第04話 連れていかれるって、そういう意味じゃなかったはずでは!?
木々の影が深まる夜の森。
帝国軍の馬車は、その細い街道を静かに進んでいた。
車内には、ミリア・フェルディナンドと、魔導師ゼノ・クローネ。そして、寡黙な護衛兵が一人だけ。
ミリアは揺れる車窓の外をぼんやりと見つめていたが、ついに黙っていられなくなった。
「……ねえ、本当にこれ、普通のスカウトだったんだよね?」
馬車の車輪がコツコツと音を立てるなか、ミリアが尋ねると、隣の席で文書を読んでいたゼノが静かに顔を上げた。
「君が『行きます』と言い、それに応じた。それだけだ」
「う、うん。言ったよ?言ったけどさ?でも、あれってもっとこう、ちゃんと手順があるもんじゃないの?契約書とか……施設案内とかさ……」
「不満か?」
即答だった。
声のトーンは変わらない。
それなのに、なぜかじわりとプレッシャーがのしかかってくる。
「い、いえ! 不満というか、ちょっと気になっただけで……!」
ゼノの冷静さが、逆に怖い。
ミリアはもぞもぞと座り直し、向かいに座る護衛兵に視線を投げた。
「ねえ、あなただって思うでしょ? これちょっと急すぎっていうか、展開飛ばしすぎっていうか……」
護衛兵――顔の半分がマスクで覆われ、無口そうな雰囲気の男は、しばらく沈黙したあと、ぼそりと口を開いた。
「……俺、スカウトの常識、知らないんで」
「そこは『確かに急ですね』って言うとこでしょ!?無表情の人に無表情で返されるの地味に堪えるんだけど!」
ゼノは書類から視線を戻し、ミリアに再び言った。
「……君に出会った瞬間、確信した。それ以上の時間は必要なかった」
「ひぇっ……」
「君の魔力の質と波長、そして情報収集の精度。『神託』という形での出力は未解析だが、源となる魔力構造が非常に興味深い」
「そ、そうですか……研究対象的に?」
「それもあるが……」
ゼノの視線がふと、真っ直ぐにミリアに注がれた。
「……君そのものに、強く引かれる理由は他にもある」
目が、あまりにも真剣すぎて、ミリアは思わず視線を逸らした。
「そ、それってどういう……?」
「わからない。まだ言語化できない。だが、明確に手放したくないという感情がある」
「……え?」
言っている内容が、怖い。
トーンは穏やかなのに、なぜか心の奥をぎゅっと掴まれるような重さがある。
そして、横からまた護衛兵がぽつり。
「それ、わりと……重たいっすよ、ゼノ様」
「承知している」
「引かれて逃げられても、知りませんからね」
「逃がさない」
「即答なんですね……」
ミリアは思わず両手で顔を覆った。
(この人たち、さらっと怖いこと言いすぎなんだけど!?)
そして、ゼノがまた、さらりと口を開いた。
「王国が君を手放してくれて、よかった」
「え……?」
「もし、君が今も王子の側にいたら――僕は、あの国を焼いてでも奪っていたかもしれない」
「ちょっ……ちょっと待って!?こわいこわいこわい!!」
ガタガタと肩を揺らすミリア。
ゼノは相変わらず顔色ひとつ変えずに返す。
「比喩だ」
「比喩のレベル超えてるよ!? まるで本気だったよ!?」
「本気だったら実行していた。していないから比喩だ」
「そういうことじゃないの!!」
沈黙していた護衛兵が、再びひとことだけ挟む。
「……でも、ゼノ様って本気だったらほんとに焼きますよね。王国ごと」
「必要があればな」
「だからその『必要』の定義が重たいって言ってんですよ……」
ミリアは目を見開いたまま、心の中で叫んだ。
(ほんとこの人たち、誰か早く止めて!!)
でも――不思議と、逃げたいとは思わなかった。
この人たちは怖いけど、王国よりはずっと『まっすぐ』だ。
必要だと言ってくれた。手放さないとまで言ってくれた。
(……怖いけど、嬉しいって、私、どうかしてるなぁ)
そんなことを思いながら、ミリアは苦笑して、再び外の景色に目を向けた。
ミリアは頭を抱える。
この人、本当に論理的なんだか感情的なんだか、まったく掴めない。
「でも、そんなふうに……誰かに必要って言われたの、久しぶりかも」
ぽつりと零すと、ゼノが静かに目を細めた。
「王国は、君の価値を理解していなかった。失ったことを、すぐに後悔するだろう」
「ざまぁ……ですね」
「そう、ざまぁ、だ」
その瞬間、ゼノの口元が、わずかに動く。
それは、笑みとも皮肉ともつかない、淡い感情の揺れだった。
けれど、それ以上にミリアの胸を衝いたのは、次の一言。
「君が帝国に来てくれて、僕は安堵している。これで、もう『失う可能性』を考えなくて済む」
ミリアはその発言を聞いて目を見開く。
「……失う、って……そんなに?」
「当たり前だ。今の君を、誰にも渡したくない」
静かに、しかし断言するように。
声の温度は低いのに、言葉の意味はどうしようもなく熱い。
(えっ……今、ちょっとヤバいこと言ってなかった?)
頭のどこかで警報が鳴っている。
でもその一方で、胸の奥は妙にあたたかく、くすぐったい。
(私って……こいつ、ちょっとヤバいなって思いながら……笑ってる……?)
そんな自分に戸惑いながら、ミリアは小さくため息をついた。
「……でもまあ、年俸五倍だし?寝床もご飯もお風呂もあるし?ざまぁって言われたし?」
開き直って、ぽつぽつと指を折る。
「帝国生活、意外と楽しいかも?」
ふと隣を見ると――ゼノの視線は、変わらず自分に注がれていた。
まっすぐに、まるでこの世界にミリアしか存在しないかのように。
その目には、観察とも崇拝とも執着ともつかぬ、異様な『熱』が宿っていた。
「……そんなに見つめられると、緊張するんだけど」
冗談めかして言うと、ゼノはあっさりと返した。
「安心しろ。君が眠っている時も、起きている時も、ずっと見ているつもりだから」
「ぜんっっっっぜん安心できない!!」
あまりの発言にミリアが跳ねるように叫ぶと、向かいに座っていた護衛兵がぽつりと呟いた。
「……ゼノ様、それストーカーって言うんですよ」
「違う、『観察』だ」
「意味同じじゃないっすか……」
「細かい定義にこだわるのは非生産的だ」
「はいはい、いつものやつですね……」
ミリアは思わず護衛兵にすがるような目を向けた。
「ちょ、ツッコミ仲間がいて助かった……!あの、普通に怖くない?今の発言」
護衛兵は肩をすくめると、小さく首を傾げた。
「まぁ……ゼノ様が『対象』に興味持つこと自体、珍しいですしね。逆に今のうちに逃げた方がいいかもです」
「今さら!?もっと早く言ってよそれ!!」
「止めはしませんけど、逃げても……多分、見つかりますよ」
「やめて!!その『確定事項』みたいな言い方やめて!!!」
ゼノは一連のやり取りを無言で聞いていたが、護衛兵をちらと見て、ぼそっと呟く。
「……不要な不安を煽るな」
「事実は事実です」
「……今後、報告書に主観を混ぜるな」
「今の会話、全部録音してます」
「……消せ」
「データ保護義務がありますので無理です」
「それは僕の指示で――」
「やめて、内輪揉めやめて!? なんでこんな修羅場感あるの!?」
ミリアはついに座席に突っ伏した。
(だめだ、やっぱりこの人たち、まともじゃない)
でも、どこかに――笑っている自分がいた。