第11話 底の集い_02
──その後、基本的な校則の説明だけ受け、シアたちFクラスの最初のホームルームは終わった。
担任教師であるクライブ・ノアは特に話を長引かせることもなく、伝達事項を伝えるだけ伝えてさっさと教室から去ってしまった。
入学式があった本日はこれ以降予定はない。本格的な授業の開始は明日からとなる。
よってFクラスの面々は特に何かするでもなく、静かな教室の中で取り残されていた。
「……」
……非常に気まずい。
そう感じているのはシアだけかもしれないが、この微妙な空気感はどうしても意識せざる負えない。
窓際の席に座る黒髪の少年レンカと、その正反対でずっと不機嫌な調子でいるエリアナ。
二人の丁度中間位置に座っているシアは目線だけで左右の様子を窺ってみるも、レンカもエリアナもさっきから一言たりとも喋ろうとはしない。なんというか、二人とも見えない壁がある。特にエリアナ。
望んでこうなった訳ではないとはいえ、せっかく3人だけの少人数クラスなのだ。
全員でしっかりコミュニケーションを行い良好な関係を育んでいきたい、というのがシアなりの考えではあったのだが……こうまで喋る気がないオーラを出されると流石に厳しい。
(先が思いやられる……)
溜息……は何とか抑えるも、今後を思うと少しげんなりとはしてしまうシアである。
と──最初に沈黙を破ったのはエリアナだった。
ガタッ、と椅子から立ち上がる音に釣られて彼女の方を見ると、エリアナは赤毛の髪を揺らしながら鋭い目線をシアとレンカへ投げ掛けた。
「……先に言っておきますが、あなた達と馴れ合う気はありませんから」
向けられた言葉はシアの思惑を早速拒絶してくる。流石に悲しい。
「私は『杖なし』のあなた達と違い、本来Aクラスに入れる優秀なメイジです。共にいるだけで格が落ちるので、今後はどうか必要以上に話しかけないでください」
続けられた文言は明らかにシアたちを見下した物言いだった。
……が、事実ではある。
『杖なし』──つまり魔法が使えない者は、クライブの話にあった通りそもそも学院に入学することさえ許されないのが普通。
本来は大きく評価されない部分を力技で押し通したシアやレンカは、この学院にとっては異分子そのものだ。そういう意味では校内で他者に見下されて当然ではあるのかもしれない。
「今後足だけは引っ張らないようお願いします。それでは」
ぷいっと顔を背け、エリアナは早歩きで教室の扉へと向かっていく。
冷たい態度だった。シアとしてはやはり仲良くなれるに越したことはないと思っているので、こうもしっかり釘を刺されるとちょっと寂しい。
だが彼女の立場を思うと仕方ないとも感じた。
シアやレンカと違い、エリアナはどうやら『優秀』の箔がつく程度には魔法が使えるらしい。にも関わらず、何らかの事情で落ちこぼれの象徴とも言えるクラスに入れられてしまったのだ。仮にシアが彼女の立場だったとしても、同じように納得はいかないだろうし多少なりとも気が滅入ると思う。
だから今、無理に絡みに行くのはやめることにした。いつか心を許してくれるまでは適度な距離感を保った方が互いの為だろう。
しかし。
「エリアナさん」
歩き去る彼女の背中を呼び止める。
振り向きはしないが、足を止めるエリアナへシアは優しく微笑んだ。
「わたし、シア。これからよろしくね」
「……」
きっと挨拶ぐらいは許してくれるだろう。
エリアナはそれに対ししばらく沈黙を続け──、特に何か言う事もなくすぐに扉の外へ歩いて行った。
まあ……話しかけるなと言っても最低3年は同じクラスで授業を受け続けるのだ。嫌でも関わりは増えることになる。
仲良くなれるかは少々難しそうだが、普通に喋れる程度の関係にはいつかなれるといいな、なんてやんわりと希望を抱いておいた。
──で、希望と言えばレンカの方はまだ望みがある。
すでに何度か喋っているし、街でのファーストコンタクトは割と良かったとシアは記憶している。エリアナの姿を見送った後、シアは窓の方へと振り返った。
