第15話 見定める者達_01
「諸君。これより午後の授業を始める。しっかり休息はできたかな?」
「……分かってて聞いてますよね?」
午後。
新校舎内にある演習場に集められたFクラスの面々は、素知らぬ顔で挨拶をするクライブの言葉に渋い表情を浮かべた。
真っ先に反応したエリアナは中でも特に不満そうだ。
原因は言うまでもなく、腫物を扱うような他生徒からの評価に鬱憤が溜まっているのだろう。
「ふ……知っての通り、本日の朝礼から特例であるFクラスの存在が全校に周知されることとなった」
クライブは鼻で笑いながらシアたちが浴びせられた侮蔑の評価について説明を始める。
「君たちも他と同じ生徒の一員であり、今後学内の行事に参加していく以上、Fクラスという枠組みは必要になってくる。特例ではあるが、特別扱いはしないということだ」
学院の方針をそのまま口にするクライブ。
それこそ『学級交流戦』がいい例なのだろう。クラス単位での参加が必要になるイベントの際、所属クラスがぼかされている生徒がいては色々不都合が生じるわけだ。
「そしてすでに痛感しているだろうが、Fクラス生徒の校内での扱いは凄惨たるものだ。各人不満はあるだろうが、必要な取り決めだ。諦めたまえ」
「分かってるなら教師として止めてくださいよ」
真っ先にエリアナが意見する。彼女はその不満げな様子を隠そうともしないが、気持ちはシアもよく分かる。
今日のお昼だけでも正直かなり気が滅入った。普通はこういうの、学院として助長すべき風潮ではないように思う。
「君の意見は最もだが、そうもいかない。良くも悪くもリースタニア学院は実力至上主義。力あるものは評価され、ないものは例え入学時の成績がAクラス相当であったとしても振るい落とされる。エリアナ、君はまさしくその瀬戸際にいることは理解しているな」
淡々と説明しながらクライブの鋭い視線はエリアナを刺す。
「記憶したまえ。Fクラスという看板は確かに君たちにとって足枷でしかないが、同時に本来不合格である君たちを繋ぎとめている命綱でもある。学院としては、その縄を差し伸べているだけでも恩情と思え」
クライブの説明はつまり、『学内での風評まで学院が面倒を見るつもりはない』ということだ。冷たく感じるかもしれないが、それがこの学院の方針なのだろう。
「……だが、一点だけアドバイスをするなら」
僅かに瞼を細くしつつ、クライブは続けた。
「その命綱をいかに利用するかも君たち次第だ。Fクラスという評価は紛れもない底辺だが、底辺という共通認識がある上で君たちが目まぐるしい活躍を見せれば……評価は逆転する。その道筋を用意するのもまた、Fクラスを周知する必要性の一つだ」
「……ようはそれ、実力で黙らせろってことですか?」
エリアナが身も蓋もないことを聞くと、彼は小さく笑った。
「端的に言えばな。しかし最も効果的で、最も気分がよくなる。私が保証しよう。そして君たちは、それをできるだけの素質があるから命綱を握ることができた。精々励みたまえよ」
まるで自分も経験してきたかのように言うクライブの言葉には妙な説得力があった。
簡単に言うようでそれはとても険しい手段なのだろうが、実際、学院での居心地の悪さをどうにかする唯一の方法なのだろう。
(実力で黙らせろ、か)
意味だけを汲み取ったエリアナの言葉を思わず反芻する。
シアは、どうしても師の言葉を連想せずにはいられなかった。
──気に食わないものは、斬り伏せればよい。
言い方こそ違えど、意味するところは同じだ。
