表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

後見人を続けたいなら約束を守ってください、と教わったとおりに言ったら、席が一つ空きました

作者: 真神 慧
掲載日:2026/07/22

「家族会議なら、お茶菓子は出るでしょうか」


 私は、空っぽの菓子皿を見ました。


 家も、ここで働く人たちも守りたい。


 けれど今日、私が書類へ名前を書けば、グレゴールおじさまはこの家を売れます。書かなければ、おじさまは後見人でなくなり、明日から私たちを守る大人がいなくなります。


 両方ほしいというのは、欲張りでしょうか。


「今は菓子の話ではないよ、エルシア」


 グレゴールおじさまは、壁際の使用人を指しました。


「この者は薪を運ぶ日を間違え、朝まで報告しなかった。会議に出る資格はない」


「奥方さまのお部屋で水漏れがありまして、人手をそちらへ……」


「理由を並べれば、約束がなくなるのかね」


 使用人は唇を結びました。


 おじさまが私へ向き直ります。


「約束を破った人の言うことは、聞かなくていい」


「理由があっても、ですか」


「そうだ。領主たる者は、規則を都合よく曲げてはいけない」


「覚えました」


 私は指を一本立てました。覚えることが一つなら、指も一本でよいと、マルタ先生から教わっています。


 使用人が退室すると、おじさまは満足そうにカップを持ち上げました。


「本題は午後にしよう。後見人の更新など、君は名前を書くだけで終わる」


「書かなかったら、どうなりますか」


「考えなくていい」


「考えるための家族会議ではないのですか」


 親族代表のおじさまが、空の菓子皿を少し回しました。初めから空なので、どちらを正面にしても同じです。


「難しいことは、大人に任せるのがお嬢様のためです」


「私のためなのに、私は知らなくてよいのですね」


「いずれ分かります」


 いずれ、は便利な言葉です。今日教えたくないことを、ずっと先の棚へ置けます。


「分かりました。午後は最初に書類を読みます。その次に、お茶菓子について尋ねます」


 マルタ先生が一度だけ咳をしました。


「菓子は私がご用意します」


「約束ですか」


「はい」


 私は二本目の指を立てました。





 部屋へ戻る途中、窓の外に長い縄が見えました。


 測量の人たちが、門から花壇、厩舎、厨房の裏へ縄を伸ばしています。その先には、父と母と私で植えた木がありました。


 植えたころは私の肩ほどだったのに、今は二階の窓をくすぐりそうです。


「マルタ先生。お引っ越しの箱は、どれから作ればよいでしょうか」


 先生の足が止まりました。


「誰に聞いたのですか」


「財務担当が、家を売ったあとも役目は残るか、おじさまに尋ねていました」


 廊下での小声は聞いてはいけない、と私はまだ教わっていません。


 先生は私の手を引いて部屋へ入り、机から書類を取り出しました。


「今日の更新書類には、グレゴールさまがエルシアさまの同意なく領地を売れる、という一文が加えられています」


「領地には、この館も入りますか」


「はい」


「木も?」


「土地に植わっておりますから」


 窓の向こうで、縄が木のそばを通りました。


「私が売らないでくださいと言えば、止まりますか」


「署名しなければ止まります。ただし、グレゴールさまは後見人でなくなります」


「夕食もなくなりますか」


「今夜の食事が消えるわけではありません。しばらくは家令と私で館を動かせます。ただ、大きな契約や領外への正式な手紙は難しくなります」


「次の後見人を探す手紙も?」


「私個人の手紙なら出せます」


 私は復習帳へ、家、食事、手紙、と書きました。


 更新には私と、共同署名者であるノアさま、二人の同意が必要です。ノアさまは隣国の少年王で、私より二つ年上です。


 亡くなった父と母は、私がよく分からないまま決められそうになったとき、もう一人の子どもの目も通るようにしてくれました。


「ほかに、後見人になってくださる方はいないのですか」


「お母さまのお姉さま、アデライドさまがいらっしゃいます」


