第03話 少女が奴隷に堕ちるまで_3
あまり細かいことは覚えていない。
ただそれからのことは……一言で表すなら、地獄そのものだった。
『おう、目が覚めたか。じゃあ今から、お前を「商品」にするために調教してやる。まずは紋の付与からだ』
『分からねぇか? まあガキだしな。淫紋だよ淫紋』
『お前の為でもあるんだぜ? 乱暴な奴に買われた時に、痛みを快楽に変換できねぇと体がもたないからな』
最初に目覚めた時、窓の一つもない薄暗い部屋であの大柄な男から奇妙な魔法をかけられた。
思えば、シアの体はそれで完全に壊されたのかもしれない。
下半身……へその下辺りに浮かび上がる、ハートを象った奇妙な紋様。それを刻み込まれて以降、全身は常に熱を持ち、服を着る事さえままならないほどに体が敏感になった。
その時から、シアは自力で立っていることさえ難しくなってしまった。
『──さぁ、それでは本日の目玉商品! 皆さんもご存じの某名門貴族の娘として育てられた、まさしく宝石のような奴隷少女! 8年間に渡り箱入り娘として成長してきたこの娘は、無論、一切の穢れを知りません! 奴隷として最低限の調教は施してありますが皆さまのお目に適う最高の品となっております! 開始価格は前代未聞の300万ゴールド! さあ、入札開始です!』
『350!』
『380!』
『450!!』
常に熱を発する下半身の紋様の他、シアは定期的に得体の知れない薬液を注射された。
毒ではない。かといって抗生剤というわけでもない。
ただ一つ分かるのは、日に日に全身の疼きがひどくなっていったことだ。
『──決まりました! 落札! 落札です! 最終価格は1800万ゴールド! 本オークション史上、最高落札価格達成です! エルフでも魔族でもない人間が驚異の競りを生みました! 最高の商品を最初に穢す権利がついに進呈されます! おめでとうございます!』
いつまで経っても冷めることのない熱にうなされる日が幾度も続き──気づけばシアは、また見知らぬ部屋にいた。
そこはとても煌びやかな一室で……きっと、ヴァレンス家よりも作りや内装が輝かしかったように思う。
思う……というのは、その部屋での暮らしが最も曖昧で、ろくに記憶に残っていないからだ。
『さて……早速いただくとしようか。一晩……いや、年甲斐もなく気合を入れて様々な薬を用意してしまった。これらが尽きるまでは存分に愉しませてもらうよ』
特に最初の日は──失神と覚醒を無限に繰り返したせいで、記憶は断片的にしか覚えていない。
ただ怖かった。
父と母のことを何度も叫んで助けを求めた。
でも結局……誰一人として助けには来てくれなかった。
『反応が悪くなってきたな。潮時か』
『──ああ。買い取ってもらいたい奴隷がいてね。中古だからオークションには出せないが、まあ、それなりの値段はつくだろう』
数日か、数か月か。
どれほどの時間が経ったのかは分からないが、シアは再びあの薄暗い部屋で目を覚ました。
そこでの記憶は最も鮮明に覚えている。なぜかは分からないけど、『ひどいこと』をされなかったから。
『また会ったな小娘。前に比べて、随分と静かになったじゃねぇか。よっぽど薬漬けにされたらしい。300万の品が今じゃ末端価格の中古品だ。ま、安心しろ。お前が商品として成り立つまで回復するよう手を尽くすのがオレの仕事だからな』
それからしばらくはまともな食事を与えられた。最初の頃は喉を通らず何度も吐き出したけど、あの男は辛抱強く付き合ってくれた。
普通の食事と普通の睡眠。
綺麗な服も買い与えられて──ある日、久々に太陽の下に出た。
その時シアは、今なら逃げられると本気で思った。だから男が目を離した隙に、全力で走ったのだ。
……結果、捕まった。
ほんの数秒の出来事だった。
当然である。男は、魔法が使えたのだから。
