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祝辞のあとで、花嫁が公式記録を読み上げた ~「全て俺一人の実力だ」と豪語した政治家の7年分の作成履歴~  作者: そらのことのは


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第7話 破棄

 マイクを手にした麗華は、一度だけ深呼吸をした。会場の照明が、彼女の姿を柔らかく照らす。


「本日は、私たち二人のために、このように多くの皆様にお集まりいただき、心より感謝申し上げます」


 定型の挨拶から始まる。その声には、震えはない。


「先ほど、司会の三枝様から、恒一さんのこれまでの政策に関する、公式な記録のご紹介がありました」


 麗華は、ほんの少しだけ微笑む。


「実はあれは、私のお願いでもあります。披露宴の場で、楽しい話だけでなく『正確な話』もしてほしいと」


 会場に、軽いざわめきが返る。


「九条家は、長年、さまざまな形で政治と関わってまいりました。

その中で、私は一つだけ、祖父から繰り返し言われてきたことがあります」


 麗華は、目線を遠くにやる。


「『名前を消してはいけない』と」


 凛の胸の奥で、何かが小さく反応する。


「政治の世界では、表に出る名前と、表に出ない名前があります。

表に出ない人の努力が、たくさんの政策やプロジェクトを支えています」


 その言葉は、会場のあちこちに散らばる「表に出ない人たち」にも届いているように見えた。

秘書、官僚、スタッフ。


「私は、九条の名前を持つ人間として、『表に出ない人の名前』を無視したくありません」


 麗華は、マイクを持つ手に少しだけ力を込めた。


「本日、この場で、高城恒一さんが『誰の助けも借りずにここまで来た』とおっしゃいました」


 先ほどのフレーズを、正確に引用する。


「それは、彼の感覚としては、もしかしたらそうなのかもしれません。

しかし、『事実』としては、違う」


 会場の空気が、さらに硬くなる。


「政策の原案ファイルの作成者名、会議メモの発言記録、メールの履歴。

それらは、『彼一人ではなかった』ことを示しています」


 麗華の視線が、客席の方に向けられる。やがて、その目が凛を捉えた。


「白石凛さん」


 名前を呼ばれる。周囲の視線が、一斉に凛に集まる。


「はい」


 凛は、椅子から静かに立ち上がった。足が震えることはない。


「あなたは、今日、この場で何かを『奪い返す』ために来られましたか」


 問いは、真正面からだ。


 凛は、一瞬だけ言葉を選び、それから簡潔に答える。


「いいえ」


 会場に、凛の声がマイクを通さずとも届くように、静寂が下りる。


「私は何も奪っていません。あなたが見なかっただけです。」


 必須の一文が、刃のように空間を切り裂く。


 麗華は、その言葉を受け止めて、ゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます」


 それから、改めて会場に向き直る。


「私は、九条麗華として、『公平』でありたいと思います」


 言葉の選び方は、台本にはないものだ。


「公平であるために、破棄します。」


 その一文は、披露宴会場において、異物のように響いた。


 破棄。


 一瞬、誰もその意味を理解できないかのように、時間が止まる。次の瞬間、ざわめきが爆発した。


「麗華、それは——」


 恒一が、隣で小さく声を上げかける。だが、その声は途中で途切れた。

麗華が、彼の方を見もしなかったからだ。


「公平であるために、本日予定しておりました婚姻を、ここで取りやめます。」


 麗華は、はっきりと言い切る。


「理由は、先ほどの『公式記録』に示された通りです。

私は、『表に出ない人の名前』を見ようとしない人間と、人生を共にすることはできません」


 彼女は、ただ決めただけだ。自分の基準で。


「もちろん、政治の世界で、クレジットをどう扱うかは、人それぞれの流儀があると思います。

しかし、『誰の助けも借りずに』という表現は、あまりに多くの人の名前を消しすぎている」