「あの……レンカくん、でいいよね?」
躊躇いがちに問い掛けつつ、少しだけ彼との距離と詰める。
「よろしくね」
「……ああ」
何やら考え事をしている様子だったレンカは目線だけ動かして短く答えた。
やはり口数は少なめの少年らしい。ちゃんと返答してくれるだけありがたいと感じるのはエリアナの塩対応の後だからだろう。
彼はシアの顔を見ると、何か言いたげな様子で僅かに固まる。
少し逡巡した後、レンカは小さく口を開いた。
「あんた……シア、だけなのか?」
「え?」
「名前。家名は?」
「あ……」
指摘を受け気づく。他人からしたら確かに違和感を覚えて当然かもしれない。クライブにシアが呼び捨てで呼ばれた時のことを覚えていたのだろう。
厳密には呼び捨てというよりも、『シア』でフルネーム。学院への入学手続きも同様になっている。
「えっと……色々あってね。シアだけで合ってるよ」
何と返したものか迷った挙句、曖昧に誤魔化すシア。
まさか親がいないことを赤裸々に説明するわけにもいかない。ただでさえアレな空気感に更なる気まずさを重ねるだけである。
「……。そうか」
何かを察したのかただ興味がないだけなのか微妙な反応だったが、レンカはそれ以上言及しないでくれた。特に続けることなく視線を外す。
その代わり彼は、椅子から立ち上がりつつ他の話題を切り出してきた。
「あんたも使えないんだな。魔法」
「あ……、うん。お互い大変だね」
「たぶんこの学院で魔法が使えないのは俺たちだけだ。きっと……苦労することになる」
目立った感情こそ籠らないが、僅かに重たい調子でレンカは呟く。
まったくもってその通りだった。10%とかいうFクラスのぶっ飛んだ卒業率が全てを物語っている。
それに、大変なのは授業だけではない。クライブの忠告にもあったように、他クラスの生徒から今後どんな目で見られるかは先ほどのエリアナの態度を見れば想像に難くない。
だからこそクラスメイトぐらいは、というのがシアの考えであった。
エリアナはあんな調子だが、きっとレンカは……と考えたのも束の間。次に彼から飛び出してきた言葉は予想の斜め下を突き抜けてきた。
「あいつに賛同するわけじゃないが……」
エリアナの去っていった方向を一瞬見つつ、レンカは物々しく言う。
「俺にはどうしてもやりたいことがある。そのために、少しでも力を磨く目的でここに来た。他人とじゃれ合ってる暇はない」
彼の言葉にはシアへの拒絶というより強い執念のようなものが見え隠れしていた。
それを目指す余り目の前しか見えていない。冷たさよりもそんな危うさをシアは僅かに感じ取る。
「あんたも大変だろうが、互いに邪魔しないようにしよう」
言い方こそやんわりとしているが、ようは無駄に関わるなという実質的な拒絶を受けシアは何も言えなくなってしまう。
彼も彼でそれなりに余裕がないみたいだった。
言うだけ言うと、レンカもまた教室の外へとそそくさ歩いていってしまう。
取り残されるシア。
一人になったことで……先ほど我慢した溜息が流石にこぼれてしまう。まったくもって対話が難しい人ばかりである。
(わたしが能天気なのかな……)
これから大変そうだ。何も書かれていない黒板を眺めつつ、シアはぼんやりと先を憂う。
学院の底に集まった三人の生徒は、団結するには程遠いバラバラ具合であった。
◇◇◇
学院の敷地内で生徒が主に利用する校舎は全部で3つある。
AクラスやBクラスの上位クラスと3年生の教室がある第一新校舎。
Cクラス以下が雑多にまとめられた第二新校舎。
たった一つのFクラス他、諸々の都合で新築校舎へ設備の移動ができない特殊教室などがある旧校舎。
……といった感じ。
ちなみに旧校舎といっても露骨に設備が古いなんてことはない。そもそも新校舎だって建造されたのはもう数十年前の話で、建物の作りに関しては、学院設立当初からある建物かそうでないかという違いしかない。
大きな違いがあるとすればやはり人の出入りだろう。