「遠い国にいるのでは?」


「三年前に帰国なさいました。何度も手紙を送っておられます」


「私は一通も読んでいません」


「グレゴールさまが、心を乱すからと止めていました」


 先生は机の奥から、青いリボンの束を出しました。宛名はすべて私です。


 一番上には、会いに行きたい、とありました。


「お返事をしてもよいですか」


「私の名前で、今朝お知らせしました。間に合うかは分かりません」


 私は三本目の指を立てようとして、やめました。


 これは覚えることではなく、来てほしいことです。指では数えられません。


「今日、来てくださらなかったら?」


「それでも、嫌なものへ名前を書く必要はありません」


「先生は、この家に残りますか」


「追い出されても、門の外に立ちます」


「雨が降ったら困ります」


「傘を持ちます」


 マルタ先生は笑いませんでした。


 私は青いリボンの手紙を胸に抱きました。紙の角が服越しに当たっています。


 窓の外では、縄が門の木を囲もうとしていました。





 ノアさまは到着すると、挨拶より先に会議室をのぞきました。


「椅子が離れている」


「席順はグレゴールおじさまが決めました。ノアさまは向こうです」


「共同署名者は、同じ書類を見る」


 ノアさまは長机の端から椅子を引き、私の隣へ運びました。


 私の椅子は領主用なので、座面の下に厚い板が足されています。ノアさまは自分の椅子の脚へ薄い木片を二枚差し込みました。


「これで同じだ」


「少し揺れています」


「もう一枚いるか」


「床を傷つけると叱られます」


「では二枚で我慢する」


 背もたれの高さは、ぴたりとそろいました。


 ノアさまは卓を見回します。


「菓子がない」


「午後には出る約束です」


「家を売る会議なのに?」


「知っていたのですか」


「門に測量の人間がいた」


「私の木まで測っています」


「追い出すか」


「まだ追い出せるか分かりません」


「なら、先に書類を見る」


 ノアさまは、私が抱えた手紙へ目を落としました。


「誰からだ」


「アデライド伯母さまです。三年分あります」


「返事は?」


「今日、出しました」


「遅い」


「私もそう思います」


「おまえが遅いのではない」


 ノアさまは一番上の封筒を、指でそっと押しました。


「来なくてもできることをするぞ」


 やがてマルタ先生が焼き菓子を運んできました。


 ちゃんと丸いものが六枚あります。


「約束が守られました」


「そこから確認するのか」


「大事です」


 ノアさまは自分の分を取らず、皿を私の肘の近くへ寄せました。





 会議が始まると、グレゴールおじさまは金縁のカップを前に置きました。


 右に家令、左に財務担当、その隣に親族代表。マルタ先生は私たちの後ろに立っています。


「それでは、今年の後見契約を更新しよう」


 おじさまは書類の最後を開き、署名欄へペンを置きました。


「エルシアはここへ。ノア陛下は、その下へ」


「読む前に書くのですか」


「昨年とほとんど同じだよ」


「ほとんど、は、同じではありません」


「君には難しい文だ。私を信じなさい」


 信じると、読まなくてよいのでしょうか。


 父は種の袋を受け取るときも数を確かめ、母は私への絵本でも最後まで読んでから買いました。


「昨年と違うところを読んでください」


「細かな調整だけだ」


 ノアさまが書類を自分の前へ引きました。


「違う一文はどれだ」


 おじさまは立ち上がり、ノアさまへ一礼しました。私に話すときより、声が半分ほど小さくなります。


「領民の暮らしを守るため、状況に合わせた裁量が必要となりまして」


「家を売れますか」


 私が尋ねると、おじさまは眉を寄せました。


「今は陛下へ説明している。君は名前を書いていなさい」


「私の家です」


「だからこそ、私が守るのだよ」


「売ることは、守ることに入りますか」


「場合による」


「門の木も売りますか」


「買い手のものになる」


 焼き菓子を持つ指に、細かな粉がつきました。


