第12話 底の集い_03
「失礼」
王立リースタニア学院。
その第一新校舎にある学院長室へ、Fクラス担任──クライブ・ノアがノックもなしに足を踏み入れた。
大広間と比べても遜色ないほどの広々とした空間に、無数の魔導書が敷き詰められた左右の本棚。
学院の敷地全体を見渡せるガラス一面の窓を背に、一人の老婆が椅子に腰かけていた。巨大な机を挟み、老婆の視線がクライブを射抜く。
机の目の前まで迷いなく歩みを進めたクライブは一見ただの老いぼれにしか見えない老人を前に姿勢を正した。
右腕を水平に、胸の前で拳を握る。ブレイザブリク王国、『聖堂騎士団』の敬礼である。
「ミセス・キキョウ。少々お伺いしたいことが」
「クライブ。その敬礼は必要ない。あと、ここでは学院長と呼ぶように」
「癖が抜け切らず。多めに見ていただきたい」
クライブの前で深々と椅子に体重を預ける老婆。この学院長室にたった一つしかない椅子に、何の断りもなく座る権限を持つ彼女の正体は最早言うまでもない。
学院長──キキョウ・アザレア。
王立学院の主導を任せられる、この国でも最高峰の位に位置するメイジである。
言わばこの学院で最も偉い人間を相手に、クライブは悪びれる様子もなく発言する。
別にクライブが同等の権威を持つわけではない。そういう性格というだけであり、キキョウも口うるさく注意する気がないだけだ。
「ちょっとクライブ先生! 学院長とは今私がお話してたんですけど!」
と、クライブの真横で小さな子供──いや、正確には子供と見紛うほどに幼い外見の女性が声を荒げた。
薄い栗色のショートボブを揺らしながらぴょんぴょんと跳ねている。クライブは彼女を冷静に見下した。
「失礼すると言った」
「はい?」
「断りは入れたということだ、ミス・セリーナ。それとも、もう少し噛み砕いた説明が必要ですか?」
セリーナ。そう呼ばれた彼女の名は、セリーナ・メイフィールド。こんな見た目だがクライブと同じく立派な教員の一人である。
宥められるようにクライブから頭に手を置かれたセリーナは、しばらくキョトンとした表情で固まる。その後、はっと我に返って両手を振り上げた。
「……、いや! そういう問題じゃないです! っていうか子供扱いしないでくださいっ!」
「それは無理な相談ですね。この容姿にこの言動、私の価値観で同僚扱いするのは少々難しい」
「むっか!! これでも私、今年で29なんですけど!?」
「おっと、それは失礼。まさかミス・セリーナが年上だったとは。以後、発言には気を付けよう」
「……ねえ、今『ミス』を強調しましたよね? 私が売れ残りの未婚女だって分かった上で強調したよね!?」
今にも頭から煙が出てきそうな勢いで憤慨するセリーナ。……ちなみに『ミス』は未婚女性、『ミセス』は既婚女性や目上の女性に対して用いられる。
ぶんぶんと腕を振り回すも、頭を抑えられ、身長の差でこれっぽっちも手が届いていないクライブとセリーナの問答は教師陣の間では割と頻繁に見かける光景であった。まるで仲のいい兄妹である。
学院長のキキョウはニコニコと笑ってそれを止めたりはせず、代わり改めてクライブに問い掛けた。
「それで、クライブ。何か用件があるのだろう?」
彼女の声を受け、再び正面へと向き直る。まだ何か言いたげなセリーナのことは一旦放置し、クライブは淡々と口を開いた。
「Fクラスの生徒について一点、予めお聞きしたいことがあり参上しました」
彼の用件は言葉通り、クライブが受け持つ『管理指導クラス』ことFクラスに関する内容である。
真っ先に反応したのは彼の隣に立つセリーナ。
「そういえば3年ぶりのFクラス、クライブ先生が担任なんでしたっけ?」
「ええ。Eクラス担当のセリーナ先生以下とは、我ながら恥ずかしい」
「は??? おいどういう意味です?」
額に青筋を立て大変ご立腹なセリーナのことは当然のようにスルーし、キキョウは薄く微笑んだまま小さく首を傾げる。
「三名とも粒揃いだろう。問題があるのは当然として、何か気になることでもあったかい?」
