第14話 学級課題_02
学級課題に関する厳しい試練を突き付けられた午前の授業は、その後に学院生活に関する諸々の説明を受けている間に瞬く間に終えた。
お昼を知らせる鐘の音が校内に響き、学院内の雰囲気は瞬く間に休憩ムードに書き換わる。
しかしながらシアの内心は悶々としている。
理由は流石に言うまでもないだろう。
(交流戦に勝てなきゃ退学……なんとしても負けるわけにはいかないけど……)
生徒たちが行き交う廊下を一人歩きながら、シアの頭の中は学級課題のことで堂々巡りだ。
あれやこれやと準備を進め、生前のリュウショウさんから「好きに使え」と遺産としていただいたお金を入学金に充て、Fクラスという崖っぷちの合格ラインでようやく辿り着いた学び舎。当然だが退学させられるわけにはいかない。
三週間後の学級交流戦。必ず勝つ必要がある。
だがそのためには……いささか不安要素が多い現状だった。
数的不利は当然として、他クラスの実力も分からなければ試合のルールも現状は分からない。何より……Fクラスの生徒は現在、最悪といって差し支えないほどに関係がよろしくない。
このままでは勝てるものも勝てなくなる。なんとかして残りの期間、最低限の協力をできる程度にはレンカやエリアナとの関係性をよい方向に持っていかなければならないのだが、同年代の友人なんてかつて一人もいなかったシアとしては自信はこれっぽっちも持てなかった。
(相手はわたしたちのクラスを除けば最下位クラスのEクラスだけど、クライブ先生の見立てではギリギリ勝てるぐらいみたいだし……やっぱり二人とは仲良くしとかなきゃだよね……)
ちなみにその方針自体はずっと固まっている。が、早速コミュニケーションをひとつまみとお昼にでも誘おうとしたのだが、二人とも午前の授業が終わるやいなやそそくさと食堂へ向かってしまい、結局一人で歩いている始末。
先行きは……不安だ。
(……、それにしても)
グルグルとした思考を一旦打ち切り、シアは俯きがちだった視線を上げる。
首は動かさず、目線だけで周囲を確認する。正確にはすれ違う生徒たちの姿をそれとなく流し見する。
「ねぇ見て、あの子の校章……黒色って例のアレじゃない?」
「うわ、ほんとだ。ってことはあの一年がそうなんだよね」
「Eより下って……普通不合格だろ。どんなコネ使ったんだか……」
ヒソヒソ、ヒソヒソと周囲からまばらに聞こえてくる話し声。それらは全て、シアの方を窺いながら話している。
厳密には制服の左胸上部に指先程度の大きさで縫い付けられた校章を見ながら。
黒い校章。しかしながら、他の生徒は青や緑といった色がついており、シアと同じように黒色の校章が縫われた制服を身に纏う生徒は先ほどから一人もすれ違わない。
この配色は所属するクラスを現す色である。
赤はAクラス。青はBクラスといったように、教師が一目で生徒の所属学級を判別するために色分けされているらしい。
そしてシアの所属するFクラスは……黒。
絶対数がそもそも学内に3人しかいないため、嫌でも目立つ。周囲から向けられる奇怪なものを見る視線の数々はつまりそういうこと。
昨日までこんなことはなかった。
つまり、今日になって初めてFクラスの存在が他のクラスの生徒にも周知されたのだろう。
他者を見下すことがアイデンティティとなっている貴族は少なくない。Fクラスだなんてまさに恰好の的である。
(やだな……)
もちろんいい気分はしない。勝手に言わせておけばいいとは思いつつも、ちょっと廊下を歩いているだけでこれでは何かと気が滅入る。
入学前に想像していた煌びやかな学院生活とは雲泥の差だ。さすがにうんざりしてしまう。
周囲からの陰口に気付かないフリをしながら歩ているうちに学院の食堂にやってきた。
基本的にいつでも解放されている広々とした食堂は休憩所も兼ねているが、やはり一番混みあうのは食事時だ。白いテーブルクロスが敷かれた木製のアンティークテーブルが何列にもなって無数に並び、一歩扉をくぐれば学院生徒たちの雑多な話し声がいくつにも折り重なって響き渡ってくる。
