第18話 見定める者達_04
「あの……どうしてまた実習室に?」
一度寮に戻って自身の刀を持ってきたシアは、そのままクライブに連れられ、午後の授業でも使用した実習室に再び顔を出していた。
広々とした空間のど真ん中に立ち、ここまで先行して歩いていた担任教師の背中に問いかける。
クライブは肩越しにシアを見返す。その瞳には──これまでも何度か見てきた鋭い光が見え隠れしていた。
「君も察しが悪い。実習室でできることなど限られているだろう」
「え……? でも大事な話って……」
「方便だよ。しかし納得いく説明を求めるというのなら、先に問うておこうか」
体ごと振り返ったクライブは、一目で分かるほどに張り詰めた雰囲気を漂わせていた。
実習室。
わざわざ持ってくるよう指定されたシアの刀。
これから先のことを想像ぐらいはできるが、いや、しかし……と意味を見出せずに困惑する。
「シア。君は家名を持たないようだが、今のご時世、平民でも大多数が家名持ちだ。名しか持たない者は、過去の風習に取り残された老人かもしくは奴隷か……君は入学以前、どこで何をしていた?」
唐突に都合が悪い部分に探りを入れられ、シアは僅かに目を細める。
入学時の面接にも聞かれた話だ。結果的に入学は叶ったので過ぎた話だと思っていたが、まさか改めて問いただされるとは思わなかった。
仕方ないので以前にも使った文言をシアは口に出す。
「……ずっと王都の外で暮らしてました。一人で」
嘘はついていない。
リュウショウが亡くなってからは、ずっと一人の生活だった。
「両親は?」
「私が小さい頃に亡くなりました。顔も知りません」
これも嘘ではない。
生みの親である本当の両親は、シアがまだ赤子の頃に亡くなった……らしい。
「では、記憶すら曖昧な幼子の頃から一人で暮らしてきたと? どうやって? 学院の入学費はどうやって稼いだ?」
「それは……一人で狩りをしたり、魔獣退治の傭兵仕事とかで……」
我ながら無茶な言い訳を並べ立てていることは重々承知していた。
しかし過去の出来事を赤裸々に話すわけにもいかない。元奴隷というのは消えない烙印のようなもので、それだけで社会的立場が劇的に不利になる。それはおろか、元はヴァレンス家で育てられていたことを話そうものなら最悪貴族への犯意と見なされる可能性がある。
穏便にことを進めるにはこの嘘を突き通すしかない。
それを証明する手段はないが、幸いにも嘘と断言できる者もこの世には存在しない。
「……」
意味ありげに沈黙するクライブ。
言われずとも分かる。彼はシアの嘘を見抜いている。だからこそこの場で問うてきたのだろう。
「……まあ、いい。学院がそれを認めている以上、私は従うだけだ。君の出自自体にもさして興味はない」
しかし彼は思いのほかあっさりと引き下がってみせる。言葉の通り、形式として尋ねただけで本当に興味はなさそうだ。
クライブの追及心は別にある。その矢印が向く先を、彼は指し示す。
「だが、君が午後の授業で見せた動きと技の数々。あの剣に──私は今、心惹かれている」
聞く人が聞けば心臓が高鳴りそうな一言だが、二人の間に漂うピリついた空気の中ではそう受け取ることも難しい。
「君の剣が見せる高みはいかほどなのか。手が届くところにその答えがある中、黙って見ているのは気分が悪い。私はこれでも我慢弱い男なのでね」
クライブは薄く笑みを浮かべながらシアが持つ刀に目線を配る。
やがて彼は、ぽつりと、しかし明確に一言を呟いた。
「──『天真流』」
「!?」
衝撃に瞼を見開く。その流派の名が、クライブの口から出てくるとは微塵も思っていなかった。
「かつて極東の地『アズマ』に根付いていたとされる、活人剣と殺人剣の表裏を備えた特殊な剣術。対人を想定していた故、かの『大崩壊』で出現した魔獣の群れには力を発揮できずアズマと共に滅びたとされていたが……」
クライブの視線が再びシアに注がれる。
見定める瞳──いや、違う。それは同じ剣士として、他者を値踏みする眼光。
「なぜ極東の出でもない君が、滅びたはずの剣術を振るうのか。……子細は語らなくてもいい。だが君を管理する者として、見極めさせてもらおう」
言い切ると共に──青白い稲妻が弾けた。
だらりと下げられたクライブの右手。その掌を中心に光が迸った瞬間、魔力の粒子を散らしながら彼の手の中に存在しなかった物質が具現化する。
白銀の刃を閃かせるのは、鍔を持たない片刃の直剣。
さながら剣のサイズまで刃渡りを伸ばした巨大なナイフだ。モックアップでもなんでもない、本物の武器が妖しく光を反射する。
(今の……次元間魔法!?)
