78.少年騎士団 X-DAY マイナス6
「ナリ、ポテチとって」
「何味?」
「コンソメ!」
ノーマン家タウンハウスの1フロア。洋間に持ち込まれた畳の上に2組の上等な布団が並ぶ。その脇に所狭しと置かれたスナック菓子からコンソメ味のポテトチップスが風で浮かび上がり、モコモコのルームウェアを身につけたリリガルドの頭の上に落とされた。
畳の前に置かれたソファの上で胡座を組んでいたリリガルドが尖った犬歯を見せながら背後のナリヒラを振り返った。
「イェーイ、アタシこの味が1番好き。ナリは? ミカドでもコンソメが1番人気?」
「コンソメなんじゃねぇの? 知らんけど。俺はサワークラフト派」
「えっ、その味まだ食べたことないけど。そこにある?」
「ないな。家にはある」
「やった〜! 明日タイヨウに取ってきてもらお」
リリガルドの向かいで水鈴を睨んでいたレオンがついに肩を怒らせた。
「オータム、姉上を馬車がわりに使うなって言ってんだろ! そんなもんばっかりこんな時間に食べてるとまたニキビできるぞ!」
「あー、やだやだ。シスコン坊やはケチだこと。タイヨウとアタシは親友だからいいの。シ・ン・ユー! それにニキビできたらホタルさんに治してもらうからいいもーん」
漫画を読む手を止めたナリヒラが呆れて起き上がった。
「それさぁ、ニキビひとつで5万ゴールド取るんだろ? 3個できたら15万だろ。ババア、吉原価格だな」
「価値あるものにお金払うのは当然でしょ! 薬みたいに治りを早くする、じゃないのよ。治るんだもの。良心的どころか実質無料よ! アンタもその若さで300万ゴールドの借金したんだからお母様見習って金を稼いだら?」
「うっ、そこは出世払いで……」
「なーにが出世払いよ! 大体何の職に就くつもりだったのよ。生まれも育ちもバベルのくせにバベル語覚えなかったんでしょ」
「仕事は……ミカド帰ればなんとかなるっつーの」
「帰るって、行ったこともないんでしょ? 言葉はわかっても常識はわかんないじゃない? ーーそんなんで働けるほど甘い場所なわけ?」
先日の掘削現場で蓼丸麟五の狂気や兄備悟の冷徹な言動、窮屈そうに身を縮めていた飛梅を見ていたリリガルドが心配混じりの声をかける。
ミカド皇国は能力の多寡ではなく、家や血を重んじる風土なのだろう。実力主義のバベル王国の流儀に馴染んでいるナリヒラが今更溶け込めるとも思えなかった。
「ナリヒラだってわかってるさ。だから翻訳呪文を買ったんだろ?」
レオンが水鈴の全行程をクリアし、すっきりした顔でナリヒラを見た。
「フン。ミカド語しか喋れねえと、おっさんたちに指突っ込まれるからな。俺の口の安全が300万ゴールドで買えるなら安いっつーの」
苦々しく言い放ったナリヒラの声に、彼が受けたという苦難の訓練の様子を聞いていた少年たちは弾けるような明るい笑い声を上げた。笑われたナリヒラも気を許した仲間とのじゃれ合いに満更でもなさそうな顔だ。
14歳になったばかりのレオンが水属性草系三級相当、15歳のリリガルドが操獣系三級相当。14歳のナリヒラは水系一級相当だが、ミカド流の鍛錬を積んでいるために小規模であれば風系と火系も造作なく扱う。
だが、ゲオルグ王子の体液を奪取するという未曾有のプロジェクト、プランG(例のごとくネーミングはリリガルドだ)にあたり、水系少年達の合同訓練及び立案会議を提案したのは同世代で一際優秀なナリヒラを擁する観月宮だった。
否、正確にはナリヒラ本人だ。
きっかけはルイだった。
10歳ほど年上に見えたルイが実際には2歳上で、さらにその若さで言葉も通じないミカド皇国への留学を即断したと知った時の衝撃はまさに人生を変えるほどのインパクトだった。
ルイは笑顔で初対面の人の口に嬉々として指を突っ込む変質者でも、人間とフェンリルのハーフ故にやたら物覚えの悪いバカでもなかったのだ。尊敬に足る、漢気のある先輩だった。
―――そろそろ俺も自分の人生をきちんと考えなくてはいけない。
そう考えたとき、言葉の壁は邪魔だった。出口のない思いに苛立っていたタイミングで今回の話を聞き、ナリヒラは自分の運のよさを神に感謝した。