同年代の子供が視界一杯になるほど密集している景色はどことない非日常感があり、やはり慣れない。
僅かに足を止めて呆然としていると、ふと見覚えある姿が視界に映った。
エリアナである。まさかもう食事を終えてしまったのか、食器の返却口からシアの立つ出入口方向へ、どこか早足気味で歩いてきた。
目が合う。流石に無視するわけにはいかない。
「エリアナさん。もう食べたの?」
「……」
できるだけ気さくに話しかけるも、相変わらず彼女はムスっとした表情で不機嫌を隠そうとしない。
が……今回に限っては、その不機嫌が目の前のシアではなくどこか別の方向に向いているようだった。シアに声を掛けられても少し落ち着かない様子で浮足立っている。
エリアナは僅かにシアの顔を見つめると、ピリピリした雰囲気のまま口を開いた。
「……食堂で食べるのはやめた方がいいですよ。最悪の気分です」
「え?」
「ここに来るまでに十分見たのでは? とにかく警告はしましたから」
棘のある声色で言うだけ言うと、シアの横を通り過ぎ、そそくさとその場を去って行ってしまう。
急になにを言ってるのだろうと首を捻りつつも、食堂以外で食事を済ませる選択肢なんて手元にないので、特に気にすることもなく今日の昼食メニューを受け取りにカウンターへ足を向けた。
列に並び、トレーに乗った豪勢な品々を受け取り、空いている席を探す。
まばらに空いてはいるものの、できれば左右に誰も座っていないスペースを探したい。そうやって周囲に視線を巡らせつつ……。
「……」
なるほどな、とシアは心の中で頷いた。
ついさ先ほどエリアナが言っていた言葉の意味を即理解してしまう。
「あの一年もそうじゃない?」
「また来た。もしかして結構いる?」
「さあ。でもよく恥ずかしげもなく顔出せるよな……」
確かにこれはいい気分じゃない。
ここに来るまでと同様、周囲の生徒らがシアの黒い校章を見て小声で蔑んでくる。クスクスという笑い声と、最早陰口にもなっていないただの侮蔑。生徒たちが廊下よりも集団で固まってる分、質も量も余計にひどく感じる。
この状況でのんびり食事するというのは……まあ、無茶な話だろう。ストレスフルになるのも頷ける。
食堂から出てきたエリアナの速度感から察するに、この空気に耐え兼ね、とんでもない勢いで昼食を済ませたに違いない。
空いている席をチラチラと窺う。
しかしシアの視線に気づいた付近の生徒が、あからさまに嫌な顔をして『こっちに来るな』というオーラをひしひしと感じさせてくる。
諦めて別の場所に視線を移しても同じ。なんというか、おそろしく肩身が狭い。
とはいえまさか立ち食いするわけにもいかないので、ここは心を無心にして適当なところに座り、そそくさと食事を済ませてしまうしかなさそうだ。
……なんて考え始めたその時、とても都合のいい背中を捉える。
レンカであった。彼を中心にぽっかり穴が空いたように、周辺には誰も座っていない。理由はおそらく同じだろうが、エレノアと違って彼はのんびり食事を進めているようだ。
シアは吸い込まれるように……というか、半ば助けを求めるように彼の隣まで早足に歩く。
僅かに覗き込むようにしてレンカに声を掛けた。
「え……っと。レンカくん? ここいいかな?」
レンカはフォークで刺した肉の一切れを頬張りつつ振り向く。少し黙った後、すぐに自分の食事に向き直った。
「ん」
一言だけの返事。それは肯定でいいのだろうか。
特に気にしてる様子もないので許しを得たと受け取り、おずおずと彼の隣の椅子に腰を下ろす。
ようやくありつける食事。相変わらず周囲からの視線は不快の一言に尽きるものの、同じ境遇の者が一緒にいるだけで僅かながらにも気持ちは楽である。
小さく息をつき、カトラリーを手に持つ前にまずは胸の前で両手を合わせる。
「いただきます」
一言、小さく呟いた。