話にしか聞いたことがないが、その正体ぐらいは判別できる。
今のは無から武器を生成したのではない。別次元に格納していた武器を取り出したのだ。王都に片手で数え切れるほどしか使い手がいないとされる超高等魔法を前にシアは慄く。
「武器を抜きたまえ。これから個人面談を始める」
「ちょっ……ちょっと待ってください! いきなりそんな……っ、それに実剣でなんて……!」
シアは慌てて声を張りげる。危うく状況に流されるところだったが、いくらなんでも急すぎる。
クライブと立ち合いをすること自体はまだいい。しかし本物の剣でというのはいくら何でも危ないだろう。本来教師側が止めるべきことのはずだ。
「不服か? しかし君の本質を見極めるにはこれが最も最適と判断した。口よりも剣で語る方が……君だって得意なのではないかな?」
「……っ、いや! そういう問題じゃ!」
「生憎、私も君と同じ口でね。本当は担任なんて柄じゃないが、おかげで君の剣に出会うことができた。折角の機会、無駄にするわけにはいかない」
もうどっちが生徒なのか分からなくなる物言いであった。
それほどまでに、眼前の男性教師は出会ってから一番と言っていいほどに口調が高揚している。
「それに……これは憶測でしかないが」
一言溜めつつ、彼は端然と言い放つ。
「午後の授業。本心では物足りないと感じていたのではないかな?」
「……!」
「安心したまえ。君の前にいる男は、君が全力を出せる相手だ。退屈はさせない」
ゾクリ、と全身の鳥肌が立つ。
彼の言葉は虚言ではない。放たれたプレッシャーがシアに直感で理解させてくる。
この感覚は随分久々だった。
初めて一人だけで魔獣と戦った時。初めてリュショウと本気の立ち合いをすることになった時。それらに肩を並べて、得体の知れない緊張感がヒシヒシと感じられる。
シアは息を呑む。そして──覚悟を決める。
やるしかない。
「……分かりました」
冷静さを取り戻すために瞼を閉じ、大きな深呼吸を挟む。
再びその瞳を開くと共に──、鬼を斬る異名を持つ名刀の刃を一息に抜き放った。
波打つ波紋と反りの入った全長が特徴的な異国の刀剣。この刃を対人戦闘で抜いた経験は、今まで一度もない。
しかし向こうがそれを所望するならば受けるしかない。
彼の言う通りだ。『天真流』の極意を骨の髄まで染み込ませたシアにとっては、剣で語ることが最も手っ取り早い。
クライブは小さく笑う。彼の持つ剣の切っ先がシアへ向けられた。
「それでいい。ルールは授業と同じ一本勝負。君に合わせて魔法は控えるが……私に使わせるというのなら話は別だ」
分かりやすい挑発である。思わず魔法を使ってしまうほどに攻め立ててこいと、彼は言外にそう言っている。
鞘を床に滑らせ、両手で柄を握る。眼前で水平に刀を据えるは、霞の構え。対してクライブは、背筋を伸ばしたままのシンプルな構えだ。
張り詰める空気と真正面からぶつかる視線。互いに、塵ほどの油断すら存在しない。
「──では、始めるとしよう」
その一言と同時に。
戦いの火ぶたが切って落とされる。
両者は共に動き出し、互いの中間地点で激突した。
◇◇◇
無数の斬撃が折り重なる。
剣戟の嵐から幾度となく火花が舞い散る。
それが教師と生徒によるただの模擬戦だとは、初見では分かりようがないだろう。
すでに数えきれないほどに打ち込んだシアでさえ、極限状態の中で脳が麻痺し、これが本当に立ち合いでしかないのか分からなくなる瞬間がある。
それほどまでに遊びが一切ない真剣なる勝負が繰り広げられていた。
幾重にもフェイントを折り重ねながら縦横無尽に打ち込む斬撃。
クライブはそれらを的確に打ち落とし、あろうことか合間を縫って反撃までしてくる。シアがそれを迎撃している頃には互いに態勢が整い、新たな駆け引きが生まれる。
参考対象が少ないとはいえ、ここまでやり合える相手はそれこそリュウショウ以来であった。
シアは確信する。
(この人、強い……!!)