 記者たちの視線が、一斉に動く。メモを取る音が、かすかに聞こえる。


「九条家としては、本日の婚姻に関する取り決めを、すべて白紙に戻します。

財産、事業、政治的支援。何一つ、差し出しません」


 怒鳴らない破棄。だが、完全な破棄。


 恒一は、何かを言おうとしているように見えた。凛の位置からは、彼の表情の細部は読めない。

 ただ、口がわずかに開き、閉じられるのが見える。


「九条さん、それは、少し感情的すぎるのでは——」


 与党幹部の一人が、席から立ち上がりかけた。その時、三枝がマイクを取った。


「ただいまの『本日予定されていた婚姻の取りやめ』のご宣言につきまして——」


 事務的な声色。会場の注目が、再び司会台に集まる。


「本披露宴は、公式な記録として、映像および音声を保管させていただいております。

本日の進行および発言内容は、後日、双方のご意向を確認の上、正式な記録として整理されます」


 逃げ道を塞ぐ言い方。


「九条家代表としてのご発言であると理解しておりますが、よろしいでしょうか」


 三枝が、麗華に確認する。


「はい。九条家代表としての発言です」


 麗華は、即答する。


「了解いたしました。それでは、ここで一旦、進行を整理させていただきます」


 三枝は、淡々と進める。


「本日の『披露宴』は、この時点をもって終了とさせていただきます。

以降は、『事実関係の確認と共有』の場として、皆様に自由にお過ごしいただきます」


 披露宴が、事務的に終わらせられる。会場の空気が、祝宴から臨時記者会見へと完全に移行した。


「高城様、九条様、そして白石様」


 三枝が、三人の名前を読み上げる。


「本日の発言および提示された資料をもとに、後日、党本部および関係各所に対し、

『事実の要約』をお送りすることが可能ですが、ご希望されますか」


 逃げ道のない質問。


「お願いします」


 最初に答えたのは、麗華だった。


「私からもお願いします」


 凛も、静かに答える。


 恒一は、一瞬だけ躊躇したように見えた。

だが、ここで「ノー」と言う選択肢は、現実的には残されていない。


「……私からも、お願いします」


 小さな声だったが、マイクを通して会場に届く。


「承りました」


 三枝は、一礼する。


 凛は、ゆっくりと着席した。足元は、驚くほど安定している。


 彼は、怒鳴らなかった。怒鳴ることすら許されない構造が、もう出来上がっていた。


 周囲から、「どういうことだ」「そんな話は聞いていない」という声が聞こえる。

だが、それらはすべて、今さらの反応だ。


 麗華は、マイクを三枝に返し、凛の方に歩いてきた。ドレスの裾を踏むこともなく、静かな足取り。


「白石さん」


 目の前に立った彼女は、先ほどと変わらない穏やかな表情だった。


「ご協力、ありがとうございました」


「私は、何もしていません。履歴を出しただけです」


「それが、一番難しいことです」


 麗華の言葉に、凛は返答を探しかけて、やめた。ここで、長い言葉は必要ない。


「これから、少し大変な思いをされるかもしれません」


「慣れています。裏方は、いつも少し大変なので」


 短いやり取りの中に、妙な連帯感が生まれる。

女性同士が、互いを敵としてではなく、対等な協力者として見ている感覚。


「また、後日、改めて」


 麗華はそう告げて、高砂の方へ戻っていく。

そこには、座るべき椅子が、もはや意味を失ったまま残っている。


 凛は、グラスの中の水を一口含んだ。味は、特別なものではない。ただ、冷たい。


 恒一は、「悪事」ではなく「慢心」で詰んだ。


 誰かが彼を罵倒するわけでもなく、法的な罰が下るわけでもない。

ただ、「器」が測られ、その結果として、静かに距離を置かれていく。


 そのプロセスが、今まさに始まったことを、凛は理解していた。


  数週間後、党本部の会議室で、登壇者リストから「高城恒一」の名前が静かに外される瞬間を、凛は離れた場所から知ることになる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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