第5話 結婚式
ホテル最上階の大宴会場は、昼間だというのに柔らかい照明に包まれていた。
天井のシャンデリアが、磨かれたグラスと白いクロスを反射している。
凛は控えめなネイビーブルーのドレスに身を包み、招待客の一人として会場の端に立っていた。
九条家側の親族席からは少し離れた、「仕事関係者」用のテーブルだ。
会場を見渡すと、政財界の顔ぶれが自然に目に入る。与党幹部、財界の大物、官僚の幹部級。
そして、報道関係者らしき姿もちらほら。
公開性の最大化。凛は、頭の片隅でそう評する。
彼らは今日ここで華やかな「門出」を記事にするつもりで来ている。
まさか、この場が「履歴の回復」の舞台になるとは、多分誰も予想していない。
壇上脇には司会台が設置されている。
そこに立つ三枝は、黒のシンプルなドレスに身を包み、台本を確認していた。
目が合うと、彼女は軽く会釈をする。凛も同じように返した。
ポケットの中のスマートフォンには、進行台本の最終版が送られている。
そこには「新郎スピーチ」「新婦挨拶」の後に「政策原案者クレジット読み上げ」という一行が、淡々と記されている。
開宴の時間になり、会場の照明が少し落ちた。三枝がマイクの前に立つ。
「本日は、ご多用の中、高城恒一様、九条麗華様のご結婚披露宴にご列席いただき、誠にありがとうございます」
アナウンサーとしての経験がにじむ、聞き取りやすい声。凛は、その声の調子を心のメモリに刻む。
「まもなく、新郎新婦のご入場でございます。皆様、拍手でお迎えください」
扉が開き、恒一と麗華が姿を現す。
恒一はいつものスーツよりも若々しく見えるタキシード姿。
麗華は純白のドレスに身を包み、だが装飾は控えめだ。
ベールの奥の目は、凛の知る彼女のまま、静かに前を見据えている。
会場が拍手に包まれる。凛も、形式的に手を叩いた。
この人は、今から「自力神話」を最大出力する。
席につき、乾杯の挨拶や来賓スピーチが続く。
財界の重鎮が九条家との長年の付き合いを語り、党幹部が恒一の将来性を持ち上げる。
そのどれもが、ありきたりな祝辞の形式を踏襲している。
凛は、耳で聞きながらも言葉を記録することはしない。
今日、彼女が記録しなければならないのは、別のものだ。
やがて、三枝がマイクに近づいた。
「それではここで、新郎でいらっしゃいます高城恒一様より、皆様へのご挨拶を頂戴いたします」
恒一が立ち上がり、マイクの前に進む。
笑顔はテレビで見る時と同じだが、今日はそれに「私生活の晴れ」としての柔らかさが混じっている。
「本日は、このように多くの皆様にお集まりいただき、心より御礼申し上げます」
定型の挨拶が続く。幼少期の話、政治家を志したきっかけ、支えてくれた人たちへの感謝。
凛は、彼の言葉の中に自分が書いたスピーチ草稿のフレーズをいくつも見つける。
もちろん、それは仕事として書いたものだ。今さら、そこに感情を持ち込むつもりはない。
「私は、これまで政治の世界で様々な困難に直面してきました」
恒一の声が一段と大きくなる。会場の視線が、自然に彼に集中する。
「しかし、そのたびに自分の力で乗り越えてきたと自負しております。
私はこれまで、誰かの後ろに隠れたことはありません。」
恒一は、会場をゆっくりと見渡した。
「地方創生も、子育て支援も、行政のデジタル化も、誰の助けも借りずに、
現場の声を自分の足で拾い、自分の頭で考え、自分の責任で形にしてきました」
来た。
凛は内心でだけ、そう呟く。
「誰の助けも借りずに」。これほど分かりやすく「自力神話」を宣言する場面は、他にないだろう。
会場から拍手が上がる。一部の記者は、そのフレーズをメモしているようだった。
「これからも、私は『現実』を見据えながら、自分の信じる道を進んでまいります。
本日は、本当にありがとうございました」
締めの言葉も、台本通りだ。恒一が一礼すると、会場は再び大きな拍手に包まれる。
凛もまた、手を叩く。その音は、周囲と同じリズムで、同じ強さだ。
彼は、悪事で落ちる人間ではない。
ただ、見ていないものの重さで沈む。
今日、この場に集まる多くの人は、まだそれを知らない。
拍手が収まり、恒一が席に戻る。麗華が、その隣で静かに笑っている。だが、その目だけは、凛には別の温度を帯びているように見えた。
三枝が、再び司会台に立つ。
「高城様、ありがとうございました。
それでは、ここで本日の新郎新婦のお二人を、より深く皆様にご紹介するお時間とさせていただきます」
進行台本通りの文句。だが、その先の一文を知っている凛の胸には、わずかな緊張が走る。
「まずは、新郎・高城恒一様の、これまでのご活動について。
特に、多くの皆様がご存じの通り、近年の重要政策におけるお働きに関する、公式な記録をご紹介いたします」
「公式な記録」。
会場の空気が、わずかに変わる。祝宴から報道記者会見へと、ほんの少しだけ軸足が移るような感覚。
凛は、テーブルの下でスマートフォンを握った。目の前のグラスに映るシャンデリアの光が、わずかに揺れる。
拍手の余韻が完全に消える前に、三枝は淡々と「政策原案ファイルの作成者名」を読み上げ始めた。