力で捻じ伏せるというのは野蛮で短絡的、自己中心的な考えなのかもしれないが、それでいて最も心が晴れやかになるのだからそれでいいと、かつてリュウショウは言っていた。
確かに……昼食の味よりも味わっただろうあの嫌な空気を黙らせることができたら、さぞ気持ちがいいことだろう。
「さて。あれこれと説明したが本題を始めよう」
気を取り直すようにクライブは3人の顔を順に見た。
「三週間後の『学級交流戦』は君たちがただの無能ではないことを学内に知らしめるいい機会だ。同時に学級課題の成否、ひいては学院の退学が掛かった大事な一戦。私としても、君たちが何としても勝てるように指導していく必要がある」
語りの後、彼は自身の脇に目線を配った。そこには──いくつかの模造品が立て掛けられた木製の武器ラックが先ほどから鎮座していた。
「そこで今日は君たち個人の技量を正確に推し量るため、実戦形式で一対一の模擬戦を行ってもらう。獲物はこちらの訓練用装備を使い、相手から先に一本取った方の勝ちとする。魔法を使ってもらっても構わない」
「は? ちょっと待ってください。魔法ありなんですか? 総合武芸の時間ですよね?」
シアも同時に感じた疑問をエリアナが口にする。
総合武芸とは、つまり剣術や槍術、斧術といった武器の扱いを学ぶ時間だ。魔法は魔法で別の枠が用意されているため、模擬戦をするにしてもてっきり使用禁止だと誰もが思うだろう。
ところがクライブはそれが当然のことのように返答する。
「『実戦』形式と言った。そして、使えるものは全て使わねば実戦とは言えない。ただし殺傷力のある魔法の使用は禁止。『一本』はあくまで武器攻撃での一本とする。──エリアナ、この中で該当するのは君だけだ。理解したかね?」
「……まあ、いいですけど。でも不公平じゃありませんか?」
名指しのルールにいまいち納得しきれていない様子のエリアナ。魔法の使用許可もそうだろうが、どちらかというと魔法が使えないシアやレンカ相手に自分だけ魔法を使う、という部分に引っかかっている様子。
隣人の挨拶としてお菓子を持ってきてくれた時も思ったが、ツンケンしてるだけで実はかなり真っ直ぐで素直な女の子なのかもしれない。
「確かにそうだ。……シア、レンカ。君たちが嫌だというならエリアナの魔法は禁ずるが、いかがかな?」
おもむろに意見を求めてくるクライブ。しかし彼の口調からは、あくまでポージングだけのような、最初から答えなんて分かっている雰囲気が感じられる。
実際、シアの中ですでに答えは決まっていた。
「別に使ってもらって構いません」
即答する。拒絶する理由は特になかった。
クライブが言うように、実戦形式なら使えるものは使うべきだ。
「好きにしたらいい」
レンカも素っ気なく続く。
彼とは先ほど、互いの能力ぐらいは知っておくべきだろうと話したばかり。そういう意味でもエリアナに魔法を使わせるのは是とするべきであった。
「と、いうわけだ。二人に異論がない以上、禁ずる理由もない。君の全力を発揮したまえ」
「……分かりました」
不満げに呟くエリアナ。彼女は横目に、真っ先に返答したシアをじっと睨みつけた。
「あとで後悔しても知りませんからね」
なぜかヘイトがシアに向いてしまった。まあ、見方によってはエリアナを甘く評価しているようにも映るので仕方ないかもしれない。
「他に異論はないか? であれば、早速最初の組み合わせだが……」
言葉を区切り、クライブは3人を値踏みするようにじっと見つめる。
やがてその視線がシアの顔に留まった時……ふと違和感を感じた。
(なに……?)
