77.コクーンの糸〈3〉 X-DAY マイナス8
シュリ姫が王となれば、敗者はゲオルグ王子だけではない。
トラビス・アボットもだ。
彼がアボット家当主となり、王の盾となるためには男性の新王が立つ必要がある。ゲオルグ王子の犯罪を看過するどころか、実現を可能としているのはトラビスだろう。強い動機がある。
「セバスがレイ王子の守護を優先するため、ゲオルグが王宮外に出る時はトラビスが担当アボットになっていた。彼は登録こそ一級だが、実態はわからない」
「ハンナさんもメイさんも一級に偽装してましたもんね……」
タイヨウがその他の“特級隠し”の顔を思い出す。
「ちなみにトラビスは現当主ジョルジュの兄だそうだ。ジョルジュが当主となったのは現王が即位した27年前。元々トラビスが有力視されていたにも関わらず、弟のジョルジュに大差をつけられて敗北している。だが、今どこまで能力を上げているかはわからないが、ジョルジュを超えるものではないというのが大方の見方だ」
「そうなんですか? 兄弟なのに?」
「ああ、仮にトラビスが特級になったとしてもジョルジュとの魔力差は50倍はあるとメイは予測している。魔力の絨毯現象による新世代のインフレは聞いてるだろ? 現象はトラビスの成長期からは外れていたんだろう。ちなみにセバスさんもギリギリの特級だよ」
リリガルドが指を髪に絡めながら、つまらなそうに言う。
「なるほどね。“ゲロ”ルグのキッモいお手伝いしてたトラビスおじさんは、弟に負けて悔しくて、がんばって特級になったけど、ジョルジュ当主にもメイ諜報部長にも闇系能力で負ける。だから逃がされたのね? 国内にいると捕まるから。アーシリアにでもいるんじゃない?闇魔素が少なくて闇系にはキツイ土地だろうけど、アーシリアは闇エネルギーを毎年1億バベリウム満額分買ってるんだもの。なんとかなるでしょ」
問題はそこじゃないわよね、と腕時計を確認してからリリガルドが腰に左手をあて、右手でヒューとゴーダを指した。
「ーーで? なんでそんな国家機密をアタシたちに話したわけ? アタシたちに何をしろって言うの?」
ゴーダが胸元から親指大の試験管を2本取り出して2人に手渡す。リリガルドはそれがオータム商会のヘルスケア部門が取り扱っている鑑定用試験管であることに目を細める。
「聖誕祭中に『ゲオルグ王子とコーネリア妃以外の王族の目の前』、すなわち特級アボット家能力者の目の前で、『ゲオルグ王子の体液を最低0.5ml』手に入れて欲しいのです。合法的かつ合理的手段で」
ほんの数秒、沈黙してからタイヨウとリリガルドは見つめ合った。
そこにいるのは見知らぬ相手のような思いがした。
自らの行動によって、明確に、永久に誰かの立場を奪うということ。その責任を負う覚悟を決めた少年達は、数秒前に自分たちの子供時代が終わりを告げたことを相手の目の中で感じ取っていた。
その様子を瞬きもせずに平坦な目で見つめていたヒューが言った。
「ーー念のために言うと、君達の“ソレ”がなくても状況証拠は揃っている。今回の聖誕祭でゲランが最優秀になり、即時の王位継承選挙を希望したとしても跳ね除けることはできるくらいにはね。それだけのモノをゴーダさん達は揃えてくれた。だが、“ソレ”があれば、ゲオルグは確実に廃嫡になる。看過していたコーネリア妃とゲラン公も罪に問われ、時計の針は速まり、喉に突き刺す剣となるだろう」
重みを増したように感じられる試験管を握りながらタイヨウが尋ねた。その瞳に令嬢の弱弱しさは微塵もなかった。
「合法的かつ合理的手段……。警備方の騎士団と王国軍、あるいは他の王族では近づくことができないけど、僕たち子供ならできるかもしれないイベントがあるんですね?」
ゴーダは頷く。
五十を過ぎ、人生の半分以上を護国と防人に捧げ、組織の頂点に立った男は斯様に重要な局面を他人に任せることが来るなど考えてもいなかった。しかも、たとえ類稀なる能力があったとしても、孫と変わらぬ年端のいかぬ子供達に。
今日の対峙まで、己がどのような想いをいだくのかわからなかったが、こんな気持ちだったかと不思議な心地だった。
朝目覚めた時に見たカーテンの隙間から差し込む光に、抜けるような青空の下の木漏れ日に、どんな絵画にも描けぬ繊細な層を重ねた夕焼けに感じた想いを思い出す。子供の頃に感じたそれは“根拠のない予感”とでもいうべきものであったが、全く悪くないものであった。
対等の戦略パートナーとして対峙したゴーダは無意識に声音も変えていく。太い指を2本、小さな二つの顔の前で広げた。
「ゲランを除く三貴家御当主、ならびに観月宮に立案に参加いただき、2度の機会創出が可能となった。一つはアカデミアのオープンカレッジのレイ王子の講演。わずか30分だが、単身でゲオルグ王子が聴きに来る。二つめは“シナン競争ナーガ”、通称“競ナ”だ」
