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神の遣いの少女は初恋の将軍にすべてを捧ぐ  作者: 雪見桜
番外2 過去と少し未来のお話
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7.真意を知る


私が王女としての振舞いを覚えるための本格的な教育が始まった。

文字を覚えること、言葉遣い、王城での礼儀、この国の歴史。

孤児として生を繋ぐことで精一杯だった私の持っていたものなんてあまりに少なすぎる。

私の能力は、この王都で暮らす平民たちよりもうんと下。

ゼロからの始まりだ、朝から晩までみっちりと基礎を叩き込まれていく。


「お疲れ様でございました。本日はこのあたりで良いでしょう」

「ありがとうございました……」


一日の終わりはぐったりと疲弊してしまって声も萎む。

自然と丸まった背にこほんと咳払いを受け、慌てて背筋を伸ばした。

そうすれば先生はにこりと笑み優雅に礼をとっていなくなる。

同じ時間だけ共に過ごしたというのに始めから何一つ変わらない声の張りとしぐさは流石は先生といったところだ。


「お疲れ様でした、姫。本日もよく励んでいらっしゃいましたね」


ぼうっと呆けたまま先生を見送った頃、ふいに声が響いた。

視線を上げれば近くにユーグ兄様がいる。

一体いつの間にと、私は目を丸くした。

最近は、昼は別行動になっていたはず。

私は勉強で、兄様は殿下の側近として、軍部の副官としての仕事をこなしているという。


殿下のご厚意で確かにユーグ兄様は私の傍にいてくれている。

けれど元来軍人である兄様の仕事は私のお世話ではないのだ。

護衛という建前ではあるけれど、兄様ほど高位の人がするほどの状況ではないと分かっていた。


……これもきっと、殿下や兄様の気遣い。

本来ならば私のもとにこうして毎日来る必要などないのだ。

きっと、兄様はとても忙しい立場のはず。

それでもそんな気配ひとつ見せず兄様は必ず1日に1回は会いにきてくれる。

私が兄様に懐いているから。そして1人ではあまりに覚束ないから。


役に立つどころか、いまだ私はこうして支えられ通しだ。

情けなさで胸がつくんと痛む。

それ以上に今日も会えて嬉しいという気持ちが膨れてしまう自分の我儘さも情けない。



「姫? 表情が優れませんが、いかがされましたか」


ユーグ兄様がすっと膝を折って私を下から覗き込む。

慌てて首を振り、顔を上げた。


……ここまで心を砕いてくれているというのに、私は未だに我儘なままだ。

兄様に会えないと心細いと思ってしまう。

王女としての役目ひとつ果たせていないのに、気遣わせる。

役になど欠片も立てていないのに、王女としての自分を取り繕うことすら難しい。

今だって相変わらず丁寧な口調を崩さない兄様に心が靄がかる。


「何でもありません、少し疲れてしまっただけで。本当ですよ?」


無理に笑みを貼りつけ、答える。

兄様の眉間には少しだけ皺が寄った。

ああ、嘘すらまともに付けないだなんて。

なおさら情けない。


「姫。少々お時間いただけますか?」

「……ユーグ様?」

「息抜きになるかは分かりませんが、よろしければ庭を歩いてみませんか」


よほどひどい顔をしていたのだろう。

気づかわし気にそう提案され、苦笑してしまった。

頷いてしまう私自身も実際色々と溜まっていたのだろう。

……今だけ。

都合よく言い訳してユーグ兄様と共に外に出た。


ぱきんと冷えた空気が体に入る。

刺すような冷気が疲れてゆるんだ気を引き締めてくれた。

背筋が思わず伸びて、視線は上へ。


「あ、月」

「本日は満月ですね」

「はい。どおりでいつもより明るいと思いました」


孤児院時代は毎日のように月を見ていた。

田舎で夜になると灯りも心もとない、そんな所だったから月を見るくらいしかなかったのだ。

今は毎日が忙しく、月を見上げることすら久しぶり。


「みんな、元気かなあ」


呟けば、ふっと後ろで小さく笑い声が聞こえる。

不思議に思って振り返れば、灯りに照らされユーグ兄様はほんの少し安心したように笑んでいる。


「失礼いたしました。お変わりないご様子に少し安心いたしました」

「……安心?」

「ご無理を強いているのではないかと、勝手ながら案じておりましたので」


何を言われているのか、理解するまで少しかかった。

ユーグ兄様が私を気遣ってくれていることも心配してくれていることも十分知っていたけれど、安心したという言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。