「お戯れを。こちらの疑問など、すでに把握しているのでは?」
その問いに、キキョウは表情を崩さないまま沈黙で答える。
クライブは小さく吐息を零す。この老人はたまに何を考えているのか分からない。それが底知れなさでもあるのだが。
「……、三名の能力に関しては問題ありません」
軽く瞼を閉じつつ、クライブは今日初めて顔を合わせた三人の生徒を思い出す。
──全員癖のある子供たちだった。少々キツイ物言いをしたが、おそらく三名とも折れるどころか反発して成長するタイプだとクライブは踏んでいる。
「しかし」
が、その中で一人。
疑問が残る生徒がいた。
「ある一名の生徒……名前はシア。彼女に関して学院長にお聞きしたい」
再び開かれた瞳がじっと正面を見据えた。
特に反応を示さないキキョウへ向けて、クライブはそのまま言葉を続ける。
「座学34点、魔法学0点。しかし総合武芸では満点どころか歴代最高記録まで出している。魔法学以外への偏った能力はFクラスの生徒らしいと言えますが、問題は彼女の出自についてです」
「なにか問題でもあったんです?」
隣のセリーナが小首を傾げながら問い掛けてくるのに対し、クライブは頷く。
「彼女に関する入学手続きの資料を全て拝見しましたが……妙な話だ。家名を持たない平民育ちで、親族はなし。かといって養護施設で育ったわけでもなければ、義理の保証人がいるわけでもない。本人は面談の際、『ずっと一人で生活してきた』の一点張りだったそうですが流石に無理がある。まるでスラム暮らしの履歴だ」
「ふむ……しかし彼女からは、すでに学費の支払いが済んでいる。安い金額ではない。よもやスラム出身ではないだろう」
キキョウからの最もな回答だが、それはそれでおかしな話になることをクライブは無視できない。
「でしたら、金は一体どこから手に入れたものなのか。子供ができる盗みや詐欺でどうにかなる規模ではない。仮に親が残した遺産というならそう書けばいいし、どの道家名を持たない理由にはならない」
クライブの探るような視線が、薄い笑みを浮かべ続ける老婆を見据える。
「彼女はあまりにも後ろ暗い。怪しすぎる。学院の入学審査を越えられるとは到底思えません」
「……」
「しかしFクラスという特例とはいえ、今まさに入学が許されている。その理由を知るのはおそらく、最終的な決定を下したミセス・キキョウ……あなただけだ」
クライブは担任として、生徒に関する資料にはよく目を通しておこうと思っただけであった。
だが見れば見るほど浮彫になってくるシアという生徒の不透明性。今までどこで、どのように生活してたのかが一切読めない謎の生徒。その違和感を探らずにはいられなかった。
しかし指摘を受けて尚、キキョウは動じる様子を見せない。
「それを知ってどうする?」
「彼女は私が受け持つ生徒です。……学院長、あなたは彼女の出自について何かご存じなのでは?」
寧ろ、何か知っていなければ彼女の入学を認めるはずがない。そう完全に決めつけた上での直球な質問であった。
キキョウは意味深に沈黙する。皺の寄った彼女の表情からは相変わらず何も読めない。
横で話を聞いていたセリーナまでなぜか緊張する面持ちでその答えを待ち……。
やがて、重々しくキキョウの口が動いた。
「さてね」
返ってきたのはたった一言。
あくまで答えるつもりはないと、素っ気ない態度が言外に示していた。
キキョウは椅子からゆっくりと立ち上がる。老いを感じさせない滑らかな身振りで窓際まで歩き、彼女は学院を見下ろす。
しっとりとした視線は子を見守る母のようで、しかし同時に何かを天秤にかけるような色彩が含まれる。その横顔からは、相変わらず何も読み取ることはできない。
「クライブ」
外を見つめたままキキョウは呼びかけた。
「あんたの能力はもちろんのこと、『教師』として評価したからあの三人を任せた。あんたほど問題児をまとめるのに適任な奴はいない」
「……御冗談を。私より器の広い先生方はいくらでもいるでしょう」