『ったく、ガキってのはちょっと優しくしたらこれだ。まあでも、今日は丁度お前を新しい飼い主のところに引き渡しにいく予定だった。罰はそっちで受けるんだな』
『──どうも、お待たせしました。途中逃げ出そうとしたもんで、少し手間が掛かっちまいましてね。ああ、大丈夫です。傷はつけてないんで』
そして再び、曖昧な日々が始まった。
昼間はどこかの部屋に閉じ込められ、夜は『飼い主』という人に『ひどいこと』をされる。
自由はなかった。
朝、気絶から目を覚ますのは当たり前だった。
やがてシアがまともに手足を動かすことすらできなくなって──再びあの薄暗い部屋で目を覚ます。
そんな毎日を繰り返し続けた。
何度も。
何度も。
何度も。何度も。何度も。
やがてシアは───。
『あーあー、こりゃひでぇ。お前、今度は飼育された触手魔獣がいる部屋に丸々一か月ぶち込まれたんだって? それを眺めて興奮する変態に付き合わされたんだってな……ってもう聞こえてねぇか』
『…………』
『こいつは……うん、再起不能だな。落札価格に合わせてしぶとさも過去最高だったぜ。消耗品の奴隷が、まさか1年間も生きるとはよ』
『…………』
『つっても、今や呼吸するだけのゴミだ。明日には廃棄してやるから、この部屋の中ではくたばるんじゃねぇぞ。後処理が面倒になるからな』
──目の前には水平線が広がっていた。
鉄の首輪に繋がれ、ボロ雑巾のような布切れ一枚だけを身に纏うシアは、光を宿さない瞳を宙に彷徨わせる。
王都近郊の海岸段丘。
黒い岩肌の崖っぷちで地面にへたり込み、ピクリとも動かない少女の背後にて……彼女を長らく『世話』してきた奴隷商人の男は、その重々しい首輪をそっと外した。
「これでよしっと……使い回せる分だけ、お前よりコイツの方が価値がある。純粋な道具のいいところだな」
シアは何も答えない。答えられない。
彼女の耳には、もう何も届いていない。
「長い間お疲れさん。お前にはそれなりに儲けさせてもらったぜ。ここまでぶっ壊れてなきゃ最後はオレが買い取ってやろうかとも思ってたが、過ぎた話だな」
拘束する首輪が外されてもシアは逃げる素振りすら見せない。もう自主的に体を動かす力も意思も、残ってはいなかった。
男は懐から一本の注射を取り出した。
それを……もう数えきれないほど、同じように針を刺されたことがある少女の首へ当てがった。
「こいつは手向けだ」
針の先端が肌に食い込み、透明の薬液が注入される。
それから数秒後。
──ピクッ、とシアの肩がほんの僅かに震えた。
呻くような掠れ声が僅かに零れる。
「…………ぅ、……ぁ……、?」
「最期ぐらいは自分の目で世界を見せてやろうっていう、オレなりの気遣いだ。余計なお世話かもしれねぇがな」
「ぁ、ぁ………、」
いつぶりだろうか。
シアの瞳に、ほんの僅かだが光が戻る。
だがそれを支える意識は本当に微かなもの。まともに喋ることもできなければ、指先一つ動かせない。
しかし心だけは──確かに覚醒する。
辛く苦しい、地獄のような日々。曖昧ながらも確かに植え付けられたおぞましい記憶の数々。
シアは理解する。
それももう終わると、頭の中のどこかで。
「…………」
──あの日から全てが変わった。
真実を突き付けられ、父と母の、本当の娘ではなくなったあの日から。
もう十分だった。こんな地獄は、もう懲り懲りだった。
だから……これから自分がどうなるのかを理解しながらも、シアは安堵していた。
やっと楽になれる。
「達者でな」
背後から男の声が届く。
それと同時……シアの痩せ細った体は、男の足によっていとも簡単に崖から突き落とされた。
潮風に打たれながら真っ逆さまに落下するシア。
抵抗することも、足掻くこともせず、少女の肢体は海面へと叩きつけられ。
その衝撃で──シアは完全に意識を手放した。
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(序盤の暗い展開が続く内は毎日更新していきます)