「あれっ? 競ナは色んな用意ができなくてお見送りになったんじゃなかったでしたっけ?」
タイヨウが長い睫毛を瞬かせた。以前タイヨウがキラン邸を訪れた時に提案した競ナだったが、賭け事を管理するシステムも会場もないと断念したことは記憶に新しい。ただナーガの速さを競わせる競技は既にシナン諸島連邦にあるとキラン達から共有は受けており、近年中の実現可能性は高いと認識して会話を終えたはずだ。
「せや。バベルジャンボ富籤に加えて競ナと賭け事を一気に増やすのも微妙やし、今年は見送った。けどゲオルグとの接触機会がオープンカレッジ一回じゃ心もとないってフォルクスから聞いてな。そこで“こーんな感じの素敵な競ナを来年以降やりたいと思ってます~”って内輪のお披露目会を聖誕祭中にやろうと思うてな」
「なるほど! デモンストレーションを行うんですね」
頷いたキランが空中で掌を走らせると、水で円状のトラックが出来た。その上を指をなぞれば5本のうねる紐がトラックを回る。
「会場は“国外”、俺の本邸前のキランビーチ沖合にしたんや。海上にこないなコースをつくってな。真ん中に置いた船に結界を張ってデモ試合を鑑賞させる。王とシュリには当然快諾をもらったが、誘い主がフィガロ公の俺やから王師と騎士団は動かせん。そして特級の海外渡航許可もな。当日来れる特級はアボット当主だけや」
「ジョルジュさんが……!」
「ま、ようするにカザンとヒューは来れん。ノーマン家フォルクス夫妻もや。そこまで御膳立てして、やーっとゲラン公からゲオルグ王子とコーネリア妃を伴って参加するいう返事が来たわ」
「うっわ。ゲラン公もコーネリア妃も水の1級だものね。得意のフィールドで、2級以上がいないシナンには行くってわけね」
リリガルドが舌を出しながら半目になった。コーネリア妃はここ数年、療養と称してほぼゲラン宮に滞在しており、あまり公の場に出てくることはない。
「腹立つやろ? カザンもおらんし、得意の水の上で周りには雑魚しかおらんしっつーことやろな。そう仕向けたのは俺やけど、舐められすぎて涙ちょちょぎれるわ。ヴォルフガング領からは当主のじいさんとイベントのオーガナイザーであるお前が参加。ノーマンからは代わりに名代として子供達が来ることになった」
リリガルドを指さすキランの腕をタイヨウがつかんだ。
「子供達!? まさか、この話はレオンさんも……?」
「ああ、むしろ中心からお前は外れとるぞタイヨウ。このミッションの要はノーマン家レオン、ヴォルフガング系オータム家リリガルド、そして観月宮のナリヒラ、や」
名の上がったリリガルドが両の腕の鳥肌をなでる。
「全員、3級以上特級未満の水系ね。体”液”だからなのね~~!! やだ~~気が進まないわ~~~! がんばるけど~~~!!」
「ナリさんってことは、カグヤ様もいらっしゃるのですか?」
カグヤ妃は事件以来表向きは引きこもり、公式の式典への出席も見送ってきたと聞いている。タイヨウの言葉にヒューが不敵に笑った。
「行くってよ。セミマルさんとナリとタカムラ爺を連れて。コーネリア妃を引っ張り出せるなら、ってね」
セミマルは水系の特級だ。ゲラン陣営の上位に立つ力を持つ。ノーマン夫妻が子供たちの協力を許したのは観月宮の戦力があればこそだろう。いよいよ仇敵に王手をかけようとするカグヤ妃の強い意志が伝わってきた。
2つのイベントをまとめたブリーフシートを受け取りながら、タイヨウがゴーダに頷いた。
「では僕は3人の立案を手助けしながら、基本サポートに回りますね。聖誕祭まであと5日……。シナプリも仕上げつつ、この件にフルコミットするのは難しいかなと思っていたので助かります」
家に帰ればソーレ帰還のための闇Suicaチャージという仕事もある。規則正しく7時間取っていた睡眠時間も削っても尚、予定より遅延していることにジリジリと焼かれるような焦燥がタイヨウの心中で膨らんでいた。
10万バベリウムという膨大な闇エネルギーを10枚。一日50万の出力上限というタイヨウの能力を考えれば容易い作業のはずであったが、見込みが甘かった。本人がプロジェクトの多岐に関わるため、転移を中心に不測の出力を強いられる事態が多く、また疲労をカバーするために身体強化も通常よりも増強せねばならず、思うように進まなかったのだ。
「疲れてる妹にこれ以上負担かけるのもアニキとしてアレやが、タイヨウは競ナの方でも借りたいねん。ナーガ競走は慣れてるが、“魅せる”のはウチじゃ手に余る。ショーにするためにはあと何が必要なんや?」
室外に散っていた部下たちに向かって水蛇の合図を投げながらキランが首をかしげる。
タイヨウはうーんと唸り、眉間に寄せたしわに人差し指を当てた。ナーガと騎手、コースはすでにあるのだ。あと何があればG1の雰囲気が出せるだろう?
