13.神を知るもの
朦朧とする意識の中、ただ声だけが耳元に届く。
誰なのか、分からない。
私の知る知り合いにこんな声の人はいないはずだ。
……なのに、何だか懐かしい。
「何だってお前はそう猪突猛進なんだよ、人間は脆いからすぐ死ぬって教えただろうが馬鹿野郎。……って、覚えてねえか」
言葉の意味などまるで理解できない。
ただただ遠のく意識の中で、それなのになぜか「済まん」とそんな自分らしからぬ言葉が浮かんだ。
……ダメだ、いけない。
寝ている場合なんかじゃない。
兄様を1人になんて絶対させたくない。
そう思うのに、目がもう機能しない。
体中の感覚がどんどんと鈍っていく。
「……答えは確かに預かった。今こそ約束を果たそう」
意識が途切れる直前その言葉を聞いて、なぜだか泣きたくなる自分がいた。
「イルフィリア、お前正気か? 人間に堕ちるなど」
誰かが、私をそう呼ぶ。
何のこと? と私は聞きたいのに、なぜか口から出てくるのは全く別の言葉。
「ラスエル……堕ちるなどと言うな。何度も言っただろう」
声が私とはあまりに違っていて、驚いた。
こんなに野太く男っぽい声など私はもっていないはずだ。
「人間は弱く醜い生き物だ。同族殺しを繰り返し、下らん虚勢をはることしか考えない。そんな奴らの為に生贄になる必要がどこにあると言うんだ」
「ラスエル、私は生贄になるのではないよ。ただ、恋をしただけだ。だから人間になるんだよ」
「恋、だと? そんな不確かなもののために不死の力も神力も全てを捨てるつもりなのかお前は! 考え直せ、人間はそんな綺麗な生き物じゃない」
私の混乱をよそに会話は続く。
内容などまるで理解できていない。
しかし、そのはずなのに、どこか覚えのあるような気がする。
それは説明のつかない何かで、なんとも形容しがたい。
「ラスエル、私は人間が好きだ。確かに彼らは生き急ぐあまり悲劇を多く繰り返すが、それでもひたむきで必死で、そして温かい。それに、私は全てを捨てるわけではないさ。人間となって、いずれその魂の輪廻に組み込まれ人格すら変わったとしても、本質の心は変わらない」
「そんなのどうして分かるんだよ。お前本当に分かってんのか、人間になりゃいくら転生したって記憶も何も吹っ飛ぶんだぞ!? 魂だけ同じでもそんなのもう、お前じゃないだろうが」
「分かった。ならば、お前が審判してくれ」
「……あ?」
「私がいつか私の記憶を失い性別さえも変わった時、それでも私の心は残っているのか。……人間は、私が多くを捧げるに相応しい種族なのかを、お前が」
「……どうしても変わんねえのか、その意志は」
「ああ、済まんなラスエル。もう決めたんだ、私は。あの娘と、フィーダと同じ時を刻み人の輪で生きたい」
「分かった、そこまで言うのならもう俺は何も言わない。が、お前との友情もここまでだ。俺は人間と言うものほど嫌いなものはねえんだよ」
「……ラスエル」
「…………もし」
「え?」
「もし、本当にお前の言う通りお前が記憶を失うほどの時を重ねても、愛し心を捧げられるだけの価値が人間にあるというのならば。その時は俺の全てを使ってお前を助けてやるよ、それが友として最後にお前にくれてやる約束だ」
「……ラスエル、ありがとう」
「ふん、人間なんざ脆いんだから気抜いてたらすぐ死ぬぞ。せいぜいその直情的な性格気いつけんだな」
……イルフィリアとラスエル。
聞いたことのないはずの名前だというのに、初めて聞くはずの会話なのに、胸が無性に締め付けられる。
苦しいくらいに懐かしく愛しいと思う声。
『分かったか? 神の遣いの真実』
唐突に声が響く。
イルフィリアにでもなく、ラスエルにでもなく、私にあてた声。
それは意識を閉ざす直前に響いたあの正体不明の男のもので。
『昔、この大地には多くの神が暮らしてた。が、神々は人間の醜悪を嫌悪し次第に人間との距離を取り始める。そんな中で唯一、人間を愛した神がいた。それが大昔のお前……イルフィリアだ』
声はそう私に説明をくれた。
あの時あの場所に現れた彼はさっきまで届いていた声の本人、ラスエルなのか。
そんなことをやっと理解する私。
しかし、不思議に思った。
だって、今脳に直接響く彼の声とさっきまで聞こえていた彼の声はまるで質が違ったから。
『神器が使えんのは当然の話だな、いくら人間となって神の力が失せたと言えどもお前はイルフィリア。普通の人間と魂の質は根本的に違う』
私の疑問をよそに、そう私に説明をくれるラスエル。
そしてその後、私に問いかけた。
『リリ、お前にもう一度問おう。お前は人間を愛しているか? お前を利用し危険に陥れた人間達を、それでも全てを捧げるに値する存在だと思うか?』
言葉が頭に響く。
その瞬間、私の脳内に強く浮かんだのは、ただ一人で。
……そうだ、兄様は無事だろうか。
私が倒れ、苦しんではいないだろうか。
そんな想いばかりが膨らんで、思わず笑いたくなった。
「私は」
その想いのままに声を発すれば、今度はイルフィリアではなくリリの声が表に出てくる。
それがすべての答えに思えて、私はよどみなくそれを形にした。
「私は、ユーグ兄様が好き。強くて、優しくて、けれどそれと同じくらい脆くて必死に毎日生きている彼を愛してる。私に出せる答えは、それだけだよ」
悲しいことも怖いことも山のようにあった。
けれど、何度聞かれたってきっと私はそう答えるだろう。
この生ある限り、傍にいたいとそう思う。
そしてそんな私の言葉を受けて満足した様に笑ったラスエルが「敵わねえな」と一言落とすと、どこかに意識が引っ張られる感覚を覚える。
逆らわずにその感覚に身を任せれば、手に強い力を感じた。
次の瞬間、目に映ったのは顔を真っ赤にして私をじっとみつめる愛しい顔。
「っ、リリ?」
「兄、様。泣いているの?」
「リリ!」
「大丈夫です、兄様。私はずっと傍にいます、から」
かすれて上手く声にならないままに、そう告げると途端に強く抱き寄せられる。
いまだ朦朧とした意識のままぐるりとあたりを見回すと、なぜだか大きな歓声に包まれた。
……何が何だか全く分からない。
そういえば今は戦の最中ではなかっただろうか。
呑気にもそんなことを今になって思い出した私は、けれども薄ぼんやりととある人物を目にとらえてなんとなく事情を察知する。
「ラスエル……まさか、貴方が?」
そう問えば、心底呆れたように答えをくれる。
「お前は、ちっとは空気をよめ。相変わらず呑気な野郎だな。……ま、約束だからな。今代に限って手貸してやるよ」
ありがとうと、そう返す私。
するとラスエルは照れたように「んなこたどうでもいいから、その男どうにかしろ」と苦笑したのだった。
ラスエルが実はすでに人間となっていて、その力を持ってシュリという国を立ち上げ急速発展させたこと。
遠い約束を果たすため、このスフィードにまで大軍を引き連れてきたこと。
突如現れた2人目の神の遣いに混乱したクルクが、スフィードとシュリの軍を前に撤退したこと。
一度にそんな多くの情報を知ることとなるのは、もう少し先のことだ。