氷のように冷たく、探りを入れてくるような鋭い眼光。明らかに今までのクライブの目とは違う何かを感じ、疑問に思う。
リュウショウに色々鍛えられたおかげで、他者から向けられる感情の機微には敏感であると自負している。特に殺気、敵意に関しては戦いにおいても役に立つ。そんな中でクライブの目線は、何かを疑いかかるような──そう、『懐疑心』。
じっと見つめ返すシア。
やがて……先に視線を外したのはクライブだった。瞬く間に懐疑的な雰囲気を消した彼は、変わらぬ調子で最初の対戦相手を指名した。
「エリアナ。シア。まずは君たちからだ」
──早速のご指名。僅かに肩が震える。
真っ先に行動したのはエリアナだった。自らの名前を聞くやいなや、彼女はゆっくりと武器ラックの前まで歩き出す。
手を伸ばし、綺麗に掛けられている武器の中から彼女が即座に選んだのは一本の長槍だ。彼女の視線が肩越しにシアを射抜く。
「私は、あなた達とは違う」
紡がれる言葉には、すでに沸々とした熱が込められていた。
「それを証明してみせます。怪我しても恨まないでくださいね」
それは明確な敵意。これまでの彼女の態度を鑑みれば、なにもおかしな話ではない。
Fクラスの存在意義を思えばエリアナは本来ここにいるべき生徒ではないのだ。自身のプライドや尊厳のため、その敵意が剥き出しになることを咎めることはできない。
「……」
けれどシアもただで負けるわけにはいかない。やるからには真剣に取り組むのがポリシーだ。
武器ラックへ向けてシアも足を向ける。
手に取る獲物はやはり──斬るべきを斬れる、剣に限る。
◇◇◇
モックアップ、模造品と言っても重量や形状を限りなく本物に近づけているため、武器としての手触りは十分であった。
唯一本物と乖離してる点があるとすれば、刀身はあくまで『刃を模した金属の塊』でしかないということ。剣も槍も斧も、なんなら矢でさえ、訓練用武器はすべて切っ先が丸く加工され、殺傷力を生み出さないように設計されている。
ただ逆に言えば、『金属の塊』ではあるということ。まともに受ければ打撲ぐらいはあり得るし、頭部をぶっ叩かれれば普通に危ない。
よって模擬戦とはいえど向き合った際の緊張感は十二分に感じられる。
特に今回、試合相手のエリアナは魔法の使用を許されているメイジだ。対メイジに関しては師のリュウショウからほんの少しコツを聞いたことがあるだけで、当然未経験である。
互いに距離を取り、武器を構えながら向かい合うシアとエリアナ。
あとはクライブの合図を待つだけだ。正眼に武器を据え、刃越しにエリアナを見つめる。
そんなエリアナは一般的な槍術の構えではなく、背筋を伸ばし、槍の中ほどを片手で握りながら体の後ろへ。切っ先は地面を向いており、空いた手が胸の前に構えられている。
魔法を同時に行使するからこその型なのか、もしくは彼女独自のものなのか。槍術に詳しくないためシアには計り知れないが、少なくとも素人の佇まいではない。
二人の中間──少し引いた位置に立つクライブは、両者に届くように声を張る。
「ルールを再確認する。相手から手持ちの武器で一本を取った時点で決着。魔法の使用は構わないが、殺傷力のある魔法はくれぐれも使わないように。時間は無制限。二人とも、準備はいいかね?」
最終確認を受けて、シアは剣の柄をギュッと握り締める。訓練用の剣は重さも形状もいまいち慣れないが、振りながら手に馴染ませていくしかない。
視線を上げ、シアは小さく頷いた。
「大丈夫です」
対するエリアナも顎を引きつつ鋭い視線を光らせる。
「いつでもどうぞ」
静まり返る空気。二人の間に緊迫した空気が走り抜ける。
ただの模擬戦とは思えない張り詰めた状況に、その場の誰もが押し黙る。
「では……、」
クライブの一声。
それが、戦いの幕を開ける。
「──始め!!」
開戦の合図と同時。
様子を窺い微動だにしなかったシアとは反対に、エリアナが動いた。
厳密には彼女の槍がくるりと回転する。腕を回しながら槍を旋回させる動きは構え直しているだけのように思えるが──違う。
