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第19話 見定める者達_05

「ふぅぅぅ~……」


 学生寮内には入居している生徒向けの大浴場がある。

 白い人工石材が用いられた広々とした空間。立ち込める湯気と温水が流れる音。そして常に場内を清潔に保つため、壁面や天井、果ては排水溝周りに埋め込まれた魔石の輝き。

 夜も深まってきた頃。他に誰もいない浴場の中で一人、シアはのんびりお湯の中に浸かっていた。


 大浴場は点検時以外常に開放されている。

 場内に設置された魔石が常時微弱な浄化魔法を展開し続け、設備だけでなく浴槽やシャワーのお湯も綺麗な状態が維持されている。よって人の手による清掃を必要としない。もちろん魔石の交換時などは一時閉鎖されるものの、誰も利用しないお昼時に行われるようなので大した弊害はないらしい。


 お風呂前は必ず水回りの掃除が当たり前だったシアからするとあまりにも次世代的である。

 それも王立施設の設備であるため、場内の材質や使われてる魔石はすべて一級品。ギャップがありすぎて自分がここを利用していいのかたまに不安になってしまう。


(気持ちいい……いつでも開けてくれてるのはやっぱりありがたいな……)


 湯船の中で一糸纏わぬ全身をリラックスさせながらしみじみと実感する。

 シアはわざと外した時間に来て、半ば貸し切り状態を満喫していた。理由は色々あるがやっぱりお風呂の時は一人でゆっくりとしたい。

 特に今日は昼間から体を動かしてそれなりに疲労も溜まっていた。お風呂と睡眠は可能な限り質がいいに限る。


 槽のフチに頭を預け、ほとんど寝ているような姿勢のまま天井を眺める。

 のぼせてしまうのであまり長風呂はできないが、そうと分かっていてもついウトウトしてしまいそうになる。それだけ疲労の溜まった日の締めのお風呂は絶品であった。


(そういえばクライブ先生……天真流のこと知ってたみたいだけど。そんなに有名なのかな?)


 ぼんやりとした思考で振り返るのは、やはり今日一濃い時間だった担任教師との問答についてである。

 特にクライブの口から『天真流』の名が出た時は驚いた。てっきりシアとリュウショウしか知らないものだと思い込んでいたが、よくよく考えずとも一個の流派として存在している時点で剣に詳しい人なら知っていてもおかしくはない。あくまで祖がリュウショウというだけの話だ。


 加えてクライブは極東の歴史についてもそれなりに詳しそうな口ぶりだった。

 教師なのでそれぐらい当然なのかもしれないが、実を言うとシアはリュウショウの過去や極東の地についてあまり知らない。本人からあえて聞かないようにしていたというのもあるが、一番はシアの興味が天真流にばかり注がれていたというのが正しい。今になって師の周辺情報が鮮明になってきているようで、どこか不思議な縁を感じてしまう。


 なんとなく思い返すのは、クライブが言った言葉の数々。

 極東の地『アズマ』。

 天真流はその地で根付き、共に滅んだとされている剣術。

 そして……滅亡の原因である『大崩壊』。


(『大崩壊』か……)


 シアも概要ぐらいは知っていた。

 僅か10年前の話である。ある日突如として極東の都であるアズマの中に接触禁忌指定されるほどの危険な魔獣が大量発生し、たった一日という僅かな時間で一つの国が滅んだという話。魔獣発生の原因は未だ掴めておらず、謎多き事件として語られている。

 生き残ったのは避難が間に合った数百人程度。それこそ同級のレンカは避難民の一人なのだろう。


(リュウショウさんはもっと前からあの森に住んでたらしいから関係はない? ……知ってどうってわけでもないけども)


 どの道、今のシアに関係のある話ではない。

 思考を振り切るようにシアは瞼を閉じる。というかお風呂に入りながら黄昏る内容ではない。明日の予定とか休日になにしようとかもっとあるだろう。心の中で自身にツッコミつつ、心地よいお湯の中で四肢を揺らした。


