第07話 帝国の人はまとも(かと思いきや)
「はいこれ、今日の魔導ランチ!エネルギー調整されてるから、味はちょっとヘンだけど、体にはすごく良いよ!」
手渡された銀のランチトレイの上には、蒸気をあげる白いスープと淡い青のゼリー、見慣れない形のパン。
色がファンタジーすぎて警戒するミリアに、陽キャ系研究員の青年・ラースが笑顔で言った。
「見た目アレだけど、意外といけるんだよ? ミリアさんって、ゼノ様に直々に拾われたんだって?すごいね〜! あの人、人間に興味ないと思ってたのに!」
「……やっぱり『拾われた』って言ってるんだ」
ミリアはぼそっと呟いたが、ラースはまったく気にしていない様子で笑い続けていた。
▽
研究機関での生活が始まって数日、ミリアは驚いていた。
(あれ……帝国って、思ったより人がちゃんとしてる……?)
職員たちは礼儀正しく、食堂のおばちゃんもやさしくて、若手研究員は明るくて親切。
案内係の女性魔導師・レイネは、知的で頼れるお姉さんタイプだった。
「ミリアさん、魔力の安定値、すごく良好ですね。生活環境、合ってるみたいで安心しました」
「え、ほんとですか? 神託、最近あんまりうるさくなくて」
「それはいい傾向です。ゼノ様が設定した結界フィルターのおかげかと。あの人、仕事だけは正確ですから」
「『仕事だけ』って……」
ミリアは思わず笑ってしまった。
レイネは少しだけ苦笑いを返しながら、肩をすくめる。
「……あの人、相変わらず『彼女は観察中』って言って、誰にも近づけさせないから。私、指導担当って名目なんだけど、会話も三回目だし」
「え、そうなんですか……?」
「ええ。ゼノ様の気になる対象って、基本的に他の人が触れた瞬間に排除されるのがパターンなんです」
冗談めかして言われたその言葉に、ミリアは一瞬だけ、笑顔を凍らせた。
(……排除?)
▽
その午後。
実験ラボで、ラースがミリアに声をかけてきた。
「ミリアさんさ、神託って『聞き分け』できるんでしょ?方向とか、種類とか」
「まあ……はい。慣れてると、だいたいどこから来てるかは感覚でわかります」
「じゃあさ、ちょっとテスト協力お願いしてもいい? 個人的な研究で、神託と地脈の交差点を探っててさ。ゼノ様の許可も出すから、ね?」
ラースは本気で研究に熱心な様子だった。
その目はきらきらと輝き、まるで新しい発見にワクワクしている子どものようだ。
(……こんな人もいるんだ。帝国、優しい人もちゃんといる)
ミリアは、思わずにこっと微笑んで頷いた。
「わかりました。力になれるかわかりませんけど……やってみますね」
――だがその翌日、ラースは研究所からいなくなっていた。
「えっ……え? ちょっと待って、ラースさん、どうしたの?」
動揺するミリアに、レイネは少し困ったような顔で言った。
「『希望退所』だそうです。昨日の夕方、本人から辞表が出されたって」
「……そんな急に? あの人、神託の研究すごく楽しそうだったのに……」
「ええ、私も驚きました」
そしてその後ろで――ゼノ・クローネが無言で書類を見ながら歩いてくるのを、ミリアは見逃さなかった。
(あれ……?)