無理を強いているという言葉にも思い当たることがあまりなかった。


一体何が安心させたのか分からない。

私はただ昔を思い浮かべて、かつての家族を思い出していただけ。

貧乏で大変で寂しいこともたくさんあったけれど、不思議と温かな記憶だけが蘇る。

愛しさと共に呟いた言葉にユーグ兄様は何を安心したのか。


「本音を、久しぶりに聞かせて下さいましたね」


私の心を読んだかのようにユーグ兄様が笑う。

目をぱちぱちと瞬かせた私は、「ああ、確かに」と思い返していた。


だって兄様の足手まといにはこれ以上なりたくなかったのだ。

早く主として自立して兄様の役に立つ自分になりたかった。

兄様への思いひとつでここまで来た私だから。

いつまでも甘えてばかりは嫌だと思って虚勢を張っていたのは事実だ。


「……そんなに下手でしたか? 私」


気まずくなって弱弱しく問えば、ユーグ兄様は笑んだまま返事をくれない。

それが何よりの答えに思えて、恥ずかしくなった。


「急くことはございません。姫は十分頑張っていらっしゃいます」


代わりの励ましに、やっぱり私は苦笑した。

全てお見通しだ。


「強がるくらいは、させてください。形から入るのも大事だって先生も仰っていましたし」

「ご無理だけはどうかなさらず」

「ありがとうございます。……ユーグ兄様」

「姫」

「……ユーグ様」


どうしてもお礼は“ユーグ兄様”と言いたかった。

ユーグ兄様も言葉では私を窘めるけれど、苦笑して強くは言ってこない。

甘えているなあと、改めて感じた。


「声がすると思ったら、お前たちか」


耳に言葉が届いたのは空気が少しゆるんだそんな時だ。

声の聞こえる方に視線を向ければ、真っ暗な空間の中に心なしか影を感じる。

すぐ近くでユーグ兄様がすっと膝を折った。

それだけでこの影が誰なのかを察する。


「シリクス殿下。なぜこちらに」

「こちらの台詞だ。まあ、予想は付くがな」


視界に映る距離までやってきたシリクス殿下はちらりとユーグ兄様を見つめていた。

ユーグ兄様は頭を下げたまま動かない。

けれどお互い理解している部分があるのだろう。

シリクス殿下からの追及はそれ以上なかった。


どこまでも静かなシリクス殿下の視線。

起伏のない、温度もあまり感じない表情。

暖色のない髪目の色がそう見せているのかと思ったこともあったけれど、そうではない。

この方自身の気質なんだと最近気づいた。

それが狙ってのことなのか、元々のことなのかは分からないけれど。


それでもシリクス殿下が冷たい人だとは、不思議と思わない。

情のない人だとも、思わない。

あのユーグ兄様が主と定めて忠誠を誓う人で、王女になったばかりで戸惑う私にユーグ兄様を付けてくれた人。

そんな前提があったからだ。


ただ……、すごく無口だから沈黙が続くのが気まずい。

何を話せば良いのか分からず、沈黙の時間がただただ長くて戸惑う。


「……父上か、そのブローチ」


先に沈黙を破ってくれたのは殿下の方だ。

陛下がくれた王家の花のブローチを、私は胸元につけていた。

殿下がブローチを見て会話のきっかけをくれる。

とっさに胸元のブローチに触れ、こくこくと頷いた。


「先日、下さいました。この花に恥じぬよう励みます」


慌てて言葉を添えれば、殿下が小さくため息を吐きながらも頷く。

何か失望させてしまっただろうかと肩を揺らす私に、近くでユーグ兄様がなぜか笑った。


「そう畏まる必要はないと仰せです、姫」


難しそうな顔をしている殿下に、穏やかに笑うユーグ兄様。

交互に見比べて、ふっと笑んでしまう。

完ぺきに見える殿下も、少しだけ不器用な面があるのかもしれない。

畏れ多くて口にはとても出せないけれど、親近感を覚えて安堵したのだ。


「……頑張ります、お役に立てるよう」


今度は自分の言葉で返す。

やっぱり難しそうな顔をしたままの殿下は、それでも頷き返してくれた。

うん、殿下はやっぱり冷酷な人ではない。

そう認識して、胸元のブローチに再び触れる。


ユーグ兄様の背中ばかりを見て、ここに来た。

ユーグ兄様のお役に立ちたくて、報われてほしいと思ってここに来た。

王女になるつもりなんてなかった。

けれど、何とか踏ん張れるかもしれない。

陛下や殿下を見ていてそう思えたのだ。


そして変化が起きたのはその時だった。

添えた手に収まるブローチがほんのり熱を持つ。

途端になぜだかユーグ兄様の胸元が光って見えた。

脳に直接言葉が入ってきたのは直後だ。


『神の遣い、か。神など信じたことはないがな。今回ばかりは助かったというべきか』


声はシリクス殿下のものだった。

今と何ら変わりのない平坦な声。

けれど目の前にいるシリクス殿下は口を閉ざしている。

ユーグ兄様の胸元は相変わらずほのかに光っていて、惹きつけられる感覚が抜けない。

ああ、またあの神器が私に記憶を見せてくれているのだろうか。

