくはなかった。

責めるような声色に、視線は下を向いていく。

震える手が止まることは無い。


『ロキアの悲劇と呼ばれているみたいですね、あれは』

『ああ』

『生き残ったのは俺だけだって』

『そうだな』

『でも、どうして俺なんですか。どうして何の役にも立たない俺が生き残ってしまったのか』

『理由が必要か』

『……っ、皆死んだ。俺よりもっと生きていなきゃいけない人だって、いたのに。母さんや兄ちゃんなんか俺をかばって……!』


震えが激しくなって本が膝から落ちた。

蘇るのは目の前で命が散っていくあの異常な空間。

怒りよりもいまだに恐怖が支配して、身動きのひとつも取れない。

特にあの日のような晴天下では。


『生き残った意味など考えたところで無駄だ』

『っ、だってそれじゃ!』

『全て自分で見つける他ない。生きる理由も、どう生きていくかも』


揺るぎない口調で、シリクス殿下はその場にしゃがむ。

落とした本を拾い上げ、差し出した。


『あらがえ、ユーグ。恐怖から』

『……どうやってですか。こんなんで、どうやって』

『それは自分で見つけろ。少なくともこの本を手に取っている時点でお前はまだ諦めていないのだろう』

『……っ』

『剣術か。教本などより身に染み込ませる方が、早いがな』


どうやら読んでいた本は、剣術の教本らしい。

シリクス殿下はやっぱり表情が微動だにしない。

ともすれば冷淡とも言われそうなほどに無表情だ。

けれどユーグ兄様は、冷淡とは受け取らなかった。


『貴方はどうして恐れないんですか。あの現場を目にして怖くはないんですか』


心底分からないとばかりに問いかけるユーグ兄様。

シリクス殿下はなおも動じない。

むしろ何を問うんだとばかりに見返される。


『国を導く立場にいる私が動じてどうする。弱小国などと揶揄されているがな、それでも守るべき民は多い。怖がっている暇などない』


強い人なのだと、そんな強い感情が届く。

自分とはまるで違う、とても強い人。

ユーグ兄様は、シリクス殿下の言葉に何かを返すことはなかった。

代わりに拾われた本を受け取り強く抱きしめる。


あらがえ。

その言葉がユーグ兄様の脳裏に強く響いた。

流れ込んできた記憶は、そこまで。

次第に脳裏の映像は靄がかり、目の前に元の景色が戻ってくる。


目の前にいるのは心配そうにこちらを見つめる、大人になったユーグ兄様。

凪いだ目で、当たり前のように帯剣している、そんな兄様だ。

当然手は震えていない。


……私と同じだった。

恐怖を知り、それでも抗える強い人を知って、ここにいる。

私にとってのユーグ兄様は、ユーグ兄様にとってのシリクス殿下。


ユーグ兄様だって怖かったのだ。

逃げて苦しんだ過去があった。

だからそこから引きずりだしてくれた強い人、シリクス殿下に信を置いている。


「悔しいなあ」


思わず言葉がこぼれる。

自分にとってのユーグ兄様が大きな存在だからこそ、ユーグ兄様にとってのシリクス殿下の大きさも理解できてしまう。

いや、きっとユーグ兄様にとってのシリクス殿下はそれ以上だろう。

命の恩人で生き方も示してくれた人。


私ではどう足掻いても、シリクス殿下には勝てなさそうだ。

私の気持ちを優先してほしいだなんて、そう思っていた自分が恥ずかしい。

悔しいほどに、私ではユーグ兄様の心を揺さぶれる何かなど持てていないと分かったから。


「ユーグ兄様。2つだけ、我儘を許してくれますか」

「……2つ?」

「はい、2つ。そうしたらきっと、また頑張れます」


ああ、私はここまできてもやっぱりズルい。

こんなに弱った状態で言えば、そう無下に出来ないだろうと分かって言っている。

情けなくて悔しくて、どうしても笑みは歪んだ。

それでも顔を上げた。

情けない顔をさらして、声をあげる。


私の告げた我儘に、目の前の人は複雑そうに眉を歪めたまま、やっぱり私と同じように笑った。


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