突如、黄金色の輝きを纏う長槍。回転と同時に蛍のような粒子を散らすと、その輝きはより一層瞬いて見せる。
「<エレクトル>!」
エリアナの口から紡がれたのは一節の呪文。即ち──魔法だ。
頭がそうと理解した瞬間、シアは即座に右へ跳んでいた。
再び両の足が床を踏みしめるのと同時、シアの立っていた場所に閃光が迸る。バチバチバチッ! と、無から生まれた雷が空気中で光を散らす。
自然発生では決してあり得ない、魔力で生成された人為的な雷撃。シアでも知っている雷特性の下位魔法だ。
いきなりご挨拶である。
それに魔法自体の出来もかなりいい。今の一発でもよく分かる。
素早い発動と正確な座標。劣らない威力。魔法行使を専売にしている杖ではなく、ただの長槍を触媒にしていながら完璧な出来栄えだ。
「いい反応……っ、ですが!」
再びエリアナの槍が回転する。魔力の輝きは未だ収まらない。
つまり、魔法攻撃は継続する。
「……!」
二度、三度と続けざまに繰り出される同じ魔法。シアの立ち位置を狙って繰り出される雷撃の数々を、幾度も跳ねるようにして回避する。
その正確さから『シアの立ち位置に必ず飛んでくる』と予測できるため、避ける事自体はそこまで難しくない。魔法の発動が見えた瞬間、身体をズラせばいいだけだ。
だが賢いメイジなら、それを逆手に取り狙った場所へ誘い込んだり、回避行動を予測してわざと狙いを外してくるだろう。
そしてエリアナは──おそらくそれができる使い手だ。
「そこッ!! <ライトニング>!!」
シアが回避行動で再び跳んだ瞬間、即座に別の魔法が発動する。
狙いは──シアの動きとの偏差を合わせ、回避したその先。上空から真っ逆さまに落ちる一筋の落雷は、先ほどまでの魔法より高威力だ。
「っ……!」
だがシアの目と体はそれにも反応する。
床から足が浮いている僅かな瞬間でありながら、上体を捻って体の動きを無理矢理逸らす。
鼻先ギリギリの位置を突き抜ける閃光。
落雷はシアに命中することなく床に激突し、魔力遮断魔法が掛けられた演習場の床材によって即座に霧散する。
「はぁっ!!」
再び床に足を付けて正面を見据えた直後──視界一杯に広がるのは、いつの間にか距離を詰め、槍を大きく振りかぶるエリアナの姿。
真横から、空気を抉りつつ繰り出される長槍の薙ぎ払い。僅かにしなりを見せる一撃は、例え本物の槍でなくとも十分凶器になる。
──激しい金属音が演習場に響き渡る。
間に滑り込ませた剣の刀身が、真っ向からその一撃を防いでみせた。
至近距離での鍔迫り合い。カチカチと剣と槍の金属が音を鳴らす。
物凄い勢いだ。エリアナの槍を受け止めながら、やはり油断ならないとシアは確信する。
「総合武芸、歴代最高成績でしたか……! 確かに体はよく動くようですね!」
本気の剣幕で睨みつけながらエリアナが語り掛けてくる。
「でも……ッ、現代の戦術において魔法を使えない者はただの肉壁でしかない! 時代遅れの平民に、私が負ける云われはありません!!」
無理に力押しはせず、弾かれるように一歩距離を離すエリアナ。
その勢いに身を任せたまま、槍を曲芸のように幾度も回転させ、矛先と石突きを多種多様な角度から繰り出してくる。
それらの連打を一個一個丁寧に防ぎながら、シアは思わず関心する。
エリアナの槍使いはかなり特殊だ。本来リーチの広さにある武器の特性をあえて生かさず、先端の二点を用いて殴りつけるように攻撃を行うのは槍術というより棍術に近い。
回転の遠心力から生み出される素早い連撃は長槍という武器のイメージをいい意味で裏切っている。
更に──武器を手元で回転させるという動きは、彼女にとって術式確立のための安定動作になっているのかもしれない。
こうして絶え間なく攻撃を繰り出している今も、槍が瞬き、新たな魔法の兆候を見せる。
「防いでばかりでは!」
長槍全体を包む深緑の魔力。
しかしながらそれは、ただの発動前兆ではない。
槍を中心にして、渦巻くように纏う魔力風の流れ。これは──、
(エンチャント……!)