「あれは、お父さまとお母さまと私で植えました」


「場所が変わっても、思い出は残る」


「私はどこへ変わりますか」


「それは買い手と相談する」


「買い手は、もういるのですね」


 財務担当のあごが動き、止まりました。


 家令が机の下から封筒を出します。封蝋には知らない紋章があり、日付は十二日前でした。


「買い手候補から届いた書簡です」


「家令!」


 家令は封筒を裏返しました。


 表には、売却成立後の謝礼について、と書かれています。


「謝礼とは何ですか」


 誰もすぐには答えませんでした。


 ノアさまが財務担当を見ます。


「誰が受け取る」


「グレゴールさまへ、現在の年俸一年分を。私どもの役職と報酬も残す方向でございます」


「私の行く場所は決まっていないのに、おじさまのお給金は決まっているのですね」


「物事には順番がある」


 おじさまは封筒を取り上げようとしました。家令が手を置いたまま動かしません。


「これは君の将来のために、私が働いた報酬だ」


「私に聞く前に?」


「子どもへ一つ一つ知らせていては、話が進まない」


「更新しないかもしれないのに、十二日前から進めたのですか」


「君は更新する。そうしなければ困るのは君だからだ」


 おじさまは笑っていました。


 まだ書いていない私の名前を、もう書いてあるものとして見ている笑顔でした。


「追加した一文を、そのまま読んでください」


「もう説明しただろう」


「同じなら、読んでも変わりません」


 ノアさまが三枚目を開きました。


「ここだ。読め」


 金縁のカップから、湯気が見えなくなっていました。


「後見人は、本人の同意なく領地を処分できる」


 窓の向こうで、風が門の木を揺らしました。


「おじさまは、お父さまとお母さまに何を約束しましたか」


「君の居場所を守ることだ」


「私の同意なく、その居場所を売れるのですね」


「将来にわたって守るため、必要な場合もある」


「私をどこへ住ませるか決めないまま?」


「統治には、子どもには分からない事情がある!」


 金縁のカップが鳴りました。


 ノアさまが顔を上げると、おじさまの声は小さくなります。


「陛下。領民のためにも迅速な判断が必要なのでございます」


「本人に言わずに家を売れと、亡き当主から頼まれたのか」


「統治の問題です」


「約束の問題ではないのですね」


 私が尋ねると、おじさまは答えませんでした。


 マルタ先生が私のカップへ、少しだけ新しいお茶を足しました。





「更新しなければ、どうなりますか」


 私は復習帳を開きました。


「仕入れも支払いも、領外との交渉も難しくなる。ここで働く者たちも困るのだよ」


「今夜の食事はありますか」


「あるだろう」


「次の後見人を探す手紙は?」


「正式なものは出せない」


「マルタ先生の手紙は出せます」


 おじさまの目が、私の後ろへ動きました。


「誰へ送った」


「私の姉です」


 会議室が、カップの中へ落ちたように静かになりました。


「アデライドは後見人にふさわしくない。国外にいた女だぞ」


「三年前に帰国なさっています」


「エルシアを惑わせるな、マルタ」


「届いた手紙を隠したのは、私ではありません」


 私は青いリボンの束を卓へ置きました。


「伯母さまは、会いたいと何度も書いてくださいました」


「感傷で領地を動かせると思うのか」


「来てくださらなくても、私は決められます」


 おじさまが署名欄をこちらへ向けました。


「名前を書けば、食事も手紙も今までどおりだ。使用人たちも路頭に迷わずに済む」


 壁際の使用人たちが、息を詰めました。


 私が書けば、家がなくなる。


 書かなければ、みんなが困るかもしれない。


 ペンの先には、黒い雫が丸くふくらんでいます。


「ノアさまも、困りますか」


「もちろんだ。共同署名者の責任を果たせなかったと見られる」


「俺の立場は、俺が決める」


 ノアさまは両足を床につけました。


 私の足は届かないので、椅子の下でつま先が少し揺れています。