けれどどうして。

今まであのペンダントに触れない限りは記憶を覗くことなど出来なかったのに。


もしかしてこのブローチ……、思い至ったのは少し経ってからだ。

思わずブローチを撫でていた手に力が入る。


『その力次第ではこの国の首、何とか繋がるかもしれん』

『殿下。殿下は……』


続いて響いたのはユーグ兄様の声。

いつの話なのか分からない。

けれどその続きを知りたいと思った。

足を引っ張ってばかりいる私の、この身に宿った力に価値があるというならば知りたい。

役立つ方法が見つかるならば。


『殿下は彼女を戦地に立たせるおつもりですか』


そうして知った事実に、一瞬ひゅっと息を止めてしまった。

戦地が、私の求められる場所。


『クルクの動きがまた活発になっているのは知ってるな。アギリアもじき動く。……スフィードが戦火から逃れられた過去がかつてあったか』

『それは……、ですがっ』

『近くこの国は戦場となる。わが国が生き残るために手段など選んでいられる状況ではない』

『殿下』

『神の力、確かなものならば。国民を生かす力となるならば、使わないという選択肢は私にはない』


ようやく知ることの出来た本当の目的。

どうしてこうも早く私がこの国の王女として認められたのか。

現実は、どうやら甘くはないらしい。


思い出すのは、初めて覗いた時のユーグ兄様の記憶。

目に映る至る所が破壊され、火が燃え盛り、そうして多くの命が散っていったあの場所。

思い出すだけで手足が震え、息も上手に吸えなくなるような、あの記憶。


私の求められた場所は、あの地獄のような光景なのか。

あの場所に立って盾になることが、私に求められた役割。


『彼女はか弱い女の子だ、本来ならば守られる立場の』

『私は王族だ、小さな犠牲を恐れ肩入れなど出来ない。私が動かねば、誰が国を守る』

『それ、は』


どうやら、ユーグ兄様はその中でも私を思いやり守ろうとはしてくれたらしい。

それでもシリクス殿下の意思に揺らぎはないように思えた。


『ユーグ、酷な人生を歩んできたお前に私と同じだけの覚悟を持てとは言わん。が、私に出来ることはあの者に少しでもスフィードを愛してもらい、少しでも納得させることだけだ。身分の問題やくだらん中傷は全て私が排除しよう』


シリクス殿下の言葉は終始、芯がずれることがなかった。

私を国を守る力として役立てようと、そうして戦火から何とか生き残る術を見出そうと、この短い会話でもそんな強い意思が伝わってくる。

付き合いの短い私でもそうなのだ、忠誠を誓うほどにシリクス殿下と共にあったユーグ兄様はなおさらだろう。


『……差し出がましいことを申し上げました、申し訳ございません』


最終的にシリクス殿下の言葉を、ユーグ兄様は飲み込んだようだった。

ブローチの熱が少しずつ溶けていき、ユーグ兄様の胸元も光を失う。

一瞬のうちに頭に入り込んだ2人の記憶。

顔を上手く上げることができない。


思わず身震いしてしまった私にいち早く気づいたのはユーグ兄様だ。

けれどそれは、この外の寒さが原因だろうと思ったらしい。

当然だ、私が2人の記憶を覗いてしまったことなどこの2人には知る術もないのだから。


「姫、こちらを」

「え? だ、大丈夫です! 本当に、大丈夫」


この寒い中上着を脱ぎ始めたユーグ兄様を慌てて止める。


「こんな寒い中、そんな薄着だと兄様が風邪を引いてしまいます! 私は本当に大丈夫ですから」

「ですが」

「へ、部屋に戻りましょう。そうしたらすぐ温まります」


ああ、本当に私は取り繕うのが下手くそだ。

動揺しすぎて言葉がおかしくなっていることに気付いていても、上手く挽回できない。

私たちの様子を見ていたシリクス殿下は肩をすくめていた。


「私もそろそろ戻る」


一言告げて去るシリクス殿下。

慌てて頭を下げると、ひらひらと手を振り返された。


「にいさ、ユーグ様もお休みください。私も、寝ます」


部屋まで律儀に送ってくれたユーグ兄様に歪な笑みを浮かべる。

心配性の抜けないユーグ兄様の表情を上手く変えたいのに、変えられない。

半ば無理やり追い払うように強く「おやすみなさい!」と告げて、ユーグ兄様を帰した。


ああ、やってしまった。

そう思う気持ちもあったけれど、もうどうしようもない。


今は1人になりたかった。

1人になって、考えたかったのだ。

私の役割と、未来について。

答えなんて、そうすぐに出ないと分かっていながら。


『神の遣いが最後の防波堤となる可能性を探る。ユーグ、お前はどうする』

『……私は殿下に忠誠を誓った身。それが殿下の決めたことならば』

『……そうか』


ただただ1人の時間が欲しかった。

手はカタカタと震えていた。





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