対象物への属性付与魔法。魔力の切り離しと安定した固定化は、そこいらのメイジでは構築すらできない高難度魔法のはずだ。
見たところ纏わせた魔力は風の特性。そこから生み出されるのは──圧倒的な風圧。
次に剣と槍が衝突した瞬間──その接点を中心に爆発的な暴風が吹き荒れた。
力で押し負ける、というより風の力で無理矢理体を浮かせられる。ただでさえ華奢なシアの体はいとも簡単に浮かび上がり、10メイルほど後方へ吹き飛ばされてしまう。
(態勢が……!)
独特の浮遊感から何とか着地し、勢いを殺せぬまま僅かに床を滑る。背後が壁だったら思い切り叩きつけられていたかもしれない。
そして、バランスを崩している間にもエリアナは次の攻撃に移っている。
視界の奥で再び金色の輝きを放つ彼女の長槍。クルクルと回転した後、正面に掲げられた輝きは一層の光を放った。
「<ヴァース・エレクトル>!」
魔法名が発声されると共に──再び雷光が顕現する。
狙った座標に直接生み出す雷撃魔法。最初に見せた魔法と変わらない。ただ一つ違うのは……同時にいくつも生み出されたということ。
シアを中心に、四方八方を取り囲むように発生する稲妻の数々。
距離があり狙いが定かでないせいか、シアを直接狙う雷撃はないがそれでも周辺からの余波は十分に受ける。かといって囲まれているせいで避ける場所がない。
(受けるしかない……!)
大きく回避しようにも態勢を崩している状態からは間に合いそうにない。
であれば、無理に動かず耐えるべき。幸いにも魔法の命中は勝敗に関係ないのだから──と、稲妻の先端が見えた一瞬のうちに思考し、シアは背中を丸めるようにして受けの姿勢を取った。
──大量の電撃が同時に爆散する。
魔力コストの低い下位魔法だからこそできる、同時発動による広範囲爆撃。その中心で雷撃をモロに受けたシアの体に、容赦なく稲妻が走る。
「ぐっ……!」
全身を駆け巡る鈍い痛み。大した威力の魔法ではないためそこまで苦しくはないが、痛覚であることに代わりはない。
しかし、なにより問題なのは──大量の電気による体の麻痺だ。
末端を中心に感覚が鈍くなり、体の制御が鈍くなる。雷特性の魔力による一時的な効力とされているが、この身で直接受けるのは初めてだ。
稲妻のカーテンが収まり再びエリアナの姿が見えた時、彼女はすでに次の詠唱に。
再び魔法が来る。
執拗に魔法でシアを弱らせ、確実に一本を狙う気なのだろう。遠距離攻撃を持たない相手には実に理に適っている。
体は痺れているが何とか対応するしかない。幸いにもまったく動けないほどではない。
次なる攻撃に備え、シアは再び構えようとして──その時、足元に違和感を感じた。
「! 拘束魔法……!」
足が動かない。
それは麻痺による痺れではなく──足首を丸っと覆いつくす球体魔力。
対象の身動きを封じることを目的とした非攻撃性の魔法だ。
一体いつの間に詠唱していたのかは分からないが、今ままでの怒涛の攻撃の間にうまいこと縫いこませていたのだろう。
「体の身軽さと反応速度は評価しますが、ここまでしたらもう動けないでしょう」
エリアナはあくまでも冷静にシアを評する。
メイジと戦うのはこれが初めてのシアだったが、『魔法による遠距離攻撃』だけを警戒していればいいわけではないということだ。知識不足、経験不足による僅かな油断を内心で戒める。
エリアナは優秀なメイジだ。
これまでの戦い方を見るだけでもその練度がよく伝わる。本来Aクラス相当というのは、ホラでもなんでもない、実力によって裏付けられた事実なのだ。