それも、レンカやエリアナが見せた強さとは質からして違う。
磨き上げられた技の型。着実に強靭を削ってくる一撃一撃の重み。確かな経験から来るであろう、驚異的な反応速度と搦め手の数々。
どれを取っても一級品だ。
少なくとも経験の深さに関しては、大人であるぶん彼の方がシアを確実に上回っている。
僅かに冷や汗を流しつつ、無数の剣閃の真っただ中でシアは的確に評価する。
(甘く見てられない! 油断したらたぶん負ける!)
少しでも『負け』のイメージを抱けるのは果たしていつぶりか。
リュウショウとの立ち合いでは毎度のことであったが、それ以来、森の中で魔獣と戦ってもこういった感覚を覚えることはなかった。
それだけの強者なのだ。この人は。
「やはりいい動きだ! 学生でありながらこの見事な剣筋! 賞賛に値しよう!」
剣戟の最中、クライブはどこか嬉しそうに語り掛ける。
しかし彼とて決して余裕のある表情ではない。シアと同様に、額には一筋の汗が流れている。
「だが、まだ気遣っているな! 私の見込みではまだ上がある! それを見せてみたまえッ!」
腰の入った強力な一撃が飛来する。
斜めに構えた刀で正面から受けるシア。決して捉えられない刃じゃない。
だが、刃同士が衝突した瞬間、これまでにないほどの衝撃が腕を通じて全身に駆け巡った。
それどころか床に面していた足の裏がほんの一瞬浮かび上がり、後方へと体ごと押し込まれてしまう。
「ぐっ……」
床を滑り、なんとか踏ん張ってみせるもその威力に思わず目を見張る。
両腕にはピリピリとした痺れがじんわりと残っていた。
(そこまで言うなら……!)
クライブからはシアの力を限界まで引き出してやろうという目論見がヒシヒシと感じられた。そのために、到底生徒相手とは思えないほどの技を何度も打ち込んできている。
本来のシアの性格ならこういった安い挑発には乗らない。だが、剣のこととなれば話は別だ。
『これ』はシアにとって生き甲斐であり、自身を支えるたった一つの芯。試されているというのであれば応えるのが師の教え。
一呼吸と共に。
気合の出力を一段感上げていく。
腰を僅かに落とし、射抜くような視線で正面を見据える。刀の柄を強く握り直し、シアは一歩踏み込んだ。
「ふっ───!!」
だがその一歩はあまりにも深い。
シアの足が床を踏みしめた瞬間──彼女の体が、ブレる。
厳密には、ブレて見えるほどに高速で踏み出し、その場に『残像』を残したのだ。
驚異的なまでの初速により自らの姿をその場に残し、クライブの注意外から瞬く間に距離を詰める。
──天真流剣術<流影斬>。
影を置き去りにし、流水の如き剣捌きで斬り込む剣閃は天真流に伝わる武技の一つ。
技巧と速度に特化した斬撃はまさしく神速の域だ。並の戦士ではどう足掻いても防ぎようがない。
しかし──斬り込むその瞬間まで、クライブの目線は確かにシアの姿を追いかけていた。
「ッ!!」
体の勢いをそのまま乗せた斬撃が放たれる。
だが、見事に反応してみせたクライブの刃がそれを迎え撃つ。ギリギリのタイミング。決して余裕ある防御ではない。
故にこそシアは止まらない。
斬りつけた動きから、刃を滑らせてそのまま低姿勢で走り出し、再び残像を残す。踏みつけた床が軋むような音を鳴らし、その音さえも置き去りにして少女の体が室内を大きく旋回する。
大胆に、しかしものの一瞬でクライブの背後へと裏回りする。
流影斬は一度の斬撃では終わらない。
当たるまで、何度でも。
死角から死角へ、幾度となく回り込みながら斬りつける。その執念深さこそがこの技の神髄。
身体の捻りを加えた回転斬りがクライブの胴体目掛けて炸裂する。
「くっ……!」
が──尚も彼は防いでみせる。
刃と刃が交錯し、激しい火花が散る。
しかし今の二発目で確実に態勢を崩した。僅かにクライブの重心がズレている。その僅かなズレこそが勝敗を分つ。
されども油断はしない。そのまま追撃するのではなく、再びシアの体が残像を残して駆ける。
回り込み、確実に一本を狙える死角へと──入り込む。
(取った!!)
