第16話 見定める者達_02
(やっぱり少し重たいかも)
訓練用の剣を手元に、その刀身をまじまじと見つめながらシアは不満げに思う。
ずっしりと感じる重厚感。
剣の重量は一撃の重さや装甲の突破力に繋がるため決してデメリットではないのだが、使い慣れた刀──師から受け継いだ『鬼切一文字』は、薄く洗練された刃に最低限の鍔と柄で、とにかく軽かった。材質や製法が違うため比べる対象でもないのかもしれないが、今はこれしか使えない以上、どうしても意識してしまう。
重たい武器を使うのは慣れていなかった。
技はあっても純粋な筋力自体はそれほどなのでいまいち体がついて来ていない感があり、難しい顔を浮かべるシアである。
「……よし、休憩はもういいだろう。次の試合を行う」
壁に背を預けて、これまた険しい表情を浮かべながら何かのメモを取っていたクライブが改めて顔を上げる。
エリアナとの模擬戦を終えてから少し休憩していた間、部屋の中はずっと無言だった。だからこそ彼の一声で再び時間が動き出したような感覚を覚え、シアの中でスイッチが切り替わる。
「次は……シア。レンカ。前に出たまえ」
連続して指名を受けるシア。クライブは何も言ってこないが、『君なら平気だろう?』と言外に伝えてくるような視線を僅かに向けられる。
実際平気だし、先ほどまで息が上がっていたエリアナを連続で試合させるわけにもいかないだろう。シアは特に不満も言わず立ち上がった。
……ちなみにエリアナとはあれきり一度も話していない。目線すら合わない。
えげつないほどの関わるなオーラに、到底シアから接触できるような雰囲気ではなかった。
「……」
次の試合相手であるレンカは何も言わずに武器ラックへ向かい、シアと同様の剣を乱雑に持ち上げる。彼の表情は変わらない。普段通りの無表情のまま、シアを真っすぐと見つめる。
相変わらず何を考えているのかいまいち分からないが……どこか肌を刺すようなプレッシャーを感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
「今回は両者とも魔法が使えない。よってルールは通常の一本勝負となる。分かっているだろうが、目や首など、大事になり兼ねない部位は狙わないように」
距離を置いて向かい合う二人。シアはレンカの佇まいをそっと観察する。
獲物は同じだ。互いに魔法も使えないため、条件は完全に同じ。
武器を打ち合うだけの対人戦闘はシアの領分。唯一気になる点があるとすれば、やはり彼がどういう剣の扱いをするかだろう。
警戒すると共に、同じ剣の道を征く者として純粋な興味と好奇心が胸中に顔を覗かせていた。
「昼に言ったこと、忘れてないよな」
唐突にレンカが問い掛けてくる。
きょとんとするシアの顔を見て、彼は言葉を続ける。
「あんたの全力が見たい。手は、抜かなくていい」
「……、お互い様だと思うんだけど」
「相応に応えるさ。といっても、さっき見せたのが本気なら話はここまでだけどな」
分かりやすい挑発にシアの眉が僅かに震える。
『エリアナとの試合で見せたものが本気なら十分対処できる』……彼は言外にそう伝えていた。
「二人とも準備はいいな?」
会話に割り込む形でクライブが確認してくる。
口で答える必要はない。いつも通り正眼に構えるシアと、半身を引き、片手で持った剣を水平に構えるレンカ。
緊迫した空気が張り詰める中、両者の眼光がぶつかる。
「では……始め!!」
本日二度目になる開戦の合図。
ほぼ同時に飛び出した両者は即座に激突し、剣戟が幕を開ける。
◇◇◇
エリアナはこれまで負けを知らなかった。
幼い頃から魔法が使え、コツコツと磨いてきた実力は決して自身を裏切ったことはない。
ティフィラム領を収める貴族の娘として決して恥じることがないよう、魔法も槍も、研鑽し続けてきた。
父には最後まで反対されたが、学院に通うことを決心したのも結局は自分磨きの一環。
管理指導クラスなる底辺の集いに入れられても尚、ここに居続けるためならと……不満を呑み込み、勉学に務めていくつもりだった。
……だというのに。
出鼻を挫かれた。完膚なきまでに、完全に。エリアナのプライドはたった一度の模擬戦でズタズタに引き裂かれた。
今でも現実を受け入れられない自分がいる。
魔法を使えない平民どころか、家名すら持たないそのまた底辺の存在に、エリアナは全力を出して負けた。無論、模擬戦に則り真の意味での全力とは言えないが、それは言い訳でしかない。
──信じられない。一体何なんだ、あの子は。
エリアナは決して自信過剰ではない。自分より上の存在はいくらでもいると思うし、真の上澄みに比べれば凡人の類だと自負している。
でも……『杖なし』の平民に真っ向勝負で負けるのは話が違う。そんなこと普通、あってはならないことなのだ。
(認めない……っ)
歯を食いしばる。握り締めた拳にはかつてないほどの力が籠る。だが、それを向ける先はどこにもない。
エリアナは煮えくり返るほどに……腹が立っていた。
(認めない……認めない……!)