「エルシア。おまえが拒否したら、俺も署名しない」


「食事が少なくなるかもしれません」


「少ない分を決めればいい」


「伯母さまが来ないかもしれません」


「そのときは、次の日も探す」


「陛下、これは遊びではございません!」


 おじさまが卓をたたきました。


 ノアさまは机ではなく、私を見ています。


「私は、拒否してよいでしょうか」


「俺に許可を取るな」


「あとで、私のせいだと言いませんか」


「言わない。俺も自分で選ぶ」


 私はペンから手を離しました。


「エルシア。私は君のために何年も働いてきた。私に任せなさい」


「おじさまが教えてくださったことは、分かりました」


「何をだね」


「後見人を続けたいなら、お父さまとお母さまとの約束を守ってください。この家と、ここで暮らす私たちを守る約束です」


「だから私は守っている!」


「いいえ。私が署名する十二日前から売る話をして、おじさまのお給金を先に決めました。でも、私の行く場所は決めていません」


「必要な手順だ!」


 私は、朝に教わったとおり、言葉を変えずに返しました。


「約束を破った人の言うことは、聞かなくていい」


 グレゴールおじさまの口元から、笑顔がなくなりました。


「ですから、今年の更新を拒否します」


「君は自分が何をしているか分かっていない!」


「分からないことは確認しました。食事と手紙と、みんなのお給金です。ほかに失うものがあるなら、今教えてください」


 おじさまの口が開きました。


 言葉は出てきませんでした。


 代わりにノアさまが、自分の署名欄へ一本の線を引きます。


「俺も更新を拒否する」


 名前を書く場所が、名前を書けない場所になりました。


「毎年、二人の同意が必要だと説明したのは、あなたです」


 マルタ先生は、私とノアさまのカップへ新しいお茶を注ぎました。金縁のカップには注ぎませんでした。


「会議はまだ終わっていない!」


「更新については終わりました」


 先生は冷えた金縁のカップを盆へ載せました。


 受け皿が小さく鳴ります。


「後見人でなくなる方が、鍵と印章を持ったままでよいのですか」


 私が尋ねると、家令は背筋を伸ばしました。


「いいえ。買い手との書簡と帳簿も、調査が済むまで保管いたします」


「エルシア、私を盗人のように扱うつもりか!」


「まだ分からないので、調べます」


 家令が手を差し出しました。


「調査が済むまで、動かすな」


 ノアさまの声が短くなりました。


 親族代表も立ち上がります。


「謝礼を伏せられていた以上、私も調査に賛成します」


 財務担当は青い顔で、鞄を卓へ置きました。


「買い手との控えは、すべてここにございます」


「君たちまで!」


「エルシアさまの家を売る前に、私どもの席を買っていただこうとした。その責任は調べられるべきです」


 家令の手は下がりません。


 おじさまは、ようやく鍵束を置きました。


 最後に印章箱が卓へ下ろされます。金縁のカップより、ずっと重い音でした。


「私は亡き当主に選ばれた後見人だぞ」


「今年の更新は拒否されました」


 マルタ先生がおじさまの椅子へ手をかけます。


「お立ちください。その席は、後見人の席です」


「私がいなければ、何もできないとすぐに分かる」


「今日できることから始めます」


 おじさまが立つと、先生は椅子を卓から引き離しました。


 椅子の脚が床をこすり、二脚分、遠ざかります。


 私とノアさまの椅子は、隣り合ったままです。





 大きな扉が開いたのは、家令が明朝の小麦粉を買う相談を始めたときでした。


 門番が息を切らしています。


「アデライド・ファルケン伯爵夫人がお越しです。王室の監察官もご同行されています」


 胸の前で、青いリボンの手紙が動きました。


「間に合いましたか」


 マルタ先生が、初めて椅子から手を離しました。


「はい」


 廊下から靴音が近づきます。


 現れた女性は、母と同じ灰色の目をしていました。旅装の裾には泥がつき、髪も少し乱れています。