自分の能力が価値あるものだとブリーフィングを通じて知ったナリヒラは対価として母ホタルと同様に翻訳呪文を掛けてもらうことを望んだ。生憎、メイにもタイヨウにも余剰の闇エネルギーが無かったため無償という訳にはいかず、定価の500万ゴールドから300万ゴールドに値引きをしてもらうことしかできなかったが、後悔はしていない。
メイの差し出した借金の契約書にサインし、契約魔術に自身が囚われることが感じられた瞬間ですらナリヒラは笑っていた。
昨日、ノーマン家に集められた3人の少年は夕食前に当主フォルクスとヒューからブリーフィングを受けた。舞台がノーマン邸となったのは、仮に暴発したとしてもフォルクスが抑えられること、そして転移が自在にできるタイヨウがいることが理由だという。
能力において一歩抜きん出ているナリヒラがレオンとリリガルドに水の操作と身体強化を叩き込むこと、寝る前は魔力を枯渇寸前まで使用して魔力の底上げを行うこと、そして2回の接触機会で体液を確保できるプランを最低3案提出すること。タイヨウをプランの中心にしないこと。
そのミッションに対して与えられた準備期間はたったの3日だった。
リリガルドはレオンと顔を合わせたことはあったものの短時間であり、ナリヒラと差がつくほどではない。ほぼ初対面の少年たちが、時間はないが緊急度と重要度が高いという特殊ミッションに立案から関わっていくということに、口にこそ出さなかったもののタイヨウとフォルクスは気を揉んでいた。
ファーストミッションにしては難易度が高すぎる。また目的が目的だけに失敗すれば挫折は後を引くだろう。だがほぼ全員が初対面という顔合わせで、繋ぎ役となったタイヨウは自身の心配が杞憂に終わったことを知った。
「吉原業平です。14歳。よろしくお願いします」
タイヨウに伴われてノーマン家にナリヒラが現れた途端、3人の間で微かな火花のようなものが走ったのが感じられた。
同じ能力系統で、かつレベルが近い者同士の出会いの瞬間は体験した者にしかわからないと言われる。さらに彼らは極めて裕福かつレアな生家など生まれ育った環境も似通っており、歳も近い。
3人の出会いは、まるで魔法のようなものだった。少年達は不思議な感覚に包まれ、まるで長い間知り合いだったかのように打ち解けることができた。笑顔が溢れ、会話は絶え間なく続き、それぞれが自分らしさを発揮する。その瞬間、彼らは互いが何か特別な絆で結ばれているのを感じとる。
懇親会も兼ねて用意された夕食を食べ終わる頃には、ナリヒラが「自分が滞在する6日間は料理人を観月宮から呼びたい」とレオンに無茶を頼む程には打ち解けていた。「申し訳ないが不味すぎる」と笑いを添えて。
それもそのはず、ノーマン家の料理は「茹でる・焼く・揚げる」で原則構成されており、味付けも塩のみが多い。旨味や出汁といった概念は皆無だ。ちなみにノーマン家だけでなく、ノーマン領全体がその風潮である。バベル王国において“ノーマン舌”しか我慢ができないノーマン料理は味気なさと不味さの象徴と揶揄されてきた。
味だけでなく色彩感覚も壊滅的で、ドブのような茶色い肉のパイや、意図がわからぬほど薄味で曇天のようなクリーム色のマッシュポテトが食欲をそいでしまう。かと思えば唐突に舌を襲うひどく煮詰まった味付けが、舌を刺激するどころか困惑させることすらある。
出されたものは大人しく食べるという性格でなければ、タイヨウも早々に鬱になっていたかもしれない。
観月宮の食事はゲラン領の一流料理人を凌ぐ、と言い切ったリリガルドの後押しもあり、観月宮からは料理人チームが大量の食材と共に派遣されてきた。正確にはタイヨウが転移を担当したのだが。
ホタルとセミマルはもちろん、カグヤ妃とカザンも観月宮の末っ子ナリヒラの“はじめてのおつかい”に常軌を逸した舞い上がりようで、高級布団セットやミカド皇国の菓子や清涼飲料水なども大量に運び込まれることになった。フローリングの上に布団は嫌だと言うナリヒラのために土系技術者が派遣されて小上がりをつくる簡単なリフォームまで行われたほどだ。