「……ファンファーレと、実況アナウンサー?」
これ以上の出費を避けたく渋面をつくっていたリリガルドが、タイヨウの言ったシンプルな2つの要素に顔を明るくした。
「ファンファーレ? 軍のパレードのときみたいなやつ?」
「うん。出走のタイミングでファンファーレが鳴れば雰囲気は出ると思うし、録画玉に収録したときも映えると思うよ。実況は楽しみどころがわかるようになるからいた方がいい。素早いナーガの動きを見られる人で滑舌がよければ何とかなると思う。誰もいなければ僕がやるけど……」
競馬実況アナウンサーのレジェンドの聞き取りやすく、印象に残るG1中継をタイヨウは思い浮かべる。イメージはあり、おそらく模倣できる自分がやれば早いが、出来れば男性の声がいい。競争というその性質上、競馬同様、競ナは男性客の心をつかんでいくだろう。観客の心とシンクロでき、心情と共に走れる実況アナウンサーはやはり男性が適任だ。
国の趨勢に関わる体液奪取ミッションに加えて、ファンファーレの監修と実況アナウンサーの選出・教育も重なってくるという事態にさすがにタイヨウが白目をむきかけた。
(やることが、やることが多い……!)
「提案ですが……ここからは民間にアウトソーシングしませんか?」
「あ、あうとそーしんぐ?」
目を瞬かせたタイヨウにゴーダが頷く。
「左様。無能力の平民にも能力を体験させることで王の威光を寿ぐ、ということで貴族主導で行われる聖誕祭ですが、ゲラン領も食品周りはほぼ平民に委託している。舞台も演者以外は能力者ではない」
「アタシも平民だしね!」
リリガルドが胸を張る。彼が放任されているのはその卓越した商才や天衣無縫の性格だけでなく、元騎士団長で現王師長ライプニッツ侯爵の元に養子に入ることが内定している程の能力者であるという理由が大きいのだが、そこはご愛敬だ。
「ここぞ、という部分以外は切り出せるはずです。例えば先ほどダンスも拝見している限りでは、能力者である必要はないのでは?」
「あ、はい。あのダンスも歌も元々は魔力の使えない方のものなので……」
「でしょうな」
ゴーダはそこで右手でリズムよくカウントをとるとタイヨウが歌詞をバベル王国に合わせて改変したJ-popの一小節を歌いながら見事なダンスで踊り切った。
ゴーダはバベル格闘術の師範代であった。無能力者故に魔力による身体強化こそできないものの、三級以下なら能力者相手でも捩じ伏せられる自信がある。相手が口を開く前に、術をかける前に潰せばいいのだ。能力を発揮する前は只の人なのだから。
格闘家の基本は長年の稽古だ。目で覚え、身体を動かすことに長ける彼にとってダンスなど児戯に等しかった。
決してスタイルが良いわけでもない、いかめしい顔つきをした中年男性が見せた極めてスタイリッシュな動きにキランとリリガルドは顔を合わせ、ヒューッ!っと大歓声を送った。
王国軍陸軍の叩き上げ幕僚長は、浅黒い肌に微かな照れの朱を走らせながらタイヨウに向き合った。
「ーーご覧の通り、身体強化などなくとも、王国軍の者たちは体を動かすことに長けとります。シナプリのセットリストは3曲と先ほど仰ってましたな。ならば半日で覚えきりますよ。この後すぐにシナン系の人間を10名ほど選びましょう」
「きゃあ! ダンサーオーディションね! アタシも参加させて、お願い!」
美しい造形物をこよなく愛するリリガルドが鼻を膨らませたが、ゴーダは首を横に振る。
「お申し出はありがたい。だが、断る。求められるのは顔の美醜だけではない。ダンスに魂を乗せられるか否かだ。美醜であれば骨を見たい。訓練に慣れ、それぞれの身体的技量を見越せる私に任せてほしい」