振りかぶられた刃。クライブの視線は確実にシアを追うことができていない。
勝ちを確信する。
寸止めするつもりで、しかし勝ちをもぎ取るための渾身の一撃を放つため、シアの手にぐっと力が宿り。
──その瞬間、不思議なことが起きた。
瞬く稲妻と青白い閃光。その輝きが視界に映ったのとほぼ同時……目の前にあったクライブの体が、消えた。
(え──、)
突然の出来事に頭の中が真っ白になる。
クライブが姿を消した。たったそれだけの現象だが、脳が瞬時に理解できずに全身の動きが硬直してしまう。
視界の中に残るのは空気中を漂う魔力の残滓。ゆるやかに滞空するそれらを目のピントが捉えて──ようやく思考が追い付く。
頭の中の記憶と合致する。
今クライブが消えた現象は……彼が剣を無から取り出した時と非常に似ている。
そう──つまり魔法だ。
それも別次元との相互反応を起こす『次元間魔法』。
理解すると同時、シアは振り抜こうとしていた刀の行く先を捻じ曲げ、後ろに振り返りながら刃を繰り出した。
ほとんど直感頼りの一撃。
だが、その直感は的中する。
刃同士がぶつかる甲高い金属音が響く。
シアの一撃は、背後から迫っていた刃を寸前のところで弾き返した。
「なんと! 今のを防ぐか!」
「転移の魔法……ッ!!」
いつの間にかシアの背後を取っていたクライブは相変わらず喜びを滲ませた声で驚愕する。シアに攻撃を弾かれたことで、彼は仕切り直しとばかりに後ろへ跳び退く。
シアもまた、今の無茶な動きを誤魔化すように数歩距離を置く。彼女の額に流れる汗の量がほんの少し増えていた。
(一瞬でも反応が遅れていたら危なかった)
クライブがやったことは単純だ。シアの攻撃に剣では対処が間に合わないと判断して、『魔法』を使ったのだ。
次元間魔法。それによって自身の体を一時的に別次元へ格納し、現実へ戻す。そうすることで疑似的な転移魔法が再現され、背後にいたシアの背後を逆に取ってみせた。
シンプルながらとんでもない魔法である。
使いようによっては様々な応用が利くのだろう。そして目の前の男は、この魔法を戦闘に生かせる程度には熟知している。
当然のようにシアの動きに反応することといい、やはりクライブは正真正銘の達人に違いない。
が──魔法を使わせたということは、それだけ彼を追い詰めている証拠でもある。
寧ろここからが本番だ。クライブは決してシアと同じような純然たる剣士ではない。
魔法という手札を使ってこそのメイジなのだから。
「君にはやはり驚かされる。生徒相手にここまで見せるのは随分と久々だ」
「前にもあったんですか?」
「天才というのはいついかなる時代にも潜んでいるものさ。まあ、君の場合は才能というより、身を焦がすほどの執念に感じられるがね」
「……」
クライブの軽口を聞きながら再び剣を構える。
先ほどのような直感での行動は二度と通じないと思った方がいい。大事なのは集中力だ。
いかなる方向から攻撃が飛んできても即座に反応できるよう、シアは精神を限界まで研ぎ澄ませる。
「その執念、いかほどのものか見せてみろ!」
再び閃光が弾けた。
蒼い稲妻と共に姿を消すクライブ。──この瞬間には、すでに彼は別の場所に転移している。
視界には映らない。だが人間の視界は想像よりも狭いので、クライブが転移した択は無限にあるといっていいだろう。
ならば先ほどの様に直感頼りで迎え撃つしかない──とも言い切れない。
第六感に頼るのも選択の一つではあるし、勘が戦局を左右する場面だっていくらでもある。しかしあるかも分からない曖昧な感覚を重視しすぎてはいつか必ず失敗するだろう。
