幼馴染と漆黒の野獣
怪しいほど輝く月に照らされた道路を脱兎のごとく駆ける幼馴染、結城楓の後を桐崎真聡は走り続けていた。
「ったく、何て速さだよ。あれ本当に楓か!?」
女子中学生の楓は確かに運動神経は学年トップクラス。だが真聡は部活こそやっていないが、運動が苦手な訳ではない。
男子である真聡の前を走る楓らしき人物は深々と被っているフード付きのマントを靡かせながら徐々に速度を早めていく。
差は開き、真聡も息が切れ始める。楓らしき人物はそのまま住宅街を抜け、山奥の細道に入って行った。
ここで見失うわけにはいかないと自らの足に鞭を打ち、息を大きく吸う。胸を塞ぐような不安を歯を食い縛り飲み込む。
真聡も同じく山奥の細道に入る。森の木々で月明かりが阻まれていたが、隙間から漏れ出す光が幻想的だった。
しかしそれでも先は闇に塗りつぶされ、数メートル先が何とか見えるという様子だ。
おぼつかない足取りで夜の森を歩く真聡はそのまま山奥へと足を運んだ。懐中電灯を持ってこなかったことを悔いながら真聡は歩き続けると背後で物音がした。
驚く真聡は即座に体を反転さた。僅かも先が見えない闇の中で小さく動く物があった。それはそのまま真聡へと歩み寄ってくる。真聡は目を凝らしながら見つめるとそれはそのまま足元まできた。丸々と可愛らしい野ウサギだった。
栗色の毛が実に鮮やかで真聡はこんな状況であることを忘れ触れようと手を伸ばすと野ウサギは再び闇の中へと駆けて行った。野ウサギが消えるのを見届け、我に帰ったように再度、体を反転させた。
だがそこには先ほどまでなかったはずの何かがあった。闇の中、フード付きのマントを羽織った一人の女性。こちらを見つめる二つの瞳。その目に真聡は硬直した。
突き刺すような瞳の持ち主はフードをゆっくりと後ろへ上げた。 腰にかかる程の長さの艶やかな茶のストレートヘアが露わになる。そして見間違えるはずのない美貌。間違いない。
想像を裏切ることなく、結城楓だった。
「ここで何をしているの?」
心臓が大きく跳ねる。わずかに残っていた冷静さが吹き飛び、焦りが感情を支配する。
今の声はいつもの柔らかい声じゃない。あの時の楓だ。意を決し、 真聡は渇き切った唇から掠れた声を絞り出した。
「お...お前こそ...何をしてる?」
「散歩よ。真聡君は?」
楓はピクリとも表情を変えず即答。
「まぁ、俺もそんな感じかな」
冷静を装っているつもりだが、実際心臓は限界速度で動いている。嫌な冷や汗が手をぐっしょり濡らしていた。
楓は小さく息を吐くと小さな唇を開いた。
「ごめんね。急いでるのから単刀直入に言うけど...帰って」
あの目...あまりの深さに足がすくむ。
「何でだよ」
「帰って」
「だから、なんでだって...」
「帰ってよッ!」
楓の叫び声が木々をすり抜け、森中に響き渡る。真聡は何かを言おうと息を吸うが....声にならずに胸の奥で詰まる。
「これ以上は何も言わない。何も言えない。だから....帰って」
それだけ言うと楓はゆっくりと身を翻し、再び森の闇へと消えた。その言葉を退けるにたる理由も、自分の考えを口にする時間も真聡にはなかった。
釘のように突き刺さる瞳から開放され、肩の力が抜ける。かくんと膝が曲がり膝を地面についた。まるで持久走を完走したあとみたい。
だがその時ほど清々しい汗じゃない。自分が今どんな感情で支配されているのかを知らせるような冷たい汗だ。楓を止めるとこも出来ず、俺は何をしに来たんだ。
後悔に押しつぶされそうになる。真聡は動くことすら出来ず、そのまま座り込んでしまった。その時、先ほど楓が駆けて行った方角から小さなドォンという何かが地面を打ちぬく音がした。
森の木が数本倒れるのが見える。真聡は反射的に立ち上がろうとするが、足が思うように動かず、立つだけでも一苦労だった。
だが、きっとあそこには楓がいる。彼女が絶対に謎の事件に関係してる。その思いで真聡も再び走り出した。
足の筋肉も悲鳴を上げている。だが構わなかった。ここで休めば、楓は.....。
枝を掻き分け、木々をすり抜け走り続ける。徐々に音が大きくなる。近づくに連れ、音の種類が増していく。何かが木々をなぎ倒す音。すべての音を頼りに走った。
すると数メートル先に崖が見えた。小さな崖だが人が飛び降りることはできなさそうだ。するともう一つ、信じられない光景を目の当たりにする。
そこには華麗な二足歩行で、4メートルにもなる巨大な肉体と隆々たる筋肉に漆黒の短い毛皮。その上に乗った頭は人間ではなく、山羊だった。
頭の両側から捻じれた角が飛び出し、目は赤く燃えるように輝いている。悪魔の姿そのままである。
奴からは十数メートルは離れている筈だが、にもかかわらず真聡はすくんだように動けなかった。
さらに目を疑ったのが、奴と向かい合わせに立ち尽くす楓の姿だった。
突然黒い野獣は轟くような雄叫びを上げた。
音圧で周りの木の葉が舞い落ち、びりびりと空気の振動が伝わってくる。羽織っているマントが激しく靡くがそれでも楓は直立不動を続ける。
黒い野獣は右手に持つ、超巨大なハンマーをかざし、楓に向かって一直線に振り下ろす。
「楓ッ!」
無意識のうちに彼女の名前を呼んだ。だが楓は言われなくも分かっていたようにひらりと野獣のハンマーを避けた。
地響きを伴う攻撃に真聡は億し、動くことすら出来なかった。だが彼女は僅かも恐怖を抱かず、それが当然であるように避けた。
もう一度、野獣がハンマーを構えると同時に、楓は右手を地面と垂直に伸ばした。すると光のエフェクトが凝縮していき、何やら長細い何かを形成していくのが見えた。再び野獣がハンマーをごぉお!という轟音と共に勢いよく叩きつけた。だが、その殺戮することに特化された筈のハンマーは楓を叩き潰すことなく、空中で止められていた。
正確には楓が右手に持つ、長身のロングソードで支えられていた。野獣はさらに力を入れて楓を押しつぶそうとするが、楓の片手の力に押し返されていた。
すると楓は刀身を僅かにずらし、野獣の攻撃軌道を横に逸らした。その瞬間、楓が野獣への距離を一気に詰める。目でおえない程の速度で手前まできたところで勢いよく跳んだ。
マントが翻る。そして右手に構えた片手剣をまるで小枝を振るような、凄まじい速度で野獣に連続で突き刺した。だが、ただがむしゃらに刺していたわけではなく、首元、左肩、左腹部、右腹部、右肩部分を綺麗に貫いていたようだ。
そのまま楓は野獣の分厚い胸板を蹴り、後ろに跳んだ。ゆっくり半回転したあと、静かに着地。
すると野獣の5つの傷口が青く光出した。闇の中、5つの光が小さく輝く。
だが次の瞬間、その光は噴き出す血液によって赤く染められた。
黒混じりの赤い血が吹き出る中、
野獣は黒と紅色の煙になり、吹き荒れる風に粉のように吹き飛ばされた。