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第02話 少女が奴隷に堕ちるまで_2

 ──あれから3日。

 ヴァレンス夫妻は各方面での調査を行った。

 リムルを保護していた養護施設『ほほ(えみ)』への聞き取りや、未だ刑務中であった当時の強盗犯への面会、今度は夫妻とシアを含めての遺伝子検査、更に過去の雇用記録を辿りヴァレンス家のあらゆる人脈を使って当時の『シルフィー』に何があったのかを、徹底的に調べ上げた。

 結果。

 リムルとベールが語った出来事は──全て真実だと、判明した。


 事の始まりはベールが語ったように、8年前にヴァレンス家へ強盗が入った際、当時の『シア』……つまり今の『リムル』が誘拐されたことが発端となる。

 ベールはその現場にいながら雇用主のお子さんを誘拐されてしまった……という失態を隠すために、かつての仕事仲間であったシルフィーが同時期に出産していたことを思い出し、その子供を誘拐。

 シルフィーの子供を『シア』と偽ったのだ。

 そうして誰にも気づかれることなく、平民の子供がシア・ヴァレンスとして育つことになった。


 その裏で、当時の強盗犯は別口で捕まり投獄。

 犯人の隠れ家から本物の『シア』が保護され……彼女は養護施設で、『リムル』として育てられる事となった。

 それから8年のという長い月日を経て──現在に至る。


 薄氷の上に成り立つ嘘はひどく長い時間真実を覆い隠していたが、いざ探りをいれれば実に呆気なく全ての裏が取れてしまう。

 ヴァレンス家の8年に渡る日常は、たった3日という短い時間で簡単に覆されてしまった。


「ベール、君には処罰を与えなければならない」


 本来は客人を迎えるはずの応接室で再び全員が集まり、サーシェスは重々しくそう告げた。


「本日より……解雇とする。書類上の手続きは済んでいるから、今日中に荷物を纏めて屋敷から出ていくように」


 使用人の解雇を命じられたベールは、しかし意外そうに瞼を見開いた。


「……それだけですか?」


 てっきり彼女は、より重たい処罰が下されると思い込んでいた。

 だからこそ『解雇』だけで済むことに目を丸くする。サーシェスは背もたれに体重を任せ、力を抜いた声でその理由を語る。


「もう8年も前のことだ。今更言い出したところで、シルフィーとその夫の件は自殺と病死で処理されている。……それに、君が真実を隠したことで私たちが救われたのも確かだ。貴族の使用人が罪なき平民を死に追いやったなどと、世間に知られれば爵位取り消しも十分にあり得る」


「最も傷が浅く済んだのはあなたのおかげでもあるのよ」


 ステファンが続ける。それは保身的ではあるものの、それなりの地位を持つ貴族として事を大きくしない選択はある種当然であった。


「『子を失う』という苦しみから私たちが逃れ、今ゆっくりと噛み締めることができたのも君のおかげだ。そういう意味では君に救われている」


「サーシェス様……」


 シアの本当の母である『シルフィー』が自殺してしまったのは、子を失った悲しみからだ。何か一つでも違えば、サーシェスかステファンが同じ末路を辿っていた可能性もある。

 だからこそ救われたと……彼は話す。


「しかし、使用人の身でありながら貴族に対し酷く重たい嘘を重ねていたことも事実。その事に関しては罰さなければならない。……故に解雇だ。リムル、不満はあるだろうが君もそれで良いな?」


 テーブルを挟み、向かいに座っている少女にサーシェスは確認する。

 リムルからしてみればベールは十分、憎しみの対象となり得る。あと少しでも早く彼女が真実を打ち明けていれば、リムルはより早く家族と再会できていたかもしれないのだから。