「だが、あんたには経験がある。かつてあの子たちと同じ場所で学び、首席まで上り詰めて卒業したあんたにしかない経験がね」
指摘を受け、クライブは僅かに目を細めた。
今となっては懐かしい思い出。ただ愚直に己を磨く日々を思い出し、ほのかな懐かしさが胸の中に灯る。
「えっ、クライブ先生ってFクラスの卒業生だったんですか!?」
セリーナが驚きの声を上げた。いちいちリアクションの大きな人である。本当に年上なのか甚だ疑問だ。
「昔の話です」
年上の子供にはそう言って適当にはぐらかしておく。
──とにかく、キキョウの言いたいことは概ね察し、クライブは口を閉ざす。
第三者からは話せないような事情を抱えているが、そんな厄介事がある生徒を卒業まで導けるのはクライブしかないと、つまり彼女はそう伝えたいのだ。
「あの子たちのこと、よろしく頼むよ。──クライブ先生」
横目に見つめながら、キキョウの念を押す一言がクライブを刺した。
気を取り直すように小さく息を吐く。どうやらクライブは、随分な厄介事を押し付けらてしまったようだ。
「無論、そのつもりです」
だが任せられた以上手は抜かない。
老婆の視線を正面から見つめ返し、クライブは力強く了承の意を示した。
◇◇◇
「994……! 995……!」
夕暮れ時。
学院の敷地内にある女子寮の一室に戻っていたシアは、部屋のど真ん中で木製の刀──即ち木刀の素振りを行っていた。
上段に振り上げた木刀を正眼の位置まで振り下ろす。その度に刃が風を薙ぐ音が響く。
部屋は一人部屋。
が、貴族向けというだけあってそれなりに広く、私物がほとんどないのも相まって木刀をぶん回せるだけの余裕があった。
ここ数年、鍛錬を怠った日は一日もない。年頃の少女が引っ越し初日の部屋で汗水垂らしながら木刀の素振りに勤しむのは我ながら残念すぎる光景だとは思ったが、かといってサボる選択は元より存在しない。
寮の外で人の注目を集めるよりか幾分もマシではあるだろう。とにかく、身体に染みついている日課なのでやらない訳にはいかなかった。
腰から背中。そして肩から指先へ。
上半身の様々な筋肉に心地よい疲労の痺れを感じながら、無心で刃を振り続ける。
対して趣味もないシアにとって、この瞬間は数少ない娯楽とも呼べる。
『抗う術がないのなら、力を得て斬り伏せればよい。
気に食わぬものがあるのなら、気が晴れるまで斬り裂けばよい。
斬って斬って斬り続ける。それに専心することの、なんと幸福なことか』
ただ一つ頭をよぎるのは、師に伝えられた『天真流』の極意。
かつては呆気に取られた台詞だが、今ではシアもよく理解している。一切の邪念を抱かず、澄み切った水面の如くただ一つに専心する──まさしく明鏡止水。
この一瞬一瞬には他では代えがたい幸せが確かにあるのだ。
「……1000回!」
一日のノルマに到達する最後の一振りが空を切る。
木刀を握り締める手の平からビリビリと伝わってくる反動と、息切れする呼吸。全身から流れる汗。だが鍛錬の後は、それらに引けを取らない高揚感に包まれる。
その感覚をじっくりと全身に行き渡らせ──シアは大きく息を吐いた。
身体に籠っていた力と熱が一気に抜ける。
構えを解き、木刀を壁に立てかけるとそのままベッドの端に腰を下ろした。柔らかい布団の感触が伝わる。
(ふわふわだ……こういうベッド、そういえばいつぶりだろう)
これまでずっと敷布団で寝ていたので慣れない感覚に妙な違和感を覚える。今後は最低でも3年、この部屋で寝泊まりするのでまた新しい環境に慣れていく必要がありそうだ。
手を伸ばして椅子の背もたれに掛かっていた汗拭き用のタオルを手に取る。
顔周りの汗を拭いつつ、思わず顔をしかめる。
「うぇ。着替えてからやればよかった……」
制服のシャツ下から感じる汗で張り付いた不快感にげんなりする。何も考えずに上着だけ脱いで初めてしまった少し前の自分を呪いたい。
が、この後は晩御飯のために食堂に行くので制服から着替えるわけにはいかない。寮を除き、学院敷地内での学生は制服の着用が校則で義務付けられている。