 ……しかし、こう目を閉じているとそのまま寝てしまいそうだ。

 さすがにそれはよくない。慌てて目を開き、仰向けの姿勢から座り直す。時間的にもそろそろ上がる頃合いだろうか。


 そうして立ち上がろうとしたとき──大浴場の入り口からヒタヒタとした足音が聞こえた。

 シアの体がビクッと震える。

 言えたことではないが、まさかこんな時間に他の利用者がいるとは思わなかったため変に警戒してしまう。


 じっと凝視するように足音の発生源を確認しようとする。

 立ち込める湯気の奥から姿を現したのは──見覚えある赤毛の少女。


 シアは思わず目を見開く。そしてすぐに、気まずそうに表情を歪める。

 現れたのはエリアナであった。

 健康的な女性の体つきと、普段はハーフアップの赤毛をほどいた姿は同じ女性でも思わず見惚れてしまう美しさがあったが、そこに気を回せるほどフラットな関係ではない。


「……あ」


「……ど、どうも……」


 向こうもシアの存在に気付いてみるみる内に表情が険しくなる。

 部屋が隣人であったり、彼女とは何かと奇妙な偶然が多い。が、現状の関係性としてはあまり喜ばしいことではないのでどう足掻いても居心地の悪さが先行してしまう。

 特に今日は午後の授業が原因で余計に関係が悪化している。最悪のタイミングである。


「わざわざ外してきたのに……、なんであなたがっ……」


 忌々しく呟くエリアナ。どうやら彼女も敢えて混雑時間を避けてきたらしい。

 なんならその理由もなんとなく察せられる。答え合わせをするように、シアはおずおずと問い掛けてみた。


「なんで……あの、こんな時間に……?」


「人目を避けるに決まってるでしょう。お風呂の時まで笑いものにされてたまるものですか」


「まあ、そうだよね……」


 お昼のことを思い出す。Fクラスというだけで後ろ指さしてくる最悪の居心地を提供してくれた学院の空気は、なにも校舎内に留まる話ではない。

 学生ばかりの寮内でも大体同じだ。浴場内では校章が縫われた制服を着ていないため少しはマシだろうが、それでもシアたちの顔はすでにそこそこ広まっている。

 もし同じ時間の利用者に一人でも顔を覚えている生徒がいれば……その瞬間、快適なバスタイムはどこかへ消し飛んでしまうだろう。


 だからエリアナの気持ちはよく分かる。

 まあ……分かるというだけで、傷の舐め合いができるほど二人の距離は近くないのだが。


 エリアナは小さくため息をついて、イラつきが見え隠れする足取りで洗い場の方向に足を向ける。

 ……なんだか出ていくタイミングを失ってしまった。

 別に何も気にせずそそくさと退散すればいい話なのだが、少しでも関係を改善していきたい方針のシアとしては『それはそれで寂しくない?』と微妙に憚られてしまう。かといってこれ以上シアから話しかけたら余計に怒らせてしまいそうで、自身の人見知りな部分が浮き彫りになってしまう。