お腹はしっかり空腹状態。ふかふかのパンと前菜のサラダとスープに、詳細は分からないが、香ばしい香りのソースがかかった肉のステーキ。シアからしてみれば幼少期にしか食べた経験のない貴族様の献立にちょっとテンションが上がる。
早速サラダから手を付け始めたところで、ふと隣のレンカがこちらを見ていることに気付いた。
「あんた……親が極東出身なのか?」
「え? なんで?」
「今の挨拶。極東にだけ根付いていた文化だ。刀も持っていたし……なんとなく」
指摘を受けて納得する。そういえば彼は極東出身だった。
「あー……ううん。違うんだけど、わたしの面倒を見てくれた人が元々そっちの人で、色々教えてくれたの」
「そうか……」
「う、うん……」
シアの返しに納得したのかは分からないが、軽く返事だけするとレンカは再び自分の食事に向き直ってしまう。
──おそろく話が続かない。
『極東』という共通の話題を以てしてもこれである。シアが少し口下手なのも相まって、仲を深めるどころの話ではない。めちゃくちゃ気まずい。
だがせっかく隣に座ったのだし、このまま無言で食事を進めるのもそれはそれで変な感じだ。
食事を進める手はそのままに、改めてシアは話題を振った。
「それにしても……あれだね。今日になって急に居心地悪くなったね、ここ」
「……そうだな。まるで珍獣扱いだ」
この食堂のど真ん中でマイペースに食事を進めていたものだから、もしかするとまったく気づかないぐらい鈍い感性をしているのではとも思ったが、流石にそこまでではないらしい。
「でも気にするだけ無駄だ。あいつはそうもいかなったみたいだけど」
「あいつ? ……ああ、エリアナさん? さっき凄いピリピリしながら出てったよ。一緒に食べてたの?」
「いや、少し遠目に見ただけだ。あれは考えてることが顔に出る嘘が苦手なタイプだろうな」
「あー……それは確かに」
食堂を去っていく時のエリアナを思い返す。あのイラつき具合は、たぶん昼食の時間が終わってもしばらくは続きそうだ。
しかしながら彼女のイライラはシアも当事者だからこそよく分かる。この生活が今後3年間ずっと続くと思うと流石に堪える。今でこそ『なんか嫌』程度で済んでいるが、毎日のように積み重なっていったらシアだってさきのエリアナのように余裕がなくなってしまうかもしれない。
ともすれば、解決するにはシアたちFクラスが馬鹿にされない校風を作っていくしかないのだが、口で言うならというやつだ。
それができるなら苦労はしないだろう。
「……あっ、ねえレンカくん。交流戦のことなんだけど、どう思ってる?」
思考を巡らしているうちにふと思い出したので、せっかくの機会、レンカの考えを聞いてみることにした。
彼は食事をする手を止めつつ、少しして答える。
「……難しいだろうな。相手が余程の素人でもない限り、15人のメイジ相手に3人で勝つなんて無理だ」
「だよね……」
分かりきっていたことだが、他者からもそう言われるとより重く圧し掛かる。
「Eクラスとはいえ学院に入学できている以上、少なくとも魔法に限っては俺らより上手なんだ。……楽観視はできないだろう」
「でもエリアナさんは元々Aクラス判定の実力って言ってたよね? 何とかならないかな?」
「さぁな。でも、一人でひっくり返せるなら本人も先生に食って掛かりはしなっかったんじゃないか」
「……、そうだね」
諦めた様子で相槌しつつ、思案する。やはり誰から見ても厳しい課題であることに変わりはないようだ。
(最悪、限界まで本気出してでも自分で切り抜けることを考えておかないと……)
クラスメイトとの協力は必要と理解しつつも、最終的に最も信頼できるのは自分自身の力だ。多少無茶をしてでも、1人で15人倒すぐらいのことは想定しておくべきなのかもしれない。
「……意外に冷静なんだな」
悶々と考えていると、レンカにじっと横顔を見られていたことに気付く。
真っ直ぐな瞳はまるでシアの考えを見透かしているかのようだった。