なにより。
彼女の視線の先では、先ほどエリアナを負かした少女シアと、もう一人の同級であるレンカ・シンゲツが模擬戦で刃を交えている。その光景を見て、エリアナは余計に怒りが込み上げてくる。
──明らかに自分と戦った時とは違うキレのいい動きと、積極的な攻防の入れ替わりによる激しい剣戟。
視線で追うことさえやっとだった。
深く考えなくともよく分かる。エリアナは、あれでも手を抜かれていた。
本気でぶつかって、魔法というアドバンテージを振りかざして尚。
手加減していた平民の彼女に、負けたのだ。
今にも血が滲みそうなほどに奥歯を食いしばる。
ただただ腹が立つのだ。手加減をしていたシアにもだが、手も足も出なかった自分自身に。
(認めたく、ないのに……っ)
今尚視線の先で繰り広げられる二人の試合を見て、エリアナは確信してしまう。
シアは強い。気味が悪いほどに。彼女は、得体の知れない力をあの華奢な身体の底に秘めている。
だがそれと正面から打ち合えているレンカもまた、疑いようのない強さを持っている。『杖なし』であってもそれを補って余りある実力をあの二人は持っているのだ。
(弱いのは私だ……この中で、一番……っ)
思い知らされる。自らの情けなさをこれほどにも。
正直、二人のことはずっと下に見ていた。バカにもしていた。なのに今では評価が逆転してしまっている。己の弱さがあまりにも忌々しい。
(……悔しいっ……!)
見せつけられた大きな壁を前に。
今はただ、自らを戒めることしかできない。
◇◇◇
小細工抜きの正面から打ち合い。レンカの剣はシアのように特定の型に収まった丁寧な動きではなく、行き当たりばったりな荒々しい剣だった。
そう言うと悪く聞こえるかもしれないが、その分彼の剣は読み辛く、反射神経と手癖だけで繰り出される技には確かな経験が感じられる。──間違いなく、レンカは実戦を経験している。
しかし彼との試合は思いのほか早く決着がついた。
互いに距離を詰めながらの剣戟は、急激なスタミナ消耗の中、一瞬の油断も許されない緊迫状態が続く。自ずと決着も早まるのだ。
一際大きな金属音が響き、一本の剣が宙を舞う。
カランカランと音を鳴らしながら地面に落下した時──無手になっているのはレンカの方であった。
彼の顎下に突き付けられるのはシアが握る剣の切っ先。勝敗は明白である。
シアは少しだけ乱れた呼吸を整える。視線の先で、唖然とした表情のレンカはしばらく固まり……やがて諦めた様子で手を上げた。
「……参った。俺の負けだ」
大きく息を吐きだしながら彼は降参宣言。
エリアナとの模擬戦とは違い、山も谷もない実直なる剣のぶつけ合いだったが──有意義な時間であった。
久々に味わえた剣士との立ち合い。同じ間合い、同じ人間との仕合にはそれでしか得られない経験が確かに存在する。
シアは剣を下ろし、レンカに向けて小さく微笑んだ。
「お疲れ様。ありがとう、試合してくれて」
「……そうか」
一言しか返してくれないが、言葉のニュアンスからは彼も満足している様子が窺える。
──と、思いきや。レンカは落ちていた剣を拾いに行きつつ、肩越しに神妙な様子で言った。
「隠し事が一番多いのはあんたかもな」
「え?」
「まだ本気じゃなかっただろ。……次はもう少し底まで暴いてみせる」
「……」
シアは思わず黙ってしまう。図星だった。
本当にシアが全力で戦おうものなら、例え訓練用の武器であったとしても相手に怪我をさせかねない。気遣った上での力のセーブだったが、彼には見抜かれてしまったようだ。
とはいえ。
やっぱりお互い様じゃないかとシアは評価する。