旧校舎は今やFクラス以外の通常教室がないようで、一部の授業時間に他クラスの生徒がちょくちょく出入りする時にしか人だかりが生まれない。平時は全校生徒300名近い人数がいるとは思えないほどに閑散としている。
対して新校舎──特に第二新校舎は、通常教室の他にも特殊教室や演習場が密集しており非常に生徒の出入りが多い。
おそらくFクラスのシアも今後利用することが増えるだろう。
──と、考え。
特に用があるわけではないが、シアは現在、校舎の簡単な見取り図片手に第二新校舎へ散策に来ていた。
予想していたことだが今はとにかく人が多かった。各教室での挨拶を終えたばかりの1年生徒が行き交う他、上級生の姿も窺える。ちゃんと前を向いて歩かなければすぐに人とぶつかってしまいそうである。
(賑やかだ……さっきまでのが嘘みたい)
人の群れはしっかり避けつつ、周囲をキョロキョロと見渡しながら廊下の隅を歩く。
Fクラスの面々が静かすぎたのもあるが、ここに来るまでの旧校舎自体かなり人が少なかったのでまるで別世界である。周囲から聞こえる話し声の量は街の大通りを歩いている時とほとんど変わらない。
何気なく生徒たちの会話に耳を傾けてみる。
「僕の父上は伯爵なんだ。国王に意見できる数少ない貴族の一人でね。君たちも僕のお目に適ったら父に取り立ててあげても構わないよ」
「そうは言っても君はBクラスじゃないか。上澄みのメイジでない貴族だなんて、所詮は看板だけだと思うがね」
「子爵の倅風情が随分な大口を叩く。そういう君だって同じBクラス……自慢できるほどのメイジなのかい?」
「少なくともクラス内じゃ成績トップさ。僕がAクラスに入れなかったのはきっと何かの間違いに決まってる」
…………。
あまり聞いてて楽しい会話ではなかった。
げんなりしつつ意識を外すも、他から聞こえる会話も大して変わらない温度感である。魔法がどうとか、爵位がどうとか、基本的にマウント合戦ばかりだ。聞いてるだけで溜息が零れそうになってしまう。
しかしながら、これは仕方ない部分が大きい。
リースタニア学院は主にメイジを育成する教育機関。入学テストの魔法学への偏重からも察せる通り、ある程度魔法を使える家系の子供ばかりが集まる。
そして魔法を使える家柄と言えば当然『貴族』だ。
魔法が使えるから国に貢献し、国に貢献してるから領土を与えられ、領土を持つから爵位を得る。
よって貴族とは即ちメイジであり、そのメイジを育成する学院は貴族向けの教育機関とも言える。
ごく稀に後天的な才能で魔法を使えるようになった平民が生徒として入学することもあるようだが、それは全体の1割にも満たない。
結局、一部の例外を除いて人の上に立つ地位の子供ばかりが一か所に集められているのだから、他者へのマウントが激しいのは最早避けられないのである。
(ある意味、Fクラスだったのは幸運なのかな)
四六時中こんな会話に囲まれていたら頭がどうにかなってしまいそうなので、そういう意味では静かな旧校舎に教室が配置されているFクラスは恵まれているのかもしれない。
レンカやエリアナがどう感じるのかは分からないが、少なくともシアはここが居心地いいとは思えなかった。
(……早く次行こ)
人は無駄に多いし、周りの雰囲気も肌に合わない。
第二新校舎はまだまだ見れていない場所が多いが、どうせ今後嫌でも足を運ぶことになると諦め、シアはさっさと足を動かした。
──長い廊下を越え人の波を抜けると渡り廊下に出た。
第二新校舎から第一新校舎へと繋がる廊下であり、中庭に出れる唯一の場所でもある。
ここも人の行き来は多かったが先ほどに比べたら全然マシだ。足を止め、シアはぼんやりとした視線を周囲に巡らせる。
「……」
中庭の中央に鎮座する小さな噴水に何となく視線が留まる。
別にこれと言って語ることはない普通の噴水だが、青色の魔石から流れ出る透き通った水を見つめていると何となく気持ちが落ち着く。
歩き疲れたというほどではないが、ここ一番の人口密度が続いたせいで気疲れは感じていた。
──ここまで足を運んでおいてなんだがもうそろそろ寮に戻ってもいいかもしれない。