その気合にのまれ、こくりと大人しくリリガルドは頷いた。この数年後、軍を引退したゴーダ・パークはオーディションをエンターテイメント化し放映するという画期的なシステムを構築。希代の男性アイドルプロデューサーとして人生の第2幕を開けることになる。”Theプロデューサー” ゴーダ・パーク、通称P・G・パークの第一章は間違いなくこの瞬間に始まった。
「リリガルドは衣装整えてやんなよ。イケメン10人分のさ」
ヒューの言葉に「ま、そっちのが楽しそうね!」とリリガルドが機嫌よく頷いた。
「リリガルド君、ジェイクスピアさんにも連絡してもらっていいかな? 明日の連ドラの内容を“平民から緊急オーディション!”って内容にしたら数字も上がると思う」
「オッケー! 撮影でジェイクスピア監督呼ぶわ! それにアタシが立ち合う! 合格メンバーのサイズも調べられるしね。おじさま、それならいいでしょう?」
ゴーダは携帯木札を耳に当てながら上目遣いに見上げる猫科美少年に頷いた。只者ではないとゴーダを刮目して見つめていたタイヨウが軽く右手を挙げた。
「ゴーダさん、お知り合いで“動体視力が良く、船酔いをせず、聞きやすい声で滑舌のよい中年以上の男性”心当たりないですか? 頭の良い方だと尚嬉しいです。その人材が見つかればお言葉に甘えてダンサーはゴーダさんに任せて、僕は実況アナウンサーの育成を行いたいと思います」
片眉を上げて聞いていたゴーダが自信を持って頷いた。
「それなら水軍幕僚長のサザーランドでしょうな」
コクーンプロジェクト会議で面識があり、さらに一度会った人物は忘れることのないヒューが拳で手を打った。
「あー! はいはい、絶妙。荒事は苦手っぽい雰囲気だったけど、声は良かったよ」
「アレは文官上がりで頭のキレる男だ。コクーンプランの要でもある。実況とは要するに目の前で起きている事象を即座に理解し、門外漢にもわかりやすく伝える技術という理解でいいんだろう?」
「まさに、です! 優れた実況者はスッと名文も生み出すんですよ! その知のエッセンスが、ただの賭け事を芸術に、伝説に昇華させるのです。ちなみに僕の好きな解説は“今年もあなたの、そして私の夢が走ります--” です。なんて美しいんでしょう。世界観を、世界を作る名文です!」
「サザーランドで決まりだ。あれは文才もある。防衛大学校時代に書いたあなたの父君の活躍譚はベストセラーになっているほどだ」
「なんというご縁! 決まりですね!」
パチパチと手を打っていたタイヨウがハタと手を止める。
「そ、そんな方に、無償で急なお仕事をお願いしちゃっていいものでしょうか? ゴーダさんもお仕事がありますよね?」
僕が頼むんだから、僕がお給金を払えばいいのかな? 僕ってお金あるのかな? とタイヨウが青ざめる。
ゴーダは呆気にとられ口を開いた。そもそも聖誕祭のサポートはタイヨウ本人のためではない。ゲオルグ王子が失脚したとても間接的に影響はあるとはいえ、彼女にメリットがあるわけではない。
そんなタイヨウ本人が無償の奉仕を続け、その慈愛の重さに体調も万全ではないことが見てとれるというのに、更に気遣いを向けられてはどうしていいのかわからない。しかも平民相手に、である。
「ーーすごいでしょ。これがカザンの選んだ子なんだよ」
ヒューが楽しそうに瞳を光らせた。
“竜のカザン”。
王家の枠を飛び出し、護国に奉じる騎士団長の真摯な風貌を思い出す。アレにも最初は何のパフォーマンスか、悪ふざけかと思ったものだったが、“黒天使”はその上を行くようだ。礼をしたいのはこちらの方だと言っても、聞き入れはしないのだろう。どうやらゲオルグ王子は平民だけの宿敵ではなく、彼女にとっても当然のように悪しき者となったらしい。黒天使は民の上にも羽ばたく。そのことがたまらなく誇らしく、早く基地に帰って部下の顔が見たくなった。