故にシアは……『風』を感じ取る。
魔法によって気配なく場所を転移できるといっても、人がそこに現れた以上、どんなに微弱であっても空気が振動する。ましてや戦闘中ともなれば、クライブは武器を振るために動き続けるはず。
その時に生じる風を感じ取るのだ。
無茶な話に聞こえるかもしれない。だが感覚を限界まで研ぎ澄ませば、決して不可能ではない。
全身の地肌で小さな小さな風の乱れを感じる。
その間、僅か一瞬。クライブが姿を消した次の刹那、シアは刀を躊躇なく振り抜いた。
(右ッ!!)
狙う先を一切確認せずに振るわれた刃は──すでに真横まで迫っていたクライブの刃と見事衝突する。
先ほどと違い態勢を崩すこともなく難なく弾き返す。決して容易ではないが感覚は掴んだ。
返す刃でクライブを狙う。刃の向きを反転させ、振るわれた軌跡をもう一度なぞるような一撃。
しかし反撃は空を切る。
再び魔力の残滓だけを残してクライブは姿を消した。
「っ!!」
だがもう焦ることはない。
その瞬間にはすでに次の向く先を感じ取り、体を捻じりながら刀が振り抜かれる。
激突する刃。
お互い、続けざまに繰り出す連撃が眩い火花を生む。
両者一歩も退かない攻防は激しい余波を生み出し、周辺に幾度とない突風を生み出す。
「すでに適応したか! 見事と言わざるを得ない!」
「くッ……!!」
シアを高く評価しながらも、クライブは攻撃の手を一切緩めようとしない。しつこいほどに転移を繰り返しながらこちらの意識外を狙うように斬撃を放ってくる。
対してシアも風を読むだけでなく、『意識外に来ると分かっているならそれを見越した上で動く』ことによってより反撃の効率化を着々と進める。
目にも留まらぬ速度で交わる二つの刃。
剣戟を彩るのは、舞い散る火花と青白い魔力の煌めき。
その光景は一種の芸術的美しささえ感じさせていた。
やがて、無限にも感じられる輪舞の末──ひと際力の籠った一撃が共に炸裂し、大きな金属音を実習室の中に響かせた。
両者とも衝撃を逃がし切れず、距離を離すように後方へと吹き飛ぶ。
「はぁ……、っはぁ……」
何とか踏み止まった時、シアの肩は上下に揺れていた。見るからに荒い呼吸を繰り返し、流れる汗が顎先から滴り落ちる。
しかしそれはクライブも同様である。表面的には変わらぬ表情でも、明らかに疲れが見え隠れしている。
──そろそろ決着の時だ。
互いの体力も限界が近づいてきており、その瞬間を如実に予感させてくる。
クライブは呼吸を整えつつ剣の刃に空いた左手を添えた。──その手が、淡い光を纏う。
根元から切っ先へと、刃の腹を撫でるように掌をゆっくりと滑らせ……光は剣へ。刃が魔力の輝きに包まれる。
生み出されたのは、鉄の刃を包み込む一回り大きい魔力の刀身。
特性付与ではない。純粋な切れ味と一撃の破壊力だけを向上させる、物質への魔力付与魔法──即ち魔法剣だ。
クライブは無言だが、彼もまた終わりを察してケリをつけにきたのだ。
ならばシアはそれに真っ向から応じるのみ。
丁度足元に転がっていた剣の鞘を爪先で蹴り上げ、左手でキャッチする。流れるような動作で刀を素早く納刀した。
納刀といっても、別に戦闘を放棄するのではない。鞘にしまわれた刀を腰に添え、背中をぐっと丸めながら柄を握る。姿勢を低く……鋭い瞳で正面を見据える。
居合いの構えだ。
渾身の抜刀により、あの魔法剣を迎え撃ってみせる。
「ふぅぅ───、」
大きく息を吐きだす。心臓の鼓動を落ち着かせ、なによりも冷静に。
訪れる静寂。
僅かすら気を抜けない緊張感の中、互いの視線が再び交わる。