ナリヒラとリリガルドが投宿するのがタウンハウスのレオン専用フロアというのもタイヨウにとって具合が悪かった。ほぼ本邸で暮らしてきたレオンはこれまで約200平米の自室に家具を入れることもなく、空間はガラガラだったのである。
そうとなればオヤツは300円まで、どころではない。筋トレグッズや漫画、映像玉もと思いやりは続き、差し入れが価値にして300万ゴールドを超えたところで顔を引き攣らせたタイヨウが「今後、ナリ君案件の転送は1日1回15分までにします!」と拒んだ。転送自体はタイヨウにとって大した労力ではないのだが、回数が多ければ負担は増える。
反省したナリヒラがブリーフィングを受けた後、部屋に入る前に皆の前でレオンとリリガルドに最初に行わせたのは“魔力の知覚”だった。
2人は共に三級と報告があったが、それが真実なら一級の自分が同レベルだと認知するはずがない。ナリヒラは確信を持ってレオンの両手を握って額を合わせた。
「我慢してくれ。これは俺が親父から教わったやり方なんだ。多分これが1番早い」
戸惑い顔のレオンが体内を駆け巡る未知の感覚に目を丸くするのを横で見ていたリリガルドが顔を寄せた。
「何? レオン!」
「……なんか、ある! 身体の中に!」
「やっぱりな。水の魔力を身体強化に使ってる。あまりに自然すぎて凝り固まってるんだ。一旦解放するぞ。ズシッとくるから耐えろ」
つないだ手から見えない無数の触手が延ばされたような感覚が走った後、レオンの身体はまるで鉛のように重くなった。動くこともままならなくなり、あらゆる動作が遅くなる。まるで身体が地面に根付いてしまったかのように、一歩を踏み出すのも苦しい。
だが、心はかつてないほどに高揚していた。
紅潮した顔を上げたレオンにナリヒラがニヤリと笑って手を離した。
「あるだろ?」
「……ある!」
「やばいよな」
「やばい!」
体内を巡る魔力の熱がかつてないほど沸騰している感覚が堪えきれない笑いとなってあふれていく。
「アタシも!」
期待に目を輝かせたリリガルドがナリヒラの手を取り、自分からその手を取りゴチン!と音を立てて額を突き合わせた。
そしてまたリリガルドも魔力と笑い声を弾けさせる。
それを見守っていた者たちは一様に同じ夢を見ていた。水と少年たちの織りなす幻想を。
夏の昼日中、陽光がきらめく川に、橋から飛び込む少年たちの笑い声が響く。彼らは空中で一瞬、自由を感じながら水面に飛び込むと、水しぶきが弾け、爽やかな冷たさが全身を包む。髪は濡れ、肌は日焼けしたが、彼らの笑顔は輝きを増していく。その瞬間、彼らは夏の熱さを忘れ、自然と調和した幸せを永遠の記憶に刻んでいった。
――という、ありもしない記憶の幻想を共に見ていたノーマン夫妻とヒュー、そしてタイヨウは感動の涙を懸命に堪えた。
「自分たちなら、どこまででも行ける」
そんな青臭い自信に満ちた少年達は、保護者達の期待を上回る熱量で初日の練習を終えた。ルイがあれほど苦労した水鈴も瞬く間にクリアし、水単体の操作も会得。開けた本日のプログラムは身体強化を行なったまま同じ作業を行う、そして企画の立案だ。
「そういえばさ、セミマルさんて特級じゃない?」
「うん」
「でもホタルさんは違うみたいだって、前にタイヨウが気にしてたのよ。そのさ、特級は特級としか子供作れないっていうじゃない? でもナリが生まれてるわけで。それ、もしかしてこの身体強化と関係ある?」
「ああ、お袋は2級と3級の間くらいだからな」
あっさりと伝えられた事実にリリガルドが目を丸くする。
「身体強化って、俺の中のイメージは魔力圧縮なんだよな。うまいこと身体中に巡らせて、しまっとくみたいなイメージ。親父もカルマみたいな大技使う時は器用に解除させてるよ。なんつーか、ミカドの特級は魔力の扱いが段違いに上手い。まとめると……子作りに関しては、魔力の一部は圧縮しといて表面的に出す能力さえ相手と揃えられればいいんだ。そう簡単な話でもないと思うけど……特級同士じゃないと子供ができないってことはないぞ」