「退学が掛かってるんだ。エリアナみたいに少しは慌てそうなものだが」
「そ、そう? これでもどうしようか色々悩んでるんだけどな」
というかそれを君が言うのか、というツッコミは我慢しておく。レンカに関しては普段からずっと寡黙な感じなので、そもそもの性格な気がする。
「なんにせよ、レンカくんからしてもやっぱり難しい課題なんだよね。……だったら、あの……いきなり仲良くしようってわけじゃないんだけど、わたしはできるだけ協力したいというか……」
思い切って切り出してみる。
「お互い邪魔しないようにってこの間言ってたから、できるだけ過干渉はなしで……その、最低限の連携ぐらいはできるようにしたいなぁと、思ってまして……」
……言いながらなぜか凄く恥ずかしくなってくる。何もおかしなことは言ってないはずなのに。
まるで友達になってくださいとお願いしているみたいだ。あまりにも経験がないことなので、謎の気恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。
「……」
「……ど、どうかな」
沈黙したままなにも反応示さないレンカ。
気まずさでチラチラ様子を窺っていると、彼は正面を向いたままやがて口を開いた。
「……俺には目的があって学院にきたと、この間話したよな。だから他の誰かと馴れ合ってる暇はない」
でも、とレンカは続ける。
「だからこそ退学させられるわけにはいかない。どんな課題でも達成して、俺は強くなる。だから……そのために必要なら、いくらでも力を貸す」
その言葉を聞いてシアの顔が綻ぶ。少なくとも協力的であるという姿勢を確認できただけで一歩前進した気分だ。
「そ、そっかぁ。よかったぁ……」
少しだけ肩の荷が下りる。
3人が各々好き勝手に戦うより、例え2人でもフォローし合えるだけで随分と変わってくるはずだ。
残るはエリアナだが……彼女に関してはなかなか難しそうなので、今は考えないものとする。とにかくレンカはそれなりに話が分かる相手で一安心である。
「でも協力し合うなら、せめてお互いの能力ぐらいは把握しておかないとダメだよね」
当然のことだが、互いにできることとできないことを知っておくだけでも連携というのは幅が広がる。
何気なく口にしたことだが、これからの三週間こそがまさしく互いを知る期間というわけだろう。シアの言葉を受けて、丁度食事を終えたレンカはフォークを下に置きつつ言った。
「……なら、今日の午後の授業は都合がいい」
「午後の? えっと……総合武芸の実習だっけ?」
「ああ。魔法に関しては別だろうが、少なくとも互いの獲物ぐらいは知れる機会だ」
レンカは横目に鋭い視線を向ける。
「気になっていたところだ。学院に自前の刀剣まで持ち込んで、その腕っぷしだけで合格したやつがどれくらいできるのか」
僅かに挑発的なニュアンスを感じ取って思わず息を呑む。
しかしその言葉、当てはまるのはシアだけではない。学院の外で初めて会った時、彼もまた自身の剣を持っていた。その上シアと同じような理由でFクラスに合格したと告げられていたことはちゃんと記憶している。
「それ、お互い様じゃない?」
聞き返す言葉にレンカは沈黙する。互いの探るような視線が正面からぶつかり合う。
「……、俺とやる時は一切手を抜かなくていい」
やがて彼は、椅子から立ち上がりつつ変わらぬ調子でそう言った。
「俺もあんたも魔法はからっきしなんだ。折角自分に合った土俵……お互い本気でやろう」
その言葉を最後に、食後のトレーを持ち上げてその場を去ってしまった。
「……」
背中を見送りながらシアは沈黙する。
確かに彼の言う通りであった。使う武器と、戦い方。魔法に関することを除けば、総合武芸の実習授業は互いの長所を把握できるいい機会に思える。
──こんな早々に学院を追い出されるわけにはいかない。
レンカやエリアナのことをより知るために、これからの三週間、力を尽くすべきだろう。
感想・評価などいただけますと今後の励みになります。