 だがリムルは、存外素直に頷いた。


「構いません。わたしは父と母に再会できたことがなによりも喜ばしいのです」


「……というわけだ。異論は認めん。君はこれより貴族の使用人ではなくただの平民だ」


 きっぱりと言い放つ宣告。それを受けてベールは僅かに言葉を失う。

 だがすぐに背筋を伸ばし、せめてもの礼儀として彼女は深々と頭を下げた。


「……承知、致しました。今まで大変お世話になりました」


「うむ。一応釘を刺しておくが、今回のことは……」


「はい。内密に……墓まで持ち帰らせていただきます」


 彼女の返答を受けてサーシェスとステファンは満足そうに頷いた。

 続けて二人の視線は改めてリムルへと移る。

 サーシェスは真剣な表情で彼女に向かい合った。


「……君には、我々の方から謝らなければならない。全てが明らかになった今でも、私たちにはシアと過ごした思い出がある。急に君を本当の娘だと思って接するのは……なかなか難しい」


「……」


「だが、今からでも遅くはないと思っている。時間は掛かるだろうが、君の親としてやり直させてほしい。だから……我が家に来てくれるか?」


 不器用ではるが確かに歩み寄ろうとするサーシェスの言葉に、リムルは椅子から立ち上がった。

 彼女の顔には初めて、笑顔が浮かんでいた。


「勿論です。それを願ってわたしはここまでやってきたんです。どうか、これからよろしくお願いします。──お父様、お母様」


「……ああ、ああ! ありがとう、よく戻ってきてくれた……!」


 ゆっくりと歩み寄ったリムルの肩を、父として、サーシェスは優しく抱きしめた。それを隣で見つめていたステファンもまた、嬉しそうに表情を綻ばせる。

 母はゆっくりと視線を巡らせ、若干蚊帳の外にあったシアへ微笑みかけた。


「シア。もちろんあなたも、私たちの娘であることに変わりはないわ。あなたの方がほんの少しだけ早生まれなんだから、お姉ちゃんとしてこれからリムルを支えてあげるのよ」


「……うん」


 ──この時の母の表情は、まだリムルへ向けられるそれと何ら遜色ない笑顔であった。その言葉もきっと、本心から紡がれたものだったのだろう。

 だからシアは、急に家族が増えたことに困惑しつつも素直に頷いた。


 話の内容は概ね理解していたが、赤子の頃に本当の親と離れ離れになっていた……なんて今更知らされても実感は湧かない。シアにとっての両親は変わらずサーシェスとステファン。

 そういうものだと、ふんわり受け止めて両親たちの話を聞いていた。

 何も変わる事なんてない。

 今までと同じ生活に、家族が一人加わるだけ。

 そんなものだと勝手に思い込んでいたのだ。




 ……だが、両親の態度が変わるのにそれほど長い時間は要しなかった。

 リムルは絵に描いたような完璧な子供であった。

 親の言いつけは守り、言われたことに対して100以上の成果で返す。魔法を独学した際の副産物として勉強もすでに年齢以上の知識を身につけおり、礼儀作法やマナーも完璧。当然、ヴァレンス家の正当な血族というだけあって魔法の実力はすでに天才の域に達している。

