〇〇の世界-7
「咲、買ってきたよ。蜂蜜じゃないけど、はいこれ」
教室に戻ってから、僕は早速咲に向けて、ブラックコーヒーを軽く投げる。
「おわわわわっ」
いきなり投げられて、咲はあわててキャッチした。
僕はついさっきまで咲の対応をしていた悟朗に視線を向ける。
「悟朗、大変だったろう……よくがんばったよ……」
「ん? 何言ってんだ? 感謝するのは俺の方だ。ありがとな!!」
そうして、悟朗は本当にうれしそうに笑った。いや、やっぱり幸せそうにって表現のほうが適切なのかもしれない。
……なんで、僕が感謝されてるんだ。感謝するのは僕のほうなのに。
咲の対応をしてくれたのは悟朗なんだけどな。僕の想像する限り、悟朗はかなり過酷な会話の戦争が繰り広げられていたと思う。
なのに、その悟朗に感謝されるってどういうことなんだろう。
「悟朗」
「なんだ」
「なんで、僕は感謝されているのでしょう」
「そりゃ、咲と、そそそそそ、その二人っきりで会話をしてくれる機会を与えてくれたからだが?」
声が上ずっている……?
「その、大変じゃなかった? はちみつに精神汚染された咲に対応するの」
「いや? むしろ楽しかった」
「た、楽しかったのか」
「おう」
謎だ。蜂蜜モードに入った咲とは会話が成立しなくなるのにいったい何が楽しかったのだろう。
蜂蜜蜂蜜って連呼している咲を見て面白かったってことなのか。
少し想像してみる。
「はちみつはちみつ」
「へえ、はちみつなのか!」
「はちみつはちみつ!」
「やっぱはちみつなんだなっ」
「はちみつ!!」
「そうかはちみつか! ハハハハッ」
……面白いのかそれ。
とりあえず、咲のほうを向いてみる。
「まっずー!!」
丁度咲がブラックコーヒーを勢いよく噴き出すところだった。
「ぐわぁッ?!」
「おぉッ!?」
液体が僕と悟朗のあらゆるところにふりかかり、ふりかかり、ふりかかって、いろんなところに茶色いシミができてしまった。はずだったのだけど、悟朗が持ち前の運動神経を駆使して液体をすべて避けたせいで、全部僕にふりかかった。
服はびしょびしょで、コーヒーの匂いがぷんぷんしてくる。夜も起きていられそうなくらい。
僕の心の中で何かが崩壊した。
悟朗が僕の大惨事スタイルを見て、苦笑している。
そんな中、僕は満面の笑み! なはずあるかッ!
「…………」
「神治……えっと、その、おめでとう」
「どこもかしこもおめでたくねぇッ」
「い、いや、考え方を変えてみろ。咲の口から出たものがふりかかったんだぞ? それがお前にふりかかった。これってある意味」
「黙れ変態!」
これはひどい。今日は何か不幸なことばっかり起きている気がする。さすがの僕でもこれは、ね。
僕にブラックコーヒーをぶっかけた張本人である咲の姿を確認した。ろっくおん。
「さぁぁーきぃぃー?」
「ひぃっ!? しんちゃんがなんかこわい!」
「正座ッ」
「ひゃい!」
咲は緊張したような声を上げながら、机の上に正座をし、マシュマロみたいな頬を少し赤く染めながら、そのままかちこちに硬直した。肩がプルプル震えている。
ちょっとかわいいと思ったのは、ここだけの秘密。
「さあ、尋問タイムです」
「じ、じんもん~? じんもんってな」
「意味なんて知らなくていい」
「ひゃ、ひゃい!」
さっきから噛みまくっている。余ほど緊張しているんだろうな。うひひ。
僕は少し得意げになり、腕を組んで仁王立ちする。
「なぜ、咲はコーヒーを噴き出したのでしょうか? 10秒以内に答えよ」
「え、えっとねー、うんとね、えっとー」
「10、9、8」
「うわあぁー! えっとうんとえっとー!」
「7、6、5、4」
キーンコーンカーンコーン
ここで授業開始のチャイムが鳴った。
「…………」