流れる水を眺めながらシアはつらつらとそんな思考を巡らした。
そして、改めて歩き出そうと身を翻したその時である。
「おい。もしかしてあの子、例の首席じゃないか?」
「うわっ本当だ! あれが噂のヴァレンス家の秀才か……!」
「隣にいるのは学年2位のアッシュクロフトじゃないか? 名家同士が並ぶとやっぱ様になるな……」
背後から男子生徒たちのそんな話声が耳に入り、シアは思わず動きを止める。
歩き出そうとしていた足を止め、視線だけで周囲の生徒たちが見つめる方向を辿る。
渡り廊下の先。第一新校舎。
その扉の奥から──入学式でも遠目に見た一人の女子生徒が、堂々とした足取りで姿を現した。
シアは……そんな女生徒の姿を見て、無意識に呼吸が止まる。
水の流れを凌駕するほどに流麗な黒髪と、宝石のように輝かしい碧眼。そして同性でも目を奪われるほどのプロポーション。
──リムル・ヴァレンス。
学年首席として入学を果たした完全完璧の女生徒がそこにいた。
(っ……、)
息を呑む。表情にこそ出さないが、近距離でその姿を見ただけでシアの全身が強張る。
因縁深き相手だ。いくら関係ないと割り切ろうが、心のどこかでは必ず意識してしまう。
「リムル。やはり君はどこに行っても注目の的だね。少しは誇らしいと思わないのかい?」
「別に。興味ないわ」
リムルの隣には銀髪の少年が並んで歩き、小言を交わしていた。少年は15歳にしては背が高く、大人びた風貌で、どこか気障っぽい表情を浮かべている。
彼の名はエリオット・アッシュクロフト。
シアでもギリギリ知っているほどの魔法の名家……おそらくそのご子息様だろう。周囲の反応曰く、入学試験の成績は第2位と思われる。
学内トップの二人が共に歩き、そのどちらも名貴族の子孫。
注目を集めないはずがない。シアに限らず、周りの生徒はみんなあの二人に釘付けであった。
「まったく、君がそんなんじゃ第2位の僕がいくら威張っても滑稽に映ってしまう。堂々と胸も張れないよ」
「そうは見えないけど」
「フッ……まあ、君という天才の横を歩けるのは僕ぐらいだからね。否定はしない」
そんな会話をしながら、自分らに注がれる視線の数など一切気にすることなく二人は渡り廊下を歩いていく。
まさに名門貴族らしい堂々たる振る舞い。二人の歩む先は、自然と人の波が横に退いていく。
シアはほぼ無意識の内に二人の進行ルートから体ごと視線を背けた。
……自制はできている。例えすれ違うほどの距離感に迫ったとしても、この手を動かすことはない。
だがリムルを見つめる眼光と、その奥に宿る炎だけは隠すことができなかった。握り締める拳だって震えが止まらない。
それに、いくらシアの見た目があの頃から大きく変わっているからって至近距離で見られれば正体がバレる可能性だってある。
見ない。関係ない。関わらない。
必死に自らへと訴えかけた。
「ところでリムル。この後一緒に夕餉でもどうだい? 無論、学院の食堂ではなく外で」
「……、気分じゃない。遠慮しておくわ」
「おっと、振られてしまったかな?」
二人の会話が──背中を通り過ぎる。
完全に過ぎ去ったと、そう確信する最後の瞬間まで緊迫した感情が胸の中を渦巻いていた。
チラリと視線だけでリムルを確認する。ずっと背中を見せていたので当然だが気づかれてはいない。
リムルとエリオットは何気ない会話を続けながら、シアが歩いてきた第二新校舎の中へと姿を消していった。
──ほっと小さく息をつく。
周囲の生徒たちも、張り詰めていた糸が切れたように談笑しつつ動き出す。
まったく心臓に悪い。シアもようやく忘れていた呼吸をゆっくりと再開した。
(こっちはあまり近づかないようにしよう……)
どの道、上位クラスしかない第一新校舎へは滅多に訪れる機会がないと思われる。
他でもない自分のメンタルのために、シアはしみじみと心に誓った。
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