 私の前まで来ると、伯母さまは何かを言おうとして、言えませんでした。


 代わりに片膝をつきます。


 目の高さが同じになりました。


「エルシア」


「はい」


「遅くなって、ごめんなさい」


 伯母さまは、私の許可を待つように両手を開きました。


 私はその手へ、青いリボンの束を載せます。


「三年分です」


「ええ」


「一通も、お返事ができませんでした」


「あなたのせいではないわ」


「今日の分は、届きましたか」


「届いたわ。途中で馬を二度替えたの」


「馬は大丈夫でしょうか」


「私より元気よ」


 伯母さまの手が、手紙ごと私の指を包みました。


 母とは違う手です。


 けれど、急いで来てくれた人の手でした。


 王室の監察官が書類を開きます。


「故当主夫妻の遺言には、現後見人が任を解かれた場合、アデライド伯爵夫人を第一候補とする旨が記されています。ご本人の承諾と調査を経て、直ちに仮後見へ就任できます」


「承諾します」


 伯母さまは私から目を離さずに答えました。


 グレゴールおじさまが声を上げます。


「国外にいた者へ、この領地の何が分かる!」


「分からないことは、エルシアと、ここを守ってきた人たちに教わります」


「子どもの言葉で統治するつもりか」


「子どもの家を、その子に隠して売るよりはよいでしょう」


 監察官がおじさまの前へ立ちました。


「未成年領主の財産を、自身への謝礼を条件に売却しようとした疑いがあります。調査終了まで、領内での職務と出入りを禁じます」


「私は何も売っていない!」


「署名を得る前に条件を詰めた書簡がございます。続きは別室で伺います」


 おじさまは親族代表を見ました。財務担当を見ました。最後に私を見ました。


 けれど、もう誰も署名欄を私へ向けませんでした。


 扉が閉じるまで、伯母さまの手は私の指を包んでいました。





「一つ、確認してもよいですか」


 監察官たちが退出したあと、私は伯母さまへ尋ねました。


「いくつでも」


「この家を売りますか」


「売りません」


「門のそばの木も?」


「もちろん」


「ここで働く人たちは?」


「不正に関わった者は調べます。でも、厨房も庭も厩舎も、明日から急になくなったりしません」


「私の部屋は?」


「あなたの部屋よ」


「伯母さまが使いたいと言っても?」


「私は客間を借ります」


「遠いです」


「では、マルタの隣にしましょう」


「それなら近いです」


 伯母さまは旅装のポケットから、小さな布包みを出しました。


「これは、あなたのお母さまから預かっていたもの」


 布の中には、銀色の小さな鍵がありました。


「何の鍵ですか」


「門の木の根元に埋めた箱の鍵。あなたが十歳になったら、一緒に掘り出す約束だったの」


「私は、もう十歳です」


「知っているわ。三年分、遅れてしまったけれど、一緒に掘ってくれる?」


 鍵を握ると、手のひらへ細い跡がつきました。


「箱は、まだありますか」


「木があるなら、きっと」


 窓の外では、家令が測量の人々を門から帰していました。長い縄が巻き取られ、花壇から、厩舎から、厨房の裏から消えていきます。


 最後の輪が、木の根元を離れました。


「明日、掘ります」


「ええ」


「今日は、みんなのお給金と小麦粉を先にします」


「立派な順番ね」


「伯母さまも、書類を読んでから名前を書いてください」


「必ず」


「分からない言葉があれば?」


「エルシアにも分かる言葉になるまで、説明してもらいます」


 伯母さまの返事は、どこにも隠れる場所がありませんでした。


 私は銀の鍵を、青いリボンへ結びました。





「では、次の議題です」


 私が言うと、大人たちが顔を上げました。


「まだ会議を続けるのか」


 ノアさまが焼き菓子の皿を見ます。


「家族会議です。後見人の次は、お茶菓子について尋ねる順番でした」


 焼き菓子は四枚残っています。


 伯母さまは空いている椅子へ座ろうとして、壁際へ運ばれた大きな椅子を見ました。


「私はどこへ座ればいいかしら」


「あれは遠いです」