このタイミングでチャイム鳴られても困る。大いに困る。おいこらチャイム空気読め。
生徒たちが次々と教室に戻ってきた。
それでもってみんな、僕と咲を大注目。悟朗はっていうと、いつの間にか自分の席に戻って、僕と咲のやり取りを観戦している。
少し恥ずかしくなって、一気に怒る気が失せた。
「えっとぉー、うんとー」
一方咲の方は、まだ必死になってあれこれ言い訳を考えている。
僕はため息をついた。
「大体咲が一番好きだったやつじゃないか、ブラックコーヒー」
「……えー? 違うよ? あと、ブラックコーヒーって何ー?」
頭痛がしてきた……。
僕は、咲が手に持っている缶を指差した。その缶には『BLACK COFFEE』と書かれている。間違いなくブラックコーヒーだ。
「それはなんでしょう」
「これ? えっとー、ブレイクコーヒー?」
何でブレイクなんだよ。コーヒーを壊せって何なんだよ。……ブラックをブレイクって読み間違えてるところは咲らしいっちゃ咲らしいけどね。
「あほか!」
「ばかだもんー」
はいここでスルースキル発動。さっさと次の質問に移る。
「で、咲の一番好きな飲み物ってブラックコーヒーじゃなかったのか」
「ブラックコーヒーってー?」
「……ブレイクコーヒーでもいいや」
訂正するのが面倒になってきたなんて一切思ってなんかない。ないからね。
咲は、正座したまま首をちょこっとかしげた。
「今日初めてブレイクコーヒー飲んだのにー」
「え?」
空気が変わった。気がする。
僕の中で違和感が駆け巡った。周りの人の声が聞こえなくなる。たぶん、集中しているせいだと思われる。
どういうことなんだ。初めて飲んだって……。そんなはずがない。
「咲」
「何ー?」
「前に、これ飲まなかったか?」
「……飲んでないよー?」
何かがおかしい。何かがずれている。じゃあ、自動販売機で何かを買おうとした時、突如僕の脳内を過ぎったあの記憶は一体何だ。ただの僕の妄想だって言うのか。
一応咲に再確認してみる。
「本当に飲んでない?」
「うん。だってこんなに苦いの生まれて初めて飲んだもんー」
どうやら本当にブラックコーヒーが好きじゃなかったみたいだ。
僕は考える人のポーズをとって、思考する。
つもりだったけれど、そこで教室のドアが勢い良く開かれて、教室に数学教師が入ってきた。
「はい席着けー。……って、山吹神山、お前たち何している」
そのダンディな声を聞いて、僕はハッとなって、今の僕と咲の状況がすごいことになっているということに気がついた。
机の上に咲が正座していて、僕が腕を組んで咲の前で仁王立ち。その様子を周囲の生徒たちが見て爆笑中。そんなところに数学教師が乱入。……大変恥ずかしいです、ハイ。
そんな状況の中、咲が元気にふんわりと手を挙げて、笑顔で、
「しんちゃんが尋問たいむだってー」
「なんだと!?」
マテエエエエエエエエエエェェェェエエエエエエエエエエエッ!
やばい。やめろ。確かに尋問のお時間ですとか言ったけど! 違うんだ! あれは、比喩であって! 決して! 本気で尋問する気なんて! ない!!
「さささささ咲、正座終了。じじじじ自分の席に戻って」
「んー? 尋問おしまい~?」
「おしまいおしまい! さあ、戻りなさい。ほらほら!」
「はーい」
「いや、戻る必要ないぞ」
僕の真後ろで、数学教師が、非常に低い声でそんなこと言ってたけど、スルースキル発動。こんな時でもスルーできるって素晴らしいよね。もう神だよね。
………………スルーできるはずがなかった。
僕:咲、これを日本語に訳してみてくれ。
『Im home.』
咲:いいよー。えっとねー、『私はホメです』だね!
僕:……だめだこいつ
咲:ふぇ? 違うのー?
僕:いいか? 正解を言うぞ? 正解は『私は家です』だよ。
悟朗:『私は家にいます』だアホ