彼はラースの話題には一切触れなかった。
ただ一度だけ、昨日のラボでミリアとラースが話していたのを『見た』後、何も言わず、何も壊さず、何も怒らず――その代わりに、全てを終わらせた。
その日の夜。
「ゼノさん。……ラースさん、辞めたんですよね?」
「そうだ」
「理由は、知らないんですか?」
「彼の意思だと聞いている」
「…………本当に?」
ゼノはしばらく無言だった。
やがて顔を上げ、ミリアをじっと見つめた。
「彼は、君に触れようとしていた」
「研究のためです。そう言ってました」
「それでも、彼は『触れようとした』」
冷静な声だった。静かで、整っていて、淡々としている。
けれど、その瞳には、確かに“怒りに似たもの”があった。
「君は僕の観察対象だ。そして、優先権は――僕にある」
「…………」
「彼がそれを超えようとしたから、排除した。それだけだ」
「それだけって……そんな、さらっと……」
ミリアは言葉を失った。
何も壊していない。何も脅していない。
けれど、ゼノは確実に、誰かの未来を無言で終わらせたのだ。
(この人……笑ってない。目が……笑ってない)
帝国の人は、優しい。
でも――その中でただ一人。
彼だけは、何も変わらず、ただ冷静に自分のものを守ろうとする。
その夜。ミリアは窓辺で、夜風を受けながら思った。
(安心って、どこまでが“優しさ”なんだろう……)
ゼノの行動は、たしかに自分のためかもしれない。
でも、もし誰かと仲良くすることすら許さないのだとしたら――そのように考えてしまう。
(これって、もしかして……怖い感情なのかも)
窓の外では、星が瞬いている。
帝国の夜空は、王国よりずっと澄んでいて綺麗だった。
けれど、胸の中に残っていたのは、
その星空よりも、ゼノの目が笑っていなかった事だった。
──数分後。
彼女は、意を決して居住棟を出た。
遅い時間だったが、ゼノはまだ研究棟に残っていた。
案の定、あのふわふわ魔導機がミリアの来訪を察知していたらしく、
すぐに彼の執務室に通された。
「……ミリアか。何か用か?」
彼は、いつも通りだった。
書類を捌きながら、淡々とした声。穏やかで、整った顔。
でも、それが逆に、耐えられない。
「……ラースさんのこと、やっぱりゼノさんが原因ですよね」
ゼノの手が止まった。
視線がゆっくりと上がる。だが、表情は変わらない。
「……そうだ。僕が原因だ」
ミリアは、ぐっと唇を噛んだ。
「……やっぱり、そうやって、『邪魔な』は全部消すんですか?」
「君に触れようとした。それがすべてだ」
ミリアの胸に、怒りとも悲しみともつかない感情がこみ上げてくる。
「……私、誰とも話しちゃいけないんですか?誰かと笑ったり、仲良くしたり、普通のことすらしちゃいけないんですか?」
「それを望むなら、管理体制を再調整する」
「違う! そうじゃない!」
声が、震えた。自分でも驚くほどだった。
「ゼノさん、あなた……! そうやって、何でも『支配』すればいいって思ってる!私が何を考えてるかとか、何を望むかとか、聞こうともしないで……!ずっと勝手に決めつけて、囲って、閉じ込めて!」
ゼノは何も言わなかった。
ただ、ミリアを見ている。
まっすぐに、まるで一音一句を記録するように。
その視線すら、いまのミリアには、息苦しかった。
「……嫌いです。ゼノさんなんか、嫌いです!」
その一言が、室内に落ちた瞬間――空気が、凍った。
数秒の沈黙。時間が止まったようだった。
ゼノの顔から、すうっと血の気が引いていくような錯覚。
表情は変わらない。だけど、その眼差しの“熱”だけが、突然消えたように見えた。
「……そうか」
かすれるような、静かな声。
彼は立ち上がらない。怒りもしない。反論も、追いすがりもしない。
ただ、机の上の魔導装置にそっと触れ、淡々と指示を出した。
「監視魔具、全台数を一時待機。居住区外周監視のみ残せ」
それだけ言うと、再びミリアの方を見た。
「……君の希望を、尊重しよう」
その目は、ただ冷たい。
あまりにも静かで、あまりにも無表情で、逆に怖かった。
「……勝手に決めないでください。尊重って、そういうことじゃないです」
ミリアは静かに言い返し、部屋を出た。
廊下を歩きながら、足がわずかに震えていた。
(……言っちゃった)
でも、後悔はしていなかった。
誰かの顔色ばかり見て、黙っていた自分自身は、もうこの世界にはいないのだから。
けれど。
背後の扉の向こうで、ゼノが何を感じていたかは――誰も知らなかった。
彼の右手が、机の縁を白くなるほど握りしめていたことも。
その力加減で、固い魔導装置の端が、ひび割れていたことも。
そして、彼が低く、けれど確かに、こう呟いた事も。
「……嫌い、と言われるのは……初めてだな」
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