17.エピローグ(side スレイ)
人間というものはおかしな生き物だと心底思う。
下らないことで争い、下らないことで苦しみ、そして下らないことで笑う。
綺麗とは決して言い難く、むしろ醜いほどで。
そんな人間に愛想を尽かした神は数多い。
かくいう俺もその一人だ。
だが、それでも人間を盲目的に愛した神がいた。
醜さを知りながらも、長所より欠点が多いと感じながらも、それでもひたすらに愛した馬鹿な男が。
ついには人間の娘と恋に落ち本当に人間にまでなってしまったかつての友。
奴に俺の記憶はもう少しも残ってはいない。
「はあ? やっとまとまった? 遅えっつの、どんだけ時間かけてんだよお前ら。あれから1年経ってんだぞ」
「時間じゃないもん、こういうのは時間じゃないんだよスレイ」
「80年かそこらしか生きられない人間風情が何を言ってんだ」
「……忘れていそうだから言うけど、スレイも今は人間だよ」
生意気に反論してくるこの娘は、もうどこからどう見ても人間だ。
下らないことで悩み続け、下らない想いに縛られ、そして下らないことで笑う。
そんなどこにでもいるような女。
しかし、それでもどことなくこいつからイルフィリアの空気を感じる。
自分の信じた者に対して盲目的なところとか、直感で動いてしまうその謎の行動力とか。
……人を愛さずにはいられないその性格とか。
「……スレイ様の前だとそんな風になるんだね、リリは」
「兄様?」
「“兄様”?」
「う……ゆ、ユーグ」
「うん、偉いえらい」
「……おい、人間。俺の目の前で堂々と脅しかけんな、そういうのは2人の時にやれ」
「これは失礼致しました、スレイ様」
「あとそのむかつく喋り方も止めやがれ。様もいらねえ」
イルフィリアは……、リリは、今日も人間に恋をしている。
人間と恋に落ちたあの日から変わることなく、ひたすらまっすぐに。
完ぺきとは言い難い、むしろ危うさの方が強い人間を大事に想って生きている。
昔ならば鼻で笑っていた光景だ。
人間などと生きて何になると。
「まあ、冗談はさておいて。スレイ、本当に貴殿には感謝している。スフィードに手を差し伸べ多くの命を救ってくれた恩は決して忘れない。貴国の有事の際は必ず我々も力になるから、いつでも呼んでくれ」
「……別にお前のために手貸したわけじゃねえ。お前がどうなろうと俺は心底どうでもいい」
「それでもだ。それでも結果私は今こうしてここにいる。それが答えだよ」
……しかし、もう俺はイルフィリアのことを愚かだとは言えないだろう。
醜く狡猾な生き物だとは知っているが、それと同時に短い時を必死に生きるその姿を知ってしまったから。
今日もリリの腕には神器が宿っている。
遠い昔、愛した女を守りたいのだと言って生み出したその腕輪が。
スフィード、その名はかつてこいつが愛してやまなかったあの女の名の現在の姿だ。
イルフィリアを人間にしたその娘は、死ぬ間際まで屈託なく笑い多くの子供達に囲まれあっさり死んだ。
その血は細々と生きながらえ続け、やがて国の名となった。
幾度も蹂躙され消えかけようともしぶとく残ったその名前。
何の因果か、イルフィリアとしての記憶を完全に失くし性別すらも変わって初めての転生を果たしたリリという娘は、そんな2人が共に生きた証であるそんな国で生まれた。
遠い子孫と家族になり、やはり盲目的に人間を愛し、馬鹿正直に生きるリリ。
……もう良いだろう。
もう、審判は下されたはずだ。
その姿をみてようやく俺は長年のしこりを取り除くことができたのだ。
いや、もう人間となった時点でとっくに答えなど出ていたのかもしれない。
あの日あの時イルフィリアが全てを投げ打ってでも人間と寄り添い生きた意味は、確かにあった。
「リリ、お前は今幸せか」
分かりきった問いを再度俺は投げかける。
きょとんと首を傾げた娘は、次の瞬間ふわりと笑う。
嬉しくて仕方がないのだと言うように。
「すごく幸せだよ。本当に、とっても」
「……貧相な語彙力だな」
「……だって、本当にそれしか浮かばない」
……いつかは、俺もラスエルとしての記憶を失う日がくる。
それが来世なのか、その次の世なのか、分からない。
しかし、こいつの魂が経験してきたように俺が俺ではなくなった時、俺はこうして笑っていられるだろうか。
笑っていたいと、そんなことを考えるようになった。
清々しい思いで。
「で、式はいつ挙げんだよ。まさかまた1年待つとか言わねえだろうな」
「はは、まさか。3か月後に挙げるよ、いい加減婚約期間も長いからね」
「……半分以上仮面婚約だっただろうが」
「それを言われると何も言い返せないけどね」
「はあ、まあ良い。正式な日時が決まったら教えろ、様子ぐらいは見に行ってやるからよ」
「スレイ、来てくれるの?」
「……ああ、面倒くせえがな」
「ありがとう」
あの時素直に祝えなかった分まで、しっかりと祝ってやりたいと思う。
過去は決して取り返せないが、未来を紡ぐことはできるはずだ。
それを教えてくれたのは、あんなに嫌悪していたはずの人間で。
敵わねえなと、やはりそう思ってしまった。
それから時は同じように流れ続け。
途方もない未来でやっと神の記憶を終わらせるその直前。
盛大な尾びれ背びれがつき、恐ろしく美化された2人のまどろっこしい人生が神話にまでなった頃。
神話と共に求愛の花としてすっかり有名になったその花を抱え、俺はあいつらの過ごした街を駆けることになる。