 当のエリアナは昼の一件以降さらにシアとの距離を(物理的にも精神的にも)離しており、如実に関わるなというオーラを振りまいている。

 取り付く島がないとはまさにこういう状態を指すのだろう。


 気づけば一通り体を洗い終わったエリアナが浴槽の方にやってきて、ゆっくりとお湯に体を沈める。……シアとは大分離れた位置で。

 完全に他人の距離感である。仕方ないのだが……これが3人しかいない同じクラスの同級生だとはきっと誰が見ても信じなさそうだ。


「…………ねぇ」


 ──と、思いきや。まさかのエリアナから声を掛けられてシアの肩がピクリと跳ねる。

 エリアナはこちらを見てはいない。だが彼女の不機嫌そうな声は明らかにシアへ向けられていた。


「あなたが使っていた剣術……アレ、いつからやってるんです?」


 それは昼の模擬戦から続く延長線の問いであった。

 出自と違い特に隠すような理由もないのでシアはすぐに返答する。


「もう少しで……6年ぐらい? 師事していたのは5年弱だけど……」


「……」


 シアの回答を受けてエリアナは意味深に沈黙してしまう。

 それどころか眉間のシワが余計に増えていく。なにかマズイことを言っただろうか。心配するシアに対し、彼女はしばらくして呟いた。


「6年……たった6年で、あんなに……? あり得ない……!」


 水面を見ながら吐き捨てるエリアナは、シアに向けて……というより自分自身を罵倒しているかのようだった。


「私はもっと小さい頃から魔法を一人で磨いてきた……槍術だって……っ、認めてもらえるように、必死に……! それがたった6年の努力より下だっていうの……っ、」


「そ、そんな言い方しなくても……」


「うるさい! あなたには分かりませんよ……! あんな滅茶苦茶な強さを持つあなたには……!」


 エリアナはまるで子供のような僻みを口にする。けれどシアは口をつぐむ。彼女の感情を否定することはできない。

 だってそれは人として当然の心だから。シアがエリアナの立場だったとしたら、きっと同じように嫉妬していた。

 いや……なんならその経験がある。


「……分かるよ。わたしも魔法が使えないことで人と比べられて、惨めな思いをしたことがあるから」


 ヴァレンス家での最後の半年間はまさに地獄のような日々だった。

 リムルに嫉妬心を抱かなかった日は一日たりともない。ただ、それをぶつける相手がいなかっただけ。だからずっと抱え込んで……本当に極限まで追い込まれるその瞬間まで、シアは自らを殺し続けていた。


「平民のあなたと一緒にしないでくださいッ……!」


 とはいえ、シアのそんな過去など知る由もないエリアナはキッと鋭い視線で睨みつけてくる。

 やはり今は何を言っても心に届きそうにない。彼女と普通に会話できるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。


「……、ごめん。わたしもう上がるね」


 これ以上ここにいても気まずい空気が続くだけだ。申し訳なさそうに言いながらシアはその場を立ち上がった。

 ……が、エリアナの存在に気を取られすぎていたことで、シアは大事なことを失念していた。

 人がいない時間を狙って大浴場に来たのは、のんびりしたいというのも、笑いものにされるのを避けるというのも、別に間違いじゃない。だが……本当に一番の理由は他にあった。


「……え? あなた、なんですか……? それ……」


 湯から立ち上がったシアのことを横目に見たエリアナが、ぎょっとした様子で僅かに目を見開く。

 何を言っているのか、すぐには理解できなかった。だが彼女の視線がシアの体に釘付けになっているのを辿り……遅れて理解する。


「……───、ぁ」


 空気が抜けるような掠れ声が僅かに零れる。

 無意識に出たその一言と共に、シアの頭の中が真っ白になる。


 エリアナが見つめているのは──シアの体。正確には、その体に残された古い傷痕の数々。

 到底若い女性の体に残っていいものではない数多の痕跡は、彼女の目を引くのに十分な外観である。


「剣の訓練でついた傷じゃ……ない、ですよね……?」


 どこか引き気味なエリアナの声。彼女の反応は正常だ。この惨たらしい傷痕を見て異常性を感じ取るのは、社会の闇とは無縁の場所で育ってきた証拠でもある。

 一瞬、呼吸を忘れてしまう。エリアナの問いに対して全身が硬直する。


 ──これはシアにとって数少ないウィークポイント。

 恥であり、忌まわしい過去を呼び起こす刻印でもあり、地獄で体を穢しつくされた象徴。

 決して人に見られたくなかった。だからシアは誰もいない時間を縫って浴場に来ていた。


「ぁ……っ、いや! こ、これは……違くて……、っ」


 動揺を隠せず、うまく喋れない。喉が引きつって言い訳の一つもできない。

 自分の体を隠すように抱きしめるも、それで隠しきれるならトラウマになんてなっていない。怯えた子犬のように体を震わせる様は、直前までのシアとはまるで別人のよう。


「……っ、ごめんなさい!」


 最早何に対して謝っているのかも分からない謝罪を残し、シアは駆け足で大浴場から逃げ出してしまう。

 例え一秒であってもこの体を人に見られるのは避けたかった。

 部屋の姿見を見るだけでも少し吐き気がするのだ。他者からの認識なんて……想像もしたくない。


 消えることのない最悪の過去に、シアは今でも呪われ続けている。




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