あまり悠長に様子見していると、足元を掬われるのはシアの方だ。
「次で決めさせてもらいます!」
長槍が再び輝きを放つ。今までよりも一際強く感じるのはおそらく気のせいじゃない。
同時にシアは全身の肌にピリピリとした違和感を感じる。まるで静電気のような小さな痺れ。
周囲に視線を配ると──雷特性の魔力が、周辺を漂うように帯電していた。視認できるほどのそれは空気中の微弱なマナではなく人の手で生み出された魔力である証。
「基礎はすでに成っているか」
少し離れた位置で観戦しているクライブが関心した様子で言葉をもらす。
その隣にいるレンカが状況を理解できないでいるのを見て、彼は続けた。
「攻撃性魔法は大きく分類して2種類に区別される。一つは『イニシエートマジック』。使用した魔力が霧散し、一時的にその場に残留する性質を持つ。彼女が今まで使用してきた魔法は全てそれだ」
シアを包み込むように帯電する雷の魔力。これこそが、クライブの説明した『残留する魔力』。
「そしてもう一つ──『エンゲージマジック』。発動地点の残留魔力と感応現象を起こし、威力・破壊規模を大きく向上させる……いわゆる『決め技』だ。イニシエートマジックで相手を消耗させながら残留魔力を生み出し、残留魔力と相性のいい特性を持ったエンゲージマジックで大打撃を狙う。魔法戦法におけるお手本だ」
「エリアナはそれを狙っている……?」
「最初から誘導していたのだろう。シアの立ち位置を見たまえ。初めて魔法で狙われた場所から一切変わっていない。おかげで生み出した残留魔力を余すことなく影響化における」
クライブの視線の先。新たな魔法の構築を終えたエリアナが槍の矛先を上空に掲げる。
対して、拘束魔法で足を固定されているシアはその場から一歩も動くことができずにじっと正面を見据えている。その状況を前に、思わずといった様子でレンカはクライブに訊ねていた。
「止めなくていいのか? 見るからに高威力だ」
「私の見立てでは直撃しても死にはしない。エリアナも、致命傷にならないようある程度は加減をするだろう。それに……」
クライブの目線が僅かに鋭くなる。
厳密にはエリアナの決め技を前にじっと構えるシアを見つめ、その瞳に鋭利な眼光が宿る。
「……見定めさせてもらう。この状況、君はどう動く?」
鋭い視線の先で、シアは剣を握る手にぎゅっと力を込めた。
足を拘束されている以上、避けることは叶わない。ならば防ぐか、先ほどと同じように体で受けるしかないのだが、どちらにせよリスクが大きい。
(斬り抜いて見せる……!)
よって、やる事は一つだ。
迎撃一択。その知識も技も、すでにシアの中にある。
「受けてみなさい……!」
エリアナが一息。
頭上へ掲げた槍を、次の瞬間──シアへ向けて勢いよく振り下ろした。
「──<サンダースパイク>!!」
魔力の粒子が長槍から放射状に爆発すると同時。
シアへ向けられた矛先の先端から、雷の魔力で形成された巨大な一角が射出された。
大の大人の身長と同程度はあるだろう雷の巨針は、周辺の空気を貫きながら寸分の狂いなくシアへ向けて猛進する。
更に──空気中に漂う残留魔力を吸収するように、魔法の大きさと密度が瞬間的に膨れ上がる。
直撃したらただでは済まされない。
少なくともシアはまともに戦えなくなり、その後無抵抗なところを楽々一本取られて終いだ。
シアは瞬き一つせず、向かい来る魔法を凝視する。
自信の刃が届く範囲に来るその瞬間まで。
双眸が見据え、瞳孔が開く。
瞬間──剣の切っ先が動いた。
(──見えた!)