「では、ここでも?」


 伯母さまが指したのは、私の反対隣でした。


「書類を一緒に見られます」


「ありがとう」


 家令が椅子を運び、マルタ先生が新しいカップを置きました。


 金縁ではない、私たちと同じ白いカップです。


「焼き菓子は、みんなに足りますか」


「半分にすれば足りるわ」


「伯母さまは半分でよいのですか」


「急いで来る途中、パンを二つ食べました」


「馬より元気そうです」


「でしょう?」


 伯母さまが少し笑ったので、私も口の端だけ動かしました。


 マルタ先生が焼き菓子を分けます。家令にも、使用人にも、門番にも届くよう、小さな皿が運ばれていきました。


「今日のお給金は払えます」


 伯母さまが帳簿を確認しながら言いました。


「明日の小麦粉も買えます。領地の印章は調査が終わるまで使えないけれど、王室の仮承認があれば必要な仕入れは止まりません」


「ノアさまのお金を借りるのですか」


「借りない」


 ノアさまがすぐに答えました。


 伯母さまもうなずきます。


「この家のお金で払います。足りないときは、何をどうするか先にあなたへ話します」


「私が断っても?」


「困る理由を一緒に考えるわ。それでも嫌なら、別の方法を探します」


「次の日も?」


「その次の日も」


 私は復習帳の、家、食事、手紙、の横へ印をつけました。


 三つとも、今度はきれいな丸になりました。


「次の家族会議は、明日でしょうか」


「仕事の報告は明日できるわ」


「茶菓子も出ますか」


 マルタ先生が茶葉の缶を持ち上げました。


「議題より先にお出しします」


「順番を変えてよいのですか」


「その約束は、私が責任をもって守ります」


 私は指を一本立てました。


「覚えました」


 大人たちが順番に席を立ちます。


 家令は帳簿を抱え、使用人たちは空になった皿を運びました。伯母さまも、明日の仕事をマルタ先生と相談するため隣室へ向かいます。


 扉の前で振り返りました。


「客間へ行く前に、戻ってきてもいい?」


「ここは伯母さまの家でもありますか」


「そうしてよいと、あなたが思える日が来たら」


「今日決めなくても?」


「もちろん」


「では、明日確認します」


「ええ。明日もいるわ」


 扉が閉じても、その言葉は部屋に残りました。


 卓には、私とノアさまが残ります。


 ノアさまは椅子の脚へ入れた木片を、指で押し込みました。


「まだ揺れますか」


「揺れない」


「共同署名は、もう終わりました」


「ああ」


「王さまの席は、向こうにあります」


「あそこは遠い」


「ここなら書類を一緒に見られます」


「ああ」


「焼き菓子のお皿も一つで足ります」


「ああ」


「私の分を勝手に取らないと約束できますか」


「約束する」


 二枚の木片がきちんと入り、ノアさまの椅子は私の椅子と同じ高さになっています。


「では、次の家族会議にも座ってよいです」


「署名がなくても?」


「伯母さまも、マルタ先生もいます。確認することは、きっと増えます」


「なら来る」


 窓の向こうで、門の木が夕日を受けていました。


 縄はもうありません。


 明日になれば、根元の箱を伯母さまと掘ります。その前にお茶菓子が出て、小麦粉が届いて、みんなの朝食が作られます。


 卓から離れた椅子は一つ。


 私の右にはノアさま。左には、伯母さまが戻るための白いカップ。


 そして私の手の中には、この家で明日を開ける、小さな銀の鍵がありました。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

「悪くなかったな」と思われたら、★や感想を残していってもらえると、とても励みになります。

作者ページには他の短編も並んでいます。よろしければどうぞ。


【追記 2026/7/24】日間ランキングに入りました。異世界〔恋愛〕短編93位/総合短編136位/全作品総合259位。目に留めてくださった方、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