確証はないが……たぶん彼も手加減していたから。
詳しくは分からないがレンカの動きには余裕があった。その奥にとっておきがあるからこそ必死になっていないような……力の加減か、切り札に類する何かを間違いなく隠している。
わざわざその探りを入れたりはしないものの、現時点でレンカに対する評価を下すのはさすがに早計だと思えた。
(隠し事、か……)
指摘されたことを自問する。確かにシアは、自身の出生さえ隠しながら学院に通っているため秘密は多い方だ。
でもきっと、それはシアだけではない。レンカもエリアナも、きっとなにか人に言えない秘密を抱えてここにいる。
これからもこんな牽制のし合いが続くのだろう。
あまり気持ちのいいものではないが、混み入った事情があるからこそ皆Fクラスにいる。こればかりは慣れていくしかなさそうだ。
「……君の二連勝か。歴代最高成績の身体能力は飾りではないようだな」
また何やらメモを取っていたクライブ。彼は淡々と呟く。
やがて顔を上げた時、その真っ直ぐとした眼差しが改めてシアを見据えた。
「ところでシア。君のその剣術だが……」
「?」
「……、ふむ。いや、いつ頃から学んでいるのかと気になってね。もう長いのか?」
「えっと……今年で6年になります」
「なるほど。どうりでよく洗練されている」
わざとらしい態度で納得してみせるクライブ。……牽制と言えば、この男性教師に関しても違和感を覚えるのは勘違いではない。
明らかにシアを見る時に妙な視線を向けてくることがある。今の問いかけだって途中まで別のことを聞こうとして思い直したように見えた。
正直、不気味度で言えば一番上だ。
なにからなにまでシアの秘密を知っているようにさえ錯覚してしまうのは、彼の纏う只者じゃない雰囲気がそうさせているのだろう。
「さて……残るはレンカとエリアナか。改めて休憩を挟んだ後に再開する」
クライブは二人に視線を流しながら告げる。レンカは特に問題なさげだが、エリアナは先ほどからずっと険しい表情だった。あんな状態で冷静に試合できるのか不安ではあるが、シアが何か喋りかけたら余計に酷くなりそうなので今は見守る他ない。
使っていた模造剣をラックに戻しつつ、次の試合に邪魔にならないよう壁際まで移動しておく。
最初から二連戦したほかげであとの時間は観戦だけだ。第三者だからこそ見えてくるものもあるだろうし、のんびり観戦させてもらうことにしよう。
「……?」
何となく実習室の中に視線を彷徨わせたことでシアはふと気づく。
実習室には外周を囲うように細い通路の二階部分がある。いわゆるキャットウォークと呼ばれる通路で、座れこそしないものの実習風景を上から観察できるようになっている。
その隅に──見覚えのない男子生徒がいた、ような気がした。
気がしたというのは、本当に一瞬しか姿を捉えられなかったからだ。
シアが見た瞬間にはこちらの視線を察してか、すぐに身を翻して背中の扉奥に消えていってしまった。後ろ姿をほんの少し見ただけで髪型や顔は一切窺えず、個人の特定はもちろんできない。
(……なんで生徒が?)
今は授業時間だ。当然他の学級も授業中であるはずなので、教師ならともかく生徒がシアたちの授業風景を見ていたというのはおかしな話である。
(ま、いっか)
一瞬気になりはしたが、些細な疑問でしかなかったのでシアはすぐに思考をリセットする。
疑問の答えはもう少し先の未来に『大事』として降りかかることになるのだが、この時のシアはそれに気付けるわけもない。
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