仕方ないので汗だけ拭いてしまおうと、シアは制服の襟に指をかけた。
交差するボタンを外し、袖から腕を抜いて上半身をはだける。
露出する白い肌と、簡素な下着に包まれた小ぶりな乳房。鍛えられているとは思えないほどにその体は細身であった。
首回りや脇、背中に滲んだ汗をささっと拭いていくシア。
その最中──ふと視界の隅に姿見が映り、思わずシアは手の動きが停止する。視線がぴたりとその場で固定されてしまう。
正面に立てば、頭の先から爪先まで全身を写すことができる大きな鏡。寮部屋に最初から備え付けられていたものだ。だが手が止まった原因は鏡そのものではなく、そこに映っている……自分自身である。
「……、」
無意識の内に眉間にしわが寄る。渋い表情を浮かべたまま沈黙する。
胸中に漂うモヤモヤは、自分でも表現が難しいほどに様々な感情が入り混じっていた。
──全身に残る小さな傷痕の数々。
それは生涯消えることのない、奴隷として生きた証である。
服を着ていればそのほとんどを隠せるものの、一枚脱ぐだけでそこにはいくつもの痕跡が顔を覗かせる。
鞭で肌が裂けるほど叩かれた時のものや、蝋を垂らされて酷い火傷を負った時のもの。本当に色々。
思い出すだけで……少し、気分が悪くなる。
「はぁ……」
深々と溜息をついて視線を外す。
リュウショウの家に姿見はなかった。手鏡程度の小さなものをずっと利用していたので、真正面から己の全身を見たのは本当に久々だった。
自分の体の醜さは自分が誰よりも分かっていると思っていたけれど、いざしっかり見せられると心の奥に鋭い痛みが走り抜ける。どうせ取り返しのつかないこと、だから仕方ない……そうやって割り切ろうと思っても、結局シアだって一人の女の子である。
……最悪の気分だ。
許されることならあの鏡を丸ごと捨ててやりたいが、寮の備品なのでそうもいかない。
ちゃっちゃと汗を拭いたシアは、現実から逃れるように手早く服を着直した。着替えの際や入浴時に散々過去の傷は見てきたはずなのに、鏡が映した光景はずっしりと心に重く圧し掛かっていた。
「ああ、もう……」
せっかく鍛錬に励んでいたのに、無心どころか曇り切った感情ばかりが溢れ出してしまいシアは忌々しく呟く。
リュウショウに見られたらきっと、まだまだ邪念ばかりだと笑われてしまう。もっと精進しなければ。
(ほんと……未練がましい)
女性としての幸せなんてとうの昔に諦めていた。
だが、いつまでもそれを引きずっている自覚もシアにはあった。そんな自分自身に嫌気が差してしまう。
ぼんやりとしたまま部屋の時計を見る。
こんな時はとりあえずご飯でも食べて気持ちをリセットするに限るのだが、食堂が開くにはまだ少し早い時間だった。
(お腹空いたな……)
余計なことを考えすぎないよう、適当に晩飯の内容にでも思いを馳せておく。
──と、そんな時である。
トントントン、という音が唐突に響きシアの肩が小さく跳ねる。
「わっ」
びっくりした。音のした方向は部屋の入口。
シアが振り向いたタイミングでまた同じように音が繰り返される。どうやらノックされてるらしい。
客人のようだが、思わず首を傾げるシア。まったく思い当たる節がない。
何か荷物でも届いたか、もしくは入学手続きに関する重要な連絡か……しいて挙げるならその辺かもしれない。シアは慌てて立ち上がり、早足に部屋の扉へと駆け寄った。
「はーい?」
内鍵を開けドアノブを捻ると──真っ先に視界に飛び込んできたのは特徴的な赤色の髪の毛だった。
「遅くにすみません。左隣に入ったエリアナ・ティフィラムです。よろしくお願いしま──、え?」
扉が開くのと同時、目の前に立っていた少女はそこまで語って……流暢に動いていた口がピタリと止まる。
同じFクラスの女子生徒、エリアナだった。
「エリアナさん?」
思いもよらぬ来訪者に問い掛けると、エリアナは声を詰まらせながら僅かに口角を震わせる。
予想外だったのは彼女にしても同じだったらしい。シアの顔を見て、少しずつ眉間に皺が寄っていく。