「ーー私はシナプリを仕上げることが性に合ってるようで、このまま関わらせていただければ礼など必要ありません。サザーランドはそうですな、ミカド皇国とも縁付く貴方から彼の国の書籍をいつかお渡しいただければ、それに優る褒美はありますまい。無類の本好きですので」
「それなら、なんとかなりそうです!」
安心したらしいタイヨウが微笑むとキランが渋面を作って腕を組んだ。
「ーーしかし“シナプリ”は解散やろ。ナーガ騎手として俺の侍従達が1番レベルが高い。実況の練習するならそっちに張り付かせたるわ」
どこか拗ねたような口ぶりで、ちょうど休憩から戻ってきた侍従達を手招きするキランの左頬をタイヨウが打った。そして自身の胸をドン!と叩く。
「何言ってるんですか! キランさんがいるじゃないですか! センターのキランさんがみんなのソウルを持って行くんですよ!?」
名プロデューサーとして大輪を開花させつつあるゴーダも分厚い掌でキランの右頬を鳴らした。
「シナプリは死なん。ここから始まるんだ」
四貴家令嬢ならともかく、平民のゴーダの暴挙に青ざめ、憤った侍従達が魔力を跳ね上げた。
「若!」「おのれ、貴様何を……!」
年下の少女にも、平民にも、いや思い返せば誰にも平手打ちなどされたことのない生粋のプリンスは呆然と両頬を押さえていたが、憤る若者達を諌めた。
「いや、ええんや。間違ってたのは俺や。……堪忍や」
シナンプリンス。
それはシュリ姫の即位を希うシナン男子の誇りの象徴だ。血統によるものではなく、平民から相応しい者を募ってもいいはずだ。王は平民の王でもあるのだから、平民だって支えるのだ。それこそがゲオルグ王子が得られぬ力なのだから。
「ゴーダ、力を貸してほしい。……俺を嫌ってもいいが、シナプリは嫌いにならないでほしい」
下げた頭を再び上げたキランの顔に、かつての幼い暴君の影はひとひらも残っていなかった。そこにいるのは、輝きを放つ不動の初代センター“キランプリンス”だった。
3秒後、つんざくような歓声を上げてリリガルドが転移陣を稼働させて呼び戻したジェイクスピアの頭をワシワシとかき乱した。
「ちょっとォォォ! 撮った!? 今の!」
「はいっ! 須く!!」
鼻を啜る音を入れないよう、涙も鼻水も垂れ流したままにしていたジェイクスピアが袖に顔を埋めた。流れや内容はわからぬともキランの輝きに感動して落涙する男達に目を細めながら、ゴーダが歩み寄っていった。
オーディションの詳細を詰めはじめた一同から少し離れた場所でタイヨウはヒューの袖を引いた。
トラビス・アボットの話を聞いてから、ずっと頭に引っかかっていたことを認識阻害をかけながら尋ねる。
「ーーもしかして、観月宮事件の犯人もトラビス氏なんですか……?」
20数年前に観月宮を震撼たらしめた未詳の闇系能力者。未だ足取りが掴めない存在は王の守護者たらんと目論むトラビス像と重なる。だがヒューは複雑な思いを噛み締め、無表情に見える顔で首を振った。
「計画したのはトラビスかもしれない。でも実行犯ではない。残念ながら、それはジョルジュ当主が否定しているよ。隠蔽、転移、記憶操作、操心……あの日行われたとされる闇系犯罪はそれぞれがカルマ級で一挙に行うのはトラビスでは無理だ。そして残穢もトラビスのものとは異なっていたらしい」
「そう、ですか……」
2人は沈黙を守りながら、目を合わせる。その静けさの中で、共に心に浮かべていたのはここにいないカザンだった。彼を護国へと駆り立てることになった一因であるはずの観月宮事件は、カザンを心の奥に置く2人にとって当然他人事ではない。
言うか迷った言葉はヒューの唇を滑り落ちた。
「……できるとすれば、“新世代”の誰か、らしいよ」
闇から現れた敵と、闇の中に未だ深く隠れる敵。
タイヨウは焦りを滲ませた瞳で妙に目立って見える真昼の月を見上げた。