腰だめに構えた剣を──逆袈裟に抜き払う。
銀光が閃く。
それは、音を置き去りにする神速の一撃。
狙いは一点。向かい来る魔法の『中心点』。
飛来する魔法を迎え撃つべく剣の刃が正面から激突する。
──激しい破裂音が響いた。
風船を思い切り潰したような、空気が炸裂する衝撃が実習室の中に響き渡る。
それは決して、シアの体に魔法が直撃したわけではない。
迎え撃つ刃が魔法の中に切り込まれた瞬間──エリアナの放った渾身の一撃が、一瞬にして何の効力もない魔力の粒子へと還っていった。
「は!?」
さながら『剣撃で掻き消された』ように見えた状況を前に、エリアナが衝撃の声をもらす。
だがそんなことはあり得ないと、彼女の頭は状況を否定した。
魔法が物理的干渉を受けてただ消滅した……のではない。まるで術者が意図的に魔法を解除したかのような、一切の痕跡なく魔力に戻される感覚。ただ単に質量をぶつけるだけではこうはならない。
「次は……こっちの番!」
もちろんその答えを丁寧に説明している暇はない。
シアは拘束されている足に力を込める。──その瞬間、パキッという音と共に拘束魔法にひびが入る。
全力だ。
足より上の隙を一切考慮せず全力さえ込めることができれば、拘束魔法ぐらいなら無理矢理突破できる。
力技で、拘束魔法の内側から両の足が食い破る。
役目を終えた魔法の残骸は粒子となって消えていき、それを背後にシアは一気に前方へと駆け出した。
「っ!? そんなバカな……!!」
シアの勢いに気圧されたエリアナが数歩後ずさる。
が、そうこうしている瞬間にもすでにシアは武器のリーチに入り込んでいた。
「ふっ───!」
微かな吐息共に刃を繰り出す。
右から一撃。左からも一撃。
その二連撃を、ほぼ同時に。エリアナが持つ長槍の柄目掛けて。
あまりの速度で繰り出された連撃は、まるで左右から挟み込む二つの刃の如く狙った一点へと吸い込まれた。
当然、エリアナがそれに反応できるはずもなく。
甲高い金属音が響く。
気づけばエリアナが握っていたはずの槍は、勢いよく回転しながら明後日の方向に吹き飛ばされていた。
実習室の床を滑り、遥か遠くに飛ばされる長槍。眼前に敵が迫る刹那、エリアナにそれを拾いに行く術はない。
「このっ!?」
だが、武器を手放しただけでは負けじゃない。
焦りを露わにしながらもエリアナは右手を動かす。その掌が淡く発光する。安定性や出力は格段に落ちるが、魔法を使うのに『触媒』は必須ではない。
当然、それを黙って見過ごすシアでもなかった。
剣を振り抜いた態勢のまま、更に一歩前へ。突き出している右肩で体当たりをお見舞いする。
大した助走もない至近距離からのタックルだが、無防備だったエリアナはもろに受けて詠唱を中断。受け身もなく尻もちをつく。
眼下のエリアナをシアの眼光が再び捉える。
これで決着だ。
「まだ……っ!!」
「っ!!」
一直線に振り下ろされる模造剣の刃。
対しエリアナは、尚も反撃しようと新たな魔法を唱えようとして──。
「そこまで!」
一喝。
クライブの声が実習室の中に響き渡った。
その一声で静寂が訪れる。
振り下ろされた刃はエリアナの肩に触れるギリギリの位置でピタリと止まり、彼女の構築していた魔法の詠唱は気が抜けたように途中で瓦解する。
行き場を失った魔力の粒子が舞い上がる中心で、二人はじっと見つめあっていた。
肩を上下させながら一筋の汗を流すエリアナと、冷静に見下ろすシア。
いつの間にか二人の傍らに立っていたクライブは、命中する寸前だった刃をそっと掴み、浮き上がらせた。
「勝負あり。シア、君の勝ちだ」
下された審判を受けてシアの肩からふっと力が抜ける。剣を引いて、全身に巡っていた緊張感をゆっくりと解放した。
