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「はい、あーん」
とろけるような甘い声と共に、生クリームがたっぷり乗ったフォークを差し出され、わたしはひくりと口元を引きつらせた。長椅子に腰かけたわたしのすぐ隣には、まるで絵画に描かれた天使のごとき美少年がぴったりと寄り添い、色鮮やかなフルーツタルトを乗せた皿を片手に微笑んでいる。
「フィリエル?」
けれど、なかなか口を開こうとしないわたしを見て、少年は晴れた日の青空のような瞳を曇らせ、不思議そうに首を傾げた。その動きにつられて、華やかな金色の髪がさらりと肩を滑り落ちる。
「どうしました? このタルトはお気に召しませんでしたか」
「―――いいえ」
それなはない。だって、彼が手にしているタルトは、現在王都で最も有名な洋菓子店『アルシェ』の新作である。舌の肥えた貴婦人方の間で超がつくほどの人気ぶりで、朝早くから並ばなければ手に入らないと聞く。むしろ、今すぐフォークを奪い取って、思い切りかぶりつきたい。
―――でも。
「わたくし、お腹が一杯で」
泣く泣く首を振り、窓から差し込む穏やかな陽差しを受けてきらきら輝くタルトの誘惑から目を背けた。
(負けるな、わたし………!)
しかし、わたしの言葉を一体どういう意味に解釈したのか、彼は顔色をなくして硬直し、その透けるように白い手からぽろりとフォークを取り落とした。
「そ、そんな! 今日はまだ“四つ”しか召し上がっていないではありませんか。どこかお加減でも悪いのでは―――っ」
彼は慌ててテーブルに皿を置くと、わたしの額にそっと手を当て、ありもしない熱を測り始めた。わたしはため息をつきたくなるのを堪え、その繊細な手を無礼にならぬようそっと遠ざけながら、慎重に言葉を探した。
「いいえ、そうではないのです。殿下」
「テシウス」
すかさず訂正され、言い直す。
「………テシウス様。わたくしは至って健康です。いえ、健康すぎて困っているのです。これ以上太ってしまったら、豚になってしまいます」
「豚?」
わたしの言葉に、彼―――テシウス=レリア=イージス様は、長い睫毛をきょとんと瞬かせた。その鏡のように透き通る青い瞳に映り込んだ己の姿を見つめ、わたしは今度こそ深いため息を零す。
綿飴のようにふわふわとした長い銀色の髪。蜂蜜を閉じ込めたような甘い金色の瞳。しみ一つない滑らかなクリーム色の肌に、熟れた林檎色の唇。その全てが美しく整い、繊細な造りをしている。
―――だが。
「豚だなんて。フィリエルは柔らかくてとっても可愛らしいですよ」
ほら、と。赤子のようにぷっくりとしたわたしの手を取り、愛おしげに頬を寄せるテシウス様。その勢いのまま、ぎゅうっと腰に腕を回して抱き寄せられ、わたしは「ひいっ」と凍りつく。そこにはひらひらしたドレスでは隠しきれない肉がたっぷり蓄えられていて、テシウス様の華奢な両腕が軽く沈んでしまう。愛情を込めて優しく口付けられた頬は栗鼠のようにまるまると膨らみ、輪郭と首の境界線がひどく曖昧になっている。
―――そう。
惜しいことに、わたしは太っているのだった。それも、かなり。
「フィリエル。あなたと結婚できて僕はとても幸せです」
そんなわたしを眩しそうに見つめ、ふわりと微笑むテシウス様。彼はこのイージス国の第二王子であり、信じられないことに、わたしの夫でもある。一体どうしてこうなってしまったのか………至極満足げな美貌に頬ずりされながら、わたしは遠い目で過去を振り返ることにした。