第3話 密会
「ルーチェ」は、政治関係者が「人目を避けつつ、完全には隠れない」打ち合わせに使う店として知られていた。
凛が個室に入ると、九条麗華はすでに座っていた。
黒のワンピースに控えめなネックレス。派手さはないが、細部の選び方に迷いがない。
「突然のご連絡、失礼いたしました」
麗華は深く頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
二人は向かい合って座った。凛は、その視線から目を逸らさなかった。
「単刀直入に申し上げます」
麗華は凛の目をまっすぐ見た。
「高城恒一さんと白石さんのご関係について、事実を確認したくて参りました」
直接的な問いかけだ。凛はその率直さを評価した。
「どの範囲のお話でしょうか」
「個人的なことと、公的なこと。両方です」
凛は装飾を削ぎ落とした事実だけを述べた。
「彼とは七年前から政策ブレーンとして関わってきました。
プライベートでも、将来を考える関係でした。
ただ、九条家とのご縁談の話を聞いた時点で、私は終わったと理解しました」
「彼からはどのような説明が?」
「『政治は現実だ』と。血筋と資金と票田を持つ相手と組むのは戦略だと」
麗華の目がわずかに細くなった。
「現実、ですか」
「はい」
麗華は少し息を吐き、視線を落とした。
「……正直に申し上げて、私も腹立たしさを感じています」
その言葉には、予想外の温度があった。
「九条の看板だけで評価されるのは、私も好きではありません。
まるで私が、便利な『現実』の一部でしかないかのように扱われるのは」
凛は、目の前の女性がただの「正しさの塊」ではないことを知った。
彼女もまた、名前を軽んじられることに痛みを感じている。
麗華はタブレット端末を取り出した。画面にはニュース記事が開かれている。
「若手ホープ・高城恒一議員、次期内閣での入閣有力か」という見出しだ。
「これらの政策について、彼は『ほとんど自分一人で立案した』と私に説明しました」
凛はバッグからタブレットを取り出し、テーブルに置いた。
「事実ではありません」
「もちろん、最終決裁者は彼です。ただ、『一人で』という表現は不正確です」
凛は画面を操作し、一つのファイルを開いた。
「これを見ていただけますか」
「地方創生総合パッケージ_ver1.docx」のプロパティ画面が表示される。
「作成者:R.S
前回保存者:K.T
作成日時:20XX/05/12 23:41
最終更新日時:20XX/06/03 02:13
編集回数:42回」
「R.S は白石凛。K.T は高城恒一です。42回の更新履歴のうち、38回は私のIDで記録されています」
麗華は、その画面を凝視した。数字という冷徹な事実が、そこにある。
「それらを確認させていただくことは可能でしょうか」
「何のために?」
「公平であるために、です」
その答えに、凛は息を呑んだ。
「私は、彼との結婚を『九条の利益のためだけに』選ぶつもりはありません。
彼がどのように人と関わってきたのか、事実として知った上で判断したい」
麗華の使う「公平」という言葉には、自分自身をも縛る覚悟が込められていた。
「白石さんが彼に裏切られたと感じておられるなら、私はあなたの『復讐』の道具にはなりません。
ただ、『名前を消された人』がいるのだとしたら、その名前を無視して婚姻届に判を押すのは、不公平です」
凛は胸の奥で何かが動くのを感じた。
「私は奪い返したいわけではありません。ただ、消えたことにされるのは好きではないだけです」
心の中で、別の一行が静かに浮かんでいた。
《奪われたとは思っていない。ただ、消されるのは違う。》
「理解しました」
麗華の返事は速かった。
「履歴を確認しますか?」
「可能であれば。違法なことは一切望みません。
白石さんが通常の業務の範囲でアクセス権をお持ちのものだけ」
凛は決めた。
「分かりました。ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
「これらの履歴をどう扱うか。その最終判断は、私ではなく、あなたにしていただきたい」
麗華の目が驚きに見開かれた。
「私は『奪い返す』ことに興味がありません。ただ、『消されたくない』だけです。
だから、私の名前をどこまで前に出すべきかは、『公平』を掲げるあなたに委ねます」
「重い役割ですね」
麗華は拒まなかった。
「ただし、公平である以上、『見なかったこと』にはしません」
「それで結構です」
合意は、シンプルな形で結ばれた。
「披露宴の場については、まだ決めていません」
麗華が付け加える。
「ただ、披露宴は、公的な場でもあります」
その短い一言に、凛は全てを悟った。政財界、党関係者、メディア。全てが自然に集まる場。
「その時には、あなたに前に立っていただくかもしれません」
凛は自分が人前で話す姿を想像した。
「私は人前に立つタイプではありません」
「だからこそ、意味があります」
麗華は静かに言った。
「『表に出ない人の名前』を、表に出す場として、あの披露宴を使いたい」
「分かりました。履歴を整理します。七年間分、すべて」
胸の中で、七年分の時間が重さとして再認識された。
その夜、凛は資料箱の鍵を回しながら、「式で公にする」という言葉の現実味を初めて具体的に感じていた。
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