心を預ける 前編
日々は淡々と過ぎていく。
どれほど苛烈な記憶も、時が少しずつその強さを薄めていく。
ひとつひとつ、日常は平らに馴らされる。
「これにて完治となります、姫様」
今日もまた、私から戦が遠ざかった。
骨の一部を砕いた左足の弾痕を眺め、お医者様の言葉を受け取る。
痛みは随分と前に引いていた。
それでも中々元通りというわけにはいかなかった私の足。
ようやく日常生活に差し支えない程度にまで落ち着いた。
「ありがとうございます、先生」
笑顔で告げれば、お医者様は未だ苦い顔だ。
その理由が分かり、私は苦笑する他ない。
「……支え無しに立ち歩けるようにまで治していただいたのです。これ以上の望みなどありませんよ」
「ですが」
「先生。貴方は危険を省みず、戦地に立つ皆のためにとスルド近くまで来て待機してくださいました。おかげで助かった命がどれほどあることか。どうかそうご自身を責めないで下さい。皆、感謝しているのです」
少しだけ皺の寄り始めた武骨な手を取る。
合わせるように笑顔を見せてくれた先生の顔は未だ暗さを引きずっていた。
その姿に心までもを平たんに戻すにはもう少しの時間が必要だと実感する。
それでもお互い過去に引きずられたのはここまでだった。
ふうと、小さく息を吐き出したお医者様は「ありがとうございます」の言葉と共に表情を戻す。
「完治とはいえ、以前と同じとは参りません。激しい運動、足に長時間負荷を掛けるようなことはなさらないでください。神経の一部を傷付けていますので、痛む日もあると思います。その際はまたご相談ください、薬を処方いたします」
「はい。心得ました」
そうして先生に預けていた足を地に付ければ、スカートに隠れ痕は見えない。
私の見た目から戦の痕跡を感じることはもう無かった。
顔や手、そういった部分の傷はとうに癒えている。
部屋に差し込む光は、少しだけ薄く弱い。
窓の外に見える風景は、少しだけ物悲しくなっただろうか。
ツキンと完治したはずの足が少しだけ痛むのは、おそらくこの寒さのせいだろう。
季節がまたひとつ、変わっていく。
その光景を目に出来ることに感謝した。
「すっかり葉も落ちて、寒くなりましたね」
ぽつりと呟けば道具を整理していたお医者様の笑い声が響く。
「ええ、もうすぐ冬が来ます。近づいてまいりますね、姫様が“奥様”になられる日が」
「ふふ……、そうですね。緊張してきました」
「ユーグ将軍も同じかと思いますよ。近頃は妙に落ち着かないと仰っておりましたから」
「え? 本当ですか? ユーグにいさ……、ユーグも少しは意識してくれているかな」
「それはもう」
今度はきちんとお互い穏やかに笑った。
こんこんと、タイミング良くノックが聞こえて先生と2人目を合わせ再度笑う。
「失礼するよ、リリ足の具合は……どうしたんだい? 2人して」
「なんの。姫様と2人他愛ない話をさせていただいていただけですよ、将軍」
婚約者は不思議そうに首を傾げていた。
いつもの、きっちりとした制服に身を包み姿勢よく立っているユーグ兄様。
相変わらず気遣いの人で、こうして時間が空けば私と過ごせるよう足を運んでくれる。
「兄様、兄様。今日で完治だそうです、私の足」
「……本当かい? 先生、後遺症は」
「以前お話した以上のものはございません。日常生活も普通に送っていただいて構いませんよ」
「そうか、ありがとう。……良かった」
心底ほっとしたように息をついて、私の前に跪く。
そっとスカートの裾をめくり、痕の残る左足首を兄様が撫でた。
これは近頃2人きりになると必ず兄様がする癖のようなものだ。
私のこの怪我を誰よりも気に病んだのは兄様だったから。
いつも優しく繊細に触れられる。
「……しかし無理はしないようにね、リリ。支えが必要な時はいつでも頼るように」
「ふふ、大丈夫ですよ。これで色々な所へ行きやすくなると思えば楽しみです」
「くれぐれも、無理はしないように。私に抱えられ街中を歩かれたくなかったら労わりなさい」
「……うっ、気をつけます」
少しだけ心配性になってしまった兄様の目が据わっている。
笑顔をひっこめ神妙に頷くも、兄様に抱えられ街中を歩く絵を想像したらどうにも火照ってしかたない。
なのに兄様はジッと私を見つめ続けるものだから熱を収めるのも容易ではなかった。
「……仲がよろしいようで何よりです、お2人とも」
そうして割って入ってきた言葉に、兄様と2人ハッと我に返った。
無言のまま2人で視線を向けた先にいたのは、この医務室の主だ。
何とも居心地悪そうにふいっと視線を逸らす。
「……、す、すまない。つい安心してしまって」
「ごめんなさい、先生。その、場を弁えなくて」
「いえ、何の。お2人の幸せそうな姿を見ることができて光栄です」
結局、何だか気まずい雰囲気のまま私達は医務室を後にすることとなった。
その場にすくっと立ち上がったユーグ兄様が当然のように私に手を差し伸べてくれる。
慌てて立ち上がろうとすれば、やんわりと制され兄様の支える手の力が強くなった。
私が立ちやすいように私の手を持ち上げてくれる。
ありがとうございますと、お礼を言おうと顔を上げてふと気づいた。
ユーグ兄様、耳が真っ赤。
どうやらずいぶんと照れているらしい。
思えば触れる手もいつもより温かいような。
この寒さの中こうして火照る理由など、私と同じ理由しか考えられない。
ああ、本当に兄様と両想いになれたんだなあ。
唐突に実感して、嬉しくなる。
ユーグ兄様からもらった愛しているという言葉。
信じていないわけではないけれど、片想いの時間が長かったお陰でふわふわと未だ夢のように思うこともあるのだ。
幸せを噛み締め、思わず顔が緩むのは仕方ないだろう。
「……本当に良かった。将軍も、姫様も」
静かになった医務室で呟かれた一言を、私も兄様も拾うことはなかった。