クライブわずかに口角を上げながら頷いた。
「魔法を斬る、か。『核』のみを瞬間的に破壊できれば確かに魔法を無力化することはできるが、アンチスペルの領分を剣一本でやってのけるとはな」
彼が指し示すのは、先ほどシアが雷の魔法を剣で斬り飛ばした現象についてだろう。
シアはかつてリュウショウに言われたことを思い出す。
『術法には、人と同じく心の臓がある。それを斬ればよい。刃を通したと、認識すらされぬ間にな』
対メイジのコツとしてただ一つ伝授された言葉だ。簡単に言っているようだが、決して容易な技ではない。
魔法、中でも攻撃性魔法には米粒よりも小さな中心点──『核』が存在する。その『核』を破壊できれば魔法をただの魔力に還すことができるが、普通は『核』に触れる前に外周の魔法としての領域に触れてしまい効力が炸裂してしまう。
よって『魔法を無力化する魔法』でしか基本的には実現できない対抗手段なのだが。
単純な話だ。魔法に触れたと、魔法に認識されないほどの速度で、かつ繊維の間を縫うほどの正確無比な刃を『核』に命中させてしまえば同様の効果を得られる。
もちろん一朝一夕で真似できる技ではない。
しかしシアは、リュウショウに6年間も鍛えられた経験値がある。初めてではあったものの上手く実現することができた。
シアは満足げに小さく息をついた。
「待ってッ……待ってください!!」
しかし、現状に納得できない者が一人。エリアナである。
彼女は立ち上がり、眉を吊り上げながらクライブに詰め寄る。
「どうして止めたんですか! 一本取られたらと言ってたじゃないですか! 今のはまだ触れていません!」
クライブの静止を受けて寸止めされたシアの刃だが、確かにこの場合における一本とは致命的な一撃を命中させることだ。
彼女の言い分は分かる。だが。
「では、今のをどうやって君は対処した? 私が止めずとも、勝敗は変わらなかったと思うが」
言っては何だが、その通りだ。クライブの静止が言葉通り一瞬でも遅れていたら確実に一本取っていた。
エリアナも無理筋なことを言っている自覚はあるのか、苦虫を噛むような表情を浮かべる。だがやはり、納得できないのは理ではなく心なのだろう。
彼女は尚も反発する。
「それは……っ、魔法でどうにかしました! そのためにっ……!」
「そのために唱えていたのが最後の魔法だと? しかし……」
釘を刺すようなクライブの視線がエリアナを射抜く。
「最後の詠唱、私の目には上位系統の魔法に見えた。殺傷力のある魔法は禁止だと言ったはずだがね」
「っ!? いや、それは……っ」
「負けん気と反骨性は君の長所だと思うが、これは殺し合いではなく模擬戦だ。ルールを犯した以上、見苦しい言い訳はやめたまえ」
咎められ、エリアナは押し黙る。
思わず彼女の方を伺うと、きつく拳を握り、悔しそうに歯を食いしばっていた。
「違うっ……! この私が『杖なし』なんかに後れを取るなんて……! 絶対に違う……!」
その視線がシアを睨みつける。
「認めませんから……っ、こんな結果、絶対にありえない……!」
忌々しく呟かれ、以降エリアナが目を合わしてくれることはなかった。
シアはあまりの気迫に気圧されてしまう。
魔法が使えない以上シアにその気持ちを察することはできないのだが、例え模擬戦でもメイジが杖なしの平民に負けるというのは相当な尊厳破壊なのかもしれない。
(余計に気まずくなっちゃったな……)
これから距離を詰めていきたいって時にこれである。
わざと負けるというのもそれはそれで失礼なのでこうする他なかったが、先行きが余計に暗くなってしまい、シアは小さく肩を落とした。
感想・評価などいただけますと今後の励みになります。