 対してシアは、過ごした時間しか彼女に勝るものはない。何に挑戦するにしても、必ず失敗や実力不足がついて回る。


 雲泥の差。

 誰がどう見ても、そこには覆しようのない格差がある。

 何をするにしても完璧な実の娘と、『平民』の影をチラつかせる落ちこぼれの娘。どうしたって愛情の天秤は片方に傾いてしまう。


「……まったく。やはりあなたに魔法は無理みたいね」


 ある日の魔法訓練の際、心底呆れた様子で母からそう言われた。


「質量化した魔力を杖から飛ばすだけ。初歩も初歩よ? ヴァレンス家の娘でありながらこの程度の魔法すらできないなんて……」


「ごめんなさい……」


 かつてはシアがどれだけ魔法を失敗しても両親がそれを咎ることはなかった。

 『魔法だけがすべてじゃない』。そうシアに教えたのは、他でもない二人なのだから。

 なのに今の母は、かつての面影が嘘のよう。中庭の少し離れた場所で煌びやかな魔法を父に披露するリムルの姿を見て、彼女は重いため息を吐いた。


「はぁ……所詮は平民の子なのかしら」


 忌々しく呟かれた母の言葉は、容赦なくシアの尊厳に突き刺さった。

 だが何も反論することはできない。

 だってそれは、事実だったから。

 どれだけ辛い言葉を投げ掛けられても、シアは両親のことが大好きだった。だからそれも、上手くできない自分が悪いと……期待に応えられない自分は親に逆らう資格さえないと、本気でそう感じていたのだ。


