第02話 ほんとは神託、聞こえすぎて困ってたんですが?
神殿を出て、護衛に囲まれながら王都の城門へと向かう馬車の中。
ミリア・フェルディナンドは、身を縮めるようにして座席に背中を預け、そっと目を閉じた。
馬車の車輪がきしむ音と、外のざわめきがかすかに耳に届く。兵士たちが何かを話しているのが聞こえたが、言葉の意味までは追えなかった。思考がどこか遠くに漂っている。
身体が、小さく震えている。
けれどそれは、恐怖でも怒りでもない。
――ただ、眠かった。
(……この三日間、ろくに寝てないんだよね……)
理由は単純だ。
神託が、うるさすぎる。
いや、違う。正確には、『聞こえすぎる』のだ。
風の流れの変化が『空の機嫌の悪化』として耳に届き、地面の微細な揺れが『地下のうごめき』として言葉に変換される。
空が語り、大地が囁き、植物が歌い、星が警告する。
それらすべての『声』が、四六時中、耳元に囁いてくる。
夜だろうと関係ない。夢の中ですら、神の声は鳴り止まない。
目を閉じた瞬間、また始まった。
――北の山脈で岩が割れる音が聞こえる
――魔力の脈動が、東方で急上昇している
――王の血に災いあり。婚姻の縁は、断たれるべし
――夜明け、空が裂ける。聖女は、その時に在らず
(うるさい……うるさい……お願い、今だけ黙って……)
両手で耳を覆いたくなる衝動をぐっとこらえる。
耳で聞いているわけではない。
これは、魂に直接語りかけてくる『概念』のようなもの。遮ろうとしても、脳の奥から響いてくる。
最初の頃は、全部記録していた。
ノートを何冊も用意して、神託の一言一句を書き留め、分類し、時系列で整理して、報告書として提出した。
けれど、それを読んでくれる人は、ほとんどいなかった。
長すぎる。わかりづらい。比喩が多い。もっと短く、要点だけを。
――そんなことを何度も言われた。
それでも、諦めなかった。
自分が神託を聞けるのは、神に選ばれたから。
ならば、それを使って王国の役に立てるはずだと、そう信じていた。
けれど――ある時、王子が静かに、しかしはっきりとこう言った。
『……もう神託はいい。口にするな。民が不安になる』
その瞬間、胸の奥で何かが、ポキリと音を立てて折れた気がした。
ああ、聞きたくなかった。
『ありがとう』とか『助かった』とか、そんな言葉は望んでなかった。
ただ、ちゃんと聞こうとしてくれる人が、一人でもいてくれればそれで良かった。
(……じゃあ、もう黙ってよう)
無理に喋らなくていいなら、それでいい。
だって、神の声は、こちらの意思などおかまいなしに、勝手に、際限なく、延々と届くのだから。
止まらない。止められない。
聞こえてくるたびに、それを『伝えなきゃ』と思う自分がいて、それが無視されるたびに、少しずつ疲れていった。
気づけば――笑うことすら、減っていた。
(……それにしても)
ぼんやりとした思考のまま、ミリアは馬車の窓の外を眺めた。
そこには、いつも見慣れた王都の街並みがあった。けれど、今日の空気はどこか違っていた。
市場の喧騒も、路地裏の子どもたちの笑い声も、遠くから聞こえる教会の鐘の音も――何もかもが、やけに遠く感じられる。
それでも、民衆のざわつきだけは妙に耳に残った。
自分が『追放された』という事を、どこかで知っているのかもしれない。噂は、貴族社会よりも速く、民の間を駆け巡る。
でも。
(まあ、もうどうでもいいや)
窓から流れゆく景色を目で追いながら、ミリアは力なく笑った。
怒りも、悔しさも、屈辱も――今は、まるで湧いてこない。
ただ、疲れ切った心が、何も感じる余力を持っていないだけだった。
神託を、聞きすぎた。
正確には、『集中するほど混線していく』のだ。
耳を澄ませば、声が重なる。
次々と、矛盾するような警告や未来の断片が流れ込んでくる。
聞けば聞くほど、頭の中はぐちゃぐちゃになり、どれが正しくてどれが誤りなのか、見分けがつかなくなる。
最近では、眠っている最中ですら神様が話しかけてくるようになった。
『おやすみ、ミリア。ついでに言うけど、西の森の地脈が乱れてるから気をつけてね』
あれは夢だったのか、現実だったのか。もう自分でもわからない。
(寝かせてくれ……)
本気でそう願った瞬間が、何度もあった。
神の声というのは、もっとありがたいものだと思っていた。静謐で荘厳で、導きをくれるものだと。
でも、ミリアにとってそれは、常に脳内で同時通訳される永遠の情報ノイズなのだ。
たまに思ってしまう。
(……神様、わざとやってるんじゃない?)