リリガルドとナリヒラの会話を聞いていたレオンが目を瞬かせた。
「――いや、それ世紀の大発見じゃない? 僕達が聞いてよかったのかな」
「平気だろ。身体強化と圧縮のくだりはリンゴ君がルイ君に教えてたし。バベルでも闇属性は特級同士でなければ子供ができないってことはないんだろう? 特級が増えてる今、気づくのも時間の問題なんじゃね?」
「どうなんだろう。ウチの国、2000年気づいてなかったからなあ」
液体を操って細い水蛇のようにしたジュースを口に運びながらレオンが首を傾げた。だが、リリガルドは腕を組んで唸った。
「うーん。そもそも、ここ数十年のことなわけじゃない? 特級が増えてるのは。その前までコンスタントに特級が出てたのは“アボット家”くらいだったわけよ。これはアタシの思いつきだけど、“闇属性以外の特級能力者は他階級と子供ができない”って、昔のアボット家が広めたデマなんじゃない?」
リリガルドの言葉にレオンとナリヒラは顔色を失った。2人よりは幾分世慣れたリリガルドは見えない歴史書があるかのように頭上を睨みながら続けた。
「たまにしか特級が輩出されない他属性とは違って、一族で婚姻を繰り返して高能力を維持してきたアボット家は子作りのノウハウを引き継ぐことができたはずなのよ。バベル建国時、闇属性はこの大陸の頂点だったのよ? それがたったの三世代で非闇三原則よ。王にも、王家にもなれず日陰者にされたのよ? 子作りのコツくらい黙ってて何が悪い!……ってなると思わない?」
その行き着いた先がトラビスなんじゃないかしら?と言いながらポテトチップスを整った唇でつまむ。
排他的ではあるが、一度懐に入れたものに対しては躊躇せず手を尽くす傾向のあるミカドの気質が強いナリヒラは戸惑い顔だが、レオンは一理あると口元を押さえた。
四貴家の長男として生まれ、愛されて育った彼は、歴史的に見ても特出して優秀な義姉を迎え入れたことで自身が日陰の身になったと感じる瞬間があった。
いずれ自分は四貴家の当主を継ぐのだろう。それが他人からすれば貴族の頂点だとわかっているし、どれほど恵まれた立場にあるかわかっているから口にこそしないが、思うところがない訳ではない。
「――主役になれない辛さ、みたいなものかな。自分の人生の主役にすらなれない感じ、みたいなことかもしれない」
目を伏せたレオンの言葉にナリヒラがハッとした。それなら自分にもわかる。まさにルイの背中を見ながら感じた想いだ。それが一時的なものであるならいい。いずれ輝ける場所に、咲ける場所に行けるのならいい。だがそうではないとしたらどう思うだろうか? しかもそれが国によって強いられていたとしたら?
少年たちの心に苦い思いが広がる中、リリガルドが重い口を開いた。
「……アタシね、トラビスに同情はしないけど、気持ちはわかる気がするの。この国はずっと、2000年間アボット家の苦悩を見ないふりしてきたのよ。シュリ姫にはそういう影に追いやられてきた人にも光を当てる王になってほしいと思うわ」
レオンと顔を見合わせたナリヒラが肩をすくめた。
「シュリ姫を王にするためにも、プランGを成功させないとだな」
「やろう! 僕達の手でシュリ姫を王にするんだ。で、プランできた?」
レオンに尋ねられたリリガルドは「できたわよ。こーいうことにかけてはアタシ天才かも」と言いながらテーブル下に置いたピンク色のファイルを差し出した。
毛足の短いファーがカバーにあしらわれたバインダーを開いたレオンの横から素早く移動したナリヒラが覗き込む。
内容を読んだ2人は堪えきれず爆笑した。
「やるでしょ?」
ニヤリと笑ったリリガルドが自信に溢れた眼で問いかける。
「やる! やるよ。最高だよ、オータム」
「これ、もう“正解”だろ。どーすんだ? 水の操作も出来るようになっちゃったし、プランはできちゃったし」
「どうするの?オータム。明日、何するつもり?」
暗に帰りたくないと匂わせたナリヒラの言葉にくすぐったさを覚えながらレオンが尋ねた。ニッと白い歯を見せてリリガルドが笑つ。
「“女優”をスカウトしに行きましょ!」