 勉強も、魔法も、何もかも。

 リムルより劣っている自分が悪い。

 また両親から笑顔を向けられたいという一心で、シアは必死に努力を続けた。

 だがそんな思いとは反比例して、ステファンとサーシェスからの態度は悪化し続ける日々が過ぎていった。




 ──運命の日が訪れたのは、真実が発覚してからおよそ半年が経過した頃だった。

 早朝から玄関前に呼び出されたシアの眼前には……見覚えのない大柄な男性が立っていた。

 見たところ平民ではあったが、それにしては怪しい風貌の男。彼はねっとりとした目線でシアのことを観察しつつ、扉の前に立つ両親へと語り掛けた。


「ほう……こいつぁなかなか上玉ですね。肌も髪質も綺麗だ。ガキにしては発育もいい。開始価格300万ゴールドはくだらんでしょう」


「当然だ。()()は今まで、ヴァレンス家の貴族令嬢として育ててきたのだ。そこらの商品と比べられては困る」


「へへっ、いいでしょういいでしょう。確かにこれなら舌の肥えた紳士方もご満足いただける。色を付けて350万で買い取らせていただきましょう」


 何やら含みのある会話をする謎の男とサーシェス。

 その内容をシアはまったく理解できなかったが、なにか……とても嫌な予感を彼女は感じた。

 だが、父が仕事絡みの話をしている。そう思ったら、何も言い出すことができない。


「ところで……本当に良いのですかい? 一応は娘として育ててきたのでしょう?」


「すでに妻と話し合って決めたことだ。余計な詮索はやめていただきたい。……だが、まあそうだな。しいて言うなら……」


 父の瞳が茫然とするシアを見下ろす。

 噛み合った視線の奥から──ひどく冷たいものを、シアは感じた。


「ヴァレンス家は民衆の上に立つ完璧な上級貴族でなければならない。よくよく考えずとも、除ける汚点は早いうちに取り除かなければな」


「パパ……?」


 悪寒が背筋を走り抜ける。

 かつて一度も見たことがないサーシェスの顔を前に、なにか得体のしれない危険信号が脳内で響き渡る。


 そんなシアの不安を察したかのように、父はわざとらしく笑みを浮かべる。

 彼はその場で屈み、シアの視線に合わせた。


「シア。急で悪いんだけどね、シアは今日からこのおじさんと一緒に暮らすことになった」


「え……?」


「ああ、心配することはないよ。なにも怪しい人じゃない。とても優しいおじさんだから、シアもきっと幸せに暮らせるはずさ」


 久々に見た父の笑顔。しかし心からの表情でないことはシアでも十分に理解できた。

 訳の分からない急な別離宣言を前にシアは愕然とする。気づけば、サーシェスの服の袖を思わず掴んでいた。


「な、なんで急に……? わたし、そんなこと聞いてない。誰なのこの人?」


「……」


「ねぇパパ? なんで? な、何か言ってよ! パパ!」


「……」


 父の腕を揺さぶって必死に問い掛けるが、彼はそれ以上一言も口を開かずにただ無言の笑顔を向け続ける。

 痺れを切らしたシアは、隣に立っていた母に縋りついた。


「ママ。ねぇ、ママはなにか知ってるの? わたし嫌だよ、パパとママと離れて暮らすなんて。ねぇ、何とか言ってよ。ママ───、」


 だが、彼女の訴えは途中で遮られることになる。

 ───パチンッ、という甲高い音が響いた。

 気づけばシアは、母の裾から手を離し、代わりに地面へ向けて手のひらを突いていた。


 訳も分からずまばたきを繰り返す。数秒して──ステファンに張り手をされたのだと、遅れて理解する。

 ピリピリとした痛みが左頬からじんわりと広がった。


「その『ママ』っていうの、やめて頂戴」


 未だに頭が混乱しているシアを、感情が籠らない双眸が冷徹に見下ろす。


「ずっと我慢してたのよ。こんな出来損ないが娘だなんて信じられなかった。でも母として、ちゃんと愛情は注いであげなきゃって……義務感で感情を押し殺して……だからあなたが私の娘じゃないと分かって、本当に嬉しかったわ」


「ま、ママ……? なんで……っ、」


「そういえばあなたを叩いたのはこれが初めてね。でも安心して? 今のは親からの体罰じゃない……()()としての、ただの暴力だから」


 ──シアの中で何かが壊れる音が聞こえた。

 その音を、シアは確かに聞いた気がした。


 視界が歪む。喉は異様なほど乾き、なにか喋ろうにも言葉が出ない。目の奥が痛い。

 ずっと大好きだった両親からの明確な拒絶。

 たった8年しか生きていない少女にとって、それはあまりにも残酷な現実だった。


「もういいですかい? じゃ、オークション後にまたお伺いしますんで。金はその時に」


「ああ、頼むよ」


 背後に立っていた大柄の男が、硬直するシアの腕を掴み無理矢理立ち上がらせる。

 それでようやく我に返ったシアは、我武者羅に両親へ叫んでいた。


「な……なんで? どうして? パパ! ママ! やだよ! わたし行きたくない!」


 だが二人は何も言わない。無表情でじっとこちらを見つめるばかり。

 掴まれた腕を力任せに引っ張られる中、少しでも抵抗しながらシアは必死に手を伸ばす。


「悪いことしたなら謝るから! わたしのダメなとこ、ちゃんと直すから! 勉強も、魔法ももっと頑張る! だからお願いっ……、パパ! ママ! 助けてぇ!」


 全力の懇願も、しかし両親は何も反応を示さない。心の底から興味がなさそうに、感情のない瞳で連れていかれるシアを見送る。


「なんでっ……! なんでなにも言ってくれないの!? なんで……!!」


 大粒の涙がボロボロと零れる。決壊した感情はとめどなく溢れ出す。しかしそれでも、シアが伸ばした手を二人が掴んでくれることはなく。


 ……ふと気づく。

 両親の後ろに、いつの間にかリムルが佇んでいることに。

 彼女もまた、じっとシアの姿を見つめていた。だが少女の顔には、無関心な両親とは違い明確な感情が浮かび上がっていた。


 ──笑顔。

 満面の、笑顔。

 ゆっくりとリムルの口が動く。言葉は発しない。だけどその動きだけで、何を言っているかは確かに伝わった。



『ざまぁみろ』



 頭の中が真っ白になる。

 心臓が締め付けられるように苦しい。

 自分でもその時、何を言おうと思ったのかは分からない。だけど何かを叫ぼうとした次の瞬間──シアの眼前に、腕を引っ張る男から杖の先端が突き付けられていた。


「うるせぇぞ、ガキ」


 目の前が白色に明滅すると共に、バチンッ! という激しい音が響く。

 視界が暗転し──シアが意識を保っていたのは、そこまでだった。


 シア・ヴァレンス。

 様々な偶然が重なり、貴族の元で幸せな生活を送っていた少女の日常は──その時、終わりを告げた。




感想・評価などいただけますと今後の励みになります。

(序盤の暗い展開が続く内は毎日更新していきます)

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