そんな軽口さえ、最近はもう出てこなかった。
冗談を言う元気すらない。
笑う余裕なんて、とうに失っていた。
(聖女って、こんなに疲れる仕事だったんだ……)
誰にも相談できなかった。
『神託がうるさくて眠れない』なんて言えば、周囲は間違いなく眉をひそめる。
『調子に乗っている』と思われる。
『神の声が聞こえすぎるなんて、傲慢だ』と笑われる。
逆に黙っていれば、『もう神託が聞こえなくなったのか』と囁かれる。
――話しても地獄。黙っても地獄。
結局、どんなに努力しても、誰にも理解されることはなかった。
(……じゃあ、もういいかな)
車輪の振動が、静かに全身を揺らす。
ゆら、ゆら、ゆら……と、ゆりかごのような心地よさ。
ミリアの思考は、緩やかに、どこか遠くへと流れていった。
そうして――王都の外門が見えてきた。
門の上には、武装した兵士たち。
見慣れた紋章。長く過ごしたこの国の象徴が、そこにあった。
門が、ゆっくりと開く。
車輪がきしみながら動き出し、城壁の外へと、ミリアを運び出していく。
その瞬間、ふと、何かが――
(…………あれ?)
すっと身体の中から、何かが抜けていくような感覚があった。
空気が軽い。
重しが外れたような、不思議な開放感。
魔力は封印されたままのはずなのに、むしろ魔力の流れが自然に“整っていく”ような感覚がある。
それだけじゃない。
(……静か、だ)
耳を澄ましても、何も聞こえなかった。
あの煩わしく、止まることのなかった神の囁きが――今は、どこにもいない。
王都にいた時は、常に三つも四つも同時に語りかけてきた“声”が、まるで潮が引くように、すうっと遠ざかっていく。
その沈黙が、信じられないほど心地よかった。
深く息を吸う。吐く。
風が、頬を撫でる。
日差しが、やわらかく指先を包む。
ただそれだけで、胸がいっぱいになる。
「……しあわせ……」
思わず、声がこぼれた。
追放された。
婚約を破棄された。
魔力を封じられ、国を捨てられた。
それでも、今この瞬間、ミリアの胸にあるのは――確かな自由と、穏やかな安堵だけだった。
「ねえ、神様。これって、わたしにとっての『ご褒美』だったりします?」
もちろん、答えはない。
だけど、風がふわりと舞って、そっとミリアの髪を揺らした。
まるで、『よく頑張ったね』とでも言うように。
(もう、何が本当で何が嘘でもいいや。私は、私の人生を歩いていくって決めたんだし)
ゆっくりと目を開けたミリアの顔には、いつもの笑顔が戻っていた。
ちょっとズレてて、少しだけ天然で、でもやたら図太く前向きな――あの笑顔だ。
「よーし、追放されたし、旅でもしようかな!」
ぱんっと手を叩き、ひとりごちる。
「キャンプ生活、ちょっと憧れてたんだよね〜。焚き火して、焼いたパン食べて、星を眺めて……うん、最高かも」
そう、聖女としての肩書きを失っても、誰かの役に立たなくても。
――ミリアの人生は、ここからが本番だ。
これからは、誰のためでもなく。
自分のために、自由に生きていく。
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