「……一応聞きますが、ここあなたの部屋?」
「そうだけど……」
「……」
先ほどまでの笑顔はどこへやら。見るからに嫌そうな顔を浮かべたエリアナは分かりやすく肩を落とす。
「まさか隣人だったなんて……」
額に手を添えて項垂れる彼女の様子を見て、シアは思わず隣の部屋の扉に視線を送る。エリアナの言葉から察するに、どうやら二人はお隣さん同士だったようだ。
新入生女子だけでもおそらく50名前後はいるだろう中で思わぬ偶然である。
「エリアナさんが隣だったんだ。奇遇だね」
「ええ。残念なことに」
シア的には数少ないクラスメイトが実は隣人と分かってそれなりに嬉しいのだが、エリアナからは対照的な様子でジト目を向けられてしまう。
教室での去り際に言い残したように、やはりシアとはあまり関わりたくないようだ。彼女の気持ちも分からなくはないので苦笑いで返すしかない。
「えっと……どうしたの?」
一応用件を尋ねてみる。
エリアナは腕を組み、つんとそっぽを向いたまま答えた。
「見ればわかるでしょう。お隣りへの挨拶です」
「へぇ。偉いねぇ」
「ただの礼儀です。それに、あなただと知っていればスルーしました」
そうは言いながらもエリシアは律義に答えてくれる。
たかだか学生寮……引っ越し直後の隣人への礼儀なんてないようなものだろうに、彼女のマメな性格が見え隠れしている。エリアナはついでとばかりに、片手に持っていた小さな箱を荒っぽい手つきでシアへ差し出してきた。
「はぁ……あの、これどうぞ」
「?」
溜息混じりで突き出された箱を訳が分からず呆然と見下ろすシア。
いつまでもノーリアクションでいると、痺れを切らした様子でぐいっと押し付けられ思わず受け取ってしまう。箱はそんなに重くはなかった。
「なにこれ?」
「……菓子折りです。元々進物用だったのであなたに上げます」
返ってきたのはこれまた律義な答えだった。思わず箱を開けると、中には美味しそうなクッキーが綺麗に敷き詰められていた。
市販のものだろうが、箱の作りからして安物ではない。ここ数年口にしたことのないお菓子を前にシアは思わず目を輝かせる。
「わぁ……! こ、これ本当に貰っていいの?」
「田舎臭い反応はやめてください。そう言ってるでしょう」
「で、でもわたし、返せるもの用意してない……」
「結構です。私が好きでしてることですから」
きっぱりと言い放って、エリアナはそそくさと自室の方へと足を向けてしまう。これ以上用はないとばかりに素っ気ない対応だ。
が、受けた恩にはちゃんと礼を示さなければならない。そうしなければ、シアは気が済まないタイプだった。
「エリアナさん! ありがとう! このお礼はいつかちゃんと返すからね」
去り際の背中へ笑顔を向ける。
エリアナは一瞬足を止め……特に振り返ることはなく自室の扉を開けた。
「……だから結構と言ってるでしょう。無駄に関わらないでください」
平坦な声でそれだけ言い残し、エリアナは隣の部屋へと姿を消す。その後、鍵が閉まる音が静かに響いた。
相変わらず冷たい態度である。
だが、彼女の贈り物は素直に嬉しかった。嫌なことを思い出して、食欲に逃げようとした矢先のお菓子だったのでこれ以上ないベストタイミングである。
(根はしっかり者のいい人なんだろうな)
エリアナが挨拶に来た瞬間、僅かに見せていた笑顔が脳裏をよぎる。
Fクラスという不本意なクラスに入れられたことで今の態度が表面化しているだけで、きっとあれが彼女自身の根っこなのだろう。
シアはおもむろに箱詰めされたクッキーの一枚を指先で摘まみ、一口含む。
口の中に広がるバニラの香りとほのかな甘み。サクサクとした軽快な触感。
超おいしい。甘いものはいつだって女の子の味方である。
「ん~~~!」
ダラしなく顔面を緩ませるシア。
晩御飯までに食べ過ぎないよう注意だけしつつ、それはそれとしてすぐに二枚目を頬張った。
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