勝負は一瞬だ。その一瞬に全神経を集中させる。
「……──っ!」
動き出したのはほぼ同時。
互いに床を蹴り、真正面から相手の懐へと猛進する。
柄を握る手に万力の如き力が込められる。
その瞬刻にも距離は縮まり──間合いに入る。
狙いは一点のみ。
クライブの魔法剣が頭上から振り下ろされ──、同時に迎え撃つ刃が鞘から射出された。
水平に繰り出される目にも留まらぬ居合一閃。
空気を斬り裂くその一撃は光り輝く刃と正面衝突し──周囲に巻き起こる衝撃波と共に拮抗した。
魔力の粒子と火花を散らしながら僅かな鍔迫り合いが生まれる。
が──僅かだ。シアの剣閃が、クライブの魔法剣を凌駕してみせる。
振り抜かれた刃はクライブの剣を押し返し、彼の体ごと仰け反らせる。それと共に消え去る魔法の刃。残されたのはただの直剣のみ。
シアの動きは止まらない。振り抜いた体勢から硬直することなく、その刀は頭上に構えられる。
天真流の抜刀術は崩しの初撃と確殺の追撃によって形を成すのだ。
──天真流剣術<士魂十文字>。
その名の通り、縦横の二撃までがこの剣技だ。
そして大きく怯んだクライブに二撃目を防ぐ手立てはない。今度こそ勝負あり。
──そう確信しかけた直後、尚も無理な体勢から体を捻り……それどころか弾かれた勢いをそのまま生かしつつ刃を翻してくるクライブの姿が目の前に映る。
シアは目を見開く。今になって二撃目の軌道を曲げることはできない。
この人は……『本物』だ。
互いに剣が交差する。
そして───、
「……」
「……ここまでか」
クライブが一言呟く。
それは戦いの終わりを意味していた。
シアが振り下ろした刃は──彼の頸筋に振れるギリギリの位置でピタリと止まっていた。真剣を用いた稽古なら十分一本と呼べるだろう。
だがシアの勝ちとは言い切れない。
クライブが最後に返してきた反撃の一手もまた、シアの脇腹真横にしっかりと添えられていた。
寸止めに至る速度はほぼ同時。仮に当たっていれば、どちらにせよ致命傷になり得る。
つまりこれは……『引き分け』である。
「少々口惜しいが、これ以上続ければただの殺し合いだ」
言葉に反してクライブはどこか満足そうにしている。自らの剣を退くと、体ごと転移させていた時と同じように剣を魔法でどこかへ消した。
シアもまた納刀しつつ小さく深呼吸。緊張の糸が切れたことでドッと疲労感が感じられる。
引き分けというのはシアからしても少し拍子抜けな結果ではあったが、満足気なクライブの様子には同意であった。……充実した、いい試合だったと思う。
「シア。思った通り、君は真っ直ぐとしたいい剣を振るう。少なくとも君の人となりに関しては今の立ち合いで大体掴めたよ」
剣のやり取りだけで人の性格が分かるものか、と思うかもしれないがこれが意外とそうでもない。
剣は口よりもものを言う。クライブもそれが分かる側の人なのだ。
彼は乱れた服装のシワを整えつつ薄く笑った。
「これで個人面談は終了とする。放課後に時間を取らせてすまなかった」
「……、もういいんですか? 先生からの質問、ちゃんと答えていませんけど」
「そうか? 君が言っていたことではないか。ずっと一人で暮らしていたとね」
「でもそれは……」
「真偽がどうであれ、君の剣を間近で感じ、私はそれを信ずることとした。今更追及することはないさ」
模擬戦一つで引き下がってくれたことに内心ほっとする。
実際にはシアの言い分が嘘だと見抜いてはいるのだろうが、今の一戦を通し嘘の了解を得た、といった感じなのだろう。出自に関してはこれ以上うまい言い訳が思いつかないのでその厚意に甘えておくことにする。
「無論、君の力についてはまだまだ『奥』がありそうだが……教師と生徒の関係である以上、これ以上の詮索は難しそうだ」
諦観した口調でクライブは言う。
実際その通りだ。結局どこまで行ってもこれは模擬戦で、相手への気遣いは必ず発生する。正真正銘、本当の本気を見たいとなれば真の意味で『敵』になる状況が必要なのだ。
現実的にそれは不可能に近い。クライブもそれは分かっているからこその諦念なのだろう。
シアは口を閉ざしつつ僅かに目線を下げる。
少し逡巡したのち、思い切った様子で口を開いた。
「あの、先生」
彼が振り返ったのを見て、シアは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。稽古、楽しかったです」
「……楽しい、か。私が言うのもなんだが、急なことで迷惑だったのではないか?」
「それは、その……驚きましたけど。でも代わりに、わたし自身の未熟なところに気付けました」
「ほう。詳しく聞いても?」
クライブは興味深げにしながら腕を組む。
顔を上げ、自戒を込めながらシアは続けた。
「わたし……将来どうしてもやりたいことがあって、そのために色んな知識を付けたいと思ったから学院に来たんです。もっと言うと、座学に集中したいというか……魔法はどうせ使えないし、剣術は……その、おこがましい話なんですが、今更こんなところで学べることなんて……って、実は少し高を括っていて……」
「君ほど剣を扱えるなら何もおかしくはないだろう」
「いえ。先生と打ち合ったことで分かりました。世の中には強い人がいっぱいいて、学べることはまだまだ多いんだって。なんならレンカくんやエリアナさんとの戦いを思い返しても参考にすべきことはいっぱいあったし、わたしが見てきた世界は本当に小さかったんだなって思い知らされました」
シアは改めてクライブの顔を真っ直ぐと見つめる。
「わたし、剣が好きなんです。握っているだけで楽しくて、これがわたしの生きる支えで……学院でもまだまだ自分を磨けるということを知れて今すごく嬉しいんです。それを気づかせてくれた先生には……だから、ありがとうございます」
改めて短く頭を下げる。
これは嘘偽りないシアの本心だった。期待していなかった剣術の学びをこれからも得られると実感できたのは他でもないクライブのおかげである。
再び顔を上げた時、彼は少し意外そうな顔を浮かべていた。
「……君ほど剣術に直向きな生徒は初めてだ。まあ、貴族の子供が武芸に対してでたらめな向上心を持っていたらそれはそれで驚きだが」
関心した様子で呟きつつ小さく笑う。
「しかし随分とハードルが上がったな。教師冥利に尽きるというものだ。……私も君から学べることは多い。君が望むなら、担任としていつでも相手になろう」
「その時はまたよろしくお願いします」
シアの返事に対しどこか嬉しそうな雰囲気を覗かせながら、クライブはさっと身を翻した。
「もちろん本月の学級課題を越せたらの話だがね。──、君には期待しているよ」
背中越しに言い残し、クライブは実習室を去っていった。
大暴れした部屋の中に一人残るシア。胸の中には心地いい疲労感がしっとりと残っている。
いきなり模擬戦を突き付けられた時はどうなることかと思ったが、自身の糧になるいい経験になっただろう。
人間関係は色々不調だが、決して悪いことばかりじゃない。
これからの学院生活への期待感が少